悪魔王の話

 …………………………… 

 ボンヤリと目を開けた。

 気絶、いや、眠っていたような…

 いい香りが鼻に付く。

 その香りで段々と覚醒していく。

「っは!!」

 身体を起こして周りを見る。

 そこは一面花畑。小鳥の囀りが耳に心地良い空間。

 天からは虹が降り注ぎ、大気は柔らかい温かさを肺に感じる事もできる。

「ここは…どこ?」

 悪魔王サタンに連れて行かれて、暗闇に身を投じてからの記憶が途絶えている…

 もしかして私は殺された?

 ならば此処は天国?

 考えている最中、私に影が差す。

――気が付いたか

 私に落とされた影だけを凝視する。

 振り向かないのは、単純に恐怖していたからだ。

 何に恐怖しているのかも解らないが、確かに私は恐がっている。

 影の頭と思しき位置には、二つの突起物らしき物と、背中から何かが生えている物が映り込んでいた。

 もしかして、これは角と羽根?

――ちっ、折角貴様を恐がらせぬ為に人型に入ったのだ。早く此方を向かぬか

 苛立ち、怒っているような人影。

 私は意を決して振り返った。

 背後には、赤い髪を無造作に後ろに流して、隈取りしているような目を私に向けている男…やはり角と羽根があった。

「貴方は………」

 男は黙って右頬に指を当てる。そこにはうっすらと、血の滲んだような、一本の線があった。

「…まさか………斬撃痕!?」

 その斬撃痕には見覚えがある。

 私を手のひらに乗せて話をしようと言った大悪魔………憤怒を司る魔王………!!

「悪魔王サタン!?」

――そうだ。貴様とゆっくり話をする為に、エデンに連れて来た。異形の姿では恐れられると考え、人型に入ってみたが、角と羽根は悪魔の印し。これは隠せん。許せ

 眉一つ動かさず、淡々と言い放つ悪魔王サタン!!対して私は物凄く驚いた!!

「悪魔王サタンが何故天国に!?しかも私の為にわざわざ人型に入ったなんて!?」

――此処は天界ではない。天界と地獄を繋ぐ土地。エデン

 エデン!!?何故悪魔がエデンに!!?

 驚きのあまり、言葉も出ない私を余所に、サタンは黙って私の背後を指差した。

 釣られて其方を見る。

 うつ伏せの時は気が付かなかったが、立って見ると、そこには地面を掘り返したような溝が、ずーっと走っていた。

わだち?いや、斬撃痕のような…」

――貴様をぞんざいに扱うと、今度はエデンを崩壊する一撃を放ちそうだったのでな

 面白くなさそうに顔を背けるサタン。

 更に私の驚きが大きくなる!!

