十個目*オバケ姑とか困る*


 俺は水嶋としばらく歩き、鳥肌が立つ人混みの中を進んでいた。目の前には踊り子の人で囲まれた御輿みこしかつがれ進んでいき、溢れんばかりの人間の声も次第に大きくなっていく。


「……」

「ねぇ、麻生くんはよく、お祭りに来るの?」

「いや……」

「そっか。……提灯、きれいだね。これ、わたしたちが作ったやつじゃない?」

「そうだな……」


 決して水嶋の声が聞こえていない訳ではないが、俺はひたすら、短く冷たく淡々と返しながら進んでいた。

 相手に話題を作らせて、それに素っ気なく答え続ける。

 それは俺がぼっち道を通って身につけた、唯一無二のアビリティなのである。これを修得するには、並大抵の精神力ではまず無理だろう。欲しいのならば、最初に座禅を組んで精神統一を図り、その後に瞳を細め、周りを引き寄せない面構えを覚えるべきだ。まぁ生憎、弟子は取っていない。武士道ならぬ、ぼっち道は言わずも知れた、唯我独尊の一本道なのだからな。


 こんなやり取りを続けていると、ついに水嶋からもため息を漏らされる。どうやら俺の隣を歩くことに嫌気が差したのだろうと、半ば安心していた。が、話題を切り替えられて言葉を紡がれる。


「こんなんだったら、みどりちゃんも来れば良かったのにね~」

「……そう、だな……」


 突然同じクラスメイト――篠塚しのづかみどりの話を持ち込んだ水嶋には、俺は嫌な予感がしていた。しかしそれは無情にも当たってしまう。


「やっぱり碧ちゃん来てないのか~。てっきり、わたしに内緒で来てると思ったんだけどな~」

「……」

「あ~あ。碧ちゃん、勿体ないことしてるな~。せっかくチャンスなのに、実家のお手伝いを優先しちゃうんだなんて~」

「……」


 コイツ、他人のこととなると、よく喋るヤツだな……。


「碧ちゃんの実家って、梨農家なんだよね~。働いてるのはおじいちゃんとおばあちゃんだけで、人手が足りてないんだって~」

「……」


 水嶋と篠塚は確かに仲が良い。それは教室で二人がいつも楽しげに話し合っている姿を見れば容易にわかる。提灯を作ったときだって、二人はすでに作業していたくらいだ。まぁ、俺は嫌われているのだろうが……。


「だからといって、今日の御祭りの日まで手伝わなくてもいいのにな~。まぁそこが碧ちゃんの、家族想いのいいところなんだけどね~」

「……」


 それにしても、よくもこんなに篠塚の話を続けられるものだ。これが俗に言う、ガールズトークの特徴なのだろうか。はたまたママさんトークにも似ている気がする。


「碧ちゃん、今何してるんだろうな~。まだお手伝い中かな~。終わってお風呂入ってるかな~。それたも、小さい身長気にしてるから、背伸びトレーニングしてたりして!」

「……」


 水嶋が言い続けていることは、決して篠塚に対する悪口ではないが、俺には徐々に騒音と化し、次第に表情が苦み始めていた。

 俺の言葉は吐き出されることなく、水嶋が篠塚の話を一方的に話し込む形となったが、反って会話をしなくて済む快楽を覚え、俺はテキトーに聞き流しながら林檎飴を持ち運んでいた。このまま事なきを経て早く城に帰還しようと考えるのみだ。

