四個目*ゲイ疑惑*

 人間という生き物は実に恐ろしい。


 自分の力では叶わない望みを知ると、それを他人の力で解決しようとたくらむ。自分の望みのためなら、普通では考えられないこと、どんな無茶ぶりすらも、相手に平気で投げ掛けてくるのだ。それが叶わなかったら、絶縁の関係になることだってあるからまた理不尽なものだ。

 特に頭が良さそうなヤツほど言ってくる傾向があるため、一般ぴーぽーからしたら厄介な事故である。いや、刑事裁判に発展する事件と共に部類した方が、俺は適切に感じてならない。

 さすがは悪の化身――人間だ。今まで仮初めの姿を演じ、改めて正体を表すときの瞬間は、何とも恐ろしく形容し難い、身が凍る思いだ。


 そして今、俺――麻生あそうやなぎは放課後の昇降口で、事件に巻き込まれていた。犯人はもちろん水嶋みずしま麗那れいなで、いかにも真面目な表情を俺にぶつけている。


「……は、はあ?」


 困った俺は思わず聞き返すように呟いてしまったが、決して水嶋の願いが聞こえなかった訳ではない。



「だから、その……死んだ兄さんに会いたいの!」



 クラス委員長及び生徒会長である水嶋麗那だとは思えない発言だった。何をファンタジー染みたことを放っているのだろうか? 俺らが住むこの世界は、ありふれた現実世界だというのに。


「水嶋……お前、バカか?」


 俺は思わずそっ気なく言ってしまうが、正直な想いに後悔はなかった。


「わたしは、真剣よ!! だからお願い、麻生くん!」


 しかし、両目をかたくなにつむり両手を合わせる水嶋からは、確かに嘘はついていないようだ。が、俺は馬鹿馬鹿しいとしか感じられず、呆れたため息を漏らし背を向ける。


「俺には、無理だと思う……」


 というか、こんな肩荷を重くさせる案件を引き受ける気がなかったのだ。そこで俺は再び、水嶋を引き離すためにも、この場をやりきる言い訳を探す。


「……第一、そういうのは小清水こしみずに言えよ。アイツは神社で修行してるし、神職の息子なんだから……」


 小清水こしみずとは、俺と昔からの知り合いである同級生――小清水こしみず千萩せんしゅうのことである。

 小清水の家は神社を経営しており、神職の息子として、現在は学校を休みがちになりながらも後を継ごうとしている。まぁ、俺はアイツと仲が良い訳ではないのだがな。


「俺なんかより、アイツの方がずっと頼りになるはずだ……」


 成仏する霊媒師としても活躍する神職。ならば幽霊のことだって詳しいはずだ。

 俺は立派な言い逃れを告げたところで、残念そうなカナがいる玄関へと出向こうとした。



「小清水くんでは、ダメなの!」



 水嶋による槍のような言葉が背に突き刺さった俺は、無意識ながら足を止めてしまった。なぜ小清水に頼ろうとしないのだろうか。もしかすると、俺のようにアイツを嫌っているのか?

 俺は共通点がありそうな水嶋につい振り返ると、暗く俯いた姿が目に映る。


「もちろん、彼にも相談したわ。今の麻生くんと同じように。でも……」


 すると水嶋は顔を上げるが、その表情から曇りは晴れていなかった。



「わたしの兄さんには、近づくなって……言われたの……」



 再び下を向いてしまった水嶋は、力が抜け落ちたかのように、握り締めていたスカートの裾を重力にまかす。

 やはり小清水は酷い人間だ。死んだとはいえ、兄と妹を会わせぬ気でいるのだから。しかし、なぜ小清水は二人を会わせようとしないのか、俺には正直わからなかった。別に幽霊と人間を会わせても、大した問題などないはずなのに。


