ミュージック・ビデオについて書く。
藤田祥平
二頭の白馬――The War On Drugs / Holding On (2017)
ビデオが始まる。
映像のなかで、黒人の、六十代くらいの男性が眠っている。時間は朝で、彼の自宅なのだろう。ベッドのそばには、ふたりの若い男女が映った白黒の写真がある。
彼はベッドから出て、キッチン・テーブルに座り、薬を飲む。それから、ポットのなかでこぽこぽと音を立てるコーヒーを、寝間着姿で突っ立ったままじっと眺める。
呆然と、と言ってよい。
彼はとても孤独なようだ。
老人はふと、窓の外に目をやる。白い馬が、庭にいる。ブルルン、と鼻を鳴らす。草を食む。鞍もついていない。老人は驚きの目でもって、その白い馬を眺める。
老人は外に出て、しばらく馬の行く先を眺める。
それから、彼は着替えたあと、外出する。ゆっくりと田舎道を歩いていく。道の途中で犬に出会う。犬がじゃれてくるので、愛撫してやる。飼い主らしい男性があらわれて、ふたりは握手をし、別れる。
彼は街にやってくる。カフェに入り、ゆっくりとカウンターに座る。帽子を脱いで、コーヒーを注文する。美しい女性が、カウンターに置かれた彼の手に、自分の手のひらを重ねる。女性の顔は、なにか慰めているような感じがある。
彼は女性が注いでくれたコーヒーを飲み、満足したように息をもらす。そこでテーブル席に座っていた男性が立ち上がり、カウンターにいる老人に気が付く。ふたりはあいさつをし、会話をし、握手をする。
ふたりは古くからの友達のようだ。
ふたりは連れだって、ビリヤード店に入る。ここで、オープニング・ショットのアップ。三角形にまとまっていた十五個のボールが、勢いよく羅紗のうえを転がる。
それから、老人は何人かのプレイヤーとあいさつをし、握手をしてから、彼らとビリヤードをする。
いくつかの笑いが起こり、抱擁が交わされる。
老人は家路を歩いている。うしろから、ピックアップ・トラックがあらわれる。人気のない道なので、不思議に思ったのだろう。ドライバーはスピードを落とし、窓越しに老人に話しかける。
乗せていってもらうことにしたらしい。
老人は助手席で、車のなかにあったポラロイド・カメラを手に取る。ドライバーは、彼に操作のしかたを教える。老人はためしに一枚、シャッターを切る。なにも映っていない。ドライバーはハンドルを握ったまま、片手の手首を揺らす仕草をする。老人は微笑み、カメラから出て来たばかりの写真をぱたぱたと扇ぎ、色が出るようにする。
しばらくして、老人が道の先を指さす。ピックアップ・トラックが停まる。ドライバーと老人はふたりで車を出て、広い庭のなかを歩く。
老人は、六角形の屋根のついたちいさな建物――おそらく畑仕事の休憩か、バーベキューの日よけのために建てられたのであろう、白いペンキで塗られたちいさな木製の建物の前に立つ。
ドライバーが、ポラロイド・カメラのシャッターを切る。
ふたりはカメラから出て来たばかりの写真を手に持ち、色が出てくるのを待つ。
夕方になる前の午後の陽射しがいっぱいに映る。
老人がベッドに眠っている。ビデオの始めとは反対の方向を向いている。
それは誰も使っていない枕があったほうだ。
壁際に立てかけられた、さきほどの写真が写る。
老人が建物の前で、白い歯を見せて笑っている。
その写真のうしろには、白黒の、より大きな写真がある。ふたりの若い男女の写真だ。男のほうは黒人で、なかば目を閉じたまま微笑みつつ、女の肩に手を回している。女のほうは白人で、こちらもなかば目を閉じたまま微笑みつつ、肩もとにある男の手を、両手で包んでいる。驚くべきことに、ふたりは、今日の夕方に老人が写真を撮ってもらった、あの白いちいさな建物の前にいる。とても幸せそうだ。
ラストシーン。どこなのかは不明なのだが、森の手前に、白い二頭の馬がいる。片方が走ってくると、もう片方が顔を上げ、二頭はおなじ方向へと歩いていく。画面がフェード・アウトして、ビデオが終わる。
これが、The War on Drugs / Holding On のミュージック・ビデオの粗筋、というより脚本である。
このビデオが成功している理由は、色というモチーフを非常にうまくさばいているところにある。冒頭に出現する白馬は、まず奇妙な謎として老人の前にあらわれ、彼を家の外に出すきっかけとなる。老人の一日が描かれたのち、彼は眠りにつき、こんどは二頭の白い馬があらわれる。この二頭の白馬は、あきらかに老人と、もはやこの世にいないと思われる彼の妻を象徴しており、作品の終わりにふさわしい。
老人が眠っているというのもポイントだ。夢のなかという表現においては、本質を捉えていれば、どんな飛び道具も許される。仲睦まじげな二頭の白馬は、ほんとうに老人と彼の妻であってもよいのだ。
加えて指摘しておきたいのは、老人が黒人であるということ。そして彼が握手をし、微笑みを交わす人々が、白人であるということだ。ただし、彼ら自身はそのようなことをまったく気に留めておらず、自然なことだと考えている。もちろん、それは自然なことだし、人間どうしが仲良くしている様はすばらしい。
ただ、写真が白黒だった時代には、おそらくそうではなかっただろう。
さて、楽曲の終わりのブリッジに配されている歌詞はつぎのようなものである。
おまえが過去について話すとき
おれたちは何の話をしてるんだ?
