其の聿《いち》*悪霊との遭遇編*

一個目*金縛りからの邂逅*

 霊感というのは、実にくだらない。


 昔から若き人間どもは、霊感があるやら無いやらで話をもり立てやがる。お前らは何もわかっちゃあいない。今まで視えないものが視えるようになるなんて、ただ面倒事が増えるだけだということを。

 中には、霊のことを気にかけるヤツもいる。かわいそうだの、助けてあげたいだのって……。まぁそんなことは、立派な霊媒師でもなければ、できやしない。むしろ、お節介という言葉を今一度辞書で調べた方が良い。

 メディアもメディアだ。何を面白がって、そんなに心霊写真や動画などを放送するのだろうか。幽霊を助けるつもりなど決してないのだが、アイツらからしてみれば、著作権で訴えてやると言われても救えない愚行だとかんがみられる。


 まったく、理解不能な人間どもだ。


 霊感なんて、何がおもしろいというのだ? 正直俺には、全くわからない迷宮的心理と言えよう。


「はぁ……。こんなヤツらを見て、何がおもしろいっていうんだよ…… 」


 俺は授業中思わず独り言を吐きながら、窓に張り付く複数の見えなき存在――いかにも血色の悪い幽霊たちをていた。



 ***



 俺の名前は、麻生あそうやなぎ。

 いわゆる、ぼっち寄りの高校二年生だ。いつもぼっちで登校、ぼっちで授業、ぼっちで昼ごはんの日々だが、余裕でこなしている孤独慣れ人間である。反社会的人間でもあるだろう。

 それから、これはあまり世間には公表したくはないのだが、どうも俺は霊感が強いらしく、普段から幽霊どもを平気で視ることができる。ただ、正直こんなものは人生において、全く必要がない。平凡を求める俺にとっては、何の特にもなっていない現実だ。今すぐにでも失いたい六感である。

 おかげで俺の高校生活は、雲が晴れないばかりなのだから。

 心のボヤきを続ける俺は、只今学校が終わり、いつも通り独り身で帰宅しているところだ。

 今日の授業も退屈で仕方なかった。古文ではまた訳のわからない文法が出てくるわ、数学ではまた人生に役立ちそうにない公式を覚えさせられた。まったく、日本教育関係者は何を目的としているのか、俺には理解できない。まぁ、わかろうとしてやる真心も持っちゃいないが。


「……いえに着いたら、昨日買ったゲームでもやろう」


 こんな日常を生き抜くためには、それ相応の娯楽が必要だ。人気の少ない道中、独り言と共に歩く俺は寄り道することなく、俺の城へ帰還していた。

 しかし、やはり本日も寄り道をあおられる始末だ。



――「たす、けて……」



 刹那、俺の耳には小さな囁き声が通り過ぎる。どうやら、小さな女の声で呟いた音色のようだ。すぐ近くの墓地から聞こえた気がする。

 極力面倒事を避けて生活している俺は、無論無視したいところではある。が、小さな女の子という点でどうにも気になってしまい、進路方向を換え、音源たる近くの墓地へ向かうことにした。

 誰も見当たらない――というか、いるわけがない平日の夕暮れ墓地。いざ入り口に着いてみると、再びか細い声が俺の脳内を誘う。


「助けて……」


 さっきよりも鮮明に聞こえることから、やはりこの墓場のどこかにいる。そう結論着けた俺は、ふと奥の方に凝らした目を向ける。するとそこには、中学生程度の背丈である女子の、うずくまって泣き震える後ろ姿が映った。

