三個目*ポルターガウスト、襲来*

 ホームルームの後はもちろん授業が始まった訳だが、それはそれは恐ろしい時間だった。決して授業内容が難しかったからではない。むしろ予習をこなしている俺――麻生あそうやなぎにとっては、教員によるほとんどの説明が不要なくらいだった。


 では、なぜ恐ろしい時間だったのか?


 理由を述べるのであれば、退屈なはずの授業が退屈ではなくなったからであろう。

 そう、コイツのせいで……。



 一限目、現代国語。


「グズッ……うう……」

「なんで泣いてんだよ?」

「だって……この主人公は、自分の想いが伝わらずに亡くなるなんて……あんまりですよ……」

「感情移入しすぎだろ」


 すぐ隣で、悪霊が泣いていた。



 二限目、数学。


「おー、なるほどー! そこで代入するんだぁ。関数は奥が深いんですねぇ!」

「数学なんかに感動するヤツ、初めて視たよ……」

「だってすごくないですか!? 絶望的な状況のなか、一つのひねりで解決までの道を開くことができるんですよ!! 数学ではなく、形勢逆転という授業にするべきです!! 略して形逆ですね!!」

「数字関係なくなってるじゃねぇかよ……」


 すぐ隣で、悪霊が熱弁していた。



 三限目、英語。


「アイドント……ネベル……ギベウプ……ほう! これで、私は諦めないって意味なんですね!! 他にも読んでみましょう!!」

「……」

「アイドント……フォアギブユー」

「スペルあまり変わってないのに、なんでそっちは正確に読めるんだよ……」


 すぐ隣で、悪霊が英語を発音していた。



――勘弁してくれよ……。



「や、やなぎさん!? どうされました!?」

 緊急を要するかのように叫んだカナの前で、授業中に俺は机でうつ伏せになってしまう。もちろん眠気が襲ってきたからではない。


「……パターン青……」

「へ? 何か言いましたか?」

「うるせぇ、ポルターガウスト……」


 そう、隣に襲来した悪霊――いや、アホりょうのカナに、とてつもない嫌気が襲っていたのだ。




 ***




「あ゛あ~終わったぁ……」

 六限目が終わり、ホームルームまで終了した夕方。俺は例のポルターガウストのせいで疲れきっていた。寝そべっている固い机がこんなにも心地よいと感じたのは、学生生活始まって以来かもしれない。


「いや~、やはり楽しい時間はあっという間ですね!」


 一方でカナは俺とは逆に、まだ授業をやりたいと思わせる様子だ。


「授業の何がいいんだよ……?」

「そうですか? わたくしは楽しく受けてますよ。三度の飯より勉学です!」


 今世紀中では、コイツとはわかりあえないだろう。いや、わかろうとする気など更々無かった。

 教室内も次第に生徒数が減っていき、皆下校や部活に出向き始めていた。いつにも増して早出する様子からは、嫌われ者の俺に掃除を押し付けるような印象を得たが、むしろ誰もいない方が反ってやりやすく助かるものだ。


「さて、掃除するか」

「掃除当番、ガンバってください!!」


 カナに声援を受けた俺は僅かに残った力で立ち上がり、教室の後ろにある物入れからホウキとチリトリを取り出す。テキトーに済ませて早く帰りたい気持ちはあったが、微量のほこりすら忌み嫌う俺、それにここの担任は地獄の番人のようなヤツでもあるため、サボる理由など皆目見当たらなかった。

 ただ早いことに越したことはないと、俺はすぐに室内の床をホウキで掃き始め、消しカスやシャー芯、外の風に乗ってきた砂埃すなぼこり、どこの誰の物なのかわからないシャーペン先端の小さな消しゴムなども含め、ひたすらにチリトリの前で集めていた。


そんな、孤独なはずの空間だったが。



――「麻生くん」



 突如呼ばれた俺はつい横目を送ると、教室の入り口で立つ女子生徒――水嶋みずしま麗那れいなの姿が目に入った。


「水嶋か……まだ生徒会行ってなかったのか? 早く行けよ」


 俺は俺らしく、相手を引き寄せない冷徹さを込めて放ち、ホウキの動きを止めなかった。


「一人でやらせてしまって、ホントにごめんなさい。でも、とても助かるわ……」


 謝りながらも恩を示した水嶋。何ともクラス委員長らしい礼儀正しさを抱いている。しかし俺は気にもせず、ゴミ共をチリトリに乗せ、前黒板にあるゴミ箱にほうむろうと進んでいた。

 徐々に水嶋との距離が縮まっていくのだが、俺はその状況にとある違和感を覚える。


 ……水嶋、いつまでそこにいるつまりだ?


