完璧な贖罪――LCD Soundsystem / Losing My Edge (2002)

 どたばたとドラムの音がし、RGBに色が別れた映像のフォーカスが定まっていく。中年の、冴えない感じの、まあ、どこにでもいそうな白人の男性の顔のアップ・ショットになる。

 音楽が始まる。

 男性は歌い始める。

「おれは自分のキレを失いつつある」うんぬん。

 じつに退屈そうな顔である。

 曲もまた、退屈に聞こえる。

 正確に言えば、わざと退屈に聞こえるように作られている。

 音符が動かないシンセサイザーのベーストラックと、ドラム・マシーンだけの、無味乾燥な曲である。


 さて、このビデオの肝は、四拍子のテンポの最後の拍だ。

 その拍にあわせて、男性は激しく頬を叩かれる。

 カメラの外側から、ものすごい早さで、手のひらが飛んでくるのだ。

 何度も何度も叩かれる。ビデオを通じて、まず百回以上は叩かれている。

 

 男性の頭の後ろには強い光源が置かれている。たまに平手打ちがクリーン・ヒットすると、男性は頭を動かしてしまうので、光源がカメラに映りこむ。

 とても眩しい。

 古い機材を使っているらしく、光源の残像が残る。

 80年代のテレビの映像を思い出してほしい。あんな感じだ。


 男性は無抵抗のまま、ずっと叩かれ続ける。おもしろいというか、腹立たしいだろうなと思うのは、二十回に一回くらいの割合で、カメラの外から飛んでくる手が、叩くと見せかけて叩かないところだ。

 四拍に一回のペースは基本的に守られているが、楽曲のドラム・トラックが忙しくなると、たまに編集によって切り貼りされ、何度か連続して、平手打ちの瞬間が繰りかえされる。

 ビデオとしては、それだけである。とくに大きな展開はない。


 この奇妙なビデオの意味をつかむためには、歌詞を読む必要がある。メロディーをつけて歌っているというよりは、いわば独白しているような調子で、あまり韻やリズム感は重視されていない。散文的な息づかいというか、発言者が必死になって手探りに喋っているような感じがある。そこで、句読点を用いた話し言葉で訳すことにした。ただ、いくつかの箇所は非常にうまくリズムに乗せられていて、それがまた痛々しい効果を生んでもいる。この散文と詩情の衝突は、まちがいなく意図的なものであり、それが視聴者の心を痛ませる。

 それでは、見てみよう。ふてくされた顔の中年の男性が頬を平手打ちにされながら、以下の内容をぼそぼそと話しているところを想像してみてほしい。

 

  あのさ、おれは自分のキレを失いつつあるんだ。

  キレを失いつつあるんだ。

  ガキどもが後ろから追いつこうとしてきてる。

  おれはキレを失いつつある。

  フランスやロンドンからやってきたガキどものせいで、おれはキレを失いつつある。


  でもおれはそこにいた。

  1968年のあの場所に。

  ケルンで行われた最初のカンのライブに。


  おれはキレを失いつつある。


  おれはキレを失いつつある。

  ガキどもがDJブースへ歩いていく足音が聞こえるせいで、おれはキレを失いつつある。

  1962年から1978年までのすべてのいかしたグループの、すべてのメンバーの名前をおれに向かって暗唱できるインターネット・オタクのせいで、おれはキレを失いつつある。

  おれはキレを失いつつある。

  東京やベルリンのガキどものせいだ。

  実際には体験したことのない80年代のノスタルジアを大胆に盗用している、小っちゃなジャケットを着たブルックリン育ちの芸大生のせいで、おれはキレを失いつつある。

  おれはキレを失いつつある。

  おれはキレを失いつつあるが、


  おれはそこにいた。

  そこにいたんだ。

  おれはキレを失いつつある。

  おれはキレを失いつつある。


  おれはDJブースで過ごしたすべての夜に、奴らの足音を聞いた。

  おれはそこにいた。

  1974年にニューヨーク・シティの屋根裏部屋で行われたスーサイドの最初の練習のとき、おれはそこにいた。

  おれはじつに注意深くオルガンの音を出していた。

  キャプテン・ビーフハートが奴の最初のバンドをはじめたときにもそこにいた。

  おれは奴に言ってやった、「そんなやり方はやめろ、絶対に売れねえぞ」ってな。

  おれはそこにいた。

  おれはロックしか頭にないガキどもにダフト・パンクをはじめて聴かせてやった男だ。

  CBGBで曲をかけたんだ。

  みんなおれのことをイカレてると思った。

  いまじゃみんな知ってる。

  おれはそこにいた。


  おれはそこにいた。

  おれは間違いなんか犯したことがない。

  レコード・ショップで働いていた。

  誰よりも早く、何でも手に入った。

  おれは、ラリー・リーヴァンと一緒にパラダイス・ガレージのDJブースにいた。

  サウンド・クラッシュでジャマイカのなかに混ざってた。

  1988年のことだが、イビザのビーチで目覚めたら、素っ裸だった。


  しかし、おれよりも才能があり、優れたアイデアを持っていて、しかも見た目が良いやつらのせいで、おれはキレを失いつつある。


  それに実際の話、

  あいつら、すごく、

  すごくすごく良いんだよ。


  おれはキレを失いつつある。

  聞いた話だが、おまえはあらゆる音楽家によって書かれた、あらゆる名曲が集められたコンピレーション・アルバムを持っているらしいな。ビーチ・ボーイズのすべての名曲。アングラなヒット曲。モダン・ラヴァーズの全曲。聞いた話だが、おまえはナイアグラのすべてのレコード、それもドイツからの輸入盤を持っているらしいな。聞いた話だが、おまえは1985年、86年、87年の、一般に売り出される前のホワイトラベルのデトロイド・テクノのありとあらゆる名盤を持っているらしいな。聞いた話だが、おまえは60年代の名曲ばかりを集めたCDのコンピレーションと、それに加えて70年代のボックス・セットを持ってるらしいな。