 ここまで来て無視したら、世間から非人道的人間だとさげすまれるに違いない。俺は渋々歩み出し、そのの背後へと歩み寄る。


「どうした……?」


 普段は赤の他人に声などかけない俺は、珍しく返事を求めた。しかし、白い患者服をまとったソイツはいっこうに振り向かず、微動する小さな背中ばかりを放ち続ける。


「グズッ……助けて、お兄さん……」


 すると彼女は小顔を両手で覆いながら、ゆっくり立ち上がる。


「ウチ、もう嫌だよ……だってさ……」


 ここまでなら、迷子のように窺える、幼気いたいけない少女だと称せられる。しかし次の瞬間、きびすを返したソイツは俺の目の前にまで、顔面を開き見せた。

 なぜ隠していたのかを、目視もくしで理解させるために。



「――こんな顔でいるんだもんッ!!」



 目蓋まぶたごとえぐり取られた右目部分は穴と化し、血まみれのように真っ赤になっている。不気味な小顔だった。驚き引っくり返るリアクションこそ、礼儀に値するだろう。

 だが、俺は敢えて冷徹な瞳を保つ。


「……んで、俺にどうしろと? いいくに作ろう119番か? お前ちゃんと国保払ってんだろうな?」


 このたぐいの幽霊など、いつものように視ているのが俺だ。生憎あいにく、驚く要素が視当たらない。


「ど、どうして驚かない!?」


 淡々と無表情で返していると、さすがの少女も戸惑いで人格を変えていた。かえって、俺ではなく赤目の少女が驚くこととなったが、それも無理はないだろう。彼女のような悲惨な顔を向けられたら、普通はビビる。それは俺もよくわかっている。

 だが、俺は普通の人間ではない。

 顔をしかめる赤目の少女に、俺はため息を漏らしてしまう。


「こんなの日常茶飯だ。驚かし方がベタすぎて、面白味に欠ける。むしろ徹夜勉強の睡魔の方が、恐ろしいくらいだ」


 幽霊だって、何のために人を驚かしているのだろうか?

 そんな永久に答えが導けない論題を考える俺は、彼女の行動を冷々れいれい淡々たんたんと評価していると、赤目の少女は歯軋りから舌打ちを鳴らす。



「この、人間ごときがッ!!」



 眉間に皺を寄せた彼女はそう告げると、姿に異変が生じる。すぐに赤い発光体――オーブに変化し、上空へ昇ってどこかに飛んでいってしまった。あたかも始めから、存在なかったかのように。



「……人間ごとき、か……俺も」



 再び独りという日常に戻った俺は、赤目の少女が去った、腹立たしいほど晴れた空を見上げていた。彼女の言う通り、人間など大した存在ではないに違いない。次元が異なる幽霊から見たら、俺たちはきっと家畜のような愚か者にしか思われていないのだろう。イタズラ半分で驚かし、そのリアクションを見ておもしろがる――玩具的存在なのかもしれない。


「……はぁ。帰ろう」


 再び自宅を目指し、俺は孤独と隣り合わせて帰ることにした。



 ***



 ここは俺の城――“であい荘”という賃貸アパートだ。ここで俺は高校生ながら一人暮らしで住まい込んでいる。二階の端部屋で、室内はワンルーム八畳と、特に不便のない安価な物件である。またここの大家さんとは昔からの付き合いで、何かと俺にサービスをしてくれるヤツでもある。ただ、突然俺の部屋に侵入し、散らかってるから片づけなさい! と親振りするのは是非止めてほしいんだがな。

 早速鍵を差し込んだ俺はノブをひねり、ドアを開けて部屋に入る。一人暮らしだからもちろん静かな空間が広がっているが、床にはところ狭しとゲームやパソコンの配線が乱雑している。

 恐らく、そこらの空き巣でも引っ掛かる超難易度のトラップであろう。だがそれを難なく乗り越える俺は、早速新しく買ったゲームを始めることにした。

 このゲームはシューティングゲームの一種で、眼が良い俺にとっては得意分野のソフトである。時間の浪費ろうひにしかならない説明書を読むことはせず、一気にスタートするのが俺のカリキュラムだ。戦いの中で強くなる課程こそ、ゲームの面白味だと考えているからだ。

 最初のチュートリアルは基本的に飛ばし、もちろん選択レベルはハードに設定して早速ステージへと向かっていく。


「さぁ、はじめよう……」


 誰もいない部屋の中、俺はニヤリと笑ってコントローラーのスタートボタンを強く押した。



 一時間後。



「……はぁ、飽きたな……」

 ゲームに没頭していた俺はついに退屈さを感じてしまい、まだストーリーの途中にも関わらずコントローラーを投げて電源を落とした。昔からすぐに飽きてしまう性格で、今日までずっと続けてきたことと言えば、呼吸と学校の勉強くらいだ。成績は良いに越したことはないため嫌々ながらやっているが、他に興味を示さないことも続けられている要因だろう。

