第6話 マナー・メイクス・マン

「おーい」

 声が降ってきて、俺たちはみんな上を見上げた。

 足の裏が見えた。正しくは靴の裏だ。それから、星彩と街灯の明かりをくっきり切り取るような、黒い八角形。

 傘を片手に、黒スーツのおっさんが、メリー・ポピンズみたいにふわふわと降りてくる。

 何だあれ。なんのメルヘンだ。

 いや――あれ、人事課長だ。なんなんだ、ゾロゾロと。連絡網早すぎねえか。

「なんで傘。イメージ混在しすぎ」

 あきれかえって俺が言うと、人事課長は顔をしかめた。

「降りるときのスピード調整が難しくてね」

 地面近くになって、傘を開いたりすぼめたりして、人事課長は着地した。

「空飛べたんですか」

「自分だけ飛ばすことができるんだよね。他のものは無理なんだけど」

 そういや俺が最初に会社に行ったとき、何か言ってなかったか。

 前線を、、バリバリ働いたものです。とかなんとか。

「それメン・イン・ブラックなんですか」

 黒スーツを指さして言うと、人事課長は少しばかり顔をしかめた。

「いや? キングスマンだけど」

 うさんくさいサラリーマンスマイルで、メガネを押し上げた。英国紳士のつもりかそれで。

「よく見てよ、黒いストライプだし、サングラスじゃ無くてメガネでしょ。宮田君、観察眼足りないんじゃない?」

 うるせえ。

 人事課長は、胡散臭い笑みを深めて言った。

「メン・イン・ブラックって何の意味か知ってる?」

「黒衣の男じゃないんですか?」

「直訳するとそうだけど、実際にはちょっと違うんだよね。アメリカの都市伝説にあるんですよ。怪異が起きると黒づくめの男が現れて、人に話さないように警告するっていうものが」

 人事課長は、薄気味悪い笑顔で言った。

「わたしたちは、まあいわば、メン・イン・ブラックかもしれませんねえ。もみ消しますよお、事件を」

 なんか知らんが、ヤル気満々だ。




「さて」

 さっきまでと打って変わってあたりは静まりかえっている。人事課長は、あたりを見まわした。街灯の明かりの下で、きちんと正座している四人、憤慨して腕組みしている松下さん、訳が分からずへたり込んでる小林、怪我をした高口。

