神崎とリリス

 沢山の悪魔の骸が転がり、その血の臭いが辺りに充満している戦場。

 そんな場所なのに、美しい銀色の髪を揺らし、妖しく笑うリリス。

 全く、こんな地獄のような所で笑うなんて、神経を疑いたくなる。

 不快に思っている最中、その唇を微かに動かすリリス。

「どうした神崎。何が可笑しいんだい?」

 …私も笑っているのか。

 地獄の戦場で笑うなんて、不謹慎だと叱ろうと思っていたんだけど。

「あなたも笑っているわよ、リリス。」

「…私もか。戦場で、命のやり取りをしている最中に笑うとは、些か不謹慎じゃないか、と叱ろうとしていたんだが」

 バツが悪そうに髪を掻くリリス。彼女も同じ事を考えていたのか。

「大丈夫よ。私も全く同じ事を言おうとしていたんだから」

「なんだ、君もか。なんだかんだ言いながら、私達は結構似ているのかもしれないね」

 顔を見合わせ、同時に噴き出す。

「同じ男を好きになってしまったんだから、似ているのは必然、か」

 言い終わると同時に笑みが消え、私達はほぼ同時に術の詠唱に入った。

「白銀の矢!」

 銀に輝く無数の矢をリリスに放つ。

「なんだって!?君も矢を放つとは!?」

 驚くリリスだが、私も驚いた。

 白銀の矢は、リリスが放った炎の矢と、全て相殺されたのだ。

「地獄のふいご…」

「当たりだ。天を焼き払おうとした反逆天使グザファンが、地獄に堕ちてから就いた役職、地獄の釜の鞴吹き…その鞴で起こした地獄の炎の矢さ」

 互いに呆れる私達。同じタイミングで同じ飛び道具を放つとは…つくづく似ている。

 かもしれない。

「考えている最中、申し訳無いが、先手を打たせて貰うよ。このままでは相討ちになりそうだ」

 うわ、狡い!!

 と思いながらも、カウンター狙いも悪くない。

 一呼吸し、リリスが唱える。

「深淵に棲む悪魔達の王よ!!」

 空気が淀む。

 場に、地獄の空気が溢れ出て来ているんだ。

「毒と恐れを以て我が敵を殺せ!!」

 ヤバい!

 直感でそう思い、オハンを喚ぶ。

 オハンが顕現すると同時に、リリスの呪の詠唱が終わった。

「醜悪の破壊者あ!!」

 オアアアアアアアアア!!

 リリスが呪を発動させ、背に暗闇を喚んだと同時に、オハンが叫んだ。

 呼応するように無数のオハンが現れる。

 暗闇から霧のような物が発生され、オハンに触れると、オハンは絶叫して砕け散った。

「オハンが相討ち!?」

 驚いてリリスに目を向けると、リリスは固く目を瞑っていた。

「な、なんで?はっ!?」

 慌てて喚び出したオハンの影に隠れた。

 オアアアアアアアアア!!

 オアアアアアアアアア!!

 オアアアアアアアアア!!

 新たなオハンが現れ、絶叫し、砕け散り、また新たなオハンが現れると言う現状が、辺りから伺えた。

「どうだい神崎。アバドンの深淵の闇は?君の無限に喚び出せるオハンと言えども、いつまでも防ぎ切れるものでは無いと思わないか?」

「アバドン?だからあなたは目を固く瞑っていたのね!」

 アバドンとは底無しの淵に潜む悪魔達の王。

 邪悪や不破、戦争を司る復讐の女神達を支配すると言われている。

 アバドンは悪魔の名ではなく、地獄の一地域の名称であるとの説もある。

 リリスの背後の暗闇は、恐らくはその地域の暗闇なのだろう。

 また、アバドンは馬に似た姿で、頭に金の冠をかぶっており、翼を生やし、蠍の尾を持っていると言う者もいる。

 この蠍の尾に刺されると、死ぬ事も許さない儘、5ヶ月間も苦しみ続けると言い伝えられている。

 オハンが相打ちで砕け散っている霧は、恐らくはその蠍の毒。

 そしてアバドンは余りにも恐ろしく醜い姿をしている為、召還した人間でさえ、その姿を目にすると死んでしまうと言う。

 リリスが固く目を瞑っているのは、その姿を視界に入れない為だ。

「面倒なものを!!」

 オハンに隠れながら詠唱する。

「諸の衆星七曜諸執遊空一切光明の主!!」

 唱えると、私の頭上に大きな光の輪っかが現れる。

「神々ですら耐えられぬ、その灼熱を以て闇を祓い賜え!!」

「!太陽神スーリヤか!!」

 未だに固く目を瞑りながらも、リリスは更に闇を濃く出現させる。

 力押しするつもりか?