 電気代の無駄にならないよう、ゲームのコンセントすら抜いた俺はその後、近くのスーパーにおもむき晩飯の買い出し、火を使わないで済ます安価な食事、シャワーのみの風呂、そして明日の授業の予習をしっかり済ませた。俺の学校にはガミガミうるさい、俺称モンスターティーチャーが大量発生しているため、欠かしてはいけない強制的義務なのだ。まぁ予習なんざガッツリやるだけ無駄で、形だけで済ますことがおすすめである。間違えて覚えると、脳内を修正する方が時間も労力も掛かってしまう。どんな敵が出てくるか、といった事前調査と同じかもしれない。


 こうして一日とは淡々に過ぎていくもので、気づけばあっという間に夜中の零時を過ぎていた。ふと俺はバルコニーに出て、春の穏やかな夜風に当たる。目の前にはいつもの変わらぬ世界が拡がり、変化しているといえば夜空の雲の形ぐらいだった。


「ヒュー……」


 ついため息と共に口笛を吹いてしまった。しかし、俺は別にへびなど恐れてはいない。夜中に口笛を吹くとへびが出るという、蛇の都合をまったく考えない噂があるが、むしろあのウネウネと動き回るロープには目がえる思いで、俺としては大歓迎だ。


「……つまんねぇなぁ」


 春の星座が雲から垣間見える空の下、俺は空気にささやく。ただ、大事件が起こるよりも、こういった何もない日常の方が俺はこよなく愛している。好きな言葉を並べるとしたら、平々凡々と答えるだろう。


「……寝るか」


 布団を敷き、いつも通り就寝することにした。電気を消せば真っ暗で静かな世界が始まり、この空間に俺しかいないと思うと気が楽で助かる。周囲を気にしなくて済むのだからな。

 満を持して目を閉じて、静かな夜と共に眠ろうとした――そのときだった。



――ビシッ!



 突如、仰向けで寝ている俺は全身に電気が走る感触を覚えた。全く身体を動かすことができなくなってしまったのだが。


 チッ、また金縛りかよ……。


 正直、遭遇したこと事態はそれほど心配していない。どちらかと言えば、俺はこの金縛りがどれだけ長く続くかを危惧していた。

 人間は金縛りにかかると、かかっている最中は眠ることができない。こんなことするのは、決まってたちの悪い幽霊――悪霊の仕業しわざだ。


 早く寝させろ、どっか行け……。


 なかなか解かれない金縛りに苛立ちを覚える俺は、唯一動かせる瞳を、ゆっくりと開けてみる。するとやはり、俺の目には再び映ってしまった。独り暮らしの部屋にいるわけがない、第二者のシルエットが。


 ところが……。



「きゃッ……」



「はぁ……?」

 ワンルーム八畳の部屋で、女声の小さな悲鳴が響き、つい俺も疑問符を鳴らしてしまった。なぜなら、仰向けに寝ている俺の腹部で、セーラー服纏った高校生程度の長髪女子が、顔を強張らせながら正座していたからである。


 な、なんだ、コイツは……?


 見覚えのない女子が乗っている状況に、不思議にしか思えなかった。ふと俺は、半袖セーラー服の彼女と目を合わせてみると。


「ひゃ……」


 再び彼女の小口から悲鳴な漏れ、俺は首を傾げながら黙りこくる。どうも俺と目が合わせてから、コイツずっと震えてる気がする。

 見た目未満の僅かな重さを感じる中、目の前にいるのは恐らく霊で間違いないと判断した。しかし俺は、正直こんなおびえている霊など視た覚えがなかったため、つい視線を送り続けてしまう。

 すると、正座を続ける女子高校生の幽霊は身震いを示しながら、一度自身の小顔を両手で覆い隠す。言葉を放つと同時に、開き始める訳だが。



「――ぶっ、ばぁ~~ッ!!……」



「……」

「あっ、あれ? おかしいなぁ……」

「……」

 俺は、言葉が出なかった。何せ、今日一番の激しい悪寒おかんさらされたのだから。久しく垂らしてこなかった冷や汗を発生させ、身の毛を弥立たせる。



――嘘だろ……? コイツ今、俺のことを驚かそうとしたのか!?