 なんかもう意味の分からない惨状だ。

「これはどういう状況なのかな? 前橋君」

 抑えた声に、俺は思わず人事課長を見た。人事課長は黒スーツを見ている。いつものサラリーマンスマイルが無くなって、無表情になっていた。すさまじく怖かった。

「人への態度はいいとは言えないが、勤務態度は真面目でやる気があると思っていたんだけどねえ」

 いや、だから、誰だこいつ。

「あ、前橋」

 鈴木は正座したまま、思いついた様子で手を叩いた。いや俺。全然わかんねーけど。

「俺たちの同期ですよ」

 正座したまま栄が言った。栄の同期と言うことは、鈴木の同期だ。

「いや俺はともかく、お前は同期の顔くらい覚えておけよ」

「あんまり会わないからすぐ分からなかったんです! だいたいこんなところで人を襲っている人が、同期だなんて思わないじゃないですか!」

 まあそうかもしれねーが。

 人事課長は、にこりと笑って言った。

「宮田君の家に一緒にスカウトにいったよ」

 ……あー……。

 俺は数ヶ月前の夜を思い出した。マンションの前の街灯の下に立っていた、二人組の黒服の男。おっさんと若い男のコンビ。おっさんは人事課長で、もうひとりがこいつだ。

 最初から態度悪かった上に、検診終わった後もめちゃめちゃ態度悪かった奴だ。

 今や、鈴木にボコられて顔が腫れ上がって、なんかもう顔よくわかんねーけど。

「忘れてた。ムカつく奴のこといつまでも考えてると脳のリソース割いてもったいないんで、記憶から削除することにしてて」

「宮田さんだって人のこと言えないじゃないですか!」

「ふざけんなよ!」

 若者二人の声がかぶった。

 うるせえわ。同期忘れてた奴と一緒にすんじゃねーよ。あと、こうでもしねーとストレス社会生き残れねーわ。

 だいたい、人を夜討ちするような奴が文句言うな。

「君はね、宮田君に怒る資格なんてありませんよ。同僚に対して、どうしてこんなことをしたのか説明してください」

 人事課長の声は明るく朗らかだったが、余計に怖い。

 地面に正座したままの前橋は、膝の上の手を握って、呻くように言った。

「俺は、現場で働きたかったんです。それなのに、人事課にまわされて」

「危険手当をつけない場合は、内勤になるかもしれないと説明したはずですが」

「栄だって、危険手当つけてないじゃないですか!」

 前橋は人事課長を見上げた。

「ダチから、栄の名刺を見せられて。ムカつくからやり返すんなら手伝うって言ってやったんですよ」

「てめえらが先に、俺の女に余計なことをしやがったんだろうが!」

 前橋に続けてがなったDV男は、カツン、というヒールの音にぱたりと口を閉ざした。松下さんはすらりと立って、腕組みをしたまま静かに言った。

「君は黙っていなさい。君が栄に逆恨みしたのは分かっている。わたしのところに来なかったのは、名刺を置いていかなかったからか」

 感情を抑えているが、これでもかと怒りがにじみ出ていた。

 ――いや、怖かったんじゃないかな。

 案の定、「はい、すみません」と男は小さくなった。

「なんなんだよ、ただの妬みでここまでやるのか」

 栄は不快そうに眉間にしわを刻んで、正座したまま言う。少し離れたところで正座していた前橋がわめく。

「妬みじゃねえ!」

「それ以外なんだってんだよ! 不満なら配属替え願え出るなりしろよ!」

「したけど、なかなか変えてもらえなかったんだよ!」

「あー、お前程度ならなあ。自分の能力を考えろよ。俺は現場で役に立つ能力だが、お前みたいに大したことないオーソドックスな魔道士、危険手当なしにしたら現場から外れる可能性が高いことくらい分かるだろうが!」

 栄が明らかに前橋を見下した顔をした。のらりくらりとした調子のいい奴だと思っていたが、よほど頭にきているようだった。前橋が激高する。

「俺だって現場で働けば、もっと実力を出せたんだ! お前らが逃げ回るから事が大きくなっただけじゃねえか! ちょっと痛めつけてやろうと思っただけだったのに!」

「黙れよ」

 俺は正座してる四人の前に立って、前橋を見下ろした。火をつけたままの手のタバコが、街灯の下で小さく光っている。さっきまで大騒ぎだったのが嘘みたいだ。

「何がちょっと痛めつけてやるだ。お前、ほんっとクズだわ。トモダチもクズだし、類は友を呼ぶって本当だな。関係ない奴も通行人も巻き込むこと考えねーで、そんなやつ現場で仕事なんかできるか」

 俺はとにかく、腹の中が煮えくりかえっていた。

「うまくいかねーからって人に当たるな。仕事に不満があるなら、転職なり、開業なりすりゃいいだろうが」

「簡単に言うな!」

「簡単に言ってねーよ。簡単だったら俺だって、ブラック企業に十年もいねーわ。俺だってがんばりたくねーのにがんばってんだよ!」

 それに俺はどっちかってーと内勤でもいいけどな! こういうわけわからんやつばっかりで現場は疲れるからな!

「宮田さん、一言余計です」

 鈴木うるせえ。

 小林が巻き込まれてどうかなったかと焦ったのと、高口の怪我と、逃げ回って疲れたのと、とにかく腹の底からの怒りで、声がどす黒くなった。

「最悪、人を殺すとこだったの分かってんのか」

 無意識に口の端がつりあがる。

 キングスマンなら「マナーが人を作る」ってボコってるところだ。こいつらには礼儀も節度もねえ。まあ俺にもあんまりねーけど。

 前橋の眉毛がギリギリとつり上がる。

「うるさい! あんたみたいな訳の分からない能力の奴まで!」

 とばっちりかよ。

「俺は危険手当がついてんだよ」

 取り消し忘れただけといえばそうだが!

 それに俺の技は応用が利くんだよ、多分。珍しがられてるだけの気もするが。

「鈴木みたいな性格に難ありの奴だって」

「失礼な!」

 鈴木が相変わらずデカい声を出す。

「鈴木は確かに性格に難ありだが、お前が言うんじゃねーよ」

 俺は前橋を見下ろした。奴の鼻先にタバコの火を突きつける。

「他人妬んでる前に、自分のこと何とかしろや」

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