第一章 赤毛の小娘 -10-

 サルヴェナーズを実力で下したアナスに、少なくとも正面から文句を言う者はいなくなった。ようやく、これで、軍議を進めることができる。ナーヒードはそう思ったが、生憎そう都合よくはいかなかった。


 サーラールが、アナスの軍議参加を主張したのだ。当然、イルシュの指揮官であるルジューワは反発した。第二騎兵大隊のアルデシルや、カシュガイ部族の族長であるバームダードまで難色を示した。だが、サーラールは平然と言い放った。


「おまえらの中で、アナスより役に立つやつがいるのかよ。敵の侵攻に対して、情報を持ってきたやつはいるのか?」


 役に立たん連中と幾ら話し合っても無駄な時間である。使えるやつなら呼べ。サーラールは、傲岸にそう嘯いた。


 急遽アナスは軍議に呼ばれることになった。当然、シャタハートを副官として帯同してきている。他の参加者も副官を帯同してきており、特に見咎められることはなかった。


「よく顔が出せたな、赤毛の小娘キジル・ドフタル


 ルジューワの憎々しい視線が、登場したアナスに向けられた。従兄とは思えないくらい似ていない。ルジューワは栗色の髪に榛色の瞳をしていた。アナスに比べると骨太で、いかつい猪のような体型をしている。


「あら、まだ生きていたのねバカ息子アーマグ・ペザル


 剣呑な雰囲気が漂ったが、国王メフルダードが卓を拳で叩くと静かになった。ナーヒードは胃痛を覚え、軍議が無事に終わることを願った。


「さて、始めたいと思う。すでに聞き及んでいると思うが、三日前、すでにミタン王国の軍はダルズィンに達しておる。その先は行軍には向かぬ山道であることを考えれば、早くて二週間、遅くても三週間から一か月後にはケルマーンの喉もとにあたるマハンに進出してくるであろう。基本方針としては、マハンで山道の出口を封鎖している間に、伸びた敵の隊列を横から叩くことで一致しておる。あとは、その具体的な方策じゃ」


 主な案としては、先にクルダ部族が山道に進撃して山間に潜み、敵が進軍してくるのを待って痛撃を加えると言うものであった。クルダ部族が潜む位置は、ケルマーン・バム街道をマハンから南東に進むこと五パラサング(約三十キロメートル)、ラーイェンとの分岐がある三叉路である。そこの近隣の崖の上に潜み、作戦目標が来たら突入するというものであった。


「問題があるわね」


 アナスは難しい顔をした。シャタハートも頷く。


「ケルマーン・バム街道だけを通ってくるとは限らないわ。こっちのシャーダード砂漠沿いの、ゴルバーフ・シャーダード街道にも、別動隊が回されるかもしれない。北上してスィルチから西に出て盆地に出られれば、マハンを迂回されてしまうわ」


 十分な時間と兵力があれば、ラーイェンからハザル山の南を回り込んで西に出て、メーシーズ、バーギーンと北東に進みケルマーンに至る道もなくはない。だが、そっちは倍以上の時間がかかる上にケルマーン・バム街道以上の山道を通る悪路である。大軍での進軍はまずないと言ってよかった。