 ある意味、恐ろしく感じてしまった。何とも酷すぎるクオリティーなのだ。縄文時代でも通用しなそうな驚かし方で、呆れて呼吸もままならない。まだ野良猫の鳴き声の方が増しだと思える。


「あ、悪霊だぞ……ばぁ~~~~!!……」

「……」


 とんでもない悪霊が、目の前の腹上にいることまではわかった。

 未だに金縛りが解かれない身だが、もはや呆れてものも言えなかった俺は、とりあえずコイツが邪魔で仕方なかった。


「あの……」

「……きゃッ!」


 俺が話した言葉尻を被せ驚いた女幽霊は、正座を保ちながら身体を後ろに反らす。なかなか面倒な相手だ。


「……あの、降りてくれない?」

「い、嫌です!!」

「はぁ?」

貴方あなたが驚くまで、わたくしは降りません!!」


 コイツ、なんてたちの悪い霊なんだ……。

 顔を渋めた俺は、とりあえず演技でもしてやり過ごそうと考え着く。もちろん演技力に自信は皆無かいむで、努力の精神さえ宿していない。


「あーこわいこわーい。もうねむれないやー……はい退け」

「ふ、ふざけないで下さい!! 心から驚いてくれなきゃ意味がありません!!」


 小顔を赤く染める幽霊が真剣なままに訴えていたが、俺はため息で返す。


「……なんだよ、面倒くせぇなぁ……じゃあ早く驚かせよ」

「じ、じゃあ……いきますッ!!」


 人間が幽霊に驚かせと命令するなど、お前ら聞いたことあるか?

