六個目*兄妹とは……*
翌晩。
時刻は夜の七時。昨日のように静かな闇夜と、少しの風で舞う桜の花びらが拡がっていた。
学校から下校して一度帰宅した俺――
「……あ! 来ましたよ」
微笑むカナが告げた先には、水嶋啓介が革靴の音を経てずに歩み寄ってきた。
「よう……」
「君たち……また来てくれたのかい?」
不審というよりもどこか嬉しそうな様子だった、水嶋の兄貴。そこでジャージ姿の俺は早速、コイツを試す。
「俺の名前……フルネームで覚えたよな?」
「もちろんだよ。麻生さなぎくんだろ?」
「あぁ……」
予定通りの答えが返ってきた俺は怪しげな笑みを漏らし、得意気に兄貴を見つめ返す。
「――ちげぇよ。俺は、麻生やなぎだ」
「え!? でも昨日は確かに……」
「……言い訳は無用。間違いに変わりはない」
焦る兄貴の言葉尻を被せた俺は目を逸らし、真っ暗な道の奥を眺め始める。
「だから罰だ。もうそろそろ、アイツも来ると思うしな……」
「あ、あいつ?」
「来ましたよ」
俺と同じ方を見るカナの明るい声で、兄貴も不思議ながら首を曲げて背後を窺った。するとそこには時間通り、一人の人間が革靴の足音を経てて近寄ってくる。
よし、来た来た。
「まさか……」
どうやら兄貴も気づいたようだ。俺は確信した瞬間に、来訪者の名を声に乗せる。
「水嶋~、こっちだ」
「れ、
驚いた兄貴が一歩前に出て
「な、なに? 話があるって……しかも、この場所で……」
たどり着いた水嶋は挙動不審に映ったが、俺は自信を持って、目の前にいる水嶋啓介に人差し指を向ける。
「話があるのは、俺じゃない……お前だろ?」
「……」
おや……?
俺は確かに水嶋の兄貴に指を差しているのだが、霊感無き者から見れば、水嶋麗那に指が向かっていた。
すると水嶋は
「どういう意味? もしかして、告白しろってこと!? やっぱ麻生くん、ドエスなところあるよね~」
「いや、そんなんじゃねぇよ!! あれラブレターじゃねぇし!」
まぁドエムよりかは良いけどさ……男として。
つい感情的になってしまった俺は一度場を整えようと、咳払いをしてから水嶋に顔向けする。
「お前の兄貴……いるんだ……」
「え!? どこに!?」
言うまでもなく霊感を持たない水嶋は、辺りをキョロキョロとして探していた。
「目の前だよ……」
一方で当たり前のように霊感を備える俺は、水嶋の兄貴に近づき、背後から肩に手を置こうとした。が、幽霊のせいか手がすり抜けてしまったため、再び人差し指を立てて知らせる。
「あ、麻生くん!?」
突発的に叫んだ兄貴は、俺を叱るように顔を近づけてきた。
「ど、どうしてこんなこと!? 望んでいないと言ったじゃないか!?」
「仏の顔も三度までって、言っただろ? その罰だ」
「そ、そんなぁ……」
意気消沈とした兄貴の背中は丸まってしまい、どれほど嫌な罰なのかがわかる。だが……。
「――それに、望んでないって、本当にか?」
「――!」
兄妹の間に移動した俺の囁きで、啓介の口は固まり、目覚めたように振り返る。すると調度、妹の水嶋麗那と顔を会わせることができ、俺は安堵のため息を漏らすことができた。
予習した通り、事は上手く運べたようだ。
「さぁ水嶋。俺が通訳するから、早く話しな」
「本当に、いるの? 兄さん……」
水嶋麗那の表情からはまだ納得できていない様子が窺われ、対面している水嶋啓介も苦い顔を俺に向ける。
「ぼくがここにいるなんて、信じてくれないよ……」
「どうした? 話さないなら、俺は帰るぞ」
