二個目*早朝のルネッサンス*
ピピピ……ピピピ…… ピピガチャ。
俺は
そう、また朝が来てしまったのである。憂鬱な始まりを告げる、憎き朝が。
何がグッドモーニングだ?
英語圏のヤツらは“グッド”を過労させている。だって一日中使ってるじゃねぇか。少しは“グッド”の気持ちにもなってやれ。
それにしても、この起きるという動作はなんと辛いものか。このままずっと寝ていたい思いとの葛藤が毎朝起こって仕方ない。だがそれ以上に、夢から覚めたときの喪失感に襲われる。
人間はどうして毎日就寝しなければいけないのか?
こんな思いを毎朝するくらいなら、眠らずにずっと起きていたいものだ。
これもきっと、大嫌いな神からの贈り物なのだろう。
神とは決まって、人間に重荷を背負わせる習性がある。性格はきっと悪いに違いない。
まあ普通の人間ならまだいい。だが神は理不尽なことに、特別な力を持つ人間に対しても、更なる重荷を背負わせるのだ。
そんな俺、
「……あの、天井で寝るの、止めてもらっていい?」
眠たげな低い声を放った俺は、重力が逆に働いているように、天井で横になって眠っている彼女に、絶対零度の視線を送っていた。
「あ、おはようございます!! やなぎさん!!」
彼女の名前はカナ。
本人に聞いたところ名前を覚えていないということで、俺が名前をつけてやった幽霊である。ちなみに、カナという名前は金縛りからとったものだ。
「朝から元気だなぁ……てか、お前らって眠るんだな?」
立ち上がった俺は大好きな布団を押入れに片付けながら呟くと、カナは天井から離れ、嬉しそうに傍に寄る。
「もちろんです!!
「ただの
眠る必要がないクセして、夢を見たいがために就寝するとは。
こんなアホな幽霊に取り憑かれたことに、俺は終始頭を抱えたい気持ちでいっぱいの中、嫌いな学校に行く準備を始めた。
「ところで、やなぎさん。今日は何か、ご予定があるのですか?」
朝の最初に行っている歯みがきを始めた刹那、相変わらず宙に浮いたままのカナが話しかけてきた。しかし、幼い頃から霊感を抱く俺には見慣れた光景で、歯みがき粉で
「予定って、学校に決まってるだろ? 俺は高校生だから」
「学校ですか!? それは楽しみですねぇ!」
朝から輝かしい笑顔を視せつかるカナが目に映ったが、まるで遠足前の女子を思わせる彼女の鼻歌に、俺は歯みがきの手が止まってしまう。
「……いやちょっと待て」
「はい?」
「お前まさか、学校に来るつもりなのか?」
開いた口が塞がらなく、白い泡が飛び出してしまった。だって、このアホが俺の連れとして来てしまう気がしたからである。
「はい!! やなぎさんからは離れられませんから!!」
カナはエヘヘと頬を緩ましていたが、俺には何の嬉しさも感じなかった。むしろ唖然とするだけで、床に白い跡が着いていることすら気づけない心持ちだ。
「そんな、それはどうにか! ゴホッ、ゴホッ……」
息を吸って声を荒げようとしたが、俺はついに噎せてしまい、上体を丸めて俯く。
すると心配したのだろうか、悩ましい顔になったカナは俺の背中を
「やなぎさん大丈夫ですか!? きっと歯みがき粉のせいですね! まったく酷い製品です!」
「全会一致で、お前のせいだ……」
ただでさえ嫌いな朝。それも今日からはカナの存在のせいで、一段と格を上げた気がした。
***
「いやー! いい天気ですねー!!」
春風の舞いと朝陽に染められたアスファルトの道上、俺の隣で浮いているカナが楽しげに身体を揺らしていた。
城から出た俺たちは現在、何とかいつも通りの時間で通学路を歩んでいる。普段はホームルームギリギリの時間で教室に入っているため、一分一秒の遅れも許されないのが俺流ステータスなのだ。遅刻でもしてしまえば、担任のヤツから地獄への招待状を貰い受けてしまうからな。
また今の俺にとっては、こうして隣にいるカナの存在にも悩ましい想いだった。
名前のない彼女に命名してやった昨晩、更にカナから情報を窺ったところ、どうやらコイツの特徴である人憑き型――通称憑依型の悪霊は、その取り憑いた人間から半径五メートル以上離れられないらしい。対象となった人間を中心に結界が生じ、悪霊は驚かしてコトダマを得るまで、嫌でも付いていくシステムとなっているようだ。
ただ、普通の人間には視えない幽霊が、その対象者にだけ間近で姿を視せられる利点もあるという。しかし幽霊を見慣れている俺にとっては、全く効力を持たないスキルに過ぎないのだが。
「やはり、天気は青空であってこそです!」
そんな驚かす気も視せていないカナは俺の傍で、背伸びをしながら春風に髪を
「……俺はあまり、快晴は好きじゃないんだがな。やっぱ、曇りが一番好きだ。嫌いな太陽の光な無いし、冷たい雨も降らないからな」
「そうですか? 私は断然晴れが好きですよ。晴れていると、心も晴々しくなれますしね!」
前向きな発言を続けるカナだが、正直俺には
……おや?