 まるで部活の練習に励むように覚悟を決めた様子の、自称悪霊の彼女は、俺を驚かそうと迫真の演技を繰り出していく。


「が、ガオー!!」

「……」


「うらめしや~」

「……」


「もしかして……こんな顔ぉ?」

「……」


「オバケだぞ~怖いぞ~」

「……パクりだ」


貴方あなたわたくしを……殺したのよ~~ッ!!」

「……知らんがな」


「じ、じゃあ……むか~しむか~しあるところに、一人の少女がいました。その少女は……」

「……もういい、不採用。退け」


 ついに幽霊が怪談話を始めようとしたところで、俺には我慢の限界が訪れた。

 驚かし慣れていない悪霊とは、本当に恐れ入ったものだ。俺はそう思いながら横たわっていたが、女子高校生は首と長い髪の毛を必死ながら左右に揺らす。


「もう少し! もう少しだけやらせて下さい!!」

「無駄だ。お前のギャグにはワンチャンもない」

「ぎ、ギャグじゃありませんよ!!」

「いいから早く退け。俺はもう寝る」


 冗談ではない。どこの幼稚園児の世話係だ。こっちは早く寝たい思いでいっぱいなのだ。


「そ、そんなぁ~……グズッ」


 するとその幽霊は今にも泣き出しそうに、顔をしかめ始めた。そんな酷いことを言った覚えはないのだが。


「……なんで、泣きそうになってんだよ?」


 こっちこそ泣きたいあまりだ。しかし、さすがの独り身な俺でも、目の前で――しかも腹上で――女子に泣かれることは平気でいられない。

 俺は苦い表情で見つめていると、女幽霊は俯きながら声を鳴らす。



わたくし、や……貴方あなたから、“コトダマ”を取り出さないと、離れられないんです……」



「はぁ?」

 俺は彼女の意味不明な言葉に、首を傾げることもできなかった。が、幽霊は声をさらに大にして続ける。



「――だから! わたくし貴方あなたを驚かさないと、貴方あなたから離れられないんですぅ!!」



「……」

 これは、とんでもない悪霊に取りかれてしまったようだ。

 “だから”という理由接続詞を使っていながら、ただ同じ言葉を繰り返しただけではないか。演技も中身も、どうやら幼稚らしい。

 そう感じた俺は渋々、自称悪霊俺称アホりょうの事情を聞くことにした。別に興味を抱いた訳ではなく、テキトーに話を聞いて他所に行ってもらうためである。


「わかった。お前の話を聞いてやる。だから早く退いてくれ」

「は、はい!!」


 すると彼女は割りと素直に立って、俺の腹部から退しりぞいた。よく視るとコイツ、紺のハイソックスだけで靴を履いていなかった。土足でない分、多少の礼儀はあるらしい。

 俺も金縛りからやっと解放されると、布団から出て電気を点けようとしたが。


「は、待って!!」

「なんだよ?」


 突如細い手を伸ばした霊は告げると、おどおどした顔つきで目を合わせてくる。


「明るいところは、その……苦手なんです……」


 なんで? とすら聞く気にもなれなかった俺はため息を漏らしてから声を返した。


「……わかった。じゃあ、このままでいいな?」

「はい!! ありがとうございます」


 こらえろ、麻生やなぎ。これも全て、アホ極まりないコイツから早く解放されるためだ。苦しいのは、今だけなのだ。

 真っ暗の空間内、アホ霊は相変わらずの正座だが、俺は得意の胡座あぐらで向き合う。


「……お前が幽霊なのは、わかった」

「悪霊です!!」

「…………お前が悪霊なのは……まぁ、わかった」


 俺は自分に嘘をつくという見えない犯罪行為を犯してしまったが、渋い顔で面会を続ける。


「んで、お前の名前はなんだ?」

「名前は……その、無いんです……」


 いちいち話を止めやがるな~この女……。


「……生きていたときの名前もか?」

「はい。死んでしまうと、記憶が無くなってしまうみたいなんです。ただ、唯一覚えていることは……わたくしは死んだということだけです……」


 だって、幽霊だもの……。


「……じゃあ、どうして死んだのかっていうことも、わからないんだな?」

「お察しの通りです」

「はぁ……」


 我慢していたため息が出てしまった。どうやらコイツの個人情報を引き出すのは諦めた方が良さそうだ。

 こめかみを押さえた俺は肩を落とすも、一度咳払いをし、話題を変えることにした。


「俺の名前は、麻生やなぎ。質問を変えるが、お前はどうして俺の所に来た?」

「はい。貴方あなたの口笛が聞こえたからです。わたくしたち悪霊は、人間の口笛に引き寄せられるんです」


 口笛といえば、ついさっきバルコニーに出た際に、ため息と共に出されたものだろう。まさかへびではなくじゃが来てしまうとは。


「じゃあ、あのときに来たのか……。で、俺に取り憑いたと……それから一番気になったのは、なぜ俺が驚かないと、お前は離れられないんだ?」

「はい。それはわたくしたち悪霊の特性なんです」

「特性?」


 何度も首を傾げるばかりの俺だが、名も無き幽霊は落ち着きながらもかん高い返事を上げる。


「はい。わたくしたち悪霊は、人間から“コトダマ”を集めているんです」

「……さっきから出てくる、その、コトダマってなんだ?」


 七つ集めると、大気を大いに乱す龍が現れ、願いが叶う的なアレだろうか。

 俺は疑い深い目を向けながら問うと、説明時だけ賢く視える女子高校生は社内面接の如く言葉を紡ぐ。



「はい。コトダマとは、人間が発する言葉に含まれている、霊的因子の塊なのです。中でも人間が恐怖で驚いたときに、口から出る水晶なのです」



 簡単に説明できるかわからないが、どうやらコトダマとは、人間が心から驚いた際に吐き出される、霊感無き者には視えないビーズのような球体らしい。


わたくしはまだ、一個も持ってないのですが……」

「だろうな」

「酷いですぅ!!」


 あの驚かし方を視れば、一目瞭然だ。幽霊にもあるならば、来世に期待した方がいいくらいに評価できる。

 しかし、まだまだ聞いてみたいことがあった俺は一度沈黙を起こし、再び幽霊に問い質す。


「……そのコトダマを集めると、何かあるのか?」

「あ、はい。コトダマを四十四個集めると、天国へ逝くことができるんです。御安心下さい。人間は一つや二つのコトダマを取られても、命に支障はございませんから」


 七つどころの話じゃねぇじゃん……。

 確かに、死を意味する数字に思えるが、懸念材料いなめない。この幽霊が四十四個集められるとは、到底考えられなかったからだ。

 しかし、俺はここでやっと、彼女の真たる気持ちに気づくことができた。普段は細い目を、珍しく大きく開ける。


「じゃあ、お前は天国にきたいのか? だったら、霊媒師にでもお願いして、成仏してもらえばいいじゃないか?」


 実は知り合いに一人――決して仲が良い訳ではないが――家が神社を経営してるヤツがいる。ソイツにでもお願いして、さっさと成仏をしてもらうことが手っ取り早そうだ。

 これで一安心だと思った俺だが、その矢先に幽霊は陰鬱な表情で俯いてしまう。


「それは……嫌です……」

「はぁ? なんでだよ? 一番の近道じゃんか」

「成仏では、ダメなのです……」


 成仏という言葉を聞いてから、幽霊はずいぶんと暗い顔を落としていた。


「ダメって…………何か、理由があるのかよ?」


 確かにコイツは天国に逝きたいと願っている。しかし、どうも成仏と直結している訳ではなさそうだ。

 考え悩むようになった俺が表情と共に表すと、幽霊は得意の返事を放つ。


「はい。やなぎさんは成仏について、詳しく御存知ですか?」


 いきなり名前で呼ぶのかよ? 馴れ馴れしいヤツだな。個別式塾講師か。

 それ以外は丁重に振る舞う霊の女に、俺は少し考えてから口を開ける。


「……魂が天国に向かって、めでたしめでたしって感じか?」

「決して間違っているわけではありませんが、少し違います」


 彼女は静かに頷くも、どこか深刻そうな様子が否定できない。


「成仏とは確かに、さ迷える健全な魂をこの世から離すことができる、方法の一つです。しかし、必ずしも天国へ逝ける訳ではないのです」

「成仏イコール天国じゃないってこと……?」

「はい……対象が決まってます」


 おのずと、俺の背が丸まる。


「対象となるのは、主に死因が関係しております。自ら命を断とうとせず、命の終わりを悔いなく受け入れた魂に関しては、亡くなった際の成仏で天国に逝けるのです」

「葬式直後ってことか……」


 幽霊もたいへんなんだな。死ねば安心できるという考え方は、幽霊目線にしてみれば富んだ勘違いなのだろう。


「じゃあお前は対象じゃないから、成仏はできても天国には逝けないのか?」

「はい。自ら命を断ったり、何か思い残すがあったりすると、わたくしのように魂はこの世にとどまってしまうのです。そこで成仏をされれば、魂の存在自体が消えることに繋がります。つまり、わたくしにとって成仏を受けるということは、永遠の死なのです……」


 魂が消失するからこそ、永遠の死。

 なかなか上手くまとめやがったな。


 俺は半信半疑ではあるが、幽霊の表情から嘘をついているとは思えなかった。彼女の言ったことを、無理矢理信じることを決める。


「なるほど……自殺なんてするもんじゃないってのも、本当だったんだな……」

「はい。なのでこの世に徘徊はいかいする魂は全て悪霊となり、様々な人間からコトダマを集めようと努力してます」

「それって、全部の霊が悪霊ってこと? 範疇はんちゅう広すぎやしないか?」

「悪霊であることを受け入れない限りは、無事に天国には逝けませんから」


 要するに、心霊写真や動画等の幽霊は皆悪霊を演じ、天国に向かうために映り込んでいたのだ。四十四個のコトダマを集めない限り、魂の消失という永遠の死が強制されるのだから。

 俺が抱いていた悪霊のイメージは、どうやら大きく違ったようだ。人間を驚かすことが悪霊であると結びつける一方で、当の幽霊たちは己の魂を掛けてやっているのだ。むしろ、やらされていると言った方が適切かもしれない。


「……じゃあ、墓で視たあの女子も悪霊やって、俺からコトダマを手に入れようとしてた、のか……ん?」


 今日の一日を振り返ってみた俺だが、ふと一つの矛盾点を見つけ、言葉を止める。


「……なぁ? お前は、俺が驚かないと離れられないって言ったよな?」

「はい! ウフフ、間違いありません!」


 なぜか笑顔を見せた霊に言葉が詰まりそうになったが、俺は何とか続けた。


「……今日他に遭遇した幽霊は、俺が驚かなくてもすぐにどっか行っちまったぞ?」


 下校時、誰もいないはずの墓地で遭遇した少女の幽霊。片目を失っていただけに、なかなかの悪霊ぶりだったのを鮮明に覚えている。

 しかしあの幽霊だって、今俺の目の前にいるコイツと同じなのでは?

 素直な疑問を聞いてみると、高校生幽霊はまばたきを繰り返す。


「あ、はい。きっとその方は誘引ゆういん型の悪霊です。または人寄せとも言いますが、悪霊が直接人間の前に行くのではなく、何かしらの方法で人間を引き寄せる特性があるのです」

「特性……? じゃあ、お前はまた別の特性ってことか?」


 幽霊にはそれぞれ種類があるようだ。その種に応じて驚かし方も決められているらしい。


「はい。わたくし憑依ひょうい型です。この特性は、直接悪霊が人間に取り憑いて驚かす仕組みなんです。ただ、これには一つ問題があり、その人間からコトダマを取り出すまで、別の人間にとり憑くことができないことなんです」

「へぇ~。それは個性豊かなこと…………て、はっ!?」



 その言葉を聞いた瞬間、俺は強い悪寒を感じた。



「……じゃあ、俺が驚かない限り、お前はずっといっしょにいるしかないってことか!?」

「はい。なので、がんばりますッ!!」



 小さな両拳を視せて決意表明した幽霊だが、もはや俺にはそんな決意などどうでもよかった。



「……今すぐ型を変更しろ!」



 俺は数年ぶりに喉を震わせた。


「無理です。型については、悪霊として誕生した時点で決まってるものなのですから」

「……」

「あれ? やなぎさん? どうしたんですか?」


 首を傾げた女幽霊に、ついに俺のる気スイッチがオンになる。


「ど、どうしたじゃねぇよ!! 俺が驚くまでいっしょだと? ふざけんな!! こっちが無理だ!! お前の、あの今世紀絶望的な演技で驚くわけないだろ!!」

「そ、それじゃあ困ります~!!」


 幽霊の表情が悲壮色に変わったが、俺は動揺せず貫く。


「こっちの台詞せりふだ!! 無断で取り憑きやがって、終いには離れられない!? 冗談じゃない!! もう成仏だ!! 明日神社で成仏してもらう!!」

「そ、それだけは困ります!! どうか御やめてください!!」

「ふざけんな!! 他人と、ましてや異性といっしょに生活なんて無理に決まってるだろ!!」

「そ……そんなぁ……グズッ……フェ~~エエン!!」


 長きに渡った論争の果てに、幽霊はついに泣き出してしまった。だが俺は情を寄せるつもりはなかった。今は自分自身の暮らしが大切であり、身勝手且つ死人であるコイツを思いやる理由など見当たらなかったからである。


「はぁ……冗談じゃねぇよ……」

「こんな消えかた……嫌だよ……やっぱ、わかってくれないのかな……」

「何言ってやがる?」

「い、いえ……記憶も取り戻さずに、消えちゃうなんて……わたくしは嫌ですから……」

「……」


 彼女はさらに泣き続けるが、俺は彼女の言葉を繋げてしまう。


「……記憶なんて思い出してどうする? お前が死んでるってことは、嫌な思い出かもしれないんだ。思い出さないことも、幸せなんじゃないのか?」


 知らぬが仏。

 今一番伝えたい言葉ではあったが、幽霊は鼻を啜ってから立ち上がる。

 

「……それでも、思い出したいです!! せめて、思い出してから消えたいです……」



……なぜだろうか?



