狩猟者への転生――Preoccupations / Memory (2016)
ひとりの若い男性が、どこかの部屋から都市を眺めている。
夜、彼は何本もマッチを擦り、火遊びをする。
朝、彼はパンにケチャップとマスタードをつけて食べる。
グラスのなかの水が渦を描いているところを、彼は見つめる。
昼、彼はドラムの練習をする。
ショップに入り、大きなトカゲを眺め、大きな亀を持ち上げ、巨大なタランチュラを手のひらに乗せる。
夜、煙草を吸っていると、鼻血が出てくる。
深夜、女性が歌などを歌う店にいると、グラスのなかの水が渦を巻きはじめる。
昼、彼は部屋のなかで、ヘア・スプレーに火を近づけ、火炎放射器にして遊ぶ。
その後、部屋のなかでゴルフの練習をする。
座ったままボールを弄んでいると、グラスのなかの水が渦を巻く。
彼は呆然と、その様子を眺める。
(ここで曲調ががらりと変わる)
夜、彼は煙草を吸いながら、どこかの都市高速のそばでスプレーに火を近づけて火炎放射器にし、コンクリートの塀を焼いたりして遊ぶ。
夜、彼は部屋のなかでおもちゃの銃を弄ぶ。
昼、彼はベランダで煙草を吸いながら、こめかみを押さえている。
夜、グラスのなかの水が渦を巻く。
夜、彼はガソリンスタンドまで出かけ、セルフ・サーヴィスの給油タンクから、持参したポリタンクのなかにガソリンを引く。
すこし離れたところで、彼はガソリンを頭からかぶる。
ライターに点火する。
火花がはじけ、全身が炎に包まれる。
(ここで曲調ががらりと変わる)
しばらくのあいだ、燃えさかる炎につつまれた男の身体が背後から映し出される。
炎のアップ。
ここで唐突に画面が切り替わり、画面の中心に、真っ白な顔の人間があらわれる。
口から煙を吐いている。
その人間は森のなかにいる。
その人間はゆっくりと目を開き、森のなかを歩く。
この散歩のシーンは、四分あまり続く。
人間はさいごに河を見つけ、腰元まで入る。
真っ白な瞼が閉じられ、満足とも悲嘆ともつかない息がもれたあと、ビデオが終わる。
以上が、Preoccupations による作品、Memory の粗筋である。
この作品はさまざまな解釈を許容するが、おそらくすべての解釈は、かなり抑鬱的なものである。それは主人公が焼身自殺を試みるからというだけではなくて、そののちに行われる転生が、肯定的なトーンで描かれていないからだ。終盤に登場する、水が干上がったあとの湖底のような肌の人間――おそらくは女性と思われるが、身体的特徴が削られていて、判断できない――は、どうみてもこの転生を喜んでいないように見える。
なぜ喜んでいないのかを語るためには、ビデオの冒頭から語らなければならない。私の考えでは、主人公の金髪の白人男性は、おそらく狩猟者の血を濃く引くものである。この考えは、彼が煙草を吸うこと、火遊びを好むこと、生き物を怖れないこと、ドラムを叩くことなどから導き出せる。この仮定と同時に、彼が焼身自殺――首吊りでもなく、飛び降りでもなく、轢死でもない、あまり楽ではなさそうな自殺の方法――を行った理由も明らかになる。火を心からよろこぶのは定住的な文明をもつ農耕民族ではなく、遍歴を続けながら野生の穢れを落とすために火を用いる、狩猟民族であるからだ。
ここで私の念頭にあるのは、Thom Hartmann による名著 Attention Deficit Disorder: a Different Perception. で紹介された、 Hunter vs. farmer hypothesis である。同著は注意欠陥・多動性障害について多面的に論じるものだが、ここで用いられる「狩猟者と農夫の仮説」は、同疾患についての興味深い指摘のひとつだ。かいつまんで言えば、注意欠陥・多動性障害――ADHDは障害でもなんでもなく、ただ現代の社会システムが、「狩猟者」の傾向をもつ個人とまったく合致していないだけである、という意見である。
個人的なことを話せば、私自身にもADHDの傾向があるように思う。ただ、おそらくそれは細微なもので、放っておけばずっと貧乏ゆすりをしたり、髪の毛をやたらと触ったり抜いたりし、執筆が煮詰まると家のなかをうろうろと歩き廻ったりするといった程度のものだ。私の場合、この症状――とあえて言っておくが――は、動きの激しい対戦型のコンピュータ・ゲームをプレイしたり、音楽にあわせてギターを弾いたりすることで、すぐに収まる。
