第二章 ケルマーンの戦い -12-

(サーラール殿以下クルダ部族二千が全滅しました)


 ヒルカからの報告は、国王メフルダードも王女ナーヒードも信じられないものであった。


(クルダ部族を壊滅させたケーシャヴァ軍は、ケルマーン・バム街道を外れ、ラーイェン方面に転進。進軍中です)


 ますますもってわからなかった。ラーイェンに向かってどうすると言うのか。


(それを受けてか、動かなかったババールの軍が前進を始めております。いずれにせよ、まずは目の前の敵を)


 ナーヒードは我に返った。確かに、ババールの五千が動き始めている。対応を迷っている間に、両翼からヒシャームとシャタハートに預けた二千五百騎ずつが飛び出した。


 対応も、迅速であった。アグハラーナの騎馬隊がヒシャームに向かい、ハプラマータの騎馬隊がシャタハートに向かう。だが、ナーヒードはハプラマータの動きを見切り、横合いから痛撃を加えた。捕捉を逃れたシャタハートは、振り向きもせずにババールの軍に突入する。


 生き物のように騎馬隊を動かせた、とナーヒードは思った。高度に連携を取れるヒシャームとシャタハートを指揮官にしたことで、ナーヒード自身の指揮も一段レベルが上がった気がした。


 ババールの掌から、輝く光線キラナが放たれた。光線キラナは突入する騎馬隊の中心に掃射され、十数人の騎兵が吹き飛ぶ。シャタハートの頭上には数十の隕鉄の飛礫が浮かび、轟音とともに一秒に五発ずつ撃ち出された。


 互いに削りあったが、シャタハートの騎馬隊はババールの軍を横断することに成功した。ババール軍は勢いを弱め、再編成を余儀なくされる。ババールは荒れ狂い、大規模な火球を派手に撃ち込み始めた。


「これはたまらぬ」


 ナーヒードも辟易し、必死に馬をじぐざぐに走らせて撃ち込まれる火球を回避した。優位に持ち込んだ戦況が、ババールの力尽くの魔術で押し返された。


 白の魔術師シュクラ・ガンダルヴァの旗が前進してくる。ヒシャームは損害を出しながらもアグハラーナを振り切り、ババール目掛けて突入した。黒槍メシキ・フムルを解放したヒシャームは、前を塞ぐ敵兵を無人の地を行くがごとくはね除ける。


 ババールから巨大な火球がヒシャームに飛ぶが、解放された黒槍メシキ・フムルはそれを弾き返した。


 全身ぼろぼろになりながらアグハラーナが回り込んできた。翼を持つ者スパルナの華麗さは今はない。だが、羽が折れても大地を這って進む執念が感じられた。この戦い、アグハラーナはヒシャームを止めることに全神経を注ぎ込んでいたのだ。


 ヒシャームも馬を駆った。アグハラーナとの距離が急速に縮まる。第三の円輪マニプーラを全開にしたアグハラーナは、目が飛び出そうなほど必死な形相で、双剣を振り下ろした。


 ヒシャームは、かわそうともしなかった。その斬撃ごとアグハラーナの頭蓋を打ち砕くと、脳漿を飛び散らせたアグハラーナは、それでも右手の剣を力なく一回振るった。そして、ゆっくりと大地に倒れ伏した。


 ババールの手から光線キラナが放たれた。だが、黒槍メシキ・フムルの魔力は、光線キラナを通さない。


 好機と見たナーヒードの騎馬隊が、ババール軍の背後に食いついた。王女の戦況を見る力は、更に研ぎ澄まされてきている。シャタハートはハプラマータの騎馬隊を苦労して引き剥がすと、自分もババール軍の真横から食い破りにかかった。


 アグハラーナの騎馬隊の指揮権は、ケーシャハに移っていた。まだ経験の足りない若い指揮官は、騎馬隊をまとめるのに時間がかかっていた。


 その隙をついて、三方向から騎馬隊がババールに迫った。ババールは怒りの形相に変わると、第三の目を見開いて大規模な魔術を使った。


 ババールが両手を広げると、いきなり大地が陥没した。


 進撃してきた騎馬隊は足を止められず、大地に投げ出された。ナーヒードの体も投げ出され、激しく背中を打ち付ける。一瞬呼吸ができず、ナーヒードは苦痛に呻いた。


 火球や光線が飛び交い、足止めを食らった騎馬隊が薙ぎ払われた。ナーヒードは部下に抱えあげられ、何とか脱出に成功する。だが、態勢を整えたケーシャハの騎馬隊に追撃をかけられ、少なくない損害を被った。


 ヒシャームは、王女の騎馬隊が離脱していくのを確認した。だが、ここでババールを逃すわけにはいかなかった。距離を取ると魔術師の火力に押し切られる。接近できる機会はそう多くない。


 シャタハートが、ヒシャームの反対側から近付いていた。阿吽の呼吸で、ヒシャームはシャタハートが囮になっていることがわかった。一分間に三百発という驚異的な火力でババール軍の兵士を殲滅しながら、シャタハートが突き進んだ。ババールも火力で対抗するが、シャタハートを狙った術は岩石で作った壁で遮られ、シャタハートまでは届かない。百ザル(約百メートル)ほど離れたところで、互いに猛烈に魔術を撃ち合っている。


 黒槍メシキ・フムルの制御に脂汗を浮かべながら、ヒシャームはババールの背後に回り込んだ。


 鈍い音が響き渡り、ヒシャームの黒槍メシキ・フムルがババールの結界を砕いた。ババールの第三の目が輝き、意力マナスでもってヒシャームの意志を従えようと攻撃してくる。


 ヒシャームは黒槍メシキ・フムルを全開にして対抗したが、ババールは虚空アーカーシャの力を加えて黒槍メシキ・フムルの魔力を霧散させようとしてきた。


 だが、ヒシャームに気をとられ、老魔術師はシャタハートへの対応が甘くなった。シャタハートはいつもの二倍の大きさの隕鉄の杭を召喚すると、轟音を鳴らしてそれを放った。


 かん高い音とともに結界が砕け、同時にババールの頭が吹き飛んだ。耳の穴から入った鉄杭は、頭蓋ごと脳を破壊したのである。


 改良した星の閃光ターラー・ラフシャーンの威力に、撃った本人も驚いていた。


 ババールを失ったミタン王国軍は、コーシャとハプラマータの指示で後退を開始した。ヒシャームとシャタハートは追撃したが、整然と下がるミタン軍に、大きな崩れはなかった。馬の足も限界であり、二人も追撃を諦めざるを得なかったのである。


「終わったのか?」


 二千騎に減った騎馬隊を引き連れてヒシャームが戻ってくる。シャタハートの部隊は千八百騎ほどまで減らされていた。ババールとの魔術の撃ち合いに命を落とした者も多い。


「いや、ケーシャヴァは健在だし、これで終わりってことはないだろう」


 この戦場にいる敵の残存兵力は一万二千ほどだろうか。指揮官クラスを大分片付けたから、戦力は見た目以上に落ちているはずだ。少なくとも、もう脅威を感じるほどではない。


「ゴルバーフは六将ナユールを相手に押し込まれながらも崩壊はしていないらしい」


 肋骨を折ったのか、痛そうに顔をしかめながらナーヒードもやってきた。


「だが、サーラールとクルダ騎兵二千が全滅した。ケーシャヴァはラーイェンに向かったらしい。目の前の一万二千を何とかしないと、そちらへの手当てもできん」

「ラーイェンへ……?」


 シャタハートの心に不安の影が差し込んだ。その動きは想定外である。何の意図があるかわからないのが、甚だ不気味であった。

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