だが俺は後ろの兄貴には振り向かず、前の水嶋にだけを見て言葉を発した。
「わ、わかったわよ……ねぇ、兄さん……」
そしてやっと、水嶋の口が兄貴に向かって開かれた。
「いるなら……聞いてほしいことがあるの」
「……」
「黙ってる」
通訳者として水嶋啓介の様子を伝えると、水嶋麗那は申し訳なさそうに俯く。
「兄さん、あのときはごめんなさい。バカなわたしの為に、あっちこっち探し回ってくれたんだよね……」
「……」
「まだ黙ってる」
お前が話さなきゃ、俺の存在意義がないでないか。
俺は水嶋兄にそう叱りつけようと思ったが、ここは大人らしく空気を読んで気持ちを鎮めた。
「ねぇ、兄さん……?」
再び繰り返す水嶋だが、今度は目線が上がり、温度を保った瞳を向けていた。視えないだけに視点は少しズレていたが、少なくとも水嶋兄は妹の目を受け止めている。
「兄さんが亡くなったときから、わたしは兄さんのようになろうと思ったの。そのおかげで、わたしは兄さんと同じ生徒会長になれたの。だから、感謝してるわ」
「……嘘だよ……」
「嘘だよ……だって」
やっと口を開いた水嶋の兄貴は悔しそうに歯軋りを視せていたが、俺はそこまで伝えたくなかった。
さて、いよいよ気が散ると思うから、ここからは俺の通訳文章無しで読んでいただきたい。
「え? どうして?」
「ぼくは、麗那の夢を潰したんだ……だから、感謝されるような人間じゃない……」
「兄さん……」
両手を握り拳に変えた啓介は声を震わせ、次第に感情的になっていく。
「麗那が本気で目指そうとしていた夢を……ぼくは、見向きもせずに潰したんだんだ……」
愛する妹の夢を否定し、顔を上げられなくなった兄の瞳からは、ついに一筋の雨粒が落ち、アスファルトの地面に落ちる。しかし幽霊であるせいか、跡は残らず、一瞬で蒸発したかのように消えていた。
「ぼくは、充分悪霊だよ……」
罪悪感による涙を流すようになった水嶋啓介の言葉で、兄妹の間には一時の沈黙が訪れる。兄貴の言った通り、コイツがしでかしたことは罪に等しく、今は悪霊と言われても何ら差し支えない。
第三者として、俺はそう思っていたが……。
「――そんなことないよ。お兄、さん……」
「――!」
水嶋麗那の温かく相手を包むような言葉に、水嶋啓介は驚きと泣き顔を上げた。
僅かな春風も吹いてきた桜の木の下で、時間を取り戻したかのように花びらが舞う。
「どうして?」
「だって、わたしは今、幸せだから」
「幸せ……?」
返ってくるはずのない言葉が返ってきてしまった様子の兄は、首すら傾けなかった。一方で妹は、頬を緩ませながら頷く。
「確かにわたしは、アイドルに本気でなりたかった。人を喜ばせる、幸せを運ぶようなアイドルに」
他者にヤル気や元気を与えたい。
どうやらそれが、水嶋麗那が叶えたかった願いのようだ。
通訳をしながらも水嶋の言葉をしっかり聞いている俺はそう思っていると、亡き兄への言葉が紡がれる。
「でもね、兄さんのおかげで、新しい視点を見つけたの」
「視点?」
兄の涙目と、満ちた妹の光る瞳が交差する。
「そう。あるときね、クラスの子に勉強でわからないところを教えたら、その子は理解できて、ありがとうって、すごく喜んでくれたんだ!」
むしろ自分自身が最も歓喜している様子の水嶋は、声量を少し下げる。
「そのとき、わたしは勉強しててよかった……そう思うようになったの。兄さんが叱ってまで、わたしに言ってたことを、改めて実感したの」
「麗那……」
「つまりね、兄さんは……」