 俺としては早く去ってほしい想いなのだが、どうも水嶋はなかなか動こうとせず、制服のスカート裾を握りながら立ち竦んでいたのだ。スカートが持ち上がっている分、どれだけ強く握っているのかが伝わってくる。


「……あの……麻生く……」

「……いいから、早く行けよ」


 俺は冷たく短く冷淡に言葉尻を被せると、ハッと気づいた様子の水嶋は自身のスカートから手を離していた。


「う、うん……そうだよね。じゃあ、よろしくね」


 どこか暗さが窺えたが、最後に水嶋はアイドルに比毛を取らないウィンクを放ち、やっと教室から姿を消した。走る足音が聞こえてくるだけに、結構ギリギリまでここにいたらしい。


「ふぅ……やれやれだぜぇ」


 俺はチリトリとホウキをしまいながら、大きなため息を漏らしていた。あのまま突き放さなければ、きっとアイツは遅刻するはめになっていたはずだ。それでは生徒会長として面目は立たないどころか、掃除当番を俺に任せた意味だってなくなってしまうではないか。まったく、面倒だらけな女だ。


「良かったんですか? 何か言おうとしてましたけど……」


 ゴミ箱の袋を新しく取り替えている最中、浮遊しながら囁いたカナは水嶋の心情を捉えていたようが、それは理系の俺でもわかっていたが。


「何か言おうとしてたから、俺は突き放したんだ」

「え? なぜですか?」

「見ての通り、俺は周りから避けられてる……そんなの今日一日見ただけでわかるだろ?」


 俺は取り出したゴミ袋を結びながら呟くと、カナは辺りを見渡し始めた。もちろん教室には誰もいなし、廊下にすら人影一つない。普段教室で自習するため残るヤツらですら、今日は校内図書館で勉強しているようだ。


「避けられてる、ですね……。でも、水嶋さんは避けていないように見られましたが……」

「そこだよ」

「はい?」


 ゴミ袋を結び終わったと同時に、俺はカナに振り向き持論を放つ。


「みんなに避けられてる俺に近づけば、そのうち水嶋も俺と同類と見られる。そうなれば、アイツも俺のように避けられてしまうだろ?」


 類は友を呼ぶ。

 しかし友でないヤツが近寄れば、ソイツは無理矢理にでも同色に染められてしまうのだ。その大半は悪い意味がほとんどで、何の利益にもならないだろう。人間のネガティブ思考がもたらす、儚い現実だ。


「そんなことになるくらいなら、俺はアイツを突き放して、関係性を絶ちきってやるっていう訳だ。元より俺は、仲間なんて必要ないしな……」

「……」


 俺の自己犠牲論に、カナは一度も頷きはしなかった。しかしその分だけ、悪霊の表情が悲哀に満ちていることがよく視える。


「やなぎさん……」


 俺に心配りをするなど、反って大きな御世話だ。心無き者として、他者の想いなどどうでもよいからな。

 俺は自嘲気味な笑いを溢し、口を結んだゴミ袋に目を逸らそうとした。が、ふとカナの柔らかい笑い声に止められてしまう。



「やなぎさんは、やはり優しい方なんですね」



「はぁ?」

 想像もしていなかった言葉に、俺は再びカナに顔向けしてしまう。このアホ霊は、突き放した俺のどこに優しさを感じたというのだろうか。国語ならばコメント入りの不正解になるだろう。

 俺は首を傾げて待ち構えていたが、宙から見下ろすカナは頬を緩ませる。



「――要するに、やなぎさんは彼女を守ったわけですよ。ううん、守ってが、適切ですね!」



「……う、うるせぇよ……き、嫌われ者は、俺一人で十分だし……」

 片言となった俺は咄嗟とっさにカナへ背を向け、焼却炉へ運ぶためすぐにゴミ袋を握る。もう嫌いな教室には戻らぬよう、共にスクールバッグも肩に掛け、施錠を済ませて廊下を進んでいった。

 いつもなら重たいと感じるゴミ袋。しかし今日はあまり質量を感じられず、片手だけで運ぶことができていた。それは中身が少ないからではない。六限まであった本日では、コンビニ弁当の箱やプリントなどで敷き詰められているほど膨らんでいる。

 ならば一体どうして軽く感じてるかと思えば、答えは俺の片手が全てだった。



――無意識に、強く握っていたからである。



 まるで水嶋がスカートを握っていたかのように、甲で延びる血管を顕にしながら。

 人数の少ない廊下を進んでいる俺。ふと、本日の水嶋の姿が脳裏を廻り始めた。


“「ありがと、麻生くん」”

