第6話 烏神の羽がいのもと
――敏とレツィンのために
弦朗君がそう承徳に提案したのは、全てが終わった後だった。敏とレツィンは「神の眼」と称する湖に落ちて「死亡」とされ、そして王の弑逆未遂を起こした黒幕の安陽公主は
瑞慶宮で厳しい尋問を受けた安陽公主が自邸に戻されるその日、弦朗君は自戒を破り、光山府の門前で彼女を見届けた。
公主は明徳太妃に最期の対面だけは許され、母親に死出の髪を結われ、大逆罪人として瑞慶宮を出た。そして、東市で夫と息子の処刑に立ち会わされた後、これから自らの死を迎えるのである。
なお、彼女に賜死を告げる「
いま、衆人は公主を見ようと大路に駆けつけ、息をひそめて行列が来るのを待っている。やがて現れた彼女は、警護の兵に囲まれながら徒歩で邸に向かっていた。光山府まで来たところで、公主は甥の姿に気が付いて眉を上げたが、すぐに顔を前に向け、そのまま門前を行き過ぎた。
「伯母上…!」
弦朗君は、ついに声をかけてしまった。振り返った伯母はいつものような派手な装束ではなく、白い麻の服のみを身にまとっている。すでに髪はほどけて唇には血が滲み、傷だらけの裸足が痛々しかった。だが、彼女は弦朗君を見て微笑んでいた。その笑顔は弦朗君の記憶のどんな時よりも美しく、そして優しかった。
「
伯母は甥を、
「それに、何なのその顔は?山房の主人たるもの、いまのあなたのような情けない顔をしてはならないの、決してね。いついかなる時も、堂々としていなければ。それを肝に銘じて……王統を繋ぐ者として、生きなさい。山房を守り通して、つよく生き抜きなさい」
そして安陽公主は昂然と頭をもたげ、衆人の見守るなか歩き続けた。自邸に戻った彼女は中庭で賜死の王命を受けた後、ただちに正堂に入り、同じく賜った絹で首を吊ったという。
ただし、大逆罪人のことで祈るなど外に漏れては厄介なことになるため、これを知るのは弦朗君、承徳、ならびに陰膳を整えてくれたトルグの三人だけである。すでに祠堂では承徳が待っており、祭壇には、酒や茶、菓子、軽食などの供え物が彩りも美しく並べられていた。
「…それで、宰領府での話はどうだった?」
承徳は宰領府で「神の眼」での顛末を詳しく調べられたのである。既に彼は、上司から敏に関する真実を告げられていた。
「あれこれ事情を聞かれましたが、まるで尋問でしたよ。弦朗君様のときと同じく、呉一思も同席していました」
「ほう…で、上手くやりおおせたかい?」
「いや、それが……兵の目撃により、レツィンが弓を私に向けてしまったことが知られてしまったので、取り繕うのに苦労しました。彼女も混乱していたんだとか、敏に脅されてやむを得ずしたことだとか何とか言っておきました。……信じてくれたか否かはわかりませんが」
弦朗君は含み笑いをした。
「あの切れ者の呉が上手く騙されてくれるかはともかくとして、まあ、承徳にしては上出来だね。その調子その調子、何でも、宮仕えが長くなれば長くなるだけ、言い訳の達人になるそうだよ」
「お褒めに預かり、恐縮です」
部下は悪戯っぽく、両目をくるりと動かした。
「承徳、二人への捧げものは?」
「はい、どちらもここに」
承徳は恭しく漆塗りの函を差し出した。それには、織りの美しい水色の布地で仕立てられた男物の常服と、刺繍もあやなラゴ族の衣装、そして桃色、青色などの色糸で刺繍された小さな毬が乗せられている。
「ラゴ族の服か……新しいものではないか。これもそなたが?」
「レツィンが主君に託してくれた、彼女の服を参考にして縫ってみました。一度見せて欲しいと彼女にせがんだことがあるのですが、俺との約束を守ってくれましたから」
「敏達が生きているとしても、きっとこの瑞慶府よりも寒い土地で暮らしているはず。そなたの心が彼等に届くといい…」
「二人とも生きています、必ず。俺、そんな気がするんです」
承徳は確信あり気に言い切ると、函を祭壇の真ん中に置いた。弦朗君は香火を灯す。
「レツィンは、こんなきれいな服と毬をもらってきっと喜ぶだろう」
「ええ、もちろん。そうそう、あいつ――敏は初めて俺の服を着ることになるんですね。この水色は、彼にきっと似合う筈だけど。でも、着ている姿を想像はできても、やはりこの眼で見てみたかったな」
「彼のことだ、きっと派手だの浮ついた色だの、ぶつくさいうさ。そしてそなたと喧嘩になる」
「確かにそうですね」
ふふふ、と二人は顔を見合わせて笑った。
今頃、彼等はどこにいるのだろう。吹き付ける冷たい風、乾いた土の上でも寄り添いながら生きているのだろうか――。
「どうか、二人に吹く風が優しくありますように、彼等を照らす陽の光が暖かなものでありますように……我らが烏神とその妃よ、どうかその羽がいのもとで守りたまえ」
光山府に残された上官と部下は、ともに同じことを考え、ともに同じ床に跪いて祈った。
【 了 】
〔後記〕
本作『還魂記』を読んで下さってありがとうございました。厚く御礼申し上げます。
なお、以下の外伝もあります。
1.『戦場を渡る蝶』…レツィンの兄サウレリと弦朗君の出会いと別れを描く
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884158914
2.『古歌』…サウレリと弦朗君の再会。『蝶』の後日譚。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054886036265
また、『翠浪の白馬、蒼穹の真珠』『還魂記』等外伝の後の時代を描いた作品として、『手のひらの中の日輪』があります。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054883732394
合わせてご一読賜れば幸いに存じます。
還魂記 ――翠浪の白馬、蒼穹の真珠 外伝1 結城かおる @blueonion
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