「あの溝は草薙の斬撃痕だと言うの!?つまり北嶋さんが放った一撃!!」

――強欲の命を助ける為に現れた俺に対しての『脅し』だ。初めは俺に向けて放ったのだと思っていたが…まさかエデンに向けてだったとはな…忌々しい男だ

 憤りを隠せずに、眉根を寄せる悪魔王サタン。

 私は口をパクパクとさせて続く言葉を探していた。

――外では落ち着いて話もできんだろう。俺の城に来るがいい。丁度客も来ている事だしな

 そう言って踵を返す悪魔王サタンは、徐に歩き出す。

 私もアワアワとしながら、後に続いた………


 暫く歩いた後、物凄く立派な宮殿の門前に到着した。

「あの塔…物凄く高い…」

 見上げても見上げても、頂上が見えない塔。

 遠くから見た時も、天空に突き刺さっているが如く、先が見えなかったが、近くで見ると尚更高さが測れない…

――あの塔は天界に続いている塔だ。頂上は天界に現れているから、此処からは見えぬ

 目が零れ落ちんばかりに悪魔王を見る私。

――さぁ、入れ。人間など招き入れるのは初めてだが、な

 門が開き、通路が地平線まで続くようにある先に、漸く宮殿の入り口らしき物が微かに見えた。


 長時間歩いたような気がする…

 疲労を感じてはいないが、確かに長い間、悪魔王の後ろに付いて歩いた。

 宮殿に仕えているらしき妖精に時々会釈をされ、会釈をし返し、とうとう大広間に通された。

――適当に座れ

 促されるも、来客用と思しき椅子は、悪魔王の玉座からかなり離れた所に一脚、それもテーブル付き。

 此処しか無いじゃない、と思いながら腰を下ろす。

 悪魔王は私の正面の立派な造りの椅子にどっかと座る。

「隣の椅子は?」

 同じような造りの椅子が、悪魔王の隣に置いてあったので聞いてみる。

――客用だ

 つまり私の椅子?とか思いながらも、悪魔王の隣に座る度胸など私には無い。北嶋さんじゃあるまいし。

――さて、貴様をエデンに招いたのは、実は頼みがあっての事でな

 妖精が注いでくれた紅茶を愛想笑いしながら会釈している最中、いきなり本題に入った悪魔王サタン。

「頼み、とは?」

――北嶋 勇に七王の命を助ける事を了承してくれるよう、貴様から言って欲しいのだ

 そう言って人差し指をクイッと持ち上げる。

 私と悪魔王の間に、かなり大きい氷の塊…氷柱が床から生えるように現れた。

 その氷柱の中に何かある…

 凝視して気が付く。

「嫉妬のレヴィアタンの首と、強欲のマモンの身体!?」

 死んでいるのかと思いながら見ていると、両者とも微かに瞼がピクピクと痙攣していた。まだ生きているのか…

――貴様が倒した嫉妬は首だけとは言え、比較的簡単に再生可能だが、強欲は『あの』草薙で本気に斬られた傷…滅する前に、草薙の傷を別の刃で斬り取って漸く落ち着いた容態になったのだ。あのまま自然治癒に頼っていたら、強欲は死んでいた

 強欲のマモンの身体は、前脚が胴から斬られ、口も顔半分、背中は腹に貫通寸前まで斬られていた。

 敵には全く容赦しない北嶋さんだが、少しおかしい。

 なぶり殺しにするよう…そんな感じだ。

 怪訝に思っていると、悪魔王の方から口を開く。

――裏山の蛇、あれを強欲が踏み付けて殺したらしい

「ナーガを殺した!?あの子は何の力も無い、ただの蛇なのよ!!」

 叫んで合点がいった。

 ナーガは裏山の主にして私達の家族。

 自然に生きている蛇故に、捕食されるのは悔しいし悲しいが仕方無い。

 だが、悪戯に殺したならば、北嶋さんは絶対に許さない。

 北嶋さんは強欲のマモンをじわじわとなぶり殺しにしようとしたのだ、と理解した。

「じゃあ強欲の自業自得ね。つまりそれを助けた貴方も同罪。北嶋さんに狙われても仕方無い」

――解っている。いるからこそ貴様に頼んでいるのだ。まだまだ魔王達の力は必要だ。代わりに貴様に加護をくれてやろう

 再び現れる別の氷柱。

「………黒い……蛇?」

――俺の代わりに魔王を統べる筈だった、憤怒と破壊を司る魔王だ。この者は俺の血と肉から創られた悪魔。戦闘力だけなら貴様の四柱より上な筈…ただ、気性が非常に荒く、戦い好きの性格でな、いくら咎めても正そうとしなかった故、氷地獄の最深部に眠らせていたのだ。この魔王を貴様に仕えさせよう