 感謝を述べた、水嶋からの御礼。


“「一人でやらせてしまって、ホントにごめんなさい。でも、とても助かるわ……」”

 丁寧に謝ってみせた、水嶋の礼儀。



“「う、うん……そうだよね。じゃあ、よろしくね」”

 そして、何かを言おうとしていたもどかしい仕草まで。



 俺は初めてだった。水嶋のことを、こんなに考えたことは。

 決して好きとかいう恋愛心を抱いた訳ではない。しかし何度も頭の中で水嶋麗那の柔らかな表情が写し出されてしまい、呪縛の如く離れずにいた。


 だがそれも、訳のわからないことを言ってきた、この悪霊のせいだ。アイツを守ってなんかいねぇし、守ろうとした覚えもねぇのに。


「カナ……」


 突然歩みを止めた俺は、カナに背を向けながら俯く。


「……頼むから、もう変なこと言わないでくれ。気が散る……」

「やなぎさん……はい。わかりました」


 妙な間を空けたカナだったが、振り向かなくても機嫌の良さがわかる高音だった。無論俺には気にならなかった音色だが、再び焼却炉へと歩み出し、抱いたゴミ袋等を捨てにいった。

 最初から、何も無かったようにするために。



 ***



 無事に焼却炉へと運んだ俺は、一度校内図書館で本を借りてから下校を始めた。

 本を借りる際にも、やはり隣のポルターガウストは顕在だった。たくさん並ぶ本に対してイチイチ感心を言葉に出し、まるで外国人観光客の如く瞳を輝かせていた。一応コイツは日本人のはずなのだが。

 そんなやかましい悪霊と廊下を歩いている俺。もうじき下駄箱に着く頃である。


「いや~! 図書室があんなでかいとは思いませんでした! あれだけ本があれば、書物に苦しむことはありませんし、とても便利ですね!」


 今後は自分も本を借りようとしている様子がわかるが、俺は絶対に手を貸すつもりはなかった。


「……てか、お前は本とか読むのか?」

「はい。悪霊になってからは、道に落ちている本を読んでました。大体は新聞紙なので、読もうとしても字が消えてしまってるのがほとんどなんですよね」

「そ、そうか……」


 俺は初めて、カナが可哀想に思ってしまった。それなら本の一冊や二冊借りたくなるのも無理はない。俺が好きで借りた物ぐらいは読ませてやろう。できれば仲介手数料等をいただきたいところだが。

 カナの悲しい幽霊生活を想像しながら廊下を曲がると、ついに下駄箱が姿を現す。しかし、スンナリと帰ることができなかった。


「あれ? やなぎさん、あそこに水嶋さんがいますよ?」


 下駄箱の近くでは、“生徒会長”と記されたバンドを腕に巻く水嶋麗那が立っていた。何やら見回りをしている様子だが、するとヤツも俺たちに気づいたらしく目を合わされる。


「あ、麻生くん。今日はありがとう。おかげで助かったわ」


 すぐに目を逸らした俺は下駄箱にはたどり着くが、無視するのも気不味かったため、テキトーな言葉を返す。


「生徒会長さんがこんなところでどうしたんだ?」

「うん、今学校の中を回って、異常がないか見てたところなの」

「そんなの、他の生徒会役員にやらせればいいじゃねぇか? 雑用作業だろ……」

「ううん。上に立つ者こそ、こういう基本的な作業をしっかりやらなきゃいけないとね」

「それは御愁傷様だこと……」


 恐らく水嶋は将来、世のため人のために働いて過労死するタイプだ。


 俺はそんなことを思いながら靴を取り出し脱いだ上履きをしまい入れた。



「あの……麻生くん……」

「じゃあ俺、帰るわ」



 靴を履いた俺は立ち上がり、ソソクサとこの場を離れようと昇降口玄関に向かった。恐らく教室で言おうとしていたことを、改めて言葉にするつもりなのだろう。それはきっと面倒事に違いない。面倒事が起こる前に退くのが、人生安泰のポイントだ。さぁ帰ろ帰ろ。

 背後に水嶋を置いていくように歩き去った俺は、小さな玄関を潜ろうとした。



が、そのときだった。



「ダーメーでーす~!!」

「う、なにすんだよ!?」



 突然カナは俺の後ろから抱きつき、身動きできないよう襲ってきたのだ。


「水嶋さんの話聞きましょうよ!! 今なら周りに誰もいないんですから!!」

「だからって、なんでお前が止めるんだよ!? お前関係ないだろ!!」


 俺は珍しく必死ながらもがき続けたが、カナの頑なに巻いた両腕から解放されない。冗談じゃない、なぜ自ら面倒事に飛び込まなければいけないのだ。


「水嶋さんの気持ちを無視しないであげてください!! 聞いてあげましょうよ!!」

「お前は知らぬが仏って言葉を知らねぇのか!? それでも幽霊かよ!?」

「悪霊です~!!」


 暴れ叫ぶ俺と子どものようにわめくカナ。

 このときばかりは、カナが悪霊であることを素直に飲み込めた。しかし、共に別の悪寒が走り、俺の足掻あがきは急停止する。



 あれ、これマズイんじゃね……?