太陽の不平不満を考えていた俺はふと、光を全面に浴びているカナに疑問が生まれた。
「なぁ? お前昨日、光は苦手って言ってたけど、太陽は関係ないのか?」
昨晩に出会ったコイツからは、部屋の電気を点けないでくれと言われた。だとしたら、今の状態はコイツにとってあまり良くないのではないか。
すると振り向いたカナは、得意の
「実は、あります。
「今更何言ってんだよ……? 俺はある日から霊感が強くなったから、普通に視えてるぞ?」
まさかコイツ、俺が霊感を抱いていることを知らなかったとは。どうやら俺と違って鈍感を備えているようだ。
「そうなんですか~。やなぎさんって、霊感が強かったんですね!」
「いや、昨日の段階で察しが着くだろう……」
――俺、こんなアホと生活していかなきゃいけないの?
まるで幼女の世話係だ。それも
先が思いやられて仕方ない俺は、ついに俯いて歩くようになってしまい、肩に掛けてるスクールバッグがずれ落ちそうになっていた。
「それにしても、学校かぁ~。
すると話を切り換えたカナは、一寸先だったはずの闇に飲み込まれた俺に笑顔を放っていた。だが俺の表情は常に苦い顔をしたままで、我慢していたため息を溢す。
「……てか、学校のどこか良いんだよ? ただただ面倒な場だと思うぞ?」
闇に包まれた俺の表情。しかしカナは真逆で、更に先を飛び越えた光に包まれたように笑っていた。
「以前学校をテーマにしたドラマを観て、それからずっと憧れてたんですよ」
「なんで悪霊がドラマに感動してるんだよ……?」
そんな暇あったら一人でも多く驚かせと叫んでやりたかったが、まぁ昨晩の驚かし方を視る限り無理に等しい。幽霊になってから一人も驚かしたことない真実は、ひねくれた俺でも素直に納得できるほどだ。
「……それに、俺が通ってるのは進学校だ。ドラマはもちろん、楽しもうとして来てるヤツらはまずいねぇだろう……」
少なくとも俺のクラスは、受験のため必死こいて机にすがる生徒が集まる、特別進学クラス――俺称“一軍”だ。その中で愉快な学園や恋愛など考えるヤツらは、仮にいたとしてもごく僅かなはずだ。
「でも、
「は……?」
珍しく興味アンテナが立った俺は、ついカナに表情無き顔を向ける。ドラマなどもちろん日課としていないが、社会に
「それ、どんな話なんだよ?」
「はい。主人公は一生懸命勉強して、たくさん苦しんで、それでも努力を続けていくのです」
どうやら学歴社会をメインにしているのだろうか?