 憤怒と破壊を司る魔王…しかも悪魔王の代わりに魔王を統べる者…

 成程、七王の中でもサタンの力が桁違いだった理由は、黒蛇を封印したから自分が憤怒の魔王を『兼務』したからか…

 サタンは、本当は悪魔王。地獄の支配者だから、七王より遥か高みに居ると言う事か。

「しかし、貴方がいくら咎めても正そうとしなかったと言う魔王よ?どうやって私に従順になるようにするの?」

 親であるサタンの説得や命令に従わなかった魔王。どう考えても、私を護る命令に従うとは思えない。

――私が彼の性格を少しばかり弄るから大丈夫なのです

 え?と思い、声の方向を見る。

 悪魔王の隣の椅子に、徐々に人影が現れている。

 その影は輝きを増して人型に形成されていく……

 言葉を発する事すら出来ない…

 背に六枚の白き羽。頭上には輝く光輪。それはまさしく天使だったからだ。

 その天使は、私の驚きを理解したように、優しく微笑みながら頷いた。

――天使長ミカエル…少しは知れた名だと思いますが

「て!!天使長ミカエル!?」

 戴いた紅茶が、ひっくり返るほど力強くテーブルを叩きながら立ち上がる。

「ななななな、何故天使長が悪魔王と一緒に!!?」

 ストレートの長い髪がフワッと舞い、玉座に腰を掛けリラックスする天使長。

――それは私が天使長だから、です

――だから俺が悪魔王だから、だが

 口を揃えてエデンに共に居る理由を述べる。

 述べられてもっっっ!!

「貴方達は敵同士で、気の遠くなるような年月、永遠とも思える戦いを繰り広げているんじゃ!?」

――そうですが何か?

――間違いは無い。敵の長がこのミカエルだ

 肯定されてもっっっ!!

 頭が全く回らずに、悪魔王と天使長を交互に見るしか無い状態だった。

 溜め息を付きながら、悪魔王が口を開いた。

――創造主は基本的には一度に二つの命をお創りになる。光と闇、陰と陽、男と女…此処では取り敢えず光と闇にしておくが、その宇宙の光を管理する者と闇を管理する者も同時に誕生させた。それが天使長と悪魔王だ。まぁ、この事実を知っている者は数少ないが。少なくとも、アブラハムの宗教では俺とミカエル殿、そして先代天使長のみしか知らぬ

 アブラハムの宗教…

 聖書の預言者アブラハムの宗教的伝統を受け継ぐと称する、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三宗教のことだ。

 その他聖書に乗っ取り、新たに発生した宗教もアブラハムの宗教と言える。

 今度は天使長が優しい口調で続きを話す。

――アブラハムの宗教世界では、と言う意味で、他世界はどうか知りませんが、所謂善と悪の長は知っている事だと思いますよ。現世には色々な宗教がありますからね。だから未だに悪魔も必要なのですが

「傲慢や嫉妬も人間には不可欠だからですか?」

 負の感情は時として己を高める原動力となる。

 つまり、行き過ぎなければ上手くコントロールできればいい。

――それも有りますが、最大の理由は進化の為、です。人が我々天使に頼る事も、悪魔に恐れる事も無く、創造主から独立した精神性を持つ為。人は知恵を得た為に、他の動物や植物のような進化は辿れなくなったからです。自然の脅威や天敵から逃れて進化をする事が無くなってしまったからですね。要は乗り越えなければならぬ高い壁の為に、まだまだ我々は必要と言う事です

 進化……

 創造主に頼る事が無い精神構造?

 天使に救いを求める事も無く、悪魔に恐れる事も無いのが進化するって事?

 頭の片隅がチリチリと痛むような感覚………

 そんな人を、私は知っている………

――人間は良い事が起こると天使のおかげと敬い、悪い事が起こると悪魔の仕業と恐れる。これは永年の我々の教育の結果でもある。だが、高みに至る為には古い教えをぶち破らなければ届かぬ

 何故が物凄い想像をしてしまったので、怖くなり話を逸らした。

「そ、創造主様のお姿はどのような感じですか?」

――創造主は私にそっくりなお姿です

――創造主は俺の姿に類似している

 はあ?創造主は二人居るの?

 首を傾げて唸る。

 天使長がクスクス笑いながら付け加えた。

――創造主は貴女の想像通りのお姿ですよ。創造主には明確なお姿は在りません。もしも貴女が創造主とお会いする機会があれば、貴女の想像したお姿を借りて現れるのです

 想像通りのお姿…想像が現実になると言う事?