 しかし、ふと水嶋は立ち止まり、そっぽを向いて何かを見つけたようだ。


「あれ、もしかして……」

「お、おい……」


 すると水嶋は突然俺の隣から離れてしまう。


 バックレってやつだろうか。


 俺は水嶋の行く先を眺めていたが、すると一人の淡い赤色に染まった浴衣姿の、小さな女の子のもとで膝を折り始めた。

 背の低さから小学生低学年くらいと予想できる女の子はどうも、顔を手で覆いながら泣いており、俺も――仕方なくだが――気になって近づいてみる。


「おい……どおした?」

「この子、迷子みたいなの……」


 心配した表情で水嶋は言うと、少女は嗄れきった声で、

「ママ……」

 と、呟き涙していた。この人混みの量だ。きっと歩いている途中にでもはぐれてしまったのだろう。


「うぅ……」

「かわいそう……本部まで連れていってあげましょ」


 またまた繰り出された水嶋の注文にはウンザリだが、相手が少女ともなれば無視してはいけない気がする。俺はひとまず素直に頷いて、早速御祭り本部へと一歩足を弾く。


「じゃあ行くぞ」

「待って!」


 しかし俺の歩みは水嶋に止められてしまい、再び姉のような水色浴衣の背と、泣き止まない赤色浴衣の少女に振り返る。


「この子、歩けないみたい……」


 女の子の足元に向かって囁いた水嶋につられて、俺も視点を移す。すると、少女の履いている下駄の紐が切れてしまっていたのだ。


「……じゃあ、俺が運ぶよ」


 俺は渋々しゃがみこみ、女の子をおんぶすることを決める。労力を必要とされるのはたいへん迷惑だが、さすがに女性の水嶋に力仕事を押し付けるほど、俺は人間できていない。


「ほれ、乗れ……あれ?」


 俺はいつものように冷たく放った。

 しかし、俺がいつものように冷たげに言ってしまったからだろうか、少女は俺の背中には乗らず、反って水嶋の背後に隠れてしまう。

 怯えているのだろうか。一応これでも一般ぴーぽーのつもりなのだが。


「大丈夫よ。顔は怖いけど、根はいい人だから」

「顔が怖いのは余計だろ……」


 少女と目線を合わせながら優しく告げた水嶋のあと、俺は無表情のまま返して微笑みなど作れなかった。


「ほら……いいから乗りな? ちゃんと運ぶから」


 すすり泣く少女はは未だに止まっていたが、水嶋が幼い肩に手を置いて笑顔を向ける。


「大丈夫だよ。わたしもいっしょだから」

「……うん」


 迷いに迷った少女の頷きだったが、やっとのことで俺の背中に乗ってくれた。背中に触れた途端、親と離れた女の子の身震いが直に伝わってくる。

 だが俺は水嶋のように言葉を掛けずに立ち上がり、少女をおんぶしながら歩き始める。


「なぁ、水嶋。ここから本部までどのくらいだ?」

「ここからだと、歩いて十五分ってところだね」

「はあ……時給の四分の一か……」

「フフ。ボランティアに時給は発生しないよ」

「へいへい……」


 微笑む水嶋の返答に、俺はため息をついていた。ボランティアだって労働だと思うのに。


「ねぇ? あなたの名前、教えてくれる?」


 すると水嶋は俺の隣から、少女の顔を見ながら尋ねていた。やはりこの二人は知り合いではなかったようだ。


「……ともよ……石塚いしづか朋代ともよ……」


 石塚いしづか朋代ともよと名乗った少女の声は震えていたことから、まだ涙目で不安に襲われている状態であることがわかる。


「朋代ちゃんか! かわいい名前だね!! お母さんと来たの?」

「……うん……」


 朋代は頷いてはいたが、なかなか聞き取りづらいほどに小さな弱声だった。しかし迷子になった少女の恐怖心をかき消すように、水嶋は明るくほがらかに続ける。


「そっか。大丈夫!! きっと会えるよ」

「……ほんとう?」

「うん!! だからもう泣かないで? 朋代ちゃんは、笑顔がとっても似合うから!」

「……うん!!」


 水嶋のエールにも似た言葉たちで、涙を拭った石塚朋代はあっという間に笑顔になっていた。


「マインドコントローラーか? お前は……」


 第三者として観察していた俺の率直な感想だったが、水嶋はフフフと上品な笑みを溢す。


「実は昔ね、わたしも同じような目にあったの……」


 水嶋から微笑みが消えることはなく、足元を見ながら進んでいた。


「お前も、迷子になったのか?」

「うん。一人になって、怖くて泣いていたわたしは、とあるおじさんに本部まで運んでもらったの」


 水嶋からは顔を向けられ、“今の麻生くんのようにね”と言わんばかりの嬉しそうな表情を放たれてしまい、正直狼狽うろたえてしまった。フラグなど現実世界では求めていないというのに。


