第7話 そして都市伝説へ

「はいはい、そこまで。事情はだいたい分かりましたので、あとは任せてください」

 人事課長が、また根明な声を出した。陰鬱な空気が流れていた場を、妙なテンションで押し流す。

 その後ろで、サイレンの音が聞こえてきた。誰か通報したか。あんだけ騒いでて遅いくらいだ。

「あとはわたしが対処しますから、みなさん帰って手当をしてください。宮田さん顔が痛そうですよ」

 松下さんは、腕を組んだまま鈴木たちに言った。

「もう二人とも立ちなさい。帰るぞ」

 鈴木と栄は顔を見合わせ、なんか腑に落ちない顔で立ち上がった。

「あ、栄くんはそのまま。狙われた当事者ですからね、もうちょっとつきあってもらいますよ」

「マジっすか」

 栄は中腰の状態で、げんなりしたように言った。足がしびれた、とブツブツつぶやきながら子鹿のようになっている。


 俺は何はともあれ、松下さんにまず頭を下げた。

「すみません、もう寝てたんじゃないですか」

「問題ない。仮眠を取ってちょうど起きたところだった。子供は夫が見てくれているし、移動費は経費で落ちる」

 ノーメイクの顔でにっこり笑った。女王様はオーラのせいか、化粧なんかなくても、華やかに見える。

 いや、つーか、経費。

「経費ってどこにつくんだ? この場合の依頼人て……俺が? 俺なのか?」

 いやなんか、おかしい。

 動揺した俺に、人事課長は、大丈夫ですよお、と手をヒラヒラさせた。

「ちゃんと顧問弁護士もいますし、警察とのパイプもありますからね。このふたりに損害賠償請求しますから。みなさんの治療費や御見舞代や、深夜の出動代も、ガッポリですよ~」

 ある意味、最悪の罰だ。

「途中で、何か壊したりしました?」

「あ~どっかのカフェの壁は壊したけど」

「僕が戻しました」

 唐突に高口が口を挟んだ。

「いやいやなんと! 高口先生も一緒だったんですかぁ。良かったあ。根回しとか少なくて済みそうで助かります。怪我は……大丈夫ですか?」

 今頃気づいたのか。

「もう戻しましたので、問題ありません」

 気がつくと、高口の腕も元に戻っている。袖はボロボロのまま、腕は血まみれだったが、傷口がなかった。

 相変わらずにもさもさの前髪の下の顔は、何を考えてるか分からない。


「本当に治したのか」

「治したというか、元に戻したんです。ぼくの能力は、傷の治りを早くすることではなくて元に戻すことだから、余計に他人に働きかけるのは難しい。細胞は常に変化してますから。残念ながら、宮田さんの痛そうな顔は戻してあげられません」

 言われると、DV男に殴られた顔面がズキズキと痛みを訴えてきた。口の中も切れてるな。酒のせいか鈍いが。というか、体中が痛い。おっさんに全力疾走させやがって。明日は筋肉痛だ。最悪だ。

「会社に寄って手当てして帰りますか」

「あーすみませんね、先生」

 帰ってすぐ寝たいけど、放置すると明日めちゃくちゃ痛くなりそうだ。

「いえ、現場の仕事ぶりも見れましたし。なかなか楽しかったです」

 それなら、まあ良かったけど。ほんとかよ。

「自分の力って、どこから来るのかなって、不思議になりませんか?」

 俺は、手のタバコを見て、確かに、とつぶやく。

 呼気に能力があったとか、炎と連動して発動したとか言われても、さっぱり意味が分からない。そもそも呼気に能力があるとはどういう状態だ。

「自分の力ってどこから来るのか、普通の人とどこが違うのか、なぜ生き物は戻せないのか、それが疑問で、人体のことか細胞とか遺伝子とか、勉強したら分かるのかなって思ったんですよね。それで医者になったんですけど。医学を勉強しても、なんかぼくの知りたいことじゃないなって思って。遺伝子学とかのほうに進むべきだったのかもと思ってちょっとかじってみたんですけど、なんか違うなって。ぼく以外の能力者はどうなんだろうって思って、この会社にきたんですよね」

 高口は珍しく饒舌だった。メガネをズリあげて続ける。

「宮田さんが死んだら脳みそ解剖してもいいですか?」

「やっぱりマッドサイエンティストじゃねーか!」

「冗談です」

 真面目に冗談言うのやめろ。表情わかんねーし本当に冗談かもわかんねーし!