 それはまさしく………

 身体が震え、段々と心臓の鼓動が高くなる…

 そんな私を見て再び笑う天使長。今度は含みの有る言葉を私に投げかけた。

――貴女の夫になる人、北嶋 勇の能力に似ていますね


 ドックン!!!


 一際大きく鼓動が高鳴る。

 私は汗を噴き出しながら、天使長に目を向けた。

「北嶋さんが…創造主の…」

 続く言葉を制するように、悪魔王が語り始めた。

――知恵を『与えて』罪を『与えて』エデンから『解放』してやった人間は、永き年月を掛けて文明を進化させて来た。だが、未だに精神的進化は皆無の儘。そこで創造主は新たな試みを実行した。創造主自ら進化した人間を現世に誕生させたのだ。アブラハムの宗教から外れ、信心深い訳でも無く、かと言って神仏に無礼を働く事も無い民族の人間に

「それが北嶋さんのご両親…」

 頷く悪魔王。対して天使長は少し暗い表情を浮かべる。

「なにか問題があったのですか?」

 直球で聞いてみる。

 天使長は曇った表情の儘、口を開く。

――今までは守護霊、守護神と言われる者が、その人間を守る事が理です。だけど目論見は精神的進化、天使に頼らず悪魔に恐れず…これは即ち、守護神は必要としない事を意味する事になりました。加護を与えずとも、一つの個として成立させるのが条件です。だが、人、いや、殆どの生物には産まれながらに加護が付きます。即ち誕生させた両親の愛

 黒猫様の言葉が脳裏に過ぎる。

 勇が産まれた後直ぐに亡くなった。まるで役目を終えたように。

 知らず知らずに拳を握り締める…

 そんな私の様子を知ってか知らずか、続ける天使長。

――その加護を奪わなければなりませんでした。幸い選んだ借り腹にはご両親が居て、お家付きの神が居ました。両親が居なくなっても、力の無い赤子でも、当面は問題無く育つ環境だった…

 私はテーブルを叩き付けながら立ち上がった。

「貴方達が…北嶋さんのご両親を殺した!!」

 うっすらとこめかみに血管が浮き出る悪魔王。

 目を閉じながら、微動だにしない天使長。

「実験の為、人を殺した!!答えなさい!!」

――その通り。貴様の言う通りよ

「開き直るか悪魔王!!カトリックならば喜んで捧げるであろう、神の望む命!!だけど北嶋さんのご両親はカトリックじゃない!!寧ろカトリックを避けて誕生させたのでしょう!!」

――そうだ。それに関しては反論せぬ。だが、死した後だが、奴等は納得し、天に還った

 納得しようがしまいが、私の知った事では無い!!

 実験の為に命を奪った事実!!

 何をしても許されると思っているのか!!

 例え勝ち目が無くとも、私は今から戦う!!

――貴女が戦うと言うならば、エデンは彼によって滅ぼされてしまいます。彼に私達は決して勝てません。それは、彼のご両親と約束した対価があるからです

 その言葉に、身体の動きが止まった。

 反対に安堵した感がある悪魔王と天使長…

 本当に北嶋さんとは戦いたくないようだった。

――奴の両親と約束した事は二つ…両親の元々持っている命を全て奴に渡す事。奴がどんな道を歩もうが、全て望み通りになる事。創造主はこれを叶えた。即ち北嶋 勇には命が三つある。二度まで死ねると言う事だが、通常の人間の老衰で死ぬ年数まで生きたらば、残りの二つは延命に回す事にした。つまり一度も死ななければ、北嶋 勇は最低150歳は生きる事が出来る

 150歳!!

 北嶋さんがよく冗談みたいに言っていた、150歳まで生きると言っていた事は、本能的にそれを知っていたから?

