第8話
「昨夜は眠れたかい」
ホテルのラウンジで待つ浅見に、森本は眠気眼をこすりながら近付いた。
「ああ、お蔭で久しぶりに朝勃ちしたよ」
森本は、バキバキに勃起した股間を隠すように腰を引きながら歩み寄ると、浅見は怪訝な顔を浮かべて言った。
「おいおい、絶対にその恰好で外に出るなよ、ゲイだと思われるから」
その様子はズボンの上からもはっきりと分かり、まるでテントを張っているようにみえた。
ラウンジにて、十一時に遅めのブレックファーストを摂りながら、二人は昨夜の戦績を語り合った。
「俺はあの後、テーメー喫茶に寄って女の子を追加で二人買い、ホテルに戻り、4Pを楽しんだ。仰向けになって、一人を顔の上、一人を股間の上、もう一人は乳首を舐めさせた」
タイの風俗王は昨夜も豪快に女遊びを繰り返したようで、浅見の首元にはしっかりと唇の痕が付いていた。
浅見は、スクランブルエッグをフォークで目一杯突くと、口の中に放り込んだ。
「お前の方はどうしたんだ? 随分、選ぶのに時間がかかっていたようだけど」
森本はボサボサになった頭髪を手で撫でた。
所々薄くなり、とても清潔感のある風貌とは呼べない。
「僕はミーアという若い女の子を指名して、ホテルで遊んだよ」
「ミーア? 聞いたことのない名前だな」
どうやら浅見は店のほとんどの女の子の名前を知っているようで、危うく穴兄弟になる所だった。
「ああ、新入りだと言っていた。一晩一緒に寝て、朝九時に店に帰して、それからシャワーを浴びて、起きたらこの時間だ。久しぶりに九時間も寝たよ、疲れは癒えたが、寝過ぎたせいか腰が痛い」
「はは、それはきっと、普段腰を使っていないからだろう」
浅見の指摘する通り、最後に女性と寝たのは何ヶ月前だろうか。
少なくとも、ハルディアに来て三ヶ月間は日本に帰っておらず、出国前に妻を抱こうと試みたが、引越準備云々で時間が合わず、結局何も出来ずに家を出た。
「じゃあ、ゴルフなど専ら駄目だね」
「ああ、ここ五年以上行ってないね。押入れの奥にゴルフセットがあるけど、箪笥の肥やしになってるよ」
未だ夢見心地のままコーヒーと食パンを口にすると、一旦、部屋に戻り、身支度をして、再びロビーで待ち合わせ、二人は次なる目的地へと向かったのだ。
「今日はバンコクを出てパタヤに行くよ。パタヤにもバンコクに負けず劣らず、沢山の店があるし、ビーチで若い女性を眺めることができる」
ホテルを出ると既に正午を回っており、常夏の太陽が二人を照らし付けた。
森本は強い陽射しに目を細めると、ガラガラと煩い音を鳴らすキャリーバッグを引きながら駅へと歩いた。
「君はハゲでデブだから、パラセイリングやシュノーケリングなどのマリンスポーツは出来ないだろうし、パタヤパークでバンジージャンプも無理だろうから、大人しく遊覧船にでも乗ってビーチを眺めるとしようか」
「何度も言うが、ハゲは余計だ」
浅見は、バーコードのように薄くなった額に手をあてた。
パタヤは、バンコクから南へ百六十キロの位置になるビーチリゾートであり、バンコクからは車で二時間程度で行くことができる。
二人はパタヤ行きのバスに乗り込むと、冷房の効いた車内から郊外の景色を楽しんだ。時折、並走する野良犬を眺めながら、アジア有数のビーチリゾート「パタヤビーチ」へと到着した。
「パタヤは、もともと小さな漁村だったんだけど、ベトナム戦争時に米軍が基地を構えると、ビーチリゾートとして繁栄したんだ。バンコクのソイ・カウボーイも、もともとはアメリカ文化が流入したことによる。同様に、パタヤにも欧米風の産業が揃っているし、ロングステイをする白人も多い。そして彼らの目的の一つは、毎夜賑わう性産業でもある―」
午後二時、パタヤから遊覧船で二十分の場所にあるラン島に行って、サンセットビーチで軽く一杯。四十を過ぎてマリンスポーツという気分にもなれないが、砂浜で戯れる水着姿の女性達を横目で見ながらビーチを堪能し、股間をムクムクと膨らました。
ラン島は海水の透明度が高いため、橙、青、黄と鮮やかな熱帯魚が泳いでいたり、ウツボが岩間から顔だけ出して、獲物を狙って口をパクパクと動かしている様子が確認できた。
ラン島には三時間ほどの滞在であった。カクテルを片手に浜辺を一周した後、もと来た船に乗り、本土へと戻った。夕方六時、西に沈む夕陽を哀愁深く見つめ、頭の中はこれから始まるパタヤの夜遊びで埋め尽くされていた。
パタヤ最大の歓楽街であるウォーキングストリートは、ビーチロードから続く全長五百メートルの歩行者天国であり、バンコクのソイ・カウボーイよりも店数が多く、ビーチならでは、水着姿の客も珍しくないため、こちらの方がより開放的に映った。
