第一章 赤毛の小娘 -3-

 黒い旋風がミタンの兵に襲いかかった。一瞬のうちに四騎が薙ぎ倒される。だが、五人目の男は、ヒシャームの槍を頭を沈めてかわした。そのあまりの剛槍に男は目を剥く。


「あぶねえっ。このラケシュさまが、危うくやられるところだったぜ」


 男はヒシャームの追撃に反撃する機会も掴めず、必死に槍をかわし続ける。骨をも砕く無慈悲な鋼鉄の一撃。剣には自信のあったラケシュが、防戦一方に追い立てられる。この黒衣の騎士は、並みの使い手ではなかった。威圧感は、六将にも匹敵すると、密かに冷や汗を流す。


「ミタンの剣士、おれを相手に一合以上持つとはなかなかやるな」


 傲岸にヒシャームは言い放った。同時に、今まで暴風のように荒っぽく振るわれていた槍が、一転して雷光のごとく突き出されてきた。咄嗟に剣で弾こうとしたが、刃が槍に触れた瞬間、激しい回転とともに剣を巻き上げられる。


「なっ……」


 無防備になったラケシュは、唖然としている間に左の胴に激しい衝撃を食らった。たまらず落馬したラケシュは、左の肋骨が何本か持っていかれたのを感じる。


「おっと、まだ生きているよな……。手加減ってなかなか難しいものだな、シャタハート」


 ラケシュの腹の上にどんと足を乗せると、黒衣の騎士は後ろを振り返った。すでにラケシュの部下は制圧され、アナスとシャタハートが、それぞれ一人ずつ兵を捕らえて縛り上げている。


「力を入れすぎなんだよ、おまえさんは」

「そうか? ま、こいつはまあまあの使い手だぞ。それなりにいい地位にいるはずだ」


 ヒシャームは凶悪な槍の穂先をラケシュの顔の横にぴたりと静止させる。思わずラケシュの喉が鳴った。


「有益な情報を囀ずったら生かしておいてやろう。何も話せなければ、おまえも大鴉カラーグに内臓を食われることになる。生きながら肝を食われるのは、あまりお奨めしないぞ」


 凄惨な仲間の騎士の死骸を思い浮かべ、ラケシュは蒼ざめた。彼は自分のことを勇気ある人間だと思っていたし、ミタンに対する忠誠も人より高いと自負していた。だが、そんなものも、実際に自分が大鴉カラーグに食われる恐怖を前にしたら、木っ端微塵に吹き飛ぶ程度のものに過ぎなかった。


「なにが聞きたい……」


 かすれた声でラケシュは喘いだ。


「そうさな。ミタンの軍団の人数や装備、総指揮官と従う将軍の名前、ダルズィンデーに駐留する軍の規模、後続の様子、総指揮官の位置、補給物資の状態……こんなところか?」

「全部はわからんぞ……」


 それでも、ラケシュと部下の二名を尋問した結果、ある程度の情報は掴めた。


 ミタンの総指揮官は第一王子ケーシャヴァであり、軍の総数は三万八千に及ぶ。付き従う将帥は、やはり英雄アシンドラを除く六将の五人。ダルズィン村に駐留するスミトラの軍は八千を数え、バムにも後続のババールとアクランティの軍が到着していた。総指揮官のケーシャヴァは、まだバムには入っておらず、手前の街ナーマッシャーに入っているらしい。