「へぇ~。それで?」
俺は徐々に興味の強さが増していくと、微笑むカナも瞳を閉じながら続ける。
「はい。独り身だった主人公は、後に多くの仲間を作り、みんなと切磋琢磨していきます。そして……」
すると天を見上げたカナは、憧れるように両手を合わせ丸め、開いた瞳をウルウルと煌めかせていた。
「――最後には、宇宙人から世界を救う話でした」
「SF関係やないか~い……」
俺の興味アンテナが、間違いなくカッターで切られた瞬間だった。
***
県立笹浦第一高等学校。俺の県では一番偏差値の高い高校――いわゆる
「おー!! 着きましたね!!」
「ああ、着いちまった……」
校門の前でキラキラしているカナの瞳と、曇りに曇っている俺の目は、正に陽と陰を描いていた。
「頼むから、目立たないようにしてくれよ……?」
「はい。任せてください!!」
「……」
俺は全く信じられぬまま歩み出し、とりあえず自分の教室に向かうことにした。
俺の教室は特別進学クラスという、優れた頭脳を持ち併せる集団だ。難関私立を始め国立大学を目指して勉学に励む、正に学生にとっては
しかも特進教室は普通クラスと棟が異なり、正門からかなり離れている。その長距離の中、重い教科書らを運ばなくてはいけないため、いつも脚と肩に悩まされるの現実だ。
「おー!! ここが教室ですね!! すご~い! 生徒がいっぱいです~!!」
精神的にもヘトヘトな俺は教室にたどり着き、カナも同時に入室する。
どうやらカナのことは、誰にも視えてないようだ。
一先ず安心できた俺だが、すると教室にいたヤツらは俺の顔を一度見た瞬間、少しの沈黙を起こす。しかしすぐに元通りに友人同士の会話を再開していた。
「今、やなぎさんみんなに見られてましたよ。もしかして、やなぎさん有名人なんですか?」
「……まぁ、ある意味な」
窓際
「――おはよう。麻生くん」
すると席に腰掛けた俺の元に、一人の女子が訪れた。艶のある長い黒髪を後頭部で一つに結び、キチンと制服を着こなした優美なクラスメイトだ。
「
バッグから教科書を取り出す俺は笑顔を作らず、そして目も合わせないまま返していた。
彼女の名前は、
それにしても委員長兼生徒会長の水嶋が、どんな用件で俺に声を掛けたのだろうか?
目を合わそうとしない俺は、意図的に教科書をゆっくり机に入れながら考えてると、水嶋は嫌な顔一つ現さず口を開く。
「麻生くん。今日、わたしたち掃除当番なんだけどさ、わたし、生徒会の仕事ができちゃったの……。申し訳ないんだけど、帰りの掃除、お願いしていいかな?」
何かと思えば生徒会絡みか。ダブルワークとはたいへんで、是非とも真似したくないものだ。
「りょーかい……」
予習として教科書を開いた俺はついため息混じりの返答となってしまうが、それでも水嶋からは満面の笑みを浮かべた様子が視界に入ってきた。
「ありがと。いつも迷惑かけてしまって、本当にゴメンね」
「気にすんな……いつものことだろ?」
「ありがと、麻生くん」
すると水嶋は
「素敵な方ですね……もしかして! やなぎさんの彼女様ですか!?」
一方でカナは目を覚ましたように驚く顔を近づけたが、微動だにしない俺は教科書の文から目を逸らさなかった。
「俺には彼女いねぇし、友達もいねぇよ……」
それに欲しいとも思わないし、独りの時間が好きだからだ。
「そんなことないんじゃないんですか? だって周りのみんな、やなぎさんの話ばかりしてますよ」
「……ん? なんだ、お前聞こえるのか」
ふと反応した俺は顔を上げ、室内でも浮いているカナへ視線を投じる。
「だったらしっかり聞いておけ。俺がどれだけ有名人かわかるぞ」
思わずにやついたまま教科書に目を戻してまうが、カナも、
「はい!」
と、高らかに返事をして室内を観察し始める。
「じゃあ聞いてみま、す……え?」
するとカナの明るい笑顔は、言葉と共に衰退していった。
どうやらカナも気づいたようだ。俺に対する、周囲の見方を。
――「おい、麻生また来たぞ?」
――「チッ、なんでアイツが同じクラスなんだよ。災難だわー……」
――「マジ気持ち悪い……」
――「近づきたくねぇ……」
「やなぎさんの……悪口?」
ボソッと呟いたカナは俺に振り向き、険しい表情のまま目を合わせようとしてきた。
「やなぎさん……一体何があったんですか……?」
やはりそう聞いてくるよな。
独り教科書を読み進めていながらもカナの質問を予想していた俺は、決してコイツには目を向けず、印刷された文字たちにため息を当てる。
「わりぃ……今は話したくねぇ……」
俺が周囲から嫌われている理由は、言うまでもなく存在している。そしてその根拠だって、当事者の俺は無論わかっている。
ただ、嫌われている内容に関しては、いくら幽霊のカナであっても、あまり口にしたくはない。真実を思い出したって、ひたすらに後悔をして、一方的に頭が痛むだけだから。
憂鬱さが
「やなぎさん……ん?」
ふと俺から目を逸らしたカナは、何かに気づいたように教室の前入り口を向いていた。
幽霊が何を見ているのだろうか?