「知らないおじさんについていっちゃダメって、学校で習っただろ……」


 気が焦るあまり、ずいぶんとありふれた台詞を投げてしまった俺だが、すると水嶋の視点はすぐに変えられ、俺たちの頭上で吊らされた提灯たちへと向かっていた。


「まぁね……。でもその人は、わたしの恐怖心を消すために、ずっと話かけてくれたんだ。泣き止むまで、ずっとね」


 水嶋のうっすらと照らされた穏やかな表情を見る限り、そのおじさんと称する者は大した人格者に思える。男って結構損だよな。知らないおじさんって言われるだけで、周囲からは近寄るなとバッシングされてしまう生き物なのだから。


「そっか……その人は、今何やってるんだろうな?」


 素晴らしき人格者ならば是非日本の政治家にでもなって維新的な活動をしてほしいと思った俺だが、すると水嶋から再び目を向けられる。


「今はこの御祭りの主催者になっているの。たぶん、麻生くんも会ったんじゃないかな? ほら、公民館にいた人だよ」


 水嶋が告げたあと、俺の頭の中には昨日公民館で会った、一人の老人の姿が浮かび始める。


「あぁ~、あの人か……」

神埼かんざきさんっていうの。今はおじいちゃんになっちゃったけど、以前はもっとイケメンで、ホントに優しい人だったのよ?」


 そういえば、名前すら伺わずに去ってしまったことに気づいた俺は、改めて苗字を聞くことができた。とはいえ、そもそも関わりのない相手の名前など、覚える気は一切ないのだが。

 ここはテキトーに聞き流そうとした俺だが、ふと水嶋は俯き始め、表情から提灯の光が失せる。


「そのあと、公民館で待っていたわたしを、兄さんが迎えに来てくれたんだ……。今では、ホントに良い思い出だよ……」


 水嶋はアスファルトに向かって微笑んだが、少し寂しそうにも見えてしまった。


 口が裂けても言えたものではない。


 もう水嶋の兄貴は、魂の存在すら成仏されただなんて……。


 俺は別に、水嶋麗那に愛など抱いてはいない。しかし兄貴――水嶋みずしま啓介けいすけの想いを知っている者として、コイツには一生嘘をついていこうと思った。



 妹を思いやる兄貴の心行きは、俺だってわかるから……。



 一つ小さなため息を溢した水嶋。俺には珍しい光景だったが、すると表情は明るい微笑みに一変し、頭上で優しげに灯る提灯に人差し指を向ける。


「あっ! 見て朋代ちゃん!! あの提灯の絵!! あの絵、とってもかわいいねぇ!!」


 すると水嶋はめい一杯の元気を表し、朋代に笑顔を伝染させた。


「うん!! 朋代、あっちの絵も好き!!」

「おお~!! あれも良いね!! お姉ちゃん見えなかったよ~。朋代ちゃんすごーい!!」


 もはや姉妹のようにも見える二人の明るい表情。朋代は太陽の如く眩しい嬉しさで話していた。しかしその一方で、水嶋からは決して眩しさを感じなかった俺には、提灯のように、内に秘めた優しい灯火が窺えたのだ。

 少しの風で消えそうなのに、か弱くも明かりを放つ、小さな炎として。

 もちろんその穏和な炎は、一人の少女を照らすことができていた。


 水嶋のおかげで、子慣れしていない俺は無言のままでいられてホッとしていた。絶対に口にはしないが、少しばかりの感謝の気持ちを寄せながら、御祭り本部へと静かに歩いていた。



 しかし、やはりヤツら二匹がかき乱してくる……。


「なんか、家族みたいだなぁ。婚約成立も、案外近そうじゃん!」

「うぅ……やなぎさん、御達者で……。わたくし貴殿あなた方のことを、しっかり支えながら生きていきますから……」


 俺はまだ高校二年だから結婚もできねぇし、あとなぜドサクサに紛れてしゅうとめになろうとしてやがるんだ? オバケしゅうととか困るし、渡る世間は霊ばかりなんて断固拒否だからな。


 俺の背後では、すでに結婚まで見通しながら見つめるフクメと、涙を流して夫婦円満の未来を願うカナらが囁くことで、俺だけが苦い表情をしながら歩むこととなった。



***



 お祭り本部。

 俺たちはやっと本部に着いた。そこは高台に位置された場所で、花火を一望しようと男女カップル立っていたり、シートを敷いて夜空を見上げる家族連れと多く存在していた。崖の方には一部だけ“立入禁止”と書かれた立て看板と赤いコーンが並べてある闇場が垣間見えたが、それを隠そうと様々なテントが建立こんりゅうされている。

