第16話

刑務所を出て三年、森本はジョーの紹介で安徳工機サイアムエンジニアリングに再就職し、製造ラインの設備保全を担当していた。

娑婆にも慣れ、仕事も板につき、安徳工機時代に培った知識と経験、そしてバンクワン刑務所で鍛えた語学力もあり、現地人とのコミュニケーションも支障なく、技術員の育成に一躍かっていた。

サイアムエンジニアリングは、安徳工機タイ本店のあるアマタ・ナコーン工業団地にあり、森本の自宅も、同工業団地のあるチョンブリ県にあった。

出所後、森本は小さなサトウキビ農場を営む農家の娘と結婚した

タイでサトウキビといえばブラジルに次ぐ世界第五位の生産量を誇り、灌漑技術が発達したタイにおいて主要農産物となっている。

森本の新妻は結婚後も農業を続け、森本の紹介で、サトウキビを煮沸して抽出した砂糖汁を高価な化粧水と称して販売する企業に農作物を卸した。


四十度を超える高温が一週間も続き、碌に農作業も手に付かないソンクラン明けの四月のある日、森本は暑さに項垂れながら自宅で寛いでいると、玄関で子供が騒ぐ声がしたのに気が付き、声の元に向かった。

「子供が涼んでいるのかな」

タイは四月が年間を通して最も暑い。

旧正月休暇の子供たちは、時折こうして軒先で涼み、遊びの疲れを癒すのであった。

森本が玄関に向かうと、そこには三歳くらいの浅黒い肌をした健康的な男の子が、森本の方を見て佇んでいたのだ。

「パパ!」

「おやおや、子供が元気に遊んでいたのかな」

玄関を出ると、焼き付くような陽射しを肌に感じた。

森本は、

「冷たいお茶でも飲んでいくかい」

と優しく子供に声をかけた。

「パパ、一緒に遊ぼうよ」

男児は森本を見ると、屈託のない目で云った。

「あはは、僕はパパじゃないよ、本当のパパはどこに行っちゃったのかな」

森本は冷蔵庫からジュースやお菓子を探すと、男の子に差し出した。

外は燦燦と陽光が降り注ぎ、体中から汗が噴出しそうだ。

男の子はすぐにジュースを飲み干してしまうと、軒先に腰を掛け、暫し涼んだ。

「どうやら両親と逸れてしまったのかな、警察に連絡した方がいいかも知れないな」

電話機の方へ向かおうとすると、外で子供達の声がザワザワと聞こえてきた。

きっとこの子の友達に違いない、そう思って玄関を開けると、その先には同じく三歳ほどの子供の姿が三十人ほどあったのだ。

「パパぁー!」

子供たちは一斉に森本の方に向かって駆け寄り、笑顔でハグを求めたのだ。

「な、なんなんだ、君たちは」

騒ぎを聞きつけた妻は玄関に向かうと、異様な光景に顔を顰めた。

「なんなの、その子たちは?」

「知らないよ、誰なんだろう」

森本の回りには、自身のことを「パパ」と呼ぶ人だかりができた。

状況を理解できず、しばらくの間、その場に立ち尽くすと、

「きっと近所の幼稚園に通う子供たちだろう。ソンクラン休みで、皆で遊んでいたんじゃないのかな」

と森本は推測した。

森本は、どことなく自分に似た顔の子供の群衆の先に、見覚えのある年若い女性達がいるのに気が付いた。女性は剣幕を荒げ森本に詰め寄ると、怒声を上げたのである。

「この子たちは皆、あなたの子供よ」

「え?」

森本はあまりの事態に状況を飲み込めなかった。

「あんたがタイに渡航中、避妊をしないで遊び回ったもんだから、仰山子供ができたんだい、娑婆に出てまともな会社に再就職したんだから、育児費用を請求するよ」

森本の前には、バンコク、パタヤ、チェンライなどで出逢った女性達がスクラムを組んで森本を睨んでいた。

元来、マメな性格な森本は、タイ各地の置屋で撮影した動画を、名前や年齢と共に保存し、何機ものハードディスクにバックアップを取っていたため、彼女らの顔や名前を一瞬にして把握することができたのだ。

異国の女性であることをいいことに、森本は見境なく射撃を続けたため、妊娠し子供を儲けたのであった。

「あんたが未成年買春で逮捕されたのはニュースで見たよ。バンクワン刑務所に収監されて、釈放された後は日系企業に就職したんだって。一丁前に結婚までして、偽物の化粧水で大金を稼いでるんだから、あんただけ良い思いはさせないよ。しっかり責任をとって頂戴よ」

そこにいた女性は、かつて森本の横で猫撫で声を上げていた可愛らしい少女と打って変わって、鬼のような形相を浮かべていた。

「なに、あんた私を騙していたのね」

振り返ると、腕組みしてこちらを睨み付ける妻の視線とあった。

「日本に娘がいることは聞いていたけど、まさか三十人も子供がいたなんて、離婚よ、離婚! このロリコン」

森本がタイで見た夢のような日々は突如として悪夢へ代わり、浅墓過ぎる行動と女癖の悪さにより、多くの犠牲者を出したのである。

この後、森本はサイアムエンジニアリングで技術員教育をする傍ら、ぼったくりサトウキビ煮汁を販売しながら、チョンブリーの田舎で三十人の子供の育児に七転八倒する日々を過ごすのであった。

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人事部のジョー episode1(中間管理職 森本編) 市川比佐氏 @sandiego

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