泣き止まない兄の前で、妹は一度瞳を閉じる。それは心からの秘めたる想いを放つ準備をしているようだった。長きに渡って伝えられなかったことを、今ここで。
そして水嶋の、外灯で照らされ輝く桜の花びらを映した、
「――わたしの夢を、ある意味叶えてくれたんだよ。これでも、感謝しちゃダメかな?」
夜桜に見舞われた水嶋麗那は、無邪気な笑顔で答えた。細い首を少しだけ傾けながら。
それに対して水嶋兄の目からはやはり、大粒の涙が次々に流れていた。
「……麗那、ありがと……ありがとうぅ……」
流した
通訳する側としてはなかなか迷惑だったが、俺は一字一句しっかりと妹に伝えてやると、兄貴はまだ瞳に潤みを残しながら喉を鳴らす。
「麗那、ぼくの話も聞いてほしい」
「なに? 兄さん」
真剣さながらの兄貴に、妹は嬉しそうに微笑み問う。
「ぼくは、麗那のことを全くわかっていなかった。でも、麗那はこんなぼくを、兄さんと呼んでくれている……だから、ぼくも幸せだ。麗那が妹で、ホントによかったよ……」
「お兄、さん……」
笑っていた水嶋麗那にも伝染が始まり、瞳に更なる煌めきが増していた。それはもちろん、今にも泣き出しそうに揺れ輝く、二つの目である。
「麗那の幸せこそが、ぼくの幸せだ。本当にありがとう」
「わたしだって、そうだよ……大好き」
「麗那……ぼくもだ。大好きだよ」
桜の花びらだけでなく涙にも見舞われた二人。それぞれの口から“大好き”が飛び交う。
シスコン? それとも……?
おいおい、恋愛と親愛をいっしょにするなよ。コイツらが言っているのは、間違いなく後者の方だ。親しき者に宿る礼儀を備えた、コイツらがさ。
通訳している俺は兄貴と共に、水嶋妹の返しを待ち構えていた。するとついに、妹の頬からも涙が地面に
「うぅ……」
表情は次第にクシャクシャになっていき、優しい雨は止まらない。そして水嶋の抱いていた想いも、やっと行き届く。
「――ありがと! お兄ちゃん!!」
人気が皆無な夜の通学路。外灯と桜が包んだ一つの世界にて、一人と一匹の心には、やっと開花の
ちょっと、遅咲きだけどな。
「麻生くん……」
すると水嶋啓介は
「ぼくは、成仏してもらうことにするよ」
出会った当初は暗く病んでいたように視えたが、今はそれを全く感じさせない明々たる表情だった。
「いいのかよ? お前の存在自体、消えるんだぞ?」
コトダマを集めなければ、無事に天国には逝けない。
カナから幽霊事情を知った俺は決断を止めようとしたが、笑顔の兄貴は静かに頷く。
「――こんな気持ちで消えれるなら、本望だよ」
「……そうか。わかった」
俺はそう告げると、春風と外灯を浴びる水嶋麗那に振り向く。
「水嶋。兄貴から最後のお願いだ」
「うん……なに、お兄ちゃん?」
水嶋は袖で涙を拭き取り、兄ととてもよく似た笑顔を示す。
「兄貴を神社まで連れて、成仏してあげてくれ」
「え……それって、もう会えないってこと?」
「……会えるさ。またきっとな」
俺は、嘘をついた。
大嫌いな、人の
「麻生くん……どうしてそんな嘘を……」
啓介は困ったように言ったが、俺は兄貴に答ず、水嶋麗那の返答を待ち続けた。
「うん。わかった。行こ、お兄ちゃん」
開花を迎えたアスファルトの道中、俺たち二人と二匹は静かに、この場を去ったのだ。
***
小清水神社前。
水嶋兄妹の想い交換を終えてから一時間後。俺たちは、小清水神社の鳥居の前に来ていた。
「こんな時間だけど、大丈夫かしら?」
「小清水には伝えてある。心配ない」
むしろアイツに気を遣うだけ無駄だ。今回何もしなかった冷たいヤツなのだから。