「ゴルバーフ・シャーダード街道はケルマーン・バム街道以上に狭い。来たとしても一部隊がいいところだろう」


 地元ケルマーンの太守アフシャールの族長マフヤールが返す。腹が出始めてきた中年の小男で、軍事的な評価は高くないが、それなりに地元の情報には通しているようだ。


「ゴルバーフに一部隊を置いて足止め、念のためスィルチにも増援とケルマーンへの連絡用の小部隊を置けばよかろう」


 ナーヒードが地図上の二点を指差す。すると、カシュガイ部族のバームダードは慌てたように言った。


「マハンを薄くされるのは困るぞ。いま前線にいるのは、我らの二千だけだ。三万を超える軍を止めるのは不可能だ」


 髭を丁寧に整えたダンディーな中年だが、気は小さいらしかった。アナスは心の中で、残念なおじさん、と名付ける。


「歩兵の集結状況はどうなっているのだ。招集された各部族は騎兵しか連れてきていない。歩兵の用意は、王国の正規部隊が受け持っているのだろう?」

「三千強といったところだ。再編は急いでいる。王都からの主力兵団はまだ到着には時間がかかる」


 ナーヒードは残念そうに報告する。バームダードは渋面を作った。


「ならぱ、歩兵が到着するまで、ケルマーンに籠城すればいいではないか。敵の兵力はたかだか三万八千とか。城攻めができるほどの兵ではない」

「二万を超える兵が籠城するには、物資が足りないな。いまは流通が止まっていないから持っているが、商人が止まれば遠からず飢える。王都からの輸送は、歩兵の足より更に遅い。王都へと繋がるラフシャンザーン・パッグヘイン街道を切るわけにはいかん。ここの流通が切れれば、ケルマーンはいまの兵力だと半月持たない」


 そのあたりの情報は、フーリを通じてナーヒードは細かく把握していた。


「ゆえに、盆地に入る前のマハンでの足止めは必須になる。ここを突破されると、商人の動きが止まる。輜重が届くまで飢えたくなければ、ここの防衛線は重要だぞ」

「マハンの南に周囲を高地に囲まれた場所があるわ。村の中より、むしろ防衛線はそこがいいんじゃないかしら」


 実際に現地を見てきたアナスの目は確かだ。地図上のマハンの南東すぐの場所に、丸印が書き込まれる。


「本道はマハンで、支道はゴルバーフで止めるとして、配備はどうするの?」

「迂回路の兵力はそこまで多くはあるまい。ゴルバーフにカシュガイ部族の兵二千、スィルチにイルシュ部族の兵五百を詰めよう。アフシャール部族のマフヤール殿にはおのが城砦であるケルマーンの守備をお願いするとして、余はカシュガイ部族の代わりに一万でマハンで街道の封鎖を受け持とう。サーラール殿には、先の通り、ケルマーン・バム街道とサローエ・ラーイェン街道との分岐の近くで待機をしてもらう」


 国王メフルダードの判断には、さすがに異論を挟む者はいなかった。王自らが先頭に立って戦うと言っているのた。これでは逃げることはできない。


 後は、サーラールの作戦目標をどうするかであった。歩兵が到着するまでの時間稼ぎか、乾坤一擲で総大将を狙うか、それによって各部署の耐える時間も変わってくる。


「ちまちま考えずに、大将の首を取ってやればいいじゃないか。難しいことでもあるまい」


 サーラールならばやるかもしれない。クルダ部族は、アーラーンの諸部族の中でも勇猛果敢で知られる。多数を相手の敵中突破にも慣れているのだ。


 だが、何故かアナスは嫌な予感がした。言葉では説明できないが、敵の総指揮官ケーシャヴァを頭に浮かべたとき、何かちりちりした警報のようなものを感じたのだ。


「ケーシャヴァはそう容易い相手じゃないかもしれないわ……ただの勘だけれど」

「勘っておまえ……いや、おまえの感覚は侮れないかもしれねえな」


 他の誰が言っても、サーラールは気にも止めなかったであろう。だが、妻を撃ち破ったこの少女を侮ることはできなかった。傲岸不遜なこの男が、ちょっと考える様子を見せた。


「勘ごときで軍の行動を左右するわけにもいかんだろう」


 第二騎兵大隊のアルデシル将軍が口を挟んだ。アナスへの反感からであろう。禿げ爺、とアナスは口の中で呟いた。


「そうだな。結果として討ち漏らしても、敵を混乱させることにはなろう。出てきた六将を討つことが叶うかもしれない。まず、敵総大将の討ち取りを狙う、方針としてはこれでいいかもしれんな」


 どこか歯切れが悪そうに国王が決断を下した。これにより、ようやくアーラーン王国軍の防衛方針が決したのである。

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