 恐る恐るきびすを返した俺は、嫌な予想通り水嶋の正面が目に映る。


「あ、麻生くん? いきなりどうしたの?」

「へ……?」



 あ~あ、やっぱマズイじゃ~ん……これ。



 きっと変質者に思われているだろう。一人で叫んで動き回っていたように見られたのだから。


「……ゴホン!!」


 冷や汗が出現し出した俺は変な誤解を招かれないよう、学年成績ナンバーツーの頭脳を駆使して言い訳を探した。


「……昨日、読んだ小説にこういうシーンがあってだな……その真似をしてみたんだが……悪い、忘れてくれ……」


 ただの厨二病アピールになってしまったではないか。

 自分がアドリブ苦手であることは認知していたが、俺は反って新しい誤解を生ませていた気がした。これでついに水嶋からも嫌われるのだろう。裏でアイツは厨二病とか広めるのだろうなぁ……。ああ、早く卒業したい。わざわざ夜の校舎で窓ガラス割ったりしないから……。

 いつの間にかカナからは解放されていたが、己の失態のせいで貧しい表情になった俺は、肩をガックリ落としていたが。



「フフ、変な人」



「は……?」

 すると水嶋からは小さく笑われてしまった。が、その笑いは俺を馬鹿にするものではなく、変な人である俺すらも受け止めてくれる、上の立場としての優しさを秘めた微笑に感じた。


「なんで、そん……」

「……ねぇ、麻生くん?」


 今度は微笑みを残した水嶋に言葉尻を被され、ただでさえ運動不足な俺の口が止む。



「……あなたに、一つだけ聞きたいことがあるの……」



「……」

 何も話す気などない俺は、もう一度帰ろうと玄関を覗いたが、そこにはカナが大の字になって出口を封鎖していた。



「はぁ……わかったよ。手短にな」



 どうやら聞くまで帰してくれないようだと、俺は大きなため息を漏らしてしまったが、水嶋からは輝かしい笑顔を見せられ、ありがとうと一言添えられた。


「麻生くんはさ、その……」


 ふと下を向いた水嶋からは、どうも言いづらそうな気持ちが伝わってくる。

 手短にとは言ったが、話すスピードも考えてほしい。

 俺はそう思いながら冷たい視線を送っていた。すると、水嶋は僅かに口許を動かし、小声を放つ。



「――霊が、視えるの?」



「……」

 俺は言葉を失った。もちろん水嶋の言葉に驚いた訳でない。この期に及んで、わかりきった質問を繰り出してきたため、呆れ返っていたのだ。


「……今更そんなこと……みんな知ってるだろ」

「ホントに、視えるの?」


 突如顔を上げた水嶋の表情からは微笑みが消えており、いかに真面目に問い質してきているのかがわかる。だが俺はそっぽを向き、これ以上答える気にはなれなかった。


「……答え、づらいよね? 周りの目とかも、あるもんね……」


 確かにそれも一理ある。

 しかし一番は、なぜ人として優秀な水嶋麗那が、そんな質問を投げてきたのか。

 理解に苦しんだ。



「実はね私事わたくしごとなんだけど、お願いがあったの。……聞いてもらっても、いいかな……?」



 それでは尚更わからない。誰かに聞けと言われた訳でもなく、水嶋本人からの質問だとは。



「……なんだよ?」



 俺は水嶋に目は向けなかったが、つい聞き返してしまった。コイツがどういった想いで霊感について聞いてきたのか、少しばかり気になったからである。



「その、ね……」



 再び間を空けた水嶋は、今度はさっきよりも長い沈黙を誕生させてしまい、表情が固くなっていた。

 気の短い俺もふてぶてしいながらに、片足でリズムを踏んで待っていると、水嶋から珍しい凛とした素顔を放たれる。




「――死んでしまった兄さんに、会いたいの!」




「…………は?」

 これはまた、大きな厄介事に巻き込まれたようだ……。

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