第二章 ケルマーンの戦い -3-
フーリが力尽きたように転がっていた。この少女は大した剣の腕も持っていない。体力もそれほどない。ただの町娘に毛が生えた程度の力量しかないのだ。それが必死に戦い、生き延びたのだから褒めてやってもいいかもしれない。
「ふにゃああ……お腹がすいたですー」
アナスは拳骨をフーリの頭にお見舞いすると、放置することに決めた。なにか文句を言っているが、気にする必要はないであろう。
シャタハートが
六将のスミトラは強かった。あのヒシャームですら押されたのだ。橙色の闘気が、戦場を圧していた。アナスとシャタハートは、撃ち出される水の飛礫に、近づくことすらできなかった。あんな化け物が六将なのか。アナス程度の実力では、相手にもならない。
「何なのよ、あれは。反則じゃない」
呟くアナスの傍らに、鋼のように引き締まった体躯の男が座った。男は慰めるようにアナスの頭を軽く叩いた。
「あれがミタンの
「あの変な水を撃ち出す魔術みたいなのは?」
「
危険な相手だ、とヒシャームは語った。自分のほかに相手ができる者がいるとしたら、サーラールだけであろう、と。
「いやあ、まさか急造の弓兵を押し付けられるとは思わなかったよ」
愚痴をこぼしながらエルギーザが帰ってきた。補充した歩兵二千を弓兵としたナーヒードは、その指揮を臨時にエルギーザに任せたのである。今回限りの任命であるが、さすがにエルギーザも緊張から解放されたようであった。
「相手の槍兵もこっちに上がってくるしさ……まあのろのろ来るからただの的だったけれど。
「楽しそうでよかったよ、エルギーザ」
シャタハートが
「スミトラはやばかったようだね」
「ああ。予想以上だった。
ヒシャームはかつてアナスの父キアーの傍らで、各地の戦いを経験している強者である。こと戦闘に関する知識はシャタハートも及ばない面もある。こういうときにはありがたい存在だ。
「だから、姫さまにちゃんと伝えておけよ。六将の危険さをな」
「ふに!?」
突然話題を振られ、フーリが飛び起きた。おバカな娘ではあるが、一応、監察官としての仕事はしている。もう少ししっかりしてほしいところではあるが。
「あんなのがいるようでは、神殿の連中の力が必要になる気がするぞ。神殿で偉そうにしているやつではなく、実行部隊の凄腕がな」
要請するのは王女の仕事だ、とヒシャームは言った。フーリはよくわかっていない顔をしていたが、これで彼らの話はちゃんと全部聞いていた。意味は理解していなくても、繰り返すことはできる。
「ほれ、とっとと行って来い。もたもたしてると連中の第二軍が来るぞ」
確かに、アーラーンはミタンの先遣部隊八千を潰走させた。
「逃げた兵から情報を聞き、第二軍も警戒するだろう。今日明日は大丈夫だろうけれどな」
だが、次はこううまくはいかない、とヒシャームは思った。ここの地形と罠が知られた以上、警戒して進んでくるのは間違いない。 単独で突っ込んでくることはもうないはずだ。
兵士たちが死骸の処理や武具・馬・物資の回収を始めている。六将のスミトラはさすがにいい槍を使っていたが、ヒシャームの
「次に来るのは誰かしらね。できれば、あんな化け物は勘弁してほしいけれど」
アナスのそれは軽口ではなく、珍しい本音であった。
ミタンの第二軍を預かるババールがその報告を聞いたのは、第一軍の敗北から三時間後のことである。かろうじて
「スミトラが討ち取られたじゃと!?」
輿に乗った老人は叫んだ。六将として最も長く君臨するこの老人は、実際の年齢はもう周りの誰もわからない。数百年は生きているのではなかろうか、とも言われている。ミタンの歴史より古い老人なのだ。
「あやつは第二階梯まで到達していたはずじゃが……それを打ち破るとは油断ならぬやつがアーラーンにもおるの」
ババールは行軍を止めた。どのみち、落ち延びてくる敗兵を収容し、再編しなければならないし、単独で進んでも危険なのはスミトラの死でわかっている。
大地に結跏趺坐し、
(ケーシャヴァさま)
念話で呼びかけると、王子から応えがあった。
(何事だ、ババール)
(はっ……それが、第一軍が壊滅し、スミトラが討ち死にしたとの報告がありましたのじゃ)
(なんだと)
ケーシャヴァの驚きが伝わってくる。スミトラはケーシャヴァの愛人の一人でもあった。怒りの波動が、ババールの脳にまで到達してきた。
(爺に当たってもスミトラは生き返りはしませぬ。それより、アーラーン軍が意外と手ごわいことがわかりましたゆえ、爺はここで進軍を止めますじゃ。おそらく、スミトラが討ち取られた地までは一日ほどだと思われますが……。後続の到着を待ち、同時に進発したいと思いまする)
(余はまだナービッドの三叉路だ。ナユールをゴルバーフに向かわせる指示を出しておった。ちと、離れすぎたかもしれぬ。こちらの進軍を急がせるゆえ、爺も警戒しておれ)
(警戒はお解きにならぬがよいでしょうな。そろそろ、
(なに、まだ大丈夫だろう。ケルマーンを目指す姿勢は見せておるしな)
そこで念話は切れた。軽くババールは疲労を覚える。超人ババールとは言え、
ケーシャヴァは楽観的であったが、ババールは一抹の不安を感じていた。守護者キアーを失ったとは言え、アーラーンを少し侮り過ぎていたかもしれない。
ババールは暫し考え込むと、今度は
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます