第15話

ブンミーらの協力もあり、森本はジャンク品となった古いスマートフォンを娑婆から集め再利用するビジネスを成功させた。

無料で集めたデバイスのため、三年ほど型落ちしたものばかりだが、刑務所内では充分に活用できる。

バンクワン刑務所付近にある飲食店やチェーン店のフリーwifiを捉え、受刑者に利用させる。

森本の立ち上げた『バンクワン・プリズン・ヂャンライ・モバイルサービス』は口コミで人気を呼び、月額二百バーツという安価なレンタル料と、修理回収を含めた綿密なアフターサービスが好評で、事業を立ち上げてから半年ほどで刑務所内のスマートフォン普及率は七割を超えた。

これは、刑務所に収容される四千人の受刑者の内、三千人近くが何らかの通信デバイスを持つ計算となる。

安定収入を得た森本がすることといえば、同居人でありビジネスパートナーであり恋人でもあるブンミーに隠れて、セクション一棟のハッテン場で買春行為に挑むことであるが、ある日、浮気現場をブンミーに発見され、二人は死闘を繰り広げた。

ブンミーと森本の喧嘩は互いを殴り殺すまで終わることがないほどの激しさであり、森本は現場を目撃した看守に保護され、対するブンミーは懲罰房へと収監された。喧嘩両成敗であるはずだが看守が森本だけを保護したのは、看守が森本と密かな恋愛関係にあったからである。

森本がバンクワン刑務所に収監されて二年半。起業、恋人との出逢いと別れ、様々な出来事があったが、そろそろ残りの刑期も少なくなってきた。そんなある日、森本はある人物に面会を依頼されたのである。

バンコクは四季がなく、冬でも三十度を超える日が珍しくない。

年が明けたばかりの清々しい朝、面会室に向かった森本の目には、思いもしない人物が映った。

「久しぶりじゃのう」

そこに現れたのは紛れもない、城山丈一郎、人呼んで人事部のジョーの姿があったのだ。

「おう、見ない間に随分と窶れ込んだな。海外の刑務所に入るなど貴重な体験だろう。尻穴掘られて、雌の気分になったか、ガハハ」

ジョーは相変わらずの豪快な話し方で森本を迎え入れると、頑丈なアクリル越しに、森本と対峙した。

「城山部長、お久しぶりです、まさか、またお会いできるとは夢にも思っておりませんでした」

会社を追われたにも関わらず、森本は慇懃として頭を垂れた。

「今日はどういった御用で」

ヂャンライ・モバイルサービスの成功で、且つて在籍した安徳工機のことなど忘れてしまったが、ジョーの顔をみて、過去の記憶が走馬灯のように蘇ってきた。

「そんなことより貴様、ここで虐めにでもあっとるのか」

ジョーは不可解な目で森本をみた。

「スマートフォンの売れ行きが良過ぎて、皆に嫉妬されとるんやないのか」

「いえ、そんなことは―」

突如、発せられたジョーの言葉が理解できず、森本は首を傾げた。

「皆から罵声を掛けられていたじゃないか、ヂャンライ、ヂャンライと」

「ヂャンライは僕のチューレン(ニックネーム)で、獅子という意味らしいです。それがどうかしましたか?」

森本が云うと、ジョーはなるほどと、納得した表情で言った。

「ああ、なるほど、やはり虐めに合っていたわけだな」

「どういった意味でしょうか」

「ヂャンライの本当の意味は『人間のクズ』だ」

森本はここ三年間、人間のクズと呼ばれ続けていたことに漸く気付き、赤面した。

ジョーは面会室に備え付けられたパイプ椅子に腰を掛けると、森本と対面し、こう語った。

「残りの刑期もあと少しじゃろう、このままタイで野垂れ死ぬか」

未成年買春で禁固三年の刑を喰らった森本は、二年半の年月を経て、そろそろ出所後の生活を本気で考える時期に差し迫っていた。

しかし考えてみれば、刑務所の生活はハルディアの出向生活に比べて遥かに充実していたし、独身時代よりも情熱的な恋愛を享受できた。相手が女性であれば尚、良かっただろうが、尻穴も穴には変わりなく、今となってみれば、森本は収監される以前よりずっと精悍な顔付きをしていたのだ。

ジョーはひとつ息を吐くと、予想もしない内容を口にした。

「折り入って話があるんだがな、悪い話ではないと思うのだが」

「なんでしょう?」

森本が問うと、

「うちで働く気はないか」

とジョーは提案した。

「うち? つまり安徳工機で働けるのですか」

思わぬ誘いに、森本の表情は綻んだ。

「うむ、勿論、元のポストには戻れんがな。未成年の娼婦を買った貴様は人間のクズに変わりないが、誰しも海外で女遊びくらいするもんや。お前は運が悪かっただけや」

ジョーの云う通り、森本の他にもタイで女遊びをする日本人出向者は少なくなく、森本は偶々、運悪く未成年の娼婦に引っ掛かり、そして偶々、運悪く逮捕されてしまっただけなのだ。

「もともと君は設計上がりで頭は悪くない。実は安徳系列の新しい工場がタイに出来てだな、エンジニアが不足しているんだ。そこに再就職しないか。給料は日本の三分の一やが、その分物価も安い。どうせスマートフォンブローカーなどやっても日銭しか稼げんだろう。日本には戻れないが、タイのメーカーで第二の人生を送ってみてはどうだ」