そう気になった俺はゆっくりと顔を上げてみると、まずカナの横顔が目に映る。しかしさっきまでの心配した表情はどこかに消え去り、いつの間にか優しく穏やかな微笑みに変わっていた。
「――でも、みんながそうおっしゃってる訳ではないみたいですよ? だってさっきの方……水嶋さんは、やなぎさんのこと褒めてるみたいですもの」
「え……?」
「また麻生くんに助けられたんだぁ! ホントに、頼りになる人なんだよ」
「そうなんだ。よかったね、
「フフ、
「へ、変なこと言わないでよ~!」
俺に背を向けている小柄な女子は、決して後ろを振り向きはしなかった。首もとをギリギリ隠した短髪が焦りで揺れ、正面の水嶋に困っている様子がわかるが。
水嶋……嘘くせぇ……。
頬杖をついて視線を窓の外に向けた俺は、目も耳もシャットアウトをしてしまう。
もちろん水嶋に心を許すつもりなどない。褒めてくれたことに感謝の意も生まれなかった。どうせ建前に決まっているからだ。厳しい世の中を生きる人間が自身を
「でも水嶋さんは、ホントにそう思ってるみたいですよ」
まるで俺の批判的思考を覗き込んだかのように、カナは水嶋を擁護した。
「なんで、そう言えるんだよ?」
窓の外から見える、下駄箱に向かう生徒と桜の花びらたち。しかし共にうっすらと映ったのは、背後から温かく見つめるカナの姿だった。
「
「そらまた変わった特技だこと……」
窓に反射されたカナに言い返した俺は無意識に、いつの間にか外の景色ではなく、アホ霊の笑顔を目に映していた。
――ガラガラ……。
すると教室とスライド式扉の開けられる音が耳に入る。どうやら担任のヤツが来たようだ。
また今日も退屈な授業が始まるのだと、俺はため息を窓にぶつけてから、
「……? なあカナ?」
「はい! なんでしょう?」
ふと嫌な悪寒を感じた俺は、周囲に聞こえない程度の声でカナを呼ぶ。
「お前まさか、ずっとそうしてるつもりか?」
「はい。もちろんです!」
カナは俺の席の後ろで起立したままだったのだ。
「……すごく気が散るんだが……」
「え!? ここじゃダメですか?」
まるで授業参観ではないか。最後尾の者による公開処刑だということを知らないのだろうか。
「できれば、俺の隣にいてくれ……」
「はい!! わかりました!」
すると変に大声を鳴らしたカナは、俺の指示通り隣に歩み寄ってきた。が、宙に浮いたまま脚を畳み、空中正座という超能力を視せ始める。
「これでいいでしょうか?」
女子高校生の制服を纏うだけに、より子ども染みたカナの笑みが、寄りにもよって目の前で視せられる。もはや隣の席などという距離はなく、満員電車で隣合った状況に近かった。
先が思いやられる……。
こめかみを摘まみながら思った俺だが、無情な時間はついに朝のホームルームを開始させた。
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