「理由は?」

「悪霊だからって……」

「え……?」


 昨日からよく耳にしている単語を呟いた水嶋は僅かに俺へ顔を上げる。だが目線は下がったままで、より憂鬱さが伝わってきた。


「兄さんは悪霊だから、近づくなって言われたの。兄さんの死因を、説明しただけなのに……」


 悪霊と死因の関係といえば、確かカナからも聞いている。幽霊たちは命を全うしなければ、この世に魂として残され、天国に逝くためには四十四個のコトダマ集めを強いられる。その集め方は主に人間を驚かすことで、少なくとも害を与えている悪霊だ。


「ちなみに、死因はなんだ?」


 身体ごと振り向いた俺は問うと、水嶋の華奢きゃしゃな肩が少し落ちる。


「兄さんは、わたしが小学三年生のときに、交通事故にったの……」

「交通事故……」


 俺は、静かに呟くと、隣に寄ってきたカナの顔に横目を投げる。


「事故死なら、魂はこの世にいる可能性が高いです……」


 カナは残念そうに言い、水嶋の兄貴が悪霊になっている可能性すらも感じているようだ。まったく幽霊もかわいそうなものだ。存在自体ですぐ悪霊とさげすまれてしまうのだから。


「そうか……そもそも、なんで兄貴に会いたいんだよ?」


 ただただ会いたいだけなのだろうか。

 分かりきった質問を投げたつもりだが、すると再度水嶋は、陰鬱な表情が変わらないまま頷き返す。


「実は、兄さんが亡くなった日、わたしと些細なことで喧嘩をしてしまったの。それを、謝りたくて……」

「さすが生徒会長……相変わらず律儀りちぎなこった」


 死んだ者に対しても、しっかり謝罪の意を表することを思っていたとは。

 相手を褒めることなど、一匹狼の末裔まつえいとして生きてる俺にとっては珍しいことだ。恐らく金輪際こんりんざいは皆無だろう。



「でね? 麻生くん、これ……」



 すると水嶋は俺の前に駆け寄り、胸ポケットから男の全身写真を出して見せてきた。


「……彼氏?」

「兄さんなの。この顔を視たら、教えてほしい」

「お、おい!」


 水嶋の両手は、同い年くらいの微笑んだ青年の一枚写真を、無理矢理俺の手に握らせた。どうやらコイツは強制的に捜索させる気のようだ。


「お願いします。麻生やなぎくん」


 由緒正しき生徒会長である水嶋は俺なんかに頭を下げ、自身のポニーテールを真逆に垂らし始めた。そんなことされても困るのだが。


「……視たら、な」


 気不味くていれたものではなかった俺は、ただそれだけ言い残し、ようやく猫背を向けて昇降口から出ていった。



 ***



「しっかし参ったなぁ……」

 校門から出て、人気の少ない歩道を歩いている俺は、水嶋からもらった写真に悩ましい顔を見せていた。その写真には、笹浦一高の制服を纏った青年男子が一人写っており、短髪でスラッと伸ばした身からは、何とも礼儀ある社会人のようにも受け取れる。カメラ目線で優しく笑っている表情からも、彼の人柄の良さが垣間見える。


「なかなかカッコいい御方ですね。綺麗な水嶋さんと似て、とても爽やかに拝見されます」


 隣で宙に浮くカナは写真を覗いて明るく言っていたが、俺に伝染することはなかった。


「会いたい……なんて言われてもなぁ……」


 いくら幽霊が視える俺であっても探偵ではないため、今現在彼がどこにいるかまではわからない。


「なぁカナ? コイツはまだ、この世にいると思うか?」

「それに関しては、わたくしもわかりません。言霊を集め終わっているかもしれませんに、成仏されてるかもしれませんし……」

「そうだよなぁ……」


 俺は悩ましいため息を写真の男に当ててしまう。

 居場所、それに消息だって不明なのだ。このまま水嶋には、いないとテキトーな嘘を並べるべきなのかもしれない。もしかしたら小清水も、俺と同じように捜索をしたくなかったのだろうか。