――創造主は北嶋 勇の脳に自らのお力を与えた。思った事を現実にする力だ。究極に言えば、奴が俺達に死ね、と本気で願えば、俺達は直ぐに死ぬ事になる。奴の望みの死因でな

 北嶋さんの思いの力はそれ程まで威力があったのか…

 脱力して椅子に座り直す。

「…結果北嶋さんには加護があった訳、か…ただ、その加護があまりにも巨大過ぎて目に入らないだけ…」

 伯爵が最後に視たのは創造主の加護だったのか。

 だから納得して消えたのか。伯爵もカトリックの者。創造主の意志は絶対なのだから。

 北嶋さんのご両親が命を掛けて与えた、絶対の加護…

 だが、話を聞く限りでは、創造主が見守っている、と言う事では無いようだ。

 創造主の思念が北嶋さんに在る程度なのだろう。

 やはり、北嶋さんのご両親の加護に他ならない。

――そして北嶋 勇に転機が訪れた。悪霊の棲む家を格安で購入した事により、嫁まで付いて来た。それが神崎 尚美。貴様だ

 私に向けて指を差す悪魔王。

「嫁って、あれは北嶋さんが勘違いして………!!」

 ゾワワワワと背中の産毛が全て逆立つ感覚が、私を襲う。

 北嶋さんは望んだ事は全て叶える能力を持っていた。

 つまり、北嶋さんが勘違い(?)した事により、私の気持ちは関係無く、妻になる事になった?

――彼は、無理強いはしていませんよ?全て貴女の考えた結果です

 青くなった私に向けて笑顔で言った天使長。

 そうよね、私の気持ちで選んだ人なんだよね。

 当たり前のように安心した。

――天使も悪魔も神仏も、北嶋 勇には一律。恐れはしないし、迷いもせぬ。悪霊如きは相手にもならん。だが、その進化の為に無くなった感覚…第六感とでも言おうか。それが必要になった。幸いに地上には創造主がお創りになった、宇宙の力の一部を宿した三つの神具があった。三つの神具は人間には中途半端にしか扱えぬ物だったが、創造主の力の一部が脳に在る北嶋 勇はごく普通に扱う事が可能。貴様と知り合い、北嶋 勇は霊能者となったのだ。尤も、それは我等にとっては嬉しい副産物。奴をこの道に進めようとも、我等に全く影響されぬ人間故、道を示そうが気が付かぬ

 道を示そうとした…

 霊能者としての道を…?

「……まさか…貴方達がリリスと北嶋さんを近付けたの!?」

 私の問いに、黙って頷く。

 ガックリと肩を落とす。

 リリスもまた、可哀想な被害者だったのか………

――私達は縁を与えただけ。どう思い、どう行動するかまでは関与しておりません

 あくまでもリリスの意思。言いたい事は解るが、憤りを感じる。

 リリスは人類の祖の妻として苦しみ、進化した人類を覚醒させる為、また苦しんでいる。

「進化には犠牲が必要と言いたい訳よね。もういいわ」

 席を立つ。

 リリスの苦しみ、悲しみは私が終わらせる。

 同じ男を愛した者として、どんな手を使っても。

――待て神崎!!加護を受け取って行け!!さもなくば……

「北嶋さんと戦わなければならないから。でしょう?話を聞く限りじゃ、北嶋さんが強く思った事は現実となる。つまり加護を受け取らなかったら、北嶋さんにエデンを崩壊されてしまうから」

 決めた事は絶対に曲げない北嶋さん。

 このまま私が帰ってしまえば、間違い無く悪魔王と戦いになる。

 そして悪魔王は殺される。

 地獄の秩序が乱れ、現世は疎か、天界とも戦争が始まる。

 流石にそれは勘弁だ。

「安心して。私が話してあげるから。魔王を完全に滅する事は、私がさせない」

 少し安堵した悪魔王だが、それでも不安は消えないようだ。

――ならば対価を持って行け。証が無ければ奴は納得するまい。今ミカエル殿に性格を弄って貰う故、少し待て

 言われて氷柱を見る。

 生まれ持った性格を弄る。

 しかも裏山の蛇の命の対価として……………


「要らないわ。このまま頂戴」

 仰天する悪魔王。

――俺が御せなかった暴れ者だぞ!!貴様に御せる訳が無かろう!!