 いいでしょう。

 闇の支配者アバドンと、太陽神スーリヤの力比べといきましょうか!!

「灼熱の日輪!!」

 頭上の光の輪は、その熱を以てアバドンの闇を照らし、毒を灼く。

 一際大きな破壊音が聞こえたと同時に、私とリリスは後方に弾き飛ばされた。

「くあっ!!」

「あうっ!!」

 互いに地面に激突する。

 頭を振って、リリスを見ると、リリスも同じような動作をしていた。

「アバドンの地獄の闇が祓われたか…」

「スーリヤの日輪で漸く互角とは…」

 其処には闇も毒も日輪もオハンも存在しない。

 全て相殺された。

 そんな感じになっていた。

 解っていたつもりだったが、リリス…

 本当に私と互角なんだ。

 師匠の御力を受け継いだ、私と互角…

 即ち、この若さで師匠と互角なんだ。

 戦慄するやら、呆れるやらで忙しくなる。

「本当に大した者だよ、神崎…」

 私よりも先に立ち上がるリリス。服に付いた土や埃を手で払い除けていた。

「私は御力を受け継いだだけ。あなたの方が凄いわよ」

 私も立ち上がり、同じように土や埃を手で払い除ける。

「…術は互角。私が先に繰り出そうと、君が先に繰り出そうと、それぞれ対処法が確立しているようだ。よって後先は意味が無い」

「そうね。解りやすく殴り合いに変更する?」

 それなら私に少しばかり分があるような気がしないでもない。

 勿論、冗談で言ったのだが、リリスは少し考える素振りをした。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 殴り合い、か。

 確かに術では決着が付きそうにない。

 肉弾戦なら『このままの』私ならば神崎に少し劣るか。

 チラリと神崎に目を向ける。

 少しキョトンとして私を見ている。

 殴り合いを提案したのは冗談だが、本気にしたのかと思っているのだろう。

 更に良人に目を向ける。

 自信満々に戦況を見てふんぞり返っている良人…

 あの人類の祖を横にしながらも、全く変わらず、堂々としている。

 良人…

 今の私は『まだ』人間としてその瞳に映っていますか?

『あの姿』を見たら、貴方は私をどう見るのでしょうか?

 私は貴方に嫌われたくは無い。

 例え、人類の祖に捕らわれていようとも、貴方に対する私の想いは変わらない。

 だけど…私は…

 運命に抗える程、強くは無いのです…

 その運命を断ち切る為に、私は死を選んだのです。

 貴方を愛した女の手によって、死ぬ事を選んだのです。

 できるなら『私のまま』で死にたかった。

 だけど、それでは彼女は『本気』で私を殺してくれそうも無い…

 彼女が命を掛けて挑まねば、私は倒せないのです。

 良人…愛していました…

 さようなら…

 冷たい滴が頬を伝った。

 そして神崎に再び顔を向ける。

「肉弾戦かい神崎。なるほど、良い提案だ。君が約束を違える事になりそうだが、それも運命」

「約束は違えないわ。私は無敵無敗の北嶋心霊探偵事務所の所員よ」

 フッと笑みが零れる。

 無敵無敗…か。

 その言葉、信じるよ神崎。

 必ず私を殺してくれ。

 醜い屍を良人に晒さぬように…!!

「ならば神崎、君の全てを以て私を討つがいい。私も私に『返る』事にしよう!!」

 静かに目を閉じ、詠唱する。

「また術の応酬?さっきと同じ……っ!!」

 神崎の言葉が詰まる。

 肉体が変化してきたのを目の当たりにしたからだろう。

 服が破れ、全裸になった。

 バリッ、バリッと背中から黒い翼が生えてくる。

 腕には黒い羽毛が生え、爪が鋭く尖った。

 脚は消え、変わりに蛇の胴体が現れる………

 長い銀の髪…良人に誉められた、自慢の髪が、黒く染まった…!!