おれは手放すのが早すぎたのか?
それともこだわりすぎたのか?
過去に真実なんてもんはない
過去は海みたいに静かだ
おれはこだわりすぎたのか?
しかしおまえはおれの目の前にいるじゃないか
おれは色を変え続ける
縫い目に落ちた影
おれは変わり続けるんだ
そうだ!
この歌詞は映像の解釈にあたらしい視点を与えるものだ。過去についての言及と、「おれは色を変え続ける、縫い目に落ちた影」という現在の自己についての表現は、一日の時間の流れのなかで移ろぐ日光の色合いと、過去が現在にむけて投げかける光とを、ほとんど完璧な美しさで対置してみせている。
「縫い目」というのは「seam」という単語の直訳で、これは単純な衣服の縫い目でもありうるのだが、たとえば肉体についた傷を縫合した跡や、その必要が感じられるような生の傷跡でもありうる。「Come apart at the seams」という慣用句が、「自信を失う、精神的にまいる、落ち着きをなくす」というような意味を持っていることからもわかるとおり、あまりポジティブな響きを持った言葉ではない。
その縫い目は、おそらく最愛の女性との別れによってついた傷跡を意味している。そこに影が落ちるのだが、その影は色を変え続けており、しかも傷跡までをも含めて、すべてが「おれ」自身なのだ。こうしてみると、あきらかに人種の問題は大したこと、あるいは重要なことではなくなってくる。たしかに老人は夜とおなじ色をした肌を持っているかもしれないが、老人はそのことを誇りに思っている。それどころか、その傷跡は、昼とおなじ色をした肌をもった人々との握手や抱擁によって縫合されたのである。この裂け目が問題のきっかけとなったことはあるのかもしれないが、しかし彼が経験したのは人間的な離別であって、ごく普遍的なことであり、だからこそ、見る者の胸を深く打つ。
ちなみに、楽曲はフェード・アウトで終わる。これはまちがいなく、死に際した意識がゆっくりと消えていくさまを表している。老人が妻のあとにずいぶん遅れて続いたと考えるのは、そこまで不自然なことではないだろう。カート・ヴォネガットは、彼自身についてのあるドキュメンタリーの冒頭で、こんな台詞を口にしている――六十いくらの人間の人生が、まだ生きているのに終わってしまうことは、充分にありうる。彼の人生は終わったわけではないのだが、彼の物語は終わったのだ。
しかし考えてみれば、それはあまり悲しいことではない。すくなくとも良い物語を得ることができた人生であれば、かえって満足なのかもしれないのだ。
まあ実際には、もうこれ以上物語はいらないなと思っているときに、物語が起こったりするのだが。
そうでなければ、二頭の馬が最後にあらわれる意味がわからないではないか?
これが人生というものである。迷惑な代物だ。
最後にひとつ。歌詞を探し当てて驚いたのは、ハミングと思われた最後のメロディに、しっかりと歌詞が当てられていることだった。その部分は、つぎのようなものだ。
心、希望
心、希望
心、希望
心、希望
私はこの老人と、彼の伴侶の冥福を祈らずにおれない。いや、これはたぶんアメリカの話だろうから、安らかに眠ることを祈らずにおれない、と言ったほうが良かっただろう。いずれにせよ、彼らがそうするのに、私の祈りなど必要でないことだけは確かである。
そんなことをせずとも、彼らがすでに天国行きの切符を手にしていることは、昼の陽光のように明らかであり、彼らの幸福は、夜の眠りのようにまじりけのないものであったのだから。
公開同日中の追記――さっそく自分で定めたルールを破ってしまったようだ。楽曲の構造とビデオの対応について話す。楽曲の構造は、コーラス、ヴァース、ブリッジ(日本語で言う、Aメロ、Bメロ、サビみたいなもの)を通じて、繰りかえしを続けながら要素を足したり抜いたりし、終盤にむけてビルドアップしていくものである。これはあきらかに、老人の日常が、このビデオで描かれている一日とおなじようにすばらしいものであることを表している。繰りかえしを好む事物のなかで一番有名なものは、なんといっても日常だからだ。ただ、より追求すれば、ビデオのなかで描かれる時間が一日に限定されているのは、とくにこの一日はすばらしいもので、彼の人生を完全に要約してしまうほどだったから、と言うこともできるだろう。
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