 上出来と言っていい成果であった。


「素直に吐いたから、命だけは助けてやる。お仲間が来るまで頑張って生き延びろよ」


 ラケシュら三人を縛り上げて道の端に転がすと、アナスたちは帰路についた。


「ヒシャームに美味しいところを取られたわ」


 アナスはぶつぶつと文句を言った。


「早いもの勝ちだぁな。ま、これで胸を張って報告できるんだから、いいじゃないか」

「ミタンの行軍も、予想を覆すほどの速さではなかったしね。ちょっと安心したよ」

「ぼくの経験から言うと、心配性のシャタハートが安心したときは、何かよくないことが起こるんじゃないかと思うんだ」


 にこにこと笑いながら毒を吐くエルギーザに、思わずシャタハートも鼻白んだ。


「エルギーザたまに怖いのよね……。ま、そんなことよりあたしはこれがうまくいって、城内でナスと羊肉のシチューホレシュテ・バーデンジャーンをお腹いっぱい食べたいわ」

シチューホレシュの話はやめろ! おれまで食いたくなるだろ!」


 アナスはわりと食いしん坊であり、ヒシャームもまた体の大きさから大体いつも腹を減らしているのであった。


「熱々のロールキャベツドルメ・エ・カラムでもいいわあ……たっぷりとスープを吸ったキャベツで中にはしっとりしたタマネギが入ってて……」

「アナスさん勘弁してください」


 十騎に囲まれても一歩も退かぬヒシャームが、敗北を喫しようとしていた。

 

 三叉路から北北西に五パラサング(約三十キロメートル)で右に分岐が見えてくる。真北に進むとシャーダード砂漠の西端の街ゴルバーフに行きつくが、一行はそのまま北北西へと進路を取る。とりあえず日も落ちてきたので、適当なところで夜営をし、ミタン兵から奪った食料を齧った。


 夜が明け、更に五パラサング(約三十キロメートル)ほど山間の細い道を進むと、左にハザル山の麓の街ラーイェンへの分岐が見えてくる。そこから更に七パラサング(約四十キロメートル)ほど左右に山脈が連なる街道を駆け続けると、ようやく山岳地帯を抜ける。ケルマーンのある盆地の入り口で、マハン村が出迎えていた。


「あの刺繍スザンニは……カシュガイ部族の菱形文様トランジだな。大兵を展開させないために山道の出口を封鎖しに出てきたか」


 アーラーン王国の先遣部隊はカシュガイ部族になったようである。二千の兵が、マハン村近辺に駐留していた。四騎はその中を駆け抜けていったが、特に誰何されることはなかった。アナスの火炎アーテシュ刺繍スザンニを見れば、イルシュの人間だということがわかるのだ。


 マハン村からおよそ三パラサング(約十七キロメートル)。ようやくアナスたちはケルマーンの城砦に帰ってきた。

 

 ケルマーンには歩兵が集結し始めており、五千ほどは増員されているようであった。それだけに、ケルマーンの城外は混雑を極め、アナスたちは同族に見咎められることなくケルマーンの城門を潜った。


「待て、そこの四人。どこの者だ」


 黄金の髪に銀の甲冑をまとった女性が、アナスたちを誰何してきた。彼女の甲冑には、王国の紋章である光輪フヴァルナをまといし獅子シールが描かれている。後ろに十数人の騎士を従えているところから見て、地位は高そうだ。


「イルシュ部族のアナスと言います。バムの近郊まで偵察に出かけて、いま戻ってきたところです」

「バムの近郊まで? それに。イルシュ部族?」


 黄金の髪の女性はまじまじとアナスたちを見た。翡翠色の瞳にかぶる長い睫毛がきれいだな、とアナスは思った。彼女のかぶる頭布クーフィーヤは、青と白とピンクの幾何学文様をあしらった綺麗なスマック織であった。アーラーンでも、これだけ見事なスマック織を施す部族はひとつしかない。


「詳しい話を聞かせてもらいたいのだけれど……わたしはアーラーンの王女ナーヒード。シャーサバンの第一騎兵大隊を預かる将軍だ」


 大体の予想はついていたが、やはり彼女は軍の高官であった。しかも、王族である。血と汗と埃に塗れて手に入れた情報を渡すに相応しい相手であった。


 アナスは鷹揚にうなずくと、勿体を付けるように口を開いた。


野鴨と胡桃の煮込みフェセンジャーンがあるなら考えてもいいわ」

 

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