「思い出なんて……常に良いものとは限らないだろ……」



 よくわからないのだが、俺はコイツを放っておけない気持ちが次第に生まれていた。決して好意など微塵みじんもないのだが、沈黙の訪れを阻害させる。



「アイツも、そうだったのかな……」

「やなぎ……さん?」


 俺は涙目の幽霊から視線を反らし、闇部屋の一角を見つめる。



「……実はさ、俺には妹がいたんだ。まぁ、ずっと前に死んじまって、ろくに姿も覚えてないんだけどさ……」



 自嘲気味に笑った俺は、小さな机に焦点を当てていた。その机上には、一年更新で俺が描いている、今は亡き妹の仮想似顔絵が写真楯として飾られている。“麻生はな”という、中学生少女の想像任せの微笑みが。


「……グスっ……やなぎさん……」

「……わりぃ、関係ない話だったな」

「いいえ……グスっ……やなぎさんは、やっぱり妹思いの、心優しい方なんだなと思いますよ」

「やっぱりって、なんだよ……」


 俺は振り返って彼女の顔を視たが、彼女は涙を溢しながら笑っていた。高校生であるはずが、少女のあどけなさが直に窺え、頬上の雫が蛇行している。



……なぜだろうか?



「……お前は、そんなに記憶を取り戻したいのか?」



 再び背を向けながら、俺の口で闇の静けさを払う。



「はい。たとえ嫌な記憶であったとしても、わたくしは思い出したいです」



 決して洗脳されている覚えはなかった。赤の死人に対する興味はおろか、恋愛感情さえ抱いた経験がない身だ。



「そうか……」



 しかし、俺は言葉を吐き続けた。どうしても気に触れていたからだ。過去を思い出したいという気持ちが。

 中身は幼気ないが、見た目は俺と同年代に思える、独りな彼女の想いが。



「――わかった。明日の成仏は、無しにする……」



「えっ? ほ、本当ですか!?」

 幽霊の、喜びからの驚き音が背に当たったが、俺は振り向かなかった。恥ずかしくて、顔を合わせられる余裕がなかったからだ。



「俺にできることはわからねぇけど、せめてお前が記憶をとり戻せるまでは、存在を許可する……」



「ふはぁー! ありがとうございます!!」

――ゴツン!!

 歓喜した挙げ句、床に頭をぶつけて土下座してるのが伝わった。大きな衝突音と震動だっただけに、額を赤くしていることまで察しが着く。


「で、でもどうしてですか?」

「初めて、だったから……」

「えっ?」

「初めて信じてもらえたからさ……その、妹のこと……」


 現在俺をさいなめている、恥らいの正体だ。厳しい世の中でれば、シスコンだと言われてしまうだろうが。


「ふふっ……やっぱり、やなぎさんは優しいんですね」


 こころよく受け入れてくれた様子が、背から暖かくも感じ取れる。俺はあくまで微笑みを灯さなかったが、生まれて初めて幽霊との距離を縮めることにした。


「金縛り……かな、しばり……カナ!!」

「えっ?」


 やはり土下座していた彼女に、俺は振り返って人差し指を突き向ける。



「――カナ! それがお前の名前だ。大切にしろ……」



「ふあぁぁ~~! はい!! やなぎさん!!」

 自称悪霊――カナは未だに目に涙を残していたが、真っ暗なこの部屋に月光を反射させ、無邪気な少女の笑顔ではにかんだ。

 これで、カナの成仏及び記憶収集を手伝うことになった俺だが、これといって解決策が見つかった訳ではない。半ば後悔も否定できない状況だが、とりあえず、やれることをやってみようと思う。幽霊なら食費や養育費も掛からないだろうし、そこまで不自由でもないだろう。

 珍しくポジティブシンキングな俺だが、何より想っていることは、たった一つだけだ。



――死んだ妹の存在を認めてくれた、一匹のアホ霊のために、少しだけ時間を割いてやろうと。

 

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