ジョーの提案は、刑務所生活という拭い難い経歴を持つ森本にとって、再び娑婆で真っ当な暮らしを得るためのチャンスであった。

願ってもいない提案に断る理由はなく、森本は真剣な目付きでジョーを見ると、身を乗り出して首を縦に振った。

「畏まりました、前向きに考えてみます」

「うむ、賢い決断だ」

ジョーは会社紹介と採用面接のパンフレットを手渡すと、そのまま立ち上がり面会室を後にしようとした。

「そうだ、言い忘れたことがある」

ジョーは返しかけた踵を戻すと、再び森本に対峙した。

何事かと思い森本は目を点とさせた。

「貴様、日本に家族がおったな、カミさんと娘さん」

「ああ、美代子と藍那は元気でしたか」

突如、蘇る家族の記憶に、森本は目を潤ませた。

森本は、妻と娘を残してハルディアに出向したのだが、その後三年、顔を合わせていない。

当時、大学受験を控えていた娘は、そろそろ就職を控える頃合だろうか。

自ら犯した罪が仇となって、罪のない娘の将来にまで支障を来さなければよいのだが。

久しぶりに親らしい感情が芽生え出した森本を前に、ジョーは淡々と続けた。

「うむ、退職手続きなど、諸々するため本社にやって来てな、特に取り乱した様子もなかったが、ひどく迷惑かけたと何度も謝っとった」

森本は、ぐっと胸を締め付けられるような罪悪感を抱いた。

バンコクやパタヤ、チェンライの置屋で未成年の娼婦との情事に現を抜かし、家族のことなどすっかり忘れていたが、今となって、大切な存在を失った自らの行動の浅墓さを悔やんだ。

ジョーの説明によると、妻の美代子と娘の藍那は、遠くインドにまで足を運び、身廻品を整理したり退室手続きをするなど、献身的に対応したという。

家族がハルディア入りしたとき、森本の住んでいた独身寮は現地警察による家宅捜査が入った後で、箪笥や机の中がまるで、空巣が入ったような荒れ様だったという。

森本の部屋には、タイの娼婦のものと思われるセクシーなランジェリーが顔写真と共に凡そ百着も見つかったという。

忘れようと思った家族の存在だが、いざ思い返すと心が抉られるような思いがした。

「君のカミさんは涙すら流さなかったが、酷く傷心した様子で言っていた。貴様が遠くインドのハルディアという劣悪な環境で、家族を守るため孤軍奮闘しているというのに、食事も用意できない妻は妻として失格だ、と」

森本の目には溜りに溜まった熱いものが溢れ出し、涙と鼻水で顔がグチャグチャになるほどであった。

「貴様がスクンビット通りのテーメー喫茶で買った少女は娘よりも幼く、実の父親が自分の年齢より若い少女と性行した事実を、貴様の娘さんは何と思っただろうか。きっと貴様のことを鬼畜生とでも思ったであろう」

「ごめんなさい…、本当にごめんなさい…」

森本は声を振り絞り懺悔した。

ジョーは再び踵を返すと、慟哭する森本に背中越しで語り始めた。

「やはり美人だな、お前のカミさん」

「ええ、自慢の妻でした…」

「今後、犯罪者の夫を持ってしまった美代子さんが、肩身の狭い思いをしながら生きていくのを思うと、ワシはあまりにも気の毒でな、何より旦那に裏切られた心の穴は埋め合わせられんだろう」

「申し訳ありません…、後悔の念で苛まれるばかりだ」

森本とジョーの間に、無言の時間が流れる。

ジョーは、空虚な気持ちを掻き消すかのように語調を整えると、こう続けた。

「ああ、そうだ。その後、美代子さんを食事に誘ったのだ」

「え? 食事に?」

思いも寄らない言葉に驚愕しながら、森本は言った。

「ああ、あまりに気の毒でな。慰めるつもりが、案外、食い付きが良くて、酔った勢いでそのままホテルに直行した」

森本は絶句した。

「聞くところによると、嫁さんも嫁さんで、貴様がインド駐在中、男を取っ替え引っ換えしていたらしいぞ」

「な、何ですと?」

「ああ、貴様の嫁さん、習い事で知り合った水泳のインストラクターと毎夜、競泳水着プレイを繰り返していたらしい。プールの中でのセックスは水圧があって気持ちが良いらしいな」

森本はあんぐりと口を開けたまま、ジョーの背中を見つめた。

「貴様の嫁さん、年甲斐もなく喘ぎ声も可愛らしかったぞ、締まりは最悪だったがな」

「き、貴様!」

ジョーと妻が関係を持ったことを知って、森本は火が付いたように怒り狂った。ガラス越しにジョーに殴り掛かろうとしたが、すぐに看守に捕まり、警棒で殴られその場に倒れ込んだ。

「娘さんも年の離れた弟ができたと喜んどった」

「く、この鬼畜生奴…」

「ちなみに娘の方は若いからか、さすがによく濡れとったのう、孫の顔がそろそろ見れるかもな、ガッハッハ」

そう云い残すと、ジョーは颯爽と面会室を去っていった。

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