決壊 (1)

 お客様がお見えですが、と、使用人頭がラグナの部屋をノックしたのは、火事の晩から五日が経過した昼下がりのことだった。

 期待と不安とが入り混じった声で、ラグナが「誰か」と問えば、エリック・ランゲの名が告げられた。よくラグナやウルスにつっかかってくる、鉱山主の「バカ息子」だ。

「一体何の用なのだ」

「ヘリスト様が応対しておられますが、どうやら殿下に直接お話ししたい、と仰っておいでのようで……」

 客間でお待ちです、と、ラグナに支度を促して、使用人頭は階下へ降りていった。

 エリックがこのルウケの館にやってくるのは、初めてのことだった。そもそも彼とラグナとは、友好的と言えるような間柄ではない。そんな彼がわざわざここまで出向いