五個目*離婚までさせなくてもッ!!*


 時刻は夜の八時。この笹浦市も真っ暗な闇が訪れる時間だ。


「あぁ遠かったぁ~」

「ここ、ですか……」


 俺――麻生やなぎとカナの前には、暗くて見通しの悪い小さな道路が延びていた。普段は小学校の通学路として使用されている一本道だが、今は人気ひとけが全くなく静まり切っている。数十メートル毎に設置された外灯のおかげで、傍の桜の木から落ちた花びらが見える。しかし、奥の方までは光が届かず、まるで魔界への道とも見受けられてしまう。


「まあ、そんな簡単に会える訳ないか……」


 水嶋の兄貴を視つけるべく訪れたのだが、俺には人間どころか幽霊一匹すら視当たらない。


「やなぎさん! あれを見てください!」


 するとカナは左に立つ桜の木の下に指を差す。

 俺も空かさず見てみると、その道端には小さな墓石が存在しており、そっと近づいてみる。



水嶋みずしま啓介けいすけと書いてあります。しかも花束まで……」



 カナの言った通り、墓石の前には数本の花を包んだ花束が置かれ、共に白い煙を放つ線香まで地面に刺さっていた。


「間違いない。ここで、水嶋の兄貴は亡くなったんだ……なぁカナ?」

「はい?」


 俺は水嶋みずしま啓介けいすけと彫られた文字を眺めながら、カナを振り向かせる。


「確か口笛を吹けば、霊が寄ってくるんだよな?」

「はい。へびではなく、じゃが寄ってきますから」

「わかった」


 カナみたいな悪霊が来たらどうしようと悩んだが、他に探す手段が想像できなかった俺は仕方なく、口笛を吹き始めた。



――ヒュ~~……。



 暗い静かな闇夜の中、澄んだ音が響き渡る。人間の声もなく、車の音も皆無な、真空状態の空間。外灯に照らされた桜の花びらが落ちながら、俺の口笛は確かに拡がっていった。


「……どうだ?」

「……!! 誰か来ます!」


 何かに気づいたカナは木に隠れていた小道に目を向けており、俺も同じ方向に視点を換える。するとその木の裏からは、一人の青年らしき姿が現れ、徐々に俺たちのもとに歩み寄ってくる。


 どうやら、成功のようだ。


 視力に自信がある俺には、その青年が誰なのかが既にわかり、光の影響でうっすらとした姿のまま、俺たちの前にたどり着く。



「――水嶋、啓介だな……?」



 現れた青年――水嶋啓介は暗い表情で立ち止まった。写真と同じく制服姿で、微笑み以外は全て一致している。ちなみにタメ口を使ったのは、一高の制服を着用しているため、恐らく同級生か一つ歳上だとわかったからである。


「君たち……ぼくが視えるの?」


 水嶋の兄貴は震えた高い声で、俺たちに恐る恐る返していた。


「まぁな……ちなみにコイツは、アンタと同じ幽霊だ」

「はじめまして、カナです」


 俺の隣でカナが一礼すると、水嶋の兄貴も憂鬱ながら声を鳴らす。


「は、はじめまして……水嶋啓介です」

「あれ? 自分の名前は覚えてんのか?」


 気になった俺はつい聞き返してしまう。カナによれば、幽霊となった魂は生きていた時の記憶を失うはずだ。なぜ同じく幽霊である水嶋啓介は、カナと違って自身の名前を言えたのだろうか。


「いや、全部覚えているよ……」

「え? だってお前、あのときは自分の名前すら覚えていないって言ってたじゃんか?」


 死人とはいえ、無礼にもお前呼ばわりした俺だが、水嶋の兄貴が言ったことには大きな矛盾点が含まれていたからである。

 あの日遭遇した際、コイツは俺に、記憶がないと言って近づいてきたのだ。昨日のことのように鮮明に覚えている。


「ぼくは、君に逢ったことがあるの……あれ? もしかして君は、幽霊のぼくに初めて答えてくれた少年かい!?」


 忘れていたとは。

 お前のせいで俺は人生いばらだらけになったというのに……まぁ、今から八年もの過去だ。しっかり脳に刻んでいる俺の方が変なのかもしれない。


「……まぁな」

「そうだったのか……あのときは、済まなかったね。きっと、相当迷惑をかけたと思う」


 頭を下げて謝った水嶋啓介に、俺は素直に驚いていた。なぜなら一度しか会っていないコイツが、俺の苦悩を気づいていたように告げたからである。何とも妹と似て、目配りのできる存在なのだろう。


「まあ……気にすんな……」


 あくまで偉そうに発言した俺だが、水嶋啓介に感心を覚えたところで本題に移る。


「なぁ、啓介。アンタ、妹のことわかるか?」


 幽霊に対しても普段通りの俺だが、水嶋の兄貴には初めて微笑みが灯り始める。


「うん。麗那のことだよね……」


 僅かながら嬉しさが伝わってくると、水嶋啓介は横にあった小さな墓石に目を向けた。


「定期的に花束を持ってきてくれて、いつも欠かさず、こうやって御線香を刺してくれるんだ」


 まだまだ火を灯す御線香からは、白く安らかな煙が昇っている。恐らく、つい先程に水嶋が刺していったのだろう。会いたいと言っていた対象者が、いつも傍にいながら。


「ぼくなんか視えていないはずなのに、今日学校であったこと、さっき家であったことまで、何でも話してくれるんだ」


 啓介の瞳は潤んでおり、今にも泣き出しそうな様子だった。決して線香の煙が目に入ったからではないだろう。コイツに顕在した、微笑みを視る限り。

 シンミリとしてきたところで、御涙頂戴的展開が好きでない俺は、一歩啓介に近づく。


「その妹が今、アンタに直接会って話したいんだと……」

「ぼ、ぼくに!?」


 バッと振り向いた啓介からは、いかに驚いているのかが容易にわかる。きっと予想もしていなかったからに違いない。

 言葉を聞いている限り、水嶋の兄貴からは妹への愛を感じ取れるが、ふと暗い表情に戻ってしまう。



「でも、それはあまり好ましくない……」



「確かアンタが死ぬ直前、喧嘩したとか言ってたな」

 恐らく理由はこれだろうと思いながら呟くと、兄貴は墓石を見たまま頷く。


「あの頃の麗那は、今とは全く異なるお転婆娘でね。いつも勉強をおろそかにして、常に遊び呆けていたんだ……」


 風が止んで桜の花びらが落ちなくなった今、水嶋の過去と共に、兄貴の昔話が始まる。


「当時、高校で生徒会長だったぼくとしては、そんな麗那にいつも叱ってばっかりだった。そしてあの日、麗那はぼくに、アイドルになりたいと言ってきたんだ」

「へぇ~。あの水嶋がねぇ……」


 成績優秀、クラス委員長及び生徒会長を務める真面目な水嶋からは想像できない、意外すぎる過去であり夢だった。まるで昔の俺自身を見ているような……。


 だったらなぜ、明るく元気でお転婆娘だった水嶋が変わったのか?


「ぼくは、麗那は勉強したくないだけだと思い、いつものように叱ったんだ。でも、いつもは一度で受け入れる麗那は、あの日初めて反抗した。わたしは真剣よってね……。それでも信じられなかったぼくは、また叱ってしまったんだよ」

「で、どうなった?」


 水嶋家に興味などなかった俺だが相槌を入れて、辛そうな兄貴を答えさせる。


「麗那はぼくに、大嫌いと言って、その夜家から飛び出してしまったんだ……」


 なるほど。お転婆娘らしい、後先考えぬ行動だ。

 過去の水嶋が確かにやかましい少女だったと感じた俺は、続く兄貴の開口を聞き届ける。


「ぼくも少し言い過ぎたと思って、すぐに探しにいったよ。麗那の気持ちをもう一度、ちゃんと確かめようと……でも……」

「暗い夜のなか、車にかれたって訳か」


 水嶋の兄貴は俺の囁きに頷いてみせたが、その目線は下がったままで、墓石の線香も見えないほど俯いてしまった。


「その後、麗那はぼくを気遣ったのか、よく勉強する子になったんだ……」

「まぁ確かにな。今じゃアイツは、毎回のようにテストは学年トップだし。おかげさまで、俺は万年二位だけどよ……なんだ、いい話じゃんか?」


 お転婆だった水嶋が変わることができたのは、亡くなった兄貴の真似をしたから。

 結果として学生生活は成功しているようにうかがえるし、何も悲しむことはないだろう。

 俺はそう思いながら水嶋の兄貴の丸まった背中を眺めていると、首を左右に振られた。


「ぼくは、麗那から夢を奪ってしまったんだ。アイドルになりたいという夢を……。そんなぼくは、麗那に合わせる顔も無ければ、会う資格だってないよ……」


 幽霊だから顔は必要ないと思うが……。ただ会う資格に関しては、人間と同じく幽霊にだって関係しているのかもしれない。



――だって、兄貴は妹の夢を、全面に否定したのだから。



 夢とは、人間にとって生き甲斐に成りうる、言わば生きる希望だ。一生懸命努力して、必死に夢の背を追っていく姿は、どこかマラソンと似た要素がある。

 だが、夢は追い着くものではなく、追い越すものだと是非認識していただきたい。その夢を叶えるということは共に、新たな夢の背が見えてくるからである。一つ叶えばまた一つの夢を追い、それを越せばまた別のものと、帰納法的に続いていき、円満死というゴールにたどり着くのだ。



――そのマラソンを、兄貴は妹を棄権させてしまったのだ。



 アイドルと聞いて反対してしまった気持ちは、先に生まれ世の厳しさを知る者として有りがちだが、現実主義の俺も納得はできる。だが、それで成長した水嶋麗那が今、心から笑って生きているかまでは、人格を変えることとなった過去を知ったことで、俺には断言できない。

 確かにアイツの表情は常に穏やかでおしとやかだ。が、果たして心の奥底はどうなのだろうか。もしかしたら、今も後悔しているかもしれない。夢を追い続けたかったと、あの笑顔の裏では思っているのかもしれない。

 それを考えてしまえば、そうさせた兄貴としての苦悩も計り知れない。会いたくない気持ちは、残念だがよくわかる。

 水嶋啓介に同情した俺も、日々暗い顔を更に闇色に染める。


「じゃあアンタとしては、妹に会いたくないんだな?」

「……あぁ」


 すると兄貴は頷かず、ほぼ吐息に近い小さな声で答えた。


 桜の花びらは、開花したからこそ宙を舞え一時の美しさを披露する。しかし啓介の心は閉じたつぼみのようで、これから先も咲かず、朽ち果て枯れてしまいそうだった。


「……よし、わかった。帰るぞ、カナ」

「あ、はい!!」


 俺はカナを引き連れて、水嶋の兄貴に背を向け去ろうとした。


「あの、今日はありがと、カナさん、……えっと……」

「麻生……なぎ!」


 俺は背を向けながら、水嶋の兄貴に指三本を立てた手を放つ。


「人の名前、しっかり覚えとけよ。仏の顔も、三度までだからな……」

「え……?」


 今回で二回目の対面となった水嶋啓介からは、訳がわからず不思議がる声が漏らされた。が、俺とカナはそのまま静かに去ることにし、落ちた桜の花びらを避けながら歩んだ。




 ***



「あの、やなぎさん……?」

 ワンルーム八畳の城の中で、机で明日の予習をしている俺の背中に、カナが不思議そうに囁く。


「どうして、やなぎさんは啓介さんに、“さなぎ”と答えたのですか?」


 やはりその質問がきたかと思った俺は思わずにやつき、握るシャープペンシルを置く。


「アイツにばつを与えるため、かな」

「ばつ? ……ッ!! そんな離婚までさせなくてもッ!!」

「そのバツじゃねぇよ! 懲罰ちょうばつの方のばつだ!」


 得意気な俺の表情も瞬時に壊され怒鳴っていた。なぜ人間の俺が、幽霊の恋愛関係に首を突っ込まなくてはいけないのだろうか。人間に対してもやったことないのに。


「なるほど~。では、どのような罰を下すのですか?」


 しかしカナは依然として落ち着いたままであり、どれだけ水嶋兄妹を気にしているのかが伝わってくる。

 そこで俺は再び鼻音を鳴らして笑い、背凭せもたれに肩肘を着けて口を開ける。



「――アイツにとって、いや~なことだ」



「……っ! はい、わかりました。さすが、やなぎさんです!」

 するとカナの表情は和らぎ、一気に雲が晴れ渡ることとなった。むしろ笑顔のコイツは眩しくも視て取れ、俺の嫌いな太陽ようにキラキラと輝いていた。


「さて、明日の予習も終わったことだ。寝るぞ?」

「はい。今夜も夢を見ましょう!」

「もちろん、天井では寝るなよ?」

「はい。今日からは、押入れで寝させてもらいます!」

「どこの猫型革命兵器だよ……」


 机から離れて部屋の電気を消した俺は、今夜も大好きな布団の中に入った。

 いつもなら、一生この就寝時間が続けば良いと思いながら潜り込むのだが、今日だけは明日が待ち遠しくて、すぐに寝られたものではなかった。

 一方で俺の机上には、明日の予習で使っていたルーズリーフが一枚置かれていた。行を無視して贅沢に大きな文字が並べられている。しかし教科書や参考書らは、スクールバッグから取り出されたことはなく、今日はたった一枚で明日の予習を、それも短い時間内で済ませたのだった。

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