「勿論、そんなに自惚れている訳じゃないわ。ただ、それは違うと心が拒絶しているだけ」

 私が守られる対価の為に、二つの命を使う事は心が許さない。

――駄目だな。危険過ぎる。貴様が危険に晒されたら……

 まあ、そう言うわよね。万が一があったら、北嶋さんと戦う事になるのだから。

「いいわ。勝手に持って行くから」

 そう言って氷柱に手のひらをくっ付ける。

 冷たさが痛みに変わり、顔が歪む。

――氷柱はコキュートスの最深部の物!!凍傷になるぞ!!

 大丈夫、少しは耐えられる。

 身体中に気を張り巡らせれば、氷柱の冷たさから、多少だけだが身を守れる事は可能のようだし。

 そして私は意識を集中させた。氷柱の中の憤怒と破壊の魔王に話し掛ける為に。

「さぁ、出て来てもいいのよ。大丈夫、貴方は自力で氷柱を破って出て来られる。有りの儘の貴方である事を、悪魔王でも無い、天使長でも無い、ただの人間の私が許すから」


 ピクッ


――むっ?

――ほぅ?

 悪魔王がこめかみに血管を浮き出させ、天使長が感心して頷く。

「冷たい氷の中に居なくてもいいのよ。外に出る事、私が許すわ」


 ピシッ


 氷柱にヒビが入った。

――まさか!!氷地獄が中から砕ける訳が!?

 驚く悪魔王だが、氷獄の檻を悪魔王は疎か、強欲の魔王も壊せた。

 氷獄の檻はコキュートスの氷。

 勿論、最深部の硬度には及ぶまいが、性質は同じ。

「強欲の魔王は破った。貴方はそれ以上なのでしょう?捕らわれる事は無い。氷柱を壊す事、私が許す!!」

 不意に声が聞こえた。


 離れていろよオメェ…ぶっ壊れた破片で怪我しちまうぜ…


 氷柱の黒蛇が微かに笑った。

 私は頷き、一歩、二歩と氷柱から下がった。

――コキュートスの氷を中から砕くだと!?

 驚愕する悪魔王。

――それよりも、貴女はもう少し下がった方がいい…

 天使長に同意し、更に下がる。

 ヒビが広がり、黒蛇がまばたきをする様子が窺えた。

「さあ。出て来なさい。憤怒と破壊を司る魔王。全ての魔王を超える魔王!!」

 けたたましい爆音と共に、氷の破片が散らばった。

 それは蒸気となり、大気に溶けて消えていく。

 黒蛇の身体からも蒸気が立ち上っている。

 黒い身体に蝙蝠を模した羽根。

 身体に纏わり付いている青い炎が大きく灯る。

 黒蛇は私に目を向けた。

――オメェが出してくれたのか…借りが出来たな女…

「女じゃないわ。神崎 尚美」

――ハッハッハァ!!こりゃすまねぇな!!神崎か!!オメェが俺様の存在を許したが故、あのクソ寒い氷の中から出て来られた!!俺様は、恩は返すぜ。だがその前に、俺様は貸しも返して貰う!!

 悪魔王に目を向ける黒蛇。その瞳は真っ赤に燃える、マグマの色となった。

――愚かな蛇が。俺に勝てる訳が無かろう。消滅したいのなら向かって来るがいい!!

――消滅させてみせろよ悪魔王!!消えたら消えたでテメェのツラぁ二度と見なくても良くなるぜ!!清々するってモンだあああああああああああ!!!

 青い炎が大きくなる。

 本気で戦うつもりだが、流石に悪魔王には及ばないだろう。

 そして本当に消滅されたら困る。

 私は悪魔王と黒蛇の間に割って入った。

――退けよオメェ。恩人は殺さねぇ。いや、傷一つ負わせられねぇ

 真っ赤な瞳を真っ直ぐに私に向けながら促す黒蛇。

「解っているとは思うけど、貴方は悪魔王には勝てない。圧倒的な力量差があるから」

 嘘も偽りも、お世辞も一切無い。

 黒蛇も解っている。解っていながら戦わざるを得ない。

 悪魔王に対する憎悪で。

――それでも退け!!俺様が俺様で在る為に!!ムカつく奴はぶっ殺す!!それが俺様の存在理由!!