「先祖返り…!!」

 神崎の呟きが耳に入るのと同時に、私は目を開く。

「その通りだ神崎!私が人類最初の女!!初めて人から悪魔に堕ちた人間!!夜の魔女、リリスさ!!」

 私は私に『返った』。

 私は私の想いの為に。

 銀の瞳を見開いて神崎を見据える。

「さあ!!決着だ神崎!!君の為に返った身体だ!!殺すのは、人の身では躊躇してしまうだろうからね!!」

 そして私はゆっくり、ゆっくりと神崎に向かって近付いて行く。

 神崎は微動だにせず、近付いて行く私をじっと見る。その瞳には敵意は無い。

「…何だい神崎……何故動こうとしない?まさか君程の人間が、怖じ気付いた訳ではあるまい?」

 私の問いに、ゆっくり答える神崎。

「あなた、苦しいのね」

 ドキンと胸が大きく鼓動する。

 動揺を見せぬように返す。

「苦しい訳が無いだろう?これこそが私の真の姿に他ならない。寧ろ、枷が外れたようで清々しい」

 私の虚勢に対して、神崎はゆっくりと首を横に振って否定した。

「だってあなた、泣いているよ。涙を流している」

 言われて頬に伝っている涙に気が付く。

 さっき流した涙が最後じゃなかったのか…

「リリス、私は約束を守る。例えあなたがどんなに強くなろうとも、私があなたを『殺す』わ。そんな涙を流さなくてもよくなるように」

 大きく深呼吸し、詠唱を開始する神崎。

 慌てて涙を羽毛が生えた腕で拭った。

「ははは…絶対に守ってくれよ神崎…」

 翼を羽ばたかせ、宙に浮きながら神崎目掛けて飛んだ。

 同じ男性を愛した女に…

 私の最初で最後の『友人』に殺される為に………


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「なんだなんだ!あの醜い姿は!あれが僕の妻だって?吐き気がするよ!!」

 ハゲが気分悪そうに唾を吐きながら、苛々して地面に転がっているテーブルの破片を蹴っ飛ばす。

「…お前執着していたじゃねーかよ」

 何かイラッとするが、うまく言葉に表せない。取り敢えず聞いてみる。

「僕が惹かれていたのは、美しい妻の姿だ。あんな化け物になんかに惹かれる訳がない。ああ、金も持っていたな化け物は。もうそのくらいしか使い道が無いか」

 一転、愉快そうに笑うハゲ。それを見た俺は激しく苛ついた。

 もうぶん殴りたくてぶん殴りたくて仕方がない。

 ギチギチと拳を握るも、神崎の勝負が終わるまでは、賭は継続中だ。

「…お前は絶対ぶち殺すからな……」

 改めての決意表明。しかもぶち殺す本人の前で、堂々と。

「ハッハッハ!!化け物に成り下がったとは言え、あのリリスだよ?人間の女に勝ち目がある訳が無い!!」

 平和そうに笑うハゲ。俺を無知だ愚かだと罵っている割には、全然解っていない。

 まぁいい。

 もう直ぐで全て決着が付く。

 その時に自らの馬鹿さ加減を知る事になるだろう。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 哀しい顔を無理に歪ませながら、私に向かって来るリリス。