海岸から二百メートルほど内陸側に歩いた場所にあるソイ一五やソイダイアモンドにも多くのプレイスポットが林立し、ゴーゴーバーだけでもその数五十店を超える。
ビーチから一歩ストリートに入ると、昼間のような煌々としたネオンとユーロビートが、街の艶やかさを象徴した。
その様子は、首都バンコクよりも派手で大規模にみえた。
「こちらの方が、バンコクよりも賑わっているようにみえる」
森本が云うと、浅見は頷き様に応えた。
「ああ、パタヤの方が田舎な分、広々としているし、ビーチに近いだけあって客側も開放的だね。女の子はバンコクの方が都会的だが、ここは地方から出稼ぎにくる女の子も多い」
夕方七時を過ぎると、ストリートにはやはりファランと、日本や中国からの観光客、そして水着姿の客引きが目立った。
二人はソイ一五との分岐にあるバービヤに入ると、喉の渇きを潤すため、まずはシンハで乾杯をした。
「ここは、日本で云うガールズバーにあたる」
そうこうしている内に真っ赤な紅を差した女性が二人を囲うように現れ、一緒に飲もうと誘ってきたのだ。
「タイの人種は、南部のアユタヤーと、北部ランナー王国で二分されていて、南部の方が肌の色が浅黒く、一方ランナー民族はミャンマー系や中国系の色白の人種が多い。日本人に人気があるのはランナー系だが、君はどちらが好みだい?」
自ずと浅見側にランナー系、森本側にアユタヤー系の色黒の女性がつき、森本の隣席に座った女性は、腰をクネクネと捻じりながら色目を使った。
森本はそんな女性達を一瞥すると、微笑して云った。
「アユタヤーの方が、異国情緒があって良いじゃないか。ランナー系の女の子は、化粧をすればほとんど日本人と一緒だから、僕はアユタヤーの方がいいよ」
森本が云うと、
「通だね、それでこそ君も立派なパタヤ人だ」
と森本の選択を称賛した。
「初見者は普通、ランナー系を選ぶけど、確かにアユタヤーの女の子もエキゾチックで魅力がある。郷に入れば郷に従う、これは恋愛に関してもそうだ」
浅見は笑うと、酔った勢いで隣の女性の頬にキスをした。
「彼女、幾らですか」
バンコクとは一風違った開放的な雰囲気、さらに初日とは違って遊び慣れしたこともあって、森本は緊張する様子もなくペイパー代を伺った。
「二千バーツよ」
「そうか」
言われるがままに森本が財布から二千バーツを取り出そうとすると、浅見はすぐに森本の財布を取り上げ「値切れ」と耳打ちした。
「二千バーツなら安いじゃないか、日本だったら女の子と遊ぶのに一万円は下らないだろう」
不可解に問うと、浅見は、
「値下げ交渉するのも歓楽街での楽しみ方の一つだ。彼女らは相場の倍の値段を振っかけてくるから、そのまま受け入れては絶対にダメ」
森本は渋々、聞き入れると、女性に値下げ交渉をした。
すると女性同士でなにやら訳のわからない言い合いをしたあと、日本円を使えばもう少し安くすると言った。おそらく外貨を得る口実なのだろうと勝手に推察し、森本は五千円札を差し出した。
週末のストリートには日本人客が数多おり、次いで中国人観光客、欧米人の姿がある。かつて日本人客が最大の人気を誇ったが、ここ十年の動向を見ると羽振りのいい中国人観光客が人気を呈し、現地の売春婦は流暢な中国語で客人を呼び止めた。
とはいえ、一時ほどでないにしても日本人への崇拝思考は衰えておらず、「お兄さん、お兄さん」と呼ぶ声が随所で聞こえた。
ホテルの窓外は繁華街そのもので、ビーチ沿いのストリートには低俗なネオンが煩く輝いている。
森本はバンコク、パタヤと、タイの歓楽街の要所を一通り巡ると、十分に満足した様子で、あっという間のタイの夜街周航を終えたのである。
「楽しい旅行だった。しかし、この年になると連続は流石にキツイね、生産が追いつかんよ」
最終日の夜、再びバンコクを経由して空港からコルカタ行きの便を待つ森本は、見送りに来た浅見に感謝の意を述べた。
「また来なよ。シラチャにも良い日本人クラブがあるんだ。今度はもっとディープな店を紹介するよ」
シラチャは、安徳工機のあるチョンブリ県とパタヤの中間位置にあり、日本人駐在員も多く、そのため日本人用の置屋やクラブが多く林立している。
「そうか、それは楽しみだね。また近いうちに来るよ。きっとハルディアに戻ったら、バンコクが恋しくて夜も眠れないだろうよ」
「バンコクに来ても別の意味で夜は眠れないだろう」
浅見が笑って云うと、二人は固い握手を結び、別れを告げた。
バンコクからコルカタまでの二時間半、森本は飛行機の中で南国の楽園を思いながら、まるで祖国を離れるような空虚な気持ちに陥り、明日より再び始まる地獄のような工場生活を憂うのであった。
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