 憤怒と破壊の名に相応しい闘争本能。

 北嶋さんの柱に欲しい…

 尚更死なす訳にはいかない。

「だけど、その悪魔王ですら、戦う事を拒んでいる人間が居るのよ」

 言いながら、私は含みのある笑みを浮かべた。

――ほぉ?しかも人間だと?

 ピクリと反応する黒蛇。

 興味を持ったのか、青い炎が微かだが小さくなる。

「悪魔王すら退ける人間。その人に会わせてあげる。きっと貴方は驚くわ。そして絶対に満足する」

 今度は私が真っ直ぐに黒蛇を見る。嘘、偽りがないとの意思を込めて。

――そんな人間がいるのかよ?ハッハッハ…面白ぇ…面白ぇなぁ…

 好奇心が現れる黒蛇。

「だけど訳解んない人だからね。気分屋だし。だから私が言ってあげるわ。貴方と戦ってあげて、って」

 本心で溜め息を付く。

 だって本当に訳解んないから。

――オメェが言って聞くのか?そんな野郎がよ?

「勿論!!あの人は私に惚れているからね。楽勝よ!!」

 自信満々に腕を曲げてガッツポーズを作る。ウィンクなんかしてみたりもした。

――貴様!!あの男に憤怒と破壊をぶつけるつもりか!?

 今度は悪魔王が慌てる。

「あの人が負けると思っているの?貴方ですら、勝てないと考えているのに?」

 言われて押し黙る悪魔王。

 その悪魔王の様子が、真実味を増したように見えたか、黒蛇の憎悪は悪魔王から消え去った。

「現世に行きましょう!!満足する為に、納得する為に、貴方が貴方で在るが為に!!」

――ハッハッハ……そうかよ…悪魔王がマジでなぁ………いいだろう。オメェの口車に乗ってやる。悪魔王より面白そうだからなぁああ!!

 背中の羽根を大きく広げて歓喜するように舞う黒蛇。

 ニコッと笑い、頷く私。

「そうと決まればエデンとはおさらばね。私も連れて行って」

――オメェが居なきゃ何処に行くか解らねぇだろ。乗れよ。ぶっ飛ばして行くぜ!!

 黒蛇は地面擦れ擦れに頭を下ろした。それに飛び乗る私。

「じゃあね。楽しいお話聞けて良かったわ」

 本心でそう思った。北嶋さんの謎が解けたのだから。

 まぁ、結論から言うと、知ったから何?って言う感が大きいけど。

 北嶋さんは北嶋さん。今まで通り、一緒に過ごすだけだ。

――待て神崎!!一つだけ言わせて貰う!!北嶋 勇の思いの力は確かに難攻不落だ。だが、必ずしも万全では無い!!

 忠告する悪魔王。素直に耳を貸す。

――思った事はその通りになる。絶対に勝つと思ったなら絶対に勝利するだろう。だが、負けるかもしれぬと思ってしまったら、負ける可能性も出て来るのだ。葛西 亨のパワーに、アーサー・クランクのスピードに、印南 洵の天賦の才に、奴は驚き、警戒をしただろう。故に奴等は北嶋 勇に敗れはしたものの、肉迫できた事を忘れるな。そして奴は理を破る真似は出来ぬ。貴様が殺されても蘇生はせん。そして心が死ぬかもしれぬ

 私が北嶋さんのアキレス腱になる事を心配しているのか。

 私に加護を与えようとした裏には、それも理由の一つなのだろう。

「大丈夫よ。ずっと傍に居てずっと言い続けるから。貴方は負けない。私は死なない。ってね」

 続く言葉を失う悪魔王。

 最早何を言っても無意味と知ったのだろう。

――もう行け。貴様との話は終わりだ

 最後にそう言って、クルリと背を向け、その場から立ち去った。

 そして天使長が私に話し掛ける。

――サタン殿の話は終わりましたね。しかし、私の仕事を失わせた儘、貴女を帰す訳にはいきません

 魔王の性格を少し弄り、私に従わせるように呼ばれた天使長。

 成程、私が彼の仕事を奪ったとも取れなくは無い。

「貴方には一つ、頼みがある。それは貴方にしかできない事。聞いてくれますか?」

 そして私は天使長にお願いした。

 聞いた天使長の表情が強張る。

――その願いは貴女の『完全』勝利が絶対条件。かなり難しい条件になりますよ。できますか?