 そう、其処までして死にたいんだ。

 大丈夫なのに。

 私が絶対に殺すのに、わざわざ気を遣わなくてもいいのに。

 固く目を閉じ、再び見開き、術を発動させる。

「黒地の枷え!!」

 リリスの居る地面の重力が増す。同時に地面に吸い付くよう、へたり込んだ。

「神崎!!まさかこの程度で私を捕らえたと思っていないだろうね!!」

 腕の力のみで無理やり起き上がるリリス。力も増しているのか。あんなのと殴り合いしたら死んじゃうでしょ。

「思っていないわ。ただの足止め。今のあなたと殴り合いしても勝ち目は無さそうだし」

 術も互角故にすぐに脱出できるだろうし。

「足止め?君が如何なる術を繰り出そうが、私はそれを相殺できるんだよ?無駄な真似はやめた方がいい」

 そう言うと、翼を広げて超高速で羽ばたく。

 バリバリと大気が割れるような音がし、黒地の枷が砕かれた。

「少ししか足止めできないのは辛いなぁ」

 できるなら、集中する時間を少しでも長く頂きたいものだ。

 この術は、初めて繰り出す術。少し緊張もしているのだから。

 緊張を解そうと、辺りを見渡す。

 宝条さんが地面にお尻を付けて休んていた。

 印南さんは服に付いた埃を払っている最中。

 アーサー・クランクはガラハットの盾を背中に背負い直している。

 葛西は…何か北嶋さんに向かって駆け出していた。

 生乃とソフィアさんも、タマや神獣、御柱と共に、今最後の悪魔を倒した。

 つまり残るは私と北嶋さんだけ。

 緊張を解そうと辺りを見渡したつもりが、余計なプレッシャーを自ら与えたかもしれない。

 ふう、と一つ溜め息を付き、すうぅ、と大きく息を吸う。

 そして天に向かって両手を上げた。

「主なる神よ!!全てを壊し、全てを許す全知全能の唯一神よ!!」

「…創造主に呼び掛けているのか?応える訳が無い!!」

 黒地の枷から抜け出したリリスは、先程以上のスピードを以て私に接近してくる。

 応える訳が無い、か。

 あなたはそう思うのでしょう。あなたは反逆したのだから。

 だけど、これはエデンから持って来れた。

 創造主はあなたにも怒っている訳じゃない。

 それを証明してあげる!!

 続けて呼び掛けた。

 私の最強のオリジナルの術。あの北嶋さんでさえも倒せるであろう術。創造主から戴いた技を発動させる為に。

「全てを退けよ!!楽園の東から来たれ!!煌めく炎の剣!!」

 エデンから持って来た巨大な十字架が現れ、空が真っ赤に染まる。

 そのビルのような巨大な十字架は炎の剣。幾千、幾万突き刺さっていた一本を貰って来たものだ。

「な、何だありゃあ…?」

 葛西が呆然としてそれを眺めている。

「あ、あれはもしや!!」

 かなり驚いた様子のアダム。自らが追い出されて、永久に立ち入りを禁じられ、侵入を防ぐ目的で創造主が創った炎の『柵』だ。

 全てを自分よりも下位に置く人類の祖が、この炎の剣に恐れるのは当然と言える。

 …何か北嶋さんだけは別の意味でギャーギャー騒いでいるのは気にしないでおこう。

 私は最後の詠唱に入った。

「拒絶の剣!!!」

 巨大な十字架が崩れて小さな炎の剣となる。

 その幾万にもなった炎の剣は、回転しながら地に降り注いだ。

 さながら炎の雨のように!!

「神崎!!神崎!!私を!殺して!!!」

 泣きながら絶叫し、遂には私の目の前まで接近し、牙を剥くリリス。

 力強く頷いて応えた。

 地面に無造作に突き刺さる炎の剣。

「くっ!!」

 リリスは『一応』はそれを避ける。彼女も本気で私の命を取りに来ていたから、当然ではある。

 だけど、それは無駄なのよ。この炎の剣は創造主の物なのよ?

「貫け!!」

 私の号令と共に、一本の炎の剣がリリスの胴体を貫き、地に刺さった。

「くはあっ!!!」

 串刺しになった状態で血を噴き出すリリス。

 剣は回転しながら、リリスの身体を貫き通し、やがて地面に潜って行った。

 しばらくそのままの形で固まり、虚ろな目を私に向けるリリス。

「神崎…神崎…ありがと……う………」

 リリスは確かに笑った。

 そして目を閉じる。

 蛇の胴体が脚に戻り、両膝を付くと、その儘仰向けに倒れていった。

「約束は守ったわ。リリス」

 そう言って駆け寄った。

 地に仰向けになったリリスの姿は、銀色の髪を取り戻し、以前の人間の姿になり、閉じた目から涙を流していた………


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「し、信じられない…あの女、エデンから炎の剣を持って来ていたとは………」

