第二章 ケルマーンの戦い -1-
シャーザデー
だが、だからと言って、そこを戦場にしないでくれと陳情されても、アナスにはどうしようもなかった。敵に聞いてくれと言いたい。
とにかく、戦場は南に設定するから、
「気持ちいい風ですねーこんなに贅沢に水がひかれているとは思いませんでした。さすがは有名な庭園ですね。びっくりしましたよ」
いや、こっちはおまえの空気の読めなさにびっくりだよ、とアナスは心の中で叫ぶ。その心も知らず、フーリはこの東屋の風情がいいですねーとご満悦であった。
「あ、忘れてましたけれど、王女殿下が、戦場予定地の視察に出るから随伴するようにとおっしゃってました。マハンの南に来て下さい」
「忘れていいのそれ! と言うか、あたしたちが? 人使いが荒いわね!」
とは言え、戦場予定地をそこにするように言ったのはアナスである。ナーヒードが随伴を命じるのも当然である。アナスはシャタハート、ヒシャーム、エルギーザの三騎を従えると、フーリとともにマハンの南に向かった。
マハンの南端で、ナーヒードは十騎の騎兵とともに待っていた。王女は何か言いたげにアナスを見る。アナスはさすがに友人を売ることはできず、遅くなったことを詫びた。フーリは恐縮して、自らアナスに伝えるのが遅くなったことを暴露し、アナスをかばった。
「いや……もういい。行くぞ」
もう一度アナスは王女に謝罪すると、街道を南下し始めた。
変わり映えのしない乾燥した砂と岩が左右に広がっていた。一パラサング(約六キロメートル)ほど南下すると、左右がだんだん小高くなってくる。途中、左の丘が一旦途切れ、そちらに小道が向かっている。
「この道の先はどこに続いているのだ?」
ナーヒードの問いに、シャタハートが答えた。アナスも知らない問いであったのだ。
「セコンジ村です。さほど大きくはないですが、緑が多く水も沸きます」
「日を掛ければ、そちらにも略奪に走りそうであるな」
王女の形のいい眉がひそめられる。
「兵はこの左右の丘陵に伏せるのか? 左の丘陵には弓兵を置けるが、ちと右側は弓を届かすには遠そうではないか?」
「右は騎兵がよさそうだわ」
アナスが肯定すると、ナーヒードは満足そうに頷いた。
「よし、セコンジに行くぞ。どれくらい先にあるのか」
「四千ザル(約四キロメートル)くらいです。上り坂になっていますので、お気をつけください」
坂道を登っていくと、次第に両脇に潅木が増えてくる。斜面に段々畑なども作られており、
「よい
道沿いに二千ザル(約ニキロメートル)ほどは家屋や畑が続いていた。
「ここが我らにとって緒戦の
「騎兵一個大隊でよろしいでしょう。アナス以下、わたしたちも参加致します」
「ケルマーンから歩兵二個大隊を呼び寄せて、弓兵を組織し、その高地に伏せる。アルデシル将軍と騎兵三個大隊を向こう側に配備しよう。陛下には、騎兵六千とともにマハンの南で街道を封鎖していただく。わたしは第一騎兵大隊を率いてこのセコンジにて機を窺おう」
布陣としては悪くない。唯一の懸念は、あの
「そこは何とかしよう。そこの
王女殿下にアナスの食いしん坊が移ってしまったようであった。
この日、ミタン王国の先遣部隊であるスミトラの部隊は、ナービッドの三叉路まで到達していた。ここを右折すると、ゴルバーフへとつながっている。スミトラは先鋒であり、むろん本道のケルマーン・バム街道を進み始める。
ほぼ、同時刻、ナービッドの三叉路から一万ザル(約十キロメートル)ほど北北西の、ラフシャンザーン・パッグヘイン街道への分岐の三叉路に、サーマール率いる二千のクルダ部族の騎兵が到達していた。彼らはそのままラーイェン方面に消え、ケルマーン・バム街道からは外れていく。
あと一日サーマールが来るのが遅ければ、ここで両軍は遭遇戦を行っていたに違いない。だが、クルダ騎兵の神速はミタン王国軍より数段速かった。山間に消えた騎兵の姿は、もうミタン王国軍からは捉えられなかった。
そして、その六日後。
スミトラ軍は、マハン南で待ち受けるメフルダード軍六千と、あと一日で接敵しようかと言う地点まで進軍していた。斥候を放っていたスミトラは、帰還した哨戒部隊からマハン南にアーラーン王国騎兵隊の展開があることを知る。明日は、行軍の陣形を変えて進まねばならないであろう。
「敵の兵力は六千ほど、騎兵のみなのですね?」
浅黒い肌に黒檀のような強い眼光を輝かせ、スミトラは斥候を問い質した。
「間違いありません。アーラーンの王メフルザード率いるシャーサバン騎兵隊です」
スミトラは、当初敵と遭遇したら後続を待つ予定であった。ババールとアグハラーナが二軍、三軍として続いており、ナユールは別動隊としてゴルバーフへ、そしてケーシャヴァの本隊と最後尾にアクランティが続く陣容である。後続が追いつくのを待てば、余裕で勝てるのである。
だが、目の前に僅か六千で敵の総大将が出てきたとあっては、見逃すわけにもいかなかった。今回の遠征には、競争相手が多い。栄誉ある先鋒を担った者として、功績は十分に上げねばならなかった。
部下に野営の準備を始めさせると、スミトラは地形の確認に出かけた。西の山地から下りてきている稜線が、うねるように起伏を描きながら先まで進み、途切れている。暫くするとまたせりあがり始め、北の方に続いていっている。道はその間を通り、北西へと続いていっていた。
「まるで門のような……」
そうかもしれないとスミトラは思った。これはケルマーンへの門なのだ。そして、自分はその関門を潜るべき人間である、と。
北の方に目を向けると、珍しく緑の色彩が映った。赤茶けた砂と岩の大地を見続けてきたスミトラには、その緑は新鮮だった。だが、道はそちらへは続いていない。道なき岩山を馬で進むのは、遊牧民ではないミタン王国の民には厳しかった。
「ま、山間の少数民族の村だろう。対峙が長く続けば水を得られるかもしれないな」
しかし、まずは目の前の敵だ。夜襲も頭に入れないといけない。兵糧もナービッドの三叉路のあたりで一度後方から補給の輜重隊が届いたが、それからまた六日が経っている。部隊として携行してきている兵糧はあと四日分であるため、そろそろ追加の兵糧の輸送が必要であった。
「輸送が滞ったときのためにも、この先のマハンは確保しておきたいところだ。そうすれば、ケルマーンの喉もとに刃を突き付けられる。水や兵糧の徴発も少しはできるであろう」
スミトラの黒檀のごとき瞳に、西方の峰に沈んでいく夕日が映し出された。
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