  話を聞いていると、おまえはシンセサイザーとアルペジエイターを買おうとしていて、そのかわりコンピュータを窓から投げ捨てようとしているらしいな、というのもおまえは何かリアルなものを作りたいから。おまえはヤズみたいな曲を作りたいんだ。

  話を聞いていると、おまえとおまえのバンドはギターを売ってターンテーブルを買ったみたいだな。

  話を聞いていると、おまえとおまえのバンドはターンテーブルを売ってギターを買ったみたいだな。


  話を聞いていると、おまえが知っているグループは、おれが知ってるすべてのグループより、いくらか「重要なグループ」らしいな。


  しかしおまえはおれのレコードを見たことがあるか?


  ディス・ヒート、ペレ・ウブ、アウトサイダーズ、ネイション・オブ・ユリシーズ、マーズ、ザ・トロイヤンズ、ザ・ブラック・ダイス、トッド・テリー、ザ・ジャームス、セクション・トゥエンティファイヴ、アルシア・アンド・ドナ、セクシャル・ハラスメント、アーハ、ペレ・ウブ、ドロシー・アシュビー、ピル、ザ・ファニア・オールスターズ、ザ・バー・ケイズ、ザ・ヒューマン・リーグ、ザ・ノーマル、ロウ・リード、スコット・ウォーカー、モンクス、ナイアグラ、ジョイ・ディヴィジョン、ローワー・フォーティーエイト、ザ・アソシエイション、サン・ラ、サイエンティスツ、ロイヤル・トルゥックス、テン・シーシー、エリック・B・アンド・ラキム、インデックス、ベーシック・チャンネル、ソウルソニック・フォース(「ジャスト・ヒット・ミー!」)、ジュアン・アトキンス、デイヴィッド・アクセルロッド、エレクトリック・プルーンズ、ジル! スコット! ヘロン! ザ・スリッツ、ファウスト、マントロニックス、ファラオ・サンダーズとファイア・エンジンズ、ザ・スワンズ、ザ・ソフト・セル、ザ・ソニックス、


  ザ・ソニックス、


  ザ・ソニックス、


  ザ・ソニックス。


  おまえは、自分が本当に求めているものを、わかっていない。

  おまえは、自分が本当に求めているものを、わかっていない。

 〈以下、合計15回、おなじフレーズの繰り返し〉


  オーケー、止めろ。


 この歌詞と映像の組み合わせから想像できる人物像はつぎのようなものだ――ある白人の若者がいた。彼は音楽家になることをこころざし、頭のなかに音楽の知識をいっぱいに詰め込んだ。そこまではよかったが、その知識をどう使っていいものかわからず、頭がぱんぱんに膨れあがってきた。そのうちに歳を取ってしまい、白人の若者は中年になり、途方にくれた。


 ちなみに、ビデオのなかで頬を叩かれているのは、ほかでもないバンドのリーダーである。彼は、歌詞のなかで歌われているような音楽的煉獄のなかで、どうしたものかわからず、ずっと苦しんでいたわけだ。そして結局、彼はバンドをはじめた。彼は虚飾を用いず、ただ自分の過去をひたすらに批難する曲を書いた。その曲が、これなのだ。おもしろいのは、この曲を書いたジェームス・マーフィーは1970年生まれなのだが、歌詞に登場するキャプテン・ビーフハートという人物がバンドをやりはじめたのは60年代半ばのことであり、スーサイドというバンドがファースト・アルバムを出したのは77年で、あきらかに年齢が合致しないにもかかわらず、「おれはそこにいた」とのたまうところだ。


 私の考えでは、歌詞における事実や時間の矛盾は意図的なものだ。そのことは、この歌詞のなかの「おまえ」という人物が、あきらかに「おれ」という人物と同一であることからもわかる。時間だけが異なっている――「おまえ」は「おれ」の過去なのだ。「おまえ」はたいそうな売れ筋のレコードを持っている。「おれ」は、ほとんど誰も知らないが、しかし非常に優れた音楽家たちの作品を持っている。公共的な時間の矛盾は問題ではない、なぜなら我々は時間を固定するための記憶媒体(レコード)を持っているからだ。問題は、彼がこの曲を歌っている時間においては、「おれ」が望んでいるような音楽家に、「おまえ」のせいで、まだなれていないということである。


 つまり、このビデオで行われているのは、音楽家になりたかったもののうまくいかなかった中年男性の悲痛な叫びであると同時に、「現在の自分」による「過去の自分」への懲罰なのだ。では、彼は過去にどんな罪を負ったのか? ここからは私の推測にすぎないが、おそらく、自分が傷つくことを怖れて、いつまでも挑戦しようとしない、いけすかないスノッブでいたことの罪である。


 彼はその罪を償うために、正面切って過去の自分を非難する曲を書き、ビデオのなかで過去の自分をひたすらに平手打ちにした。つまり、これは彼の音楽的贖罪を描いた作品なのだ。「おまえは、自分が本当に求めているものを、わかっていない」。彼が過去の自分自身に対してこのように宣言し、その様をそのまま作品にしたとき、驚くべきことに、信じがたいほどの、あらゆる人間を熱狂させるほどのポエジーが生まれた。


 この曲を2002年に発表したバンド LCD Soundsystem は、2011年、2万人を収容できるニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで、ラスト・ライヴを行った。そのチケットは、オンラインでの販売開始から、たったの十五分で売り切れたそうだ。

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