 ワナワナ震えているハゲの手からキャッシュカードをぶん取る。

「賭は俺の勝ちだ」

 そう言い残し、神崎に向かって歩き出す。

 暑苦しい葛西が我に返り、再び勝負しろと喚いてきた。

 そんな葛西をジロッと見る俺。

「お前、鬼神憑き解除されているぞ」

「何?うおっ!本当だ!呆けていた間、王牙が帰っちまったんだあ!!」

 膝を付き、嘆く暑苦しい葛西。

 そんな葛西を放りながら、神崎の背後からゆっくりと近付く。

 途端に神崎がグルンと後ろを向いた。

「来るなあっ!!」

 滅茶苦茶怒りながら瓦礫をぶん投げる神崎。

 その瓦礫が俺の額にゴインとヒットする。

「ぐあああ!!!」

 俺は当然ながら、ぶっ倒れた。

「な、何しやがる神崎!!」

 ジンジン痛む額を押さえ、涙目になりながら、俺は神崎に訴えた。

 神崎はめっさ怖い顔を向けながら。

「馬鹿!!リリスは今全裸なのよっ!!男の人に裸を見られたら恥ずかしいでしょっ!!」

 それはそれはものスッゴイ殺気を発しながら牽制する神崎。

 俺は超ビビりながら、コクコクと頷くしかなかった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 北嶋さんを制し、次に叫ぶ。

「生乃!!アーサーから上着を貸して貰って!!早くっ!!」

 ヴァチカンのロングコートのようなアウターなら、リリスの身体を隠せる。

「何故ヴァチカンの上着を魔女なんかに……」

 ブチブチ文句を言うアーサーに苛ついた。

「いいから早く!!ぶっ飛ばすわよ!!」

 だから叫んだ。

「わ、解ったよ…」

 焦って生乃に上着を渡すアーサー。

 急いで私に上着を持ってくる生乃。それを受け取り、リリスに掛ける。

「ね、ねぇ…魔女は死んだ…のよね?身体を貫かれ、血を吐いた筈だよね…?」

 生乃の疑問。ソフィアさんも駆け付け、不思議な表情を作って疑問を呟いた。

「あの炎で身体を灼かれた筈ですよね…何故遺体がそんなに綺麗なんですか?」

 リリスには灼かれた痕も、吐き出した筈の血の痕跡も見当たらないから不思議に思っているのだ。

「それは…」

 説明をしようとしたその時、リリスの指がピクリと動く。

 私はリリスの顔を覗き込み、目一杯笑ってみせた。

「気が付いた?約束通り殺したわよ」

 その声に呼応するよう、ゆっくりと目を開けるリリス。

「な、なんで私は生きている………?」

 リリスの声がハッキリと聞こえたのか…

「えええええええええええっ!??」

 と、全員が絶叫しながら仰け反った。

 北嶋さんだけはおでこを押さえながらフラフラと近付いて来たけど。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 貫かれ、灼かれて死んだ筈だが、私は生きていた。