 たどり着いた俺たちは早速、“迷子センター”と描かれたテントへと足を運んでみる。傍には老人ばかりが目に映り、時折キツい加齢臭も漂ってきた。

 将来はこんな臭いなど抱きたくないと若死を考えた俺だが、ふと水嶋が俺の前に出てテントの中を覗く。


「すみませーん。迷子を連れてきましたー!」

「おお! 麗那れいなちゃん!」


 するとテントへの中でイスに座っていた一人の男性老人がすぐに振り向き、嬉しそうに顔のしわを増やしながら歩み寄ってきた。


この人は確かと思った俺だが、それはすぐに水嶋の口から解答される。



「あ、神埼さん!! お久しぶりです」

 


 水嶋が笑顔で呼んだ老人は、先ほど話題にも挙がった神埼だった。

 神埼とは公民館で一度会っていることから、俺の顔も覚えられていたらしく、水嶋同様に温かな微笑みを向けられた。


「やあ、君もこの前はありがとう。たいへん世話になったよ~」

「は、はぁ……」

「ところで、迷子の子は君の後ろかな?」

「あ、はい……」


 話の展開の早さに、神埼からは見た目に合わぬ若さを感じてしまった俺は目を逸らし、背負う石塚朋代に半顔で窺う。


「立てるか?」

「うん……」


 表情が曇りがちになっていたことは、見知らぬ所に連れて来られたことへの不安だろう。いくら迷子センターと言えども、子どもには慣れない場所で居心地が悪い。


 少女の俯く気持ちも察してはいるが、俺は静かに降ろしてやり、子ども用の小さなイスを前に運んでやろうとした、そのときだった。



――「ともよ~!!」



 突如テントの外からは女性の、悲愴ひそうが混ざる轟音ごうおんが鳴らされた。見るとそこには三十代前後の浴衣女性が、涙まで浮かべた心配気味の顔でこちらを覗いていた。



「――ママァ~!!」



 すると朋代はその女性のもとへ駆けていき、ママと叫んだ女性から包まれるように抱き締められていた。


どうやら、ここまで運んでやった甲斐があったようだ。


 無事に母と娘が再会できたことには、水嶋も、神埼も、何だかんだ俺も安心を抱きながら、しばらく泣き続ける家族愛を見つめていた。


「麻生くんのおかげだよ? ありがと」


 ふと隣の水嶋から感謝を述べられたが、どちらかと言えばコイツが気づいて見つけたことの方がたたえられるべきだ。

 まぁ、確かに力仕事など慣れていないから、俺も多少の褒美はほしかったが……。


「……俺は別に何もしてねぇよ」

「あら、カッコいい! 麻生くんも、わりとクサイこと言うのね」

「感謝の気持ちはどこいった?」



 俺をからかうように笑う水嶋からは、後世まで続く多生のえんを貰うこととなった。


 やがて二人の母娘は泣き止んで手を繋ぎ合い、迷子センターに浴衣の後ろ姿を向ける。


「お姉ちゃんバイバ~イ!!」

「バイバイ朋代ちゃん!! 御祭り、楽しんできてね!!」


 元気に挨拶をする朋代に対して、水嶋も元気に優しく挨拶をしたことで、二人の母娘は笑顔のまま姿を消していった。

 挨拶をしてもらえなかった俺からしたら、骨折り損のくたびれ儲けそのものだ。どうして男の人生とは損して止まないのだろう。まったく、世の中は女尊男卑極まりない。

 母娘が完全にいなくなった頃、俺は疲れもあって大きなため息を漏らした。すると神埼からは、ありがとうと意を表した顔を向けられる。


「君らには、本当に御世話になったねぇ~」

「いえいえ。パトロール中でしたから」


 俺は黙るままで水嶋が答えると、神埼は俺たちそれぞれ手に持つ林檎飴を覗いてから、微笑ましげに頬を緩める。


「それにしても、君たちは付き合っていたのかい?」

「フフ、そんなんじゃありませんよ」


 水嶋は眉をハの字にして笑っていたが、このときばかりはコイツに助けられたように思える。俺の背後にいるやかましい勘違い者が増えては困るからな。



 ……あれ?