「コイツ……」


 面倒事を忌み嫌う俺だって、できるのならばそっぽを向いて無視したい。しかしそう思いながらも、つい写真の男を見続けながら足を動かしていた。

 もちろん俺は同性愛など抱いていない。だからと言って、異性の水嶋のために一肌脱ごうなどとも思っていない。ただ目の前で微笑み語る優しげな若者に、静かながら気を置いていた。



――どっかで、視たような気がするんだよなぁ……。



 容姿といい顔といい、俺はこの青年を以前に視かけた気がしていたのだ。だがそれはずいぶん昔の話であるため、記憶は曖昧で不確かな信実に過ぎない。

 名前だってわからない、優しげな若者。妹である水嶋が喧嘩するなど想像もできないほど、穏やかな表情で笑っている。


「……チッ、試しに行ってみるか……」


 舌打ちを鳴らした俺は、城へと延びる一本道から逸れて、ここ最近は歩まない細い道に身体を向ける。


「どこかに出かけるのですか?」

「小清水神社に行く。あまり気は乗らないんだけどな」

「じ、神社!?」


 カナは突如立ち止まり、この世の終わりかと思わせる顔をしていた。まさか成仏されるとでも感じたのだろうか。


「お前を成仏しようなんて思ってねぇよ……今は」

「そ、そうですか。よかったぁ……」


 どうやら最後の言葉までしっかり聞いていない様子のカナは、ホッと胸を撫で下ろして歩き出した。時に人の話は最後まで聞かない方が、アホ共には反って幸せらしい。


「ところで、小清水神社ですか? 確か学校で、水嶋さんと話していたときも聞いたような……」

「ああ。小清水こしみずっていう嫌な男に、少し聞きたいことがあるからな」

「小清水、さん……?」


 カナは首を傾げていたが、俺は視向きしないまま頷く。


「アイツの家は神社でな。将来後継ぎとして、神主を目指してるんだと……」

「ほう!! そんな御方もいらしたのですね!! 要チェックです!」


 俺は別に人脈に富んでいる訳ではないが、感心するカナを無視しながら小清水神社へと歩き進んでいった。



 ***



 数分後。

 俺たちは目指していた小清水神社の入口に着いた。斜め上には赤く大きな鳥居がそびえ立ち、さらに奥にある神社本体は高台に位置しているため、前には長い石階段が延ばされている。

 平日の夕方であるこの時間では、人もほとんど見当たらないため、静閑とした社内は神聖という言葉に相応ふさわしく、久々に訪れた俺も少しばかり足がすくんでいた。


「立派な神社ですね!! ちゃんと手入れをしているのが伝わってきます!」

「とりあえず、行くか……」


 俺は重い足取りのままだったが、目の前の鳥居を潜ろうとした。


「ま、待ってください!!」

「はあ? なんだよ?」


 しかし突如悲鳴を上げたカナに停止させられ、無視し続けていたアホ霊に振り向く。


「実はこの先、わたくしは行けないんです……」


 スカートの裾を握り俯くカナからは、幼い女子のもどかしさが視て取れる。


「……幽霊にとって神社は、やっぱマズイのか?」


 成仏の話を聞いた限りだと、コイツらにとって神社とは、俺たち人間でいう処刑場と似ているに違いない。まぁ今の時代はそんな禍々まがまがしい場所はなく、共感する者がいたら警察沙汰なのだがな。

 するとカナは上げづらそうな顔を俺に向け始め、眉をハの字にしながら口を開ける。


「はい。鳥居には結界が張ってあります。わたくしたち霊が一度潜ったら、二度と外に出られないようになってるんです」

「……で、俺に取り憑いてるから、行くなってことか?」

「はい……」

「霊に憑かれるのも、色々と不便だなぁ……」


 鳥居を潜れないのならば致し方ない。そもそも入りたくはなかった俺は素直に、小清水神社に背を向けて帰ろうとした。




「――どこの誰かと思ったらお前か! 麻生やなぎ」




 刹那、後方から男の呼び止めをくらってしまい、俺のため息は再び放たれる。会わずに済むと思ったのに……。

 俺は渋々振り返り、いつの間にか鳥居の前まで来ていた男の顔に、受け付けない冷徹な視線を送った。



「よう、小清水こしみず不良少年……」

「好きで学校休んでる訳じゃない!」



 俺の冷やかしにまんまと声を荒げた男――それは小清水こしみず千萩せんしゅうだ。俺と同い年でありながら質素な白い袴姿で、ホウキを手に持ちながら長髪を後頭部で纏め、他校の女子生徒の心すら射殺す鋭い目付きをしていた。

 やっぱ嫌いだわ……。


「突然来て、何のようだ? ……ん?」


 俺に不審目を向ける小清水だが、ふと何かに気づいたように近寄ってくる。


「徐霊か? お前、悪霊のニオイがするぞ?」

「ヒャ!!」


 背後でカナの怯えた声が鳴らされたが、俺はあまり心配していなかった。小清水の瞳は常に俺へと向けられているため、カナの姿は視えていない様子が窺えたからだ。だがニオイだけで悪霊の存在を判断できる辺りは、ちゃんと神職やっているらしい。


「いや、気のせいだ。それよりも、お前に聞きたいことがある」


 さっさと本題に移るため話を逸らした俺は早速、水嶋からもらった一枚の写真を取り出し、小清水の前にさらけ出す。


「……この男について、聞きたいことがあるんだ」

「水嶋の兄貴か……以前にオレも、見せられたな」


 写真を見ながら呟いた小清水だが、以前として鋭い面構えのままだった。しかし話が省けて助かる。


「じゃあ、コイツを視たことはあるか?」


 ダメ元で聞いてはみたが、やはり小清水からは呆れたようにため息を吐かれ、目を逸らされる。


「ある訳ないだろ。オレたち神職は、お祓いなんかはできるが、霊の顔を視ることができるのは、ホンの一部だ。だいたいアイツらはここに来ると、オーブでしか活動できなくなるらしいからな」


 オーブとは、言わば鬼火のような球体のことである。心霊写真によく映り込む、雨粒のようなアレだ。

 どうやら小清水の話だと、社内に入った幽霊は人の姿ではいられないらしい。


「そうか……わかった」


 手掛かりが掴めなかった俺は静かに、写真を制服の内ポケットにしまい込む。どうやら自分の霊感を駆使して探さなければいけないようだ。


「探すつもりか?」

「どうだろうな……迷ってるところだ」


 俺は小清水に背を向けて呟く。すると、突如肩に手を置かれた感触が走り、歩もうとした両足を制止させられる。


「小清水……」


 振り返るとやはり、それは小清水の手であることが確認できた。共に見えた表情はさっきまで険しい顔とほとんど変わっていなかったが、人を寄せ付けない様子ではなく、心からの真面目さを貫く眉間のしわが浮きだっていた。


「水嶋にも言ったが、ソイツは悪霊になってる可能性が高い。人間であるお前にも、危害を加えかねないんだぞ?」


 ……だからって肩を掴まなくても。


 小清水にゲイ疑惑を抱き始めた俺は呆気に取られていたが、すぐに言葉をつむがれる。


「悪いことは言わん。この件は、断るべきだ。水嶋の想いもわかるが、だからってお前が危険に飛び込むことはないはずだ」


 ……やっぱコイツ、ゲイだな。


 確信に変わった俺には我慢の限界が訪れ、目を逸らして小清水の手を振り払った。乙女心よりも男の身を案じる辺り、コイツは間違いない。同じ種族だと思われる前に、ここをとっとと去ろう。


「やなぎ!」

「なぁ小清水……」


 余りのしつこさを感じた俺は歩みを止め、小清水を突き放すことを考える。


「確かに悪霊の恐ろしさは、神職のお前の方がよく知っているはずだ。別にその意見に反対するつもりはない。でもな……」


 俺は正面にいたカナの素顔を覗く。



「これは、俺独自の視解けんかいだがな……」



 見つめたカナからはまばたきを繰り返されたが、俺は背後に横目を向けて、今度は漠然と立っていた小清水に半顔を放つ。




「――悪霊だって、みんながみんな恐ろしい訳ではないらしいぞ?」




「……そ、そんなことある訳ない!」

 後退りを見せた小清水だが、俺の意見なんか全くみ取らない様子で身構えていた。やたらと悪霊を否定するからには、コイツにもそれなりの理由があるようだ。まぁ無理もないよな。だって、お前の両親は確か、悪霊に……。



――だが、俺にだって目に視えた証拠がある。



 俺は再びカナに視線を戻すと、静かながら嬉しそうに微笑んだ表情が目に映った。コイツだって幽霊――人間を驚かさなければ天国に逝けない悪霊の一匹だ。全然恐くないし、驚かす気も視当たらない。増してや怖さの無さに驚かされるばかりだ。



 幽霊だって、人間とあまり変わらない気がする。



 もしかしたら、水嶋の兄貴だって。



 霊感がある者として感じた俺は両手をズボンポケットに入れ、前に走る道を見つめる。


「じゃあな……」

「勝手にしろ……」


 小清水からは刺々しい言葉を吐かれたが、背に受けた俺はそのまま、カナと共に城へと帰還した。



 ***


城にたどり着いた俺たち一人と一匹。

 重苦しい制服からジャージに着替えた俺は机の椅子に座り、再び水嶋からもらった写真の男を眺めていた。


「う~ん……やっぱどっかで……」

「あの、やなぎさん……?」


 すると、終始夏服制服のカナに呼ばれる。振り向いて視ると、昨晩出会ったときの如く正座をしており、妙な堅苦しさを際立たせていた。


「お聞きしたいことがあるのですが……」

「なんだよ? 大した質問でなけらば却下だ」


 俺は写真を握りながら返すと、カナは上目使いのまま口を開ける。



「やなぎさんはその、いつから幽霊を視ることが、できるようになったのですか?」



「……」

 俺は黙り込んでしまう。周りから嫌われている理由の原点など、思い出したくなかったからだ。


「え、あ! ごめんなさい!! 変なことを申し上げて!! いやー今日は楽しかったです!! 学園生活とは良いものですよね!! あははは!!」

「小三のときだ……」

「え?」


 俺はカナから目を逸らしたが、どうせやかましいコイツからは今後も聞かれることだろうと思い、仕方なく、思い出さない程度に過去を明かすことにした。


「小三のとき、俺は小清水と神社で遊んでたんだ……」

「さっきのイケメンと、ですか?」


 背後から相槌を打つカナにも助けられ、俺はコクりと頷く。


「俺たちはよく、神社の階段とか、やしろの中を駆け回ったりして遊んでいた。だがそんなある日、俺の世界が変わってしまったんだ」

「変わった……?」


 気が乗ってきた訳ではないが、俺はイスを回転させてカナに身体を向ける。


「そのときは、しめ縄で巻かれた木を登って、カブトムシをろうとしてたんだ」

「やなぎさん、意外とワンパク少年だったのですね」


 カナは小さく驚いていたが、確かにあの日の俺は、今の自分とは大きく異なった別人格の人間に思える。毎日小清水と遊んでいたことさえ、我ながらうたぐり深いものだ。

 しかしその人格が変わったのも、その日が始まりだった。


「ひょんな事で、俺はその木の葉っぱを目に擦り付けたんだ。そしたら……」

「そしたら……どうだったんですか?」


 俯いた俺をなぐさめるようにカナが囁くと、俺はゆっくり顔を上げる。


「最初は何も変化はなかった……いや、気づいてなかっただけかもしれない」


 見える世界が変わるのは大概、ある程度の時間が経ってから感じるものだ。が、視える世界が変わってしまった俺は原因を知りながらも、果たしていつから変化したのかまでは定かでない。


「それで次の日。晴れた朝に登校したとき、俺のもとに血相悪い男が寄って来たんだ。その男は記憶がないと俺に言ってきてな。まぁ、どうしようもなかったから、周りにいた生徒たちにも聞いてみたんだ。この男を知ってるかって。そしたら、周りのみんなはキョロキョロし出して、一度も男に目を当てることはなかったんだ」

「じゃあ、その御方は……」


 早くもカナは気づいてくれた様子で、丸い瞳を大きく開けていた。

 話がスムーズに進めて楽だった俺も頷き、カナの目を視る。



「――お前と同じ、幽霊だったんだ。晴れていたのに影が無かったことが、何よりの証拠だったんだ」



 思い返せばソイツが、俺が初めて目にした幽霊だった。見た目は人間とまったく同じだけに、すぐに識別することができなかったのだ。


「もちろん俺はそのとき、まだソイツが幽霊ってわかっていなかった。それで周りにしつこく言っちまったら、その日で校内中に、俺は幽霊が視える変なヤツっていう噂が流れた」


 視える世界が変わり始めた瞬間、俺の見える世界も変化し始めた。


「……一緒にいたら呪われるとか、隣にいたら霊に憑かれるとか、とりあえず周囲からは避けられるようになった……」


 所詮小学生の考えるような理由だ。根拠も無ければ、道理も繋がっていない。たちの悪いでっち上げな風評被害だった。


「そして今に至るって訳だ……」

「やなぎ、さん……」


 何とか下を向かず話し通すことができたが、カナが悲しい顔をしていたことに気づいたのは、終わってからのことだった。


「どうだ? これが、俺がひとりになった理由だ……」


 俺は自嘲気味に笑いながら、イスをもとの位置に回転させて、カナに背を向ける。正直こんないい加減な噂が、今の今まで続くとは意外だった。おかげで中学高校と、友だちもできなければ同級生と会話をした経験もほとんど思い浮かばない。強いて言うなれば、高校一年から同じ担任であるヤツぐらいだろう。


「……ちなみに、その幽霊はどうしたのですか?」


 話を掘り下げてきたカナだが、俺は真面目に話す気がめっきり失せてしまい、もちろん振り向かなかった。


「さぁ。どっか行っちまったなぁ。まったく酷い話だ。アイツが俺の前に現れ、て……ん?」

「どうしたのですか?」


 もしかしてと思った俺はすぐ、手に持っていた写真をマジマジと眺め始める。



「そっか、あのときの幽霊って……」



 微笑んだ表情からは気づけなかった。が、このスーツ、この髪型を見る限り、俺は初めて遭遇した幽霊の正体がわかり立ち上がる。



「――コイツだったんだ……」



「え?」

 カナから不思議めいた声を受けると、俺は瞬時に振り向き、見せつける写真の男に指を差す。


「間違いない! 俺が初めて遭遇した幽霊は、水嶋の兄貴だったんだよ!」

「ほ、本当ですか!?」


 驚いたカナもついに立ち上がる。


「でしたら、その出会った場所に行けば、御兄さんに会えるかもしれません!! 水嶋さんのためにも、行ってみましょう!!」


 両拳の甲を放ちながら叫んだカナ。一分一秒を急かすように顔を近づけていた。

 面倒事など嫌いな俺としては、いつもなら興味など向かず無視しているところだ。が、今回ばかりはそうでなく、水嶋の兄貴写真をポケットにしまい込む。


「チッ、行ってみるか……」


 気づいてしまったからには、行ってみるしかないようだ。何せ俺は、水嶋に約束ごと染みたことを言ってしまったのだから。



“「……視たら、な」”



 口は災いのもととはよく言ったものだ。たった一言が、俺にこんな苦労をゆだねるのだから。

 それに何よりも、俺は嘘が大嫌いだ。つかれることはもちろん、つくことも。

 水嶋の兄貴を一度視ている俺は、早速玄関に出て施錠をし、当時遭遇した場所へと、真実に気づくよう促したカナと共に向かった。

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