 それも、外傷が全く無い状態で。

 恐る恐る目を開けると、神崎が私の顔を覗き込み、ニコニコと笑っていた。

「気が付いた?約束通り殺したわよ」

 神崎…君の術で、私は完全に死んだ筈…

 肉体が、何よりも魂が、間違い無く死んでいるのを、ハッキリと確信しているのだから。

「な、なんで私は生きている………?」

 そう、生きている…死んだ筈なのに、さっぱり意味が解らない…

「えええええええええええっ!??」

 場に居る神崎の仲間達全員が大声で叫んでいるのが耳に入った。

 彼等も私が死んだと思っていたのだろう。信じられないと言った驚きの叫びだ。

 良人が私に近付いて来るのが見えた。

 神崎がヴァチカンの騎士のジャケットを私に密着させ、肩を支えて上半身を抱き起こしてくれた。

 ギュッと私を抱くよう力を込める神崎。

「北嶋さんがあなたに何か渡したいようね。だけど彼はエッチだから、絶対にジャケットをはだけちゃダメよ」

 私は何が何だか解らないながらも、コクコクと頷いた。

 前で立ち止まり、ゆっくりと屈む良人。

 視線が脚から胸に移動しているのが解る。

 顔が火照ってくる。だけど目は逸らせない。

 口を開こうとした私よりも先に、神崎が発した。

「北嶋さん、そのエッチな視線を止めないと、目玉に直接ぶち込むわよ」

 神崎の右拳が私の頭上で固く握り締められる。

「仕方ないだろが。美人が上着一枚しか身に付けて無い状況!!目で追うなと言われても本能がそれを拒むんだよ!!」

 全く悪びれもせず、偉そうに開き直る良人。

「あのねぇ!!」

「い、いえ…やはり流石に恥ずかしく思います…」

 神崎が自分の胸元に私を庇うように抱き込むのを拒まずに、私は良人の視線から逃げた。

 良人は名残惜しそうに頭を掻きながら、ポンとカードを私に放り投げた。

「…これは?」

「お前の貯金、取り返してやったぞ。全く、あんなスダレハゲにカード渡すなよ。絶対碌でもない事に使うそあのハゲは。早速賭に使ってたしよー」

 それはアダムに言われて差し出した、数ある内の、一枚のキャッシュカード。

 別にお金には興味無いが、あの男に渡したと言う嫌悪感は確かにあった。

 それを取り返してくれたとは…

 嬉しくて、胸が熱くなった…

「あ、ありがとうございます…」

 絞り出すように声を出し、お礼を言う。零れる涙が押さえ切れない…

「礼ならファンタとか物でよこせ。お前に小さい頃に食わせてやったろ。尤も、アレも箒の礼だったが」

 ドキンと心臓が大きく鼓動した。

 良人…絶対に忘れていると思っていましたが、覚えていたんですね…

「つっても、ついさっきまで忘れていたんだけどな。鏡が過去の映像視せてくれて思い出しただけだが」

 出た涙が引っ込む…

 良人、貴方は…

 全くデリカシーが無いのですね!!

 そこは嘘でも覚えているとか言って欲しかった!!

 いや、良人ならではだが、やはり、いや、うーん…

 何か解らなくなり、苛々してくる。

「北嶋さんに配慮を期待しても無駄よリリス。知っているでしょ?」

「ああ…良人は素直。いや、裏表の無い人。いや、思った事をそのまま口に出す人。いや、繊細さに欠ける人。いや、繊細と言う単語を知らない人だったのを忘れていたよ…」

 私と神崎は、顔を向け合い、苦笑いをした。

 そして、私達は、普通に嬉しくて笑顔になり、笑い合った…


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 ガゴォォォンン!!


 大地を貫くような破壊音。

 当然其方に目を向ける私達。

 そこには人類の祖、アダムが、苛立ちを露わにし、槍の柄を思い切り地面にぶつけていた。

 クレーターのように抉られた地を見て、呟いた。

「威光のみって訳でも無さそうね…」

 リリスを抱き寄せる。

 印南さんと生乃が壁になるよう、アダムと私達の間に入った。

「見ての通り、貴様で最後だ」

「あなたも多勢をぶつけて来たわよね。勿論、此方もそれをする権利がある事は忘れて無いでしょうね?」

 大気がビリビリと震える感覚を覚える。アダムとの間には、全員拒絶した空気が充満していた。

「妻よ、来なさい…二人でなら、まだ逆転が可能だ…」

 この期に及んで往生際の悪い。

「そう言っているけど、どうする?」

 知っていながら聞いてみる。

 リリスは全く怯える様子も無く、力強く言い放った。

「君の元へ戻れと?悪いが反吐が出そうだ」

「……僕の威光が…前世からの呪縛が解けたのか!!あの炎の十字剣によって!!」

 薄々は理解していたであろうアダム。特に動揺は見せなかった。怒りを露わにしていたが。

「創造主から戴いた炎の十字剣によって、過去に捕らわれていたリリスは死んだわ。リリスは悔いていた。あなたの命令とは言え、沢山の命を失わせた事を。あなたに捕らわれていた事を嘆いていた。私に殺される事を望んでいたのは、懺悔の意味合いも含まれている」

「故に創造主が『許した』と言う訳かい?ハッハッハ!成程、確かに創造主は許しただろう。だがね、ヴァチカンの騎士を殺した事実はどうする?僕が現れる前に、既に戦争を始めていた筈!!創造主が許しても、人間は決して許さないだろう!!」