私が考えているのは、もしこの傾向が非常に強い人間が西洋文明の社会に生まれたとして、彼あるいは彼女は、圧倒的な生きづらさを感じるであろうということだ。まず、彼はオフィスに勤めることはできない(作中でも、主人公の男性は働いていない)。また、集中してひとりの人間と話すこともできない(作中でも、主人公の男性はだれとも話さない)。そもそも、ひとつの部屋、たったひとつの狭い部屋に住んでいるという事実そのものが、彼には耐えがたいことだろう(彼は部屋のなかで落ち着いて座っているということがない)。
そこで彼は火遊びをしたり、野生に触れたりして気を紛らわすのだが、自身のなかに「渦巻いている」感情を吐き出すことはできない。彼がほんとうに求めているのは、比喩的にいえば、野生を狩って火で炙ることなのだ。ここで歌詞の冒頭部を見てみよう――
必要だが、おまえにとっての良い判断には反している
おまえは青空市場で胸がいっぱいになっていた
圧倒されて、すべての角度からそれがやってくる
おまえはそれがフェアじゃないというアイデアを弄んでいた
私の解釈に照らし合わせれば、ここで用いられている「それ」という単語、itは、農耕民族によって、農耕民族のために整備された社会を指し示している。青空市場というすばらしいイメージが、この論旨を補強するものとなるだろう。市場は交換の場所であり、交換は社会性を示す。そこで人々はおそらく笑顔を見せるのだが、狩猟者にとっては、その笑顔がたまらなく受けつけないのだ。
これで、主人公が自殺しなければならなかった理由がより明らかになるだろう。都市生活そのものによって非常な緊張を強いられていた主人公は、やはり火というもっとも動的な現象によって焼かれなければならなかったのだ。彼の症状は、もちろんだが、鬱病的というよりも、躁病的であった。
これだけでもじゅうぶんに、見ているだけで暗澹たる気持ちになる作品だが、ここに追い打ちをかけるようにして、唐突な転生が描かれる。白い灰のようになった主人公は、夢見ていた「森のなか」、霧が立ちこめ、ずっと封じ込めていた野生の感覚を発揮しなければ生き残れないような森のなかに立っているのだが、しかし彼にはどうしていいのかわからない。ゆっくりとした動きが、主人公の困惑を表現しているように見える。ありのままに言えば、彼の転生は遅すぎたのであり、もっと幼いころから育まれるべきであった野生の勘は、すでに衰えてしまったあとなのだ。
希望があるとすれば、転生をしたあとの主人公が、森のなかを流れる深い川に腰の辺りまで入ってゆき、そこで目を閉じて、動くのをやめることだ。私はてっきり、このまま入水して、もういちど死を体験するという、ほとんど救いのない終わりで作品が締めくくられるのだと思った。しかし彼は立ち止まり、おそらく水の流れを感じながら、嘆息を漏らすのだ。ここでビデオが終わるが、このことが意味しているのは、主人公がもういちどやってみることにしたかもしれないということ、この森のなかで狩猟者として戦ってみることにしたかもしれないということである。
だとすればそれは希望であって、私はついついその希望を追認するために歌詞を追うのだが、どこにも歌詞はない。そう、転生の瞬間、曲調はアンビエント・ロックないしはノイズに変化していて、歌い手は歌うことを止めてしまっているのだ。この時点では、もはや作品が表象しているものは言語的ですらなくなり、単なる音の群れ、おそらく川の流れや風の音を模していると思われる音の群れになっている。それこそ、まさに野性的なものであると同時に、そのほとんどを言語に頼っている私の理解から、作品が離れていってしまったことを意味している。抑鬱的なものから精神的なものに、形式が移ってしまったのだ。したがって、やはり意味的な理解によって形成されてきた抑鬱的なイメージは、解消されないまま認識不可能な領域へと踏み込んでいく。あとに残されるのは、整理のつけようがない、深い印象のみだ。
私にはこの印象をどう処理していいのかわからない。
ところで、本作の主人公を演じているのは、同作のバンド Preoccupations のドラマー、Mike Wallace 本人である。人々のつらい思い出を連想させるという理由で改名するまえの名義、Viet Cong として発表された Death という楽曲は、まちがいなくラビリンス・パンクの歴史に燦然と輝く名作であり、KEXPでのライブ映像には、Mike Wallace の鬼気迫る――まさに獣的と言ってよい――ドラミングが収められている。どんなドラミングかと言えば、視聴者を恐怖に陥れる類のものだ。
はっきり言ってしまおう。
彼は心の奥底で、私たちを殺すつもりでドラムを叩いている。
(本稿の歌詞引用部の訳について、翻訳家の武藤陽生さんに貴重なご意見をいただいた。ここに、氏への感謝を表明する。)
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