 そう思いながら背後を窺った俺には、変な違和感を覚えた。もちろんカナとフクメはいる。俺から五メートル以上離れられないらしいから、結構近めのテント入口付近だ。が、その近距離のせいで、俺は更に疑念を抱いてしまった。



――コイツら……いや、フクメがさっきからずっと黙ったままだ。



 五月のはえのように飛び回るほど騒がしかったフクメなのに、今はなぜか静かに俯いたままなのだ。隣でカナも心配そうに眺めており、どうにも気になってしまうほどこうべが垂れていた。


 一体どうしたのだろうか?

 ここに来て突然意気消沈してしまったような……。


 お転婆娘の沈黙が反って気分悪く感じた俺は原因を突き止めようとしが、会話の途中だった神埼から笑い声を出される。


「ゴメンゴメン。麗那ちゃんたちを、ちゃかした訳ではないんだよ。ただね……」


 すると神埼の顔からは少しのしわが減り、テントの外に出ようと入口へ向かってきた。その場所にはもちろん、俯いたまま固まるフクメがおり、ついに神埼からぶつかろうとしていた。


「ちょ、そこには! あっ……」

「ん?」


 小さくも驚いた俺に振り向いた神埼だが、そのときにはすでにフクメを通り過ぎているところだった。



――いや、すり抜けたというべきだろう。




 両者は確かに、真正面から衝突するところだった。

 

 だがそれは、フクメが人間だったらの話である。


 幽霊であることも忘れて止めようとしていた俺はすぐに、何でもないっすと神埼に返答してしまう。が、なぜか俯きがより深くなったフクメからは、大きな悲しみを感じて仕方なかったのだ。

 今さら幽霊になったことを、後悔しているのだろうかと思ったとき、テントから出て夜空を見上げた神埼から、背中で語られる。


「君たちのことを見ていたら、昔のことを思い出してしまってね……」


 神埼の背後にいる俺には、無論彼の表情など見えなかった。しかし落ちた肩や声の低いトーンからは、どこか寂しさまでが伝わってくる。


「昔のこと?」


 どうやら気になった水嶋は神埼の隣に移動し、同じく夜空を仰ぐ。


「まあ、老いぼれの昔話なんて興味がなかろう? 君たちも、楽しめるうちに、御祭りを堪能してきなさい」

「え~? 気になるんですけど~?」


 水嶋が子ども染みた語尾で首を傾げている一方で、俺は神埼の言葉が変妙に引っ掛かり、眉間にしわを寄せていた。


“楽しめるうちに”


 やけに強調していたように聞こえたからである。単純な言葉並べではない、何か他にも深い意味含んでいると捉えた俺は考えようとした、そのときだった。




「――神埼かんざきとおる……」




「――っ!」

 弱々しい呼び声が聞こえた俺は迷わず、顔を上げられないフクメに目が向かった。だって、今コイツの台詞は明らかに奇妙だったからである。



――どうして、俺も聞いていない神埼のフルネームがわかったのか……?



 俺だって、水嶋からは苗字までしか聞いていない。それは記憶を無くし、俺の傍で生活してきたフクメだって同じ状況のはずだ。

 別に神埼が名札を着けている訳ではない。はたまた、このテント内にはどこにも関係者の名簿など見当たらない。



 ならばフクメはどこから、神埼透という名前の情報を得たのだろうか?



「ふ、フクメさん?」

 カナもより心配した顔を近づけて聞いていた。フクメの様子がおかしいのは一目瞭然であるなか、すると鬼のお面を載せた小さな頭が、ゆっくりと縦に動く。



「思い、出した……」



「えっ?」

「はぁ?」

 取り憑かれてから初めて聞いた低すぎる声には、カナも俺ももう一度聞き返してしまう。だがフクメの表はいっこうに上がらず、ただ鬼のお面と目が合うのみだった。


「フクメ……」

「へへ……ゴメンね、お姉ちゃん……それに、やなぎも……」


 自嘲気味な笑いを起こしたことで、いつも通りのトーンに戻ったフクメはやっと顔を視せる。すると視点は俺ではないテントの奥の方へと向かい、微笑みであるはずなのに哀愁ばかりが漂ってきた。



「――全部、思い出せた……てか、思い出しちゃった……」



 最後に諦め笑いを視せたフクメは迷子センターテントの横奥を見ながら――いや、その傍で隠れていた立入禁止ゾーンに目を向けながら、寂しそうな表情を浮かべていた。

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