 俺は手のタバコを携帯灰皿にねじ込んでから、さっき落とした吸い殻も拾ってつっこんだ。変な証拠残すの嫌だし。

 それから、近くにへたり込んでいた小林に手を出す。

「おい、お前大丈夫か」

 手につかまってきた小林を引っ張り上げる。

「お前、一体何の会社なんだよ」

「調査会社だよ」

 俺は内ポケットから名刺を取り出した。

「特殊能力者を集めた調査会社だってよ」

 小林は顔をしかめる。

「ファンタジーかよ」

「ファンタジーだけど、現実なんだってよ」

「危ない仕事じゃねーのか。あんな訳のわかんない奴の相手ばっかしてんのか?」

 小林の言う訳のわかんないやつは、そこに正座させられたままだった。

「お前は母親かよ」

 うるせえ、と小林は舌打ちする。もう酔いはふっとんでるようだった。

「まあ、前の会社みたいに、搾取されてなきゃいいけど」

 なんかもうその辺どうなんだ。俺もよくわかねんねーや。

「前の会社よりはおもしろいから、いいんじゃねーかな。変な奴ばっかだし」

 現場疲れるけど。内勤でもいいけど。相棒めんどくせーけど。

「変な奴って言わないでください!」

 あーはいはい。

 サイレンの音が近くなる。やばい、つかまったら長くなる。残念なことに、経験上よく知っていた。この会社に来るまで知ること無かった知識だ。知りたくなかったけどな。

 さっさとタクシー掴まえて、鈴木突っ込んで帰らせよう。疲れた。



 とにかく大通りに出てタクシーを拾わねーことにはどうにもならない。

 ぞろぞろと歩いて路地を抜け、明るい方に向かう。すると、大通りの車の流れを後ろに、部長がパタパタと走ってくるところだった。

「だいぶ出遅れちゃったみたいですね。すみません~」

 のんきな声が向かってくる。

「みなさん無事で良かったです。うわっ、宮田君痛そう。高口さんもボロボロじゃ無いですかあ」

 うわーめんどくせえ。

 説明するべきなんだろうが、もう疲れてめんどくせえ。

「人事課長が、あとはなんとかしてくれるって言ってましたけど。栄も一緒で」

「おや、もう来ていましたか。早いですねえ。とりあえずわたしも上司として、出頭しますかねえ。みなさんは大人しく帰るんですよ~」

「こんなん警察が信じてくれるんですか?」

「だから、我々は警察とパイプがあるんですよ」

 部長は笑って言った。

「空気を弾き飛ばしたり、火を出したり水を操ったり、証拠も残らないし、目撃しても信じてもらえません。だからといって、そういうことが野放しにされるのは望ましいことではありません。それをなんとかこじつけるのも我々の仕事です」

 俺のトイレ爆破を、老朽化だとか漏電だとかとこじつけたようにか。いやトイレを爆破したわけじゃなくて壁だけど。

 今までの事件も、たまに警察がからんできても、気づいたらきれいに片付いていて、また呼び出されるようなことは無かった。

「ほんとうは異能力者の犯罪だって、そのまま犯罪として立証されるのが望ましいのですが、簡単なことではありませんから」

 メン・イン・ブラックということか。口外を封じるわけではないが。

 怪奇現象に、不審な物事に、落としどころを見つける、変な組織。能力を持った人たちに活躍の場を与えるのも会社の理念だと言っていたか。今回はそれが空回ったわけだが。

 俺たち自身が都市伝説になって、変な光と火とか騒ぎとか人影とかも、都市伝説になるわけだ。


「嫌気がさしましたか?」

 あー、と考えるふりで声を出して、俺は苦笑した。

 箱からタバコを出して、口にくわえる。

「肺癌になったら労災出ますかね」

 部長は爽やかに笑った。

「さあね~出ないと思うよ~」

 ですよねー。



 部長がパタパタと走って行くのを見送るまでも無く、鈴木がデカい声を出した。

「歩きタバコ禁止と何度言ったら分かるんですか!」

 声が夜の道に響き渡る。

 あーはいはい。すみませんね、つい癖でね。俺はくわえたタバコをポケットにしまった。

「宮田さん、疲れました! コーラおごってください!」

「うるっせーな。おごってやるから黙れよ」

「今後仕事のたびに一本です!」

「調子のんなよ」


 自販機でコーラを買ってきて、握らせる。

 鈴木はコーラのペットボトルをひっくり返すようにして一気飲みを始めた。飲んでる間は静かだ。子供か、お前は。

 いや子供は一升瓶を片手にコーラ飲んだりしねーけど。

 道の先には、唐突に車が流れる大通りが現れる。もう深夜過ぎで終電もない時間だが、車は全然途切れる気配も無く、人の声がさざめいている。笑い声や怒声があふれかえっていた。あー日常だ。

 タクシー乗り場どっか近くにあったかな。思いながら俺がタクシーを捕まえようとしている横で、鈴木がまたわめきだした。

「だいたい宮田さんは、危機感が足りないんです!」

 コーラの効果、短い。まだ半分残ってるから、飲んでくれてればいいのに。

「うるせえ、年頃の娘の親かお前は」

「いい年のくせに、のらりくらり調子よくやろうとするから、ブラック企業につかまったり、変な奴に襲われたり、栄になつかれたり!」

「栄は別にいいだろうが」

 やっと一台。最初に松下さんを帰してから、もう一台。

「いいからさっさと帰れ」

 タクシーの後部座席に、一升瓶とコーラのペットボトルを抱えた鈴木を押し込んだ。


「鈴木」

 きちんと座って前を向いている鈴木に、俺は声をかける。鈴木のまっすぐな目がこっちを向く。

「助かった」

 鈴木は、顔面いっぱいで笑った。

「それは良かったです」

 それから、デカい声で続ける。

「また会社で!」

「ああ」

「その顔、職質されないように気をつけてくださいね! 怪しいですから!」

 うるせえ。


 俺は運転手に向けて、出すように合図する。バタン、とタクシーの扉が閉まったが、鈴木はまだ何か言ってる。元気いっぱい手を振ってきた。コーラ振り回すな、泡だってんぞ。

 しかたねーから俺も手を振り返す。鈴木を乗せたタクシーが車の波に乗るのを見送らず、小林と高口のところへ戻った。

 あー痛ぇし、めんどくせえ。

 会社に寄って手当てして、それから。

 週明けはまた仕事だ。

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あなたの健康を損なうおそれがあります 作楽シン @mmsakura

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