「できる、できないじゃない、『やる』んです」

 そう。私はやらなきゃならない。

 リリスは私が倒すのだから。

――……貴女も絶対の覚悟が有るようですね。解りました。引き受けましょう。魔王の性格を弄る変わりにはなるでしょうしね

「約束しましたよ。では」

 頷く天使長に礼をして黒蛇に促す。

「行くわよ!!全てに決着を付ける為に!!」

――ハッハッハ!!ゾクゾクするぜ!!俺様を満足させてくれよなあ!!

 風を斬る音がしたと思ったら、私達は既に宮殿の外に出ていた。

「速いわね。流石最強の魔王」

――辛気臭ぇエデンなんかに長居はしたくねぇからな。ぶっ飛ばすぜ神崎!!

 言葉通り、みるみるうちに小さくなる宮殿。あの天国に通じる塔しか視界に入らなくなっていた。

「あの塔、やっぱり頂上が見えないわ。話通り天界に続いているんだわ」

――ああ、続いて地下にも通っているぜ。地獄にな

 塔は天使と地獄の通路みたいなものか。

 エデンは楽園と言うよりは天界と地獄、そして現世の管理地みたいなものか?

 その代表が悪魔王と天使長…

 創造主の代行と言った所だろう。

――あれを越えりゃあ現世だぜ

 言われて前を見る。

 ビルのような巨大な十字架?しかもかなりの数。

――炎を纏っているからな。かなり上空まで離れなきゃ、熱過ぎて適わねぇ

 青い炎を纏っている憤怒と破壊の魔王ですら『熱い』と?

 もしやあれは!!

「近付いて止まって!!」

 咄嗟に大声を出して制止を頼む。

――馬鹿言うなよ!俺様は兎も角、人間のオメェが耐えきれる代物じゃねぇ!

 流石に慌てる黒蛇。

「いいから近付いて!!」

 渋々私の言う通り、十字架の炎に近寄る黒蛇。

――あっちいなあ!!おい、やっぱり駄目だろ!!

 黒蛇は本当に熱がっていた。

 だが、私には熱さは全く感じられなかった。

「一つ、一つだけ頂戴致します!!ありがとうございます!!本当にありがとうございます!!」

 歓喜し、感謝しながら巨大な十字架に手を伸ばし、それに触れた。

 刹那、巨大な十字架は飛散したようにその姿を消した。

――な、何故だ!?こりゃ元々…

「だからよ!だからこそ、今必要なんだわ!私がエデンに呼ばれたのは、これを貰う事だったんだわ!」

 確信し、天を仰いで感謝する。

――はあ?オメェはサタンが呼んだんだろう?

「確かに悪魔王に呼ばれたけど、理由は正直解らないけど、私に元々有ったかのように違和感が無い!!」

 黒蛇ですら熱いと近寄る事を躊躇した十字架。

 私は熱さを感じず、更にすんなりと身に入った事から、私が所有しても良い、と『許可』を頂いたと言う事。

 これがあれば、私の『完全』勝利は確定に限りなく近付く事、つまり私の考えは容認されたのだ。

 胸に手を当てて頭を下げる。

 そして顔を上げて促す私。

「絶対に勝つわよ!!この勝負!!」

――なんだぁ?やけにやる気だな?まぁいいや。俺様は満足出来れば何でも構わねぇからな

 困惑しながらも飛び立つ黒蛇。

 私は逸る気持ちを押さえるのが精一杯だった。

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