 グッと固まるリリス。小刻みに身体が震えている。

 だが、それに関しても既に手は打っている。

 それを口に出そうとしたその時、アーサーが口を挟んだ。

「罪を憎んで人を憎まず。だったか?どちらにせよ、神崎の『友人』なら俺の友人でもある。友人の罪なら、俺も一緒に謝罪する事くらいはできるさ」

 驚き、目を張るリリス。ヴァチカンの騎士、しかも最強と呼ばれた騎士に、魔女の自分が『友人』と言われたのだ。

 それは信じられない事なのだろう。

 そんなリリスを固く抱きしめる。 

 リリスが私に顔を向けてきた。

 呼応するように、私は力強く頷いた。

 遂に苛立ちが頂点に達したか、アダムが一歩踏み込んで来た。

 突然、アダムの背後から力強く凶悪な爪を持った手が現れる。

「うわっ!!」

 間一髪、それを避けたアダム。

「ちっ、一気にケリを付けられたチャンスだったんだがな」

 それは葛西の鬼神、羅刹の腕。アダムの後ろに居た葛西が、虚を付いて襲撃したのだ。

「分が悪いな………」

 それぞれ一対一でも勝ちを掴むのが難しい相手が、一斉に襲って来る状況だ。

 流石の人類の祖も、焦りを隠せない。

「此処から先に脚を踏み入れたら、躊躇無く斬る」

 印南さんの後ろに、十拳剣で一本の線を印して、私やリリスとの『境界線』を定めた宝条さん。

 宝条さんも斬りたくて斬りたくて仕方ない感じだ。

「流石にこの人数を相手にする程愚かでは無いよ」

 微かに笑ったアダム。瞬間、アダムの姿が歪む。

「逃げるつもりよ!!」

 ソフィアさんが叫んだ。北嶋さんの亜空間から撤退するつもりか?

 此処で逃がしたら!!!

「逃がすなお前等あ!!」

 北嶋さんが怒号を発した。

 瞬間、ナーガがアダムを弾き返す。

「うっっ!!!」

 よろけるアダム。それに対してナーガが凄んだ。

――勇さんの亜空間からは逃れる事は出来ないが…自分の目の前で、勇さんを不快にさせるのはやめて貰おうか…!!

 気圧されたのが、下がったアダム。その目の前に、憤怒と破壊の魔王が周りに火柱を立ち上げた。

――逃げんなよオメェ!!

「う、うわっ!!」

 尻餅をついて空を見上げた。そこにはタマがアダムの頭上で旋回をしていた。

――空中に逃げようとしても無駄よ…

「ちっ……」

 舌打ちし、隙を伺うアダムに、北嶋さんがゆっくりと近付いて行った。

 そして火柱の中心に位置するアダムに対し、剣も槍も届かない間合いで立ち止まった北嶋さん。

 その炎に照らされた表情を見てゾッと背筋が寒くなった。

 今は見せないその表情…

 北嶋さんと出会って間もない頃、敵に対して、たまに見せた表情…


 遠慮無く壊せる。


 思えばそれは、抑制している自分の圧倒的暴力を、解き放せると言う喜び。

 普段のチャランポランで訳が解らない思考や、一本筋が通っている頑固な性格と同じく有る、北嶋さんの本質の一つ。

「本気で殺すつもりなんだ…」

 ボソッと呟いた。

「良人は最初から本気で殺すつもりじゃないのか?」

 その言葉を拾ってリリスが訊ねる。

 最初から。そう、最初から本気で殺すつもりだった。

 だけどそれとは一線を外す事。

 今までも、殺すには殺していたが、それには配慮があった。

 地獄で罪を償わせる為。仇を取らせる為等。

 だけど今回の北嶋さんは違う。

 勿論、リリスの為や仲間の為と言う理由もあるのだろうが、自分の苛立ちを直接ぶち込める喜びの方に重点を置いたんだ。

 そんな北嶋さんがアダムに対して口を開いた。

「おいハゲ。この状況、お前には完全に逃げ道は無い。つまり救いも無い。だが俺は慈悲深い男、北嶋!お前にチャンスをくれてやろう」

 チャンスと聞いて少しばかり表情が和らぐアダム。

「チャンスだって?」

 頷き、薄く笑う北嶋さん。

「俺とタイマンで勝ったら、お前をお咎め無しで無事逃がしてやる。いいよなお前等?」

 いきなり振られても素直に頷く私達。

「は、ははっ!!君は本当に慈悲深いな!!その約束は守って貰うよ!!」

 歓喜したように槍を構えるアダム。

「俺は約束を守る男、北嶋!!たまに忘れる事はあるが」

 正確には忘れた振りでしょ。

「おい北嶋。どうでもいいが、ロンギヌスは壊すなよ。それはカトリックの宝なんだからな」

「えーっ?また面倒臭ぇなあ…」

 ブチブチ零しながらも草薙を喚ぶ。

「どうやら君の仲間達にも異論は無さそうだ」

「お前を三度殺す。一つは毛根を殺す。一つは肉体を殺す。一つは魂を殺す。ハゲ散らかして死ね!!」

 …毛根は意味が解らないが、場に居る全員が確信している事。

 北嶋さんが殺すと言ったからには、アダムは救われる事は無い!!

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