「ここから先は、自分だけで行け。それで兄貴を成仏させてやってくれよ」
このまま俺も鳥居を潜れば、取り憑いたカナまで出られなくなってしまう。だから俺は水嶋麗那だけに、兄貴の最後を見届けてもらうことにしたのだ。
「うん。お兄ちゃん、行こう」
水嶋兄妹の並んだ背中が映し出され、徐々に赤い鳥居へと向かっていく。
「麻生くん!」
しかし兄の啓介は立ち止まり、俺に振り向いて微笑みを視せる。
「――ホントに、御世話になったね。心から、ありがと」
「……」
俺は返答しなかった。ただ、水嶋が鳥居を潜るのを眺めているだけだ。
「麻生くん!」
すると今度は、妹の水嶋麗那が俺の方に笑顔を放つ。流した涙の跡が残っていたが、悲しみは皆目見当たらない素顔で。
「――ホントに、御世話になったね。心から、ありがと」
「――っ! ……いいから、早く行ってこい」
俺は思わず驚いてしまった。水嶋の台詞に――いや、この兄妹の言葉に。
――まったく同じだったからだ。仲介を果たした俺への、感謝の言葉が。
ただ俺はぶっきらぼうに言い放つと、水嶋は子どもっぽく笑い返し、ゆっくり鳥居を潜る。一方で隣を歩く兄貴にも変化が訪れ、青年の姿は一つの発光球体――オーブとなっていた。
鳥居から遠のき、階段を上っていく人間と幽霊。上りきったところで、ついに兄妹の姿はそれぞれ、見えなくなり、視えなくなった。
「やなぎさん、お疲れさまでした」
「まったく……疲れた疲れた」
隣で頬を浮かせるカナに、俺は気だるくため息を吐いた。腕時計を覗けば時刻はもうじき九時を指す。今日分はもちろん、明日の授業の準備だってまだなのだ。今夜は徹夜になりそうだと考えると、手当をいただきたいあまりである。
「ところで、やなぎさん……?」
ふとカナは疑問を投げ掛け、疲弊した俺を振り向かす。
「やなぎさんはどうして、水嶋さんたち二人を会わせたのですか? お兄さんの方は会いたくないって言ってましたのに……」
それは言うまでもなく、罰として会わせた。だが、俺にはもう一つ理由があったため、得意気に鼻で笑う。
「アイツは、そんなこと思ってなかったからだよ」
瞳を丸くしたカナに見つめられながら、俺は鳥居に背を向けて春の夜空を眺める。
「会う資格がないっていうのは、会いたいけど会うべきではないってことなんだ」
要するに水嶋啓介だって、妹の水嶋麗那と会いたかったのだ。自身の想いに背いた発言をしていたにも関わらず。
「本心をなかなか表せないが、お互いが相手を思いやっている。いつも近くにいるのに、目の前では素直になれない。他の誰よりも想いを届けることが難しい関係……」
春の変わりやすい天気のように、揺らぐ気持ち。
それを確かに知っている俺は、隣で宙に浮くカナに顔を向けする。
「――
「――っ! ……フフ、そうですね。やなぎさん」
「はぁ?」
まるで兄妹関係をわかっているかのように返したカナが意外だったが、どうせコイツの天然能力による演技に違いない。
再び星が輝く夜空に視点を戻し、俺はカナと共に水嶋麗那の帰りを待つことにした。ハッピーエンドなのかバッドエンドなのか、賛否両論を迎えるだろう。
だが、せめて水嶋が笑顔で帰ってくることだけを、俺は期待した。
こんな感じで、主人公やってくからな……。
―――――――――――――――――――
四月二十三日、午後八時五十七分。
妹――
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