第一章 赤毛の小娘 -2-

 闇夜の中、四つの騎影が山道を登っていた。


 先頭は黒い甲冑を身に着けた騎士で、鋼鉄の槍を携えている。左の腿には剣鞘もあり、装備の質は四人の中で一番良かった。


 白いフェルトナマッドの上着を着込んだ剣士がその後に続く。なめし革の胸甲に、手足には毛皮を身に着けている。


 赤い頭布クーフィーヤをかぶった少女が更に続いた。弓と剣を持ち、黒地に赤い刺繍スザンニの入ったフェルトナマッドの上着を羽織っている。その双眸は真紅に輝き、闇夜の道を見据えている。


 最後尾は矢筒を負った緑のフェルトナマッドの上着を着た若者であり、左手には弓を携えていた。鞍壺には換えの矢筒が複数装備されている。


 宿営地を抜け出したアナスたち四人であった。


 声を出さないように馬にはしっかりと枚を噛ませ、星明りのもとハザル山の山道を駆けていく。ザーヘダーンからケルマーンまでは百パラサング(五百六十キロメートル)以上ある。軍が移動するには一か月半はかかる距離である。


「バムあたりまではもうきていると思うのよね」


 バムはケルマーンの南東三十五パラサング(約二百キロメートル)に位置する街だ。ハザル山地にある尾根の間を抜け、シャーダードの砂漠の南端に位置するオアシス都市である。水を補給する意味でも、ケルマーンにたどり着く前には必ず押さえないといけない拠点だ。徒歩で二週間、騎馬で四日から五日はかかるだろうか。彼らはそこを三日でいくつもりあった。


 明け方に至る前に束の間休息し、再び馬上の人となる。途上、エルギーザが野鳥などを射止め、夕食のときに焼いた。携行してきた食料はなく、現地調達しなければ飢えるしかない。


羊肉と野菜のシチューホレシュテ・ゴルメザブズィが食べたいわ」


 カササギの串焼きを頬張りながら、アナスはこぼした。


シチューホレシュの話はよしてくれ……おれまで食べたくなる」


 ヒシャームも名残惜しそうに食べ終わった串を見ている。シャタハートは彼らの串を回収すると、自分の腰帯に戻した。この鉄串はシャタハートが持ってきたものであり、この若者はほかにも細々とした香辛料、塩や乾した果実なども持っており、意外と料理好きな面があった。


 食事を終えるとマントシャールを体に巻き付け、彼らは暫し眠った。山地の夜は肌寒く、マントシャールにくるまっていても底冷えがした。


 翌日も朝からアナスたちは道を急いだ。途中、街道が二手に分かれるところまでやってくる。南に進めばジーロフィト、東に進めばバムだ。バムまでは残り七パラサング(約四十キロメートル)ほどであろうか。アナスたちなら、急げば半日で到達できる距離だ。


「偵察部隊だ」


 先頭を行くヒシャームが立ち止まった。エルギーザがその隣に駆け寄り、目を凝らす。


「十騎だね。バムから放たれた斥候だと思う。ぼくが援護するから、とっとと始末してきて」


 ヒシャームを先頭に、三騎が敵の騎兵に突撃した。背後から、エルギーザの矢が、三射放たれる。

矢は蒼穹を飛来し、近づいてきた三騎の敵騎兵の喉を射抜き、落馬させた。


「何者だ!」


 怒号とともに敵からも矢が放たれたが、ヒシャームが槍を振って全て払いのける。敵が慌てて抜剣したところに、ヒシャームの鋼鉄の槍が唸りを上げた。


 左右の二騎が頭蓋を砕かれ、正面の一騎が喉を貫かれる。瞬く間に半減した味方に動揺した敵騎兵は、慌てて身を翻そうとした。そこにシャタハートの指弾が額にめり込み、二騎が落馬した。


 奇声を挙げた敵の隊長がアナスに斬りかかる。頭上から迫る剣刃を自らの剣で弾き返すと、アナスは隊長の首を斬り飛ばした。最後の一騎は背中からエルギーザに心臓を射抜かれ、落馬して絶命した。


 十騎を始末するのに五分とかかっていない。手早く水と食料だけを奪い取ると、アナスたちは更に東に向かった。ここまで斥候が出てきている以上、バムは敵の手に落ちているだろう。


 先頭は視力のいいエルギーザに交代していた。


「三パラサング(約十七キロメートル)ほどでダルズィン村、さらに三パラサング(約十七キロメートル)でイスマーイリ村があるはずだよ」


 先行部隊はどちらかに到達している可能性もある。四騎は慎重に進んだ。


 二時間ほどでダルズィン村にたどり着いた。ここは南に行けばジーロフィトに向かう街道に合流する三叉路になっている。すでに村の周囲には天幕オマルが張られ、ミタン王国の聖なる牡牛ヴァリシャの旗が翻っていた。


聖なる牡牛ヴァリシャの旗か。六将のスミトラが先陣だね。数は多すぎて……正直わからないな」


 シャタハートはダルズィン村に駐屯するミタンの部隊を眺めながら呟いた。


「少なくても千や二千ではないと思うわ。天幕オマルが溢れ出しているし……後続の軍が続いているもの」

「先遣隊がダルズィン村ということは……ケルマーンまで早くても二週間はかかるな」


 十分とは言えないが、多少時間の余裕はある。ケルマーンに集結しているアーラーンの兵力もまだ増えるだろう。


「帰る前に、哨戒の部隊をもう一つ潰すわよ。何人か捕まえて、情報を吐かせましょ」

「割りとエグいことをさらっと言いやがる」


 シャタハートは苦笑したが、アナスの言葉にも理があることを認めざるを得なかった。折角ここまで来たのだ。もう少し手土産が必要だった。


「三パラサング(約十七キロメートル)戻るぞ」


 四騎は、馬首を返して先刻争闘のあった三叉路まで戻った。遺体は胡狼シャガールに食い荒らされており、無惨な光景となっていた。胡狼シャガールはアナスたちの匂いを嗅ぐと同時に立ち去っていたが、盛大に食い散らかされた臓物を片付ける気にはなれなかった。


 一行は更に戻り、岩陰に姿を隠した。ここからなら、遺体を発見した哨戒の敵兵を目視できる。羊の胃袋シェカムの水筒から水を飲み干すと、アナスは頭を振った。強気な彼女でも、胡狼シャガールに食い荒らされた屍体は心地がいいものではない。


 暫し馬を休め、最良の草アルファルファを食わせる。三時間ほど身を休めると、強行軍の疲労も抜けてくる。胡狼シャガールは人間を警戒して寄ってこないが、大鴉カラーグが集まり、屍肉を食らっていた。アーラーンの民は、火や土を神聖視する。ゆえに、火葬や土葬をせず、大鴉カラーグに死者を食べさせるのは一般的な行為であった。


光の神の加護をバハラーム・ズィーダ


 アナスは束の間の祈りを捧げた。


 彼女が顔を上げた頃、不自然な大鴉カラーグの動きに異変を察知したミタンの哨戒小隊が現れた。


 彼らは大鴉カラーグを追い散らすと、同胞が食われていたことに気がつき、蒼ざめた。


「先行したジャバーリの隊であります」

「ケルマーンまではまとまった敵はいないと聞いていたが……ザーヘダーンの残党とでも遭遇したか?」


 小隊の数は十二騎であった。彼らは剣を構えると、油断なく周囲を見回した。


 ふと風を感じた兵が声を発しようとした瞬間、彼の眉間に一本の矢が突き立った。音もなく馬上から兵が崩れ落ちたとき、彼の左右にいた兵の喉もまた、飛来した矢が貫いていたのである。



 

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