彼らの仕事にはずいぶん楽しませてもらった。そろそろ恩返しをしなければ。
ミュージック・ビデオについて書く。
書くにあたって、いくつかのルールを定めた。
1.ビデオ自体を原稿中に埋め込まない。
2.各話タイトルの書法は、〈原稿タイトル――ミュージシャンの名前/曲名(発表年)〉とする。
3.粗筋(脚本)を記述し、そののちにビデオが伝えようとしているものを伝える。
4.できれば、音楽との組み合わせによって伝えようとしていることにも触れる。
5.話題にするビデオの言語が日本語以外である場合、必要に応じて訳をつけ、手がかりに加える。
6.4000字以内にまとめる。
以下にルールを定めた理由を記す。
1を制定した理由はあきらかだ。さきにビデオを見てしまうと、原稿を読む意味がなくなってしまう。
2は、読者が興味を持った作品を検索しやすいようにするための書法の統一である。
3は、根本的な評論のスタイルだ。
4はひどくむずかしそうな仕事だが、楽曲の音色や構造自体がビデオの作風と対応することは多くあるので、手をつけないわけにはいかないだろう。美学を勉強しておけばよかったのだが。
5についてはかなり自信がある。やはり言葉がついているのだから、重要な解釈の手がかりとなるだろう。ぞっとするようなすばらしい詩もたくさんある。
6は自明である。長すぎると誰も読まない。
以下に、そもそもこの連載をはじめようと思った動機について記す。
現在、動画サイトの勃興により、世の映像作家たちはこれまでにないほどの機会を得ている。これは、視聴者にとってもすばらしい幸運というほかない。したがって、ミュージック・ビデオが表現しているものについて書くことは、あきらかに重要な仕事である。
私は、彼らの仕事にずいぶん楽しませてもらったから、そろそろ恩返しをしなければならない。
これが動機だ。
ミュージック・ビデオのいいところは、それ自体が興味深いものであれば、音楽があまり好みでないものであっても、眺めているうちに聴き通せてしまうところだ。私の注意力はおそろしく散漫で役立たずなので、最初の音色に感心できなければ、わずか三分間の曲であっても聞き通せることはめったにない。
もちろん楽曲にとって、個別の音色は肝要である。しかし全体の構造としての形式も、たいへん重要なものである。私はビデオのおかげで、音色は気に入らないが全体の構造は優れていると感じられるようないくつもの曲に出会ったし、また慣れてしまえば、気に入らなかったはずの音色が好きになることも、じつは多くあった。要するに、ほとんどの好き嫌いは、聞かず嫌いに端を発しているのだ。そしてミュージック・ビデオは、このわがままな聞かず嫌いを解消する大きなきっかけとなってくれた。
そういうわけで、この仕事がより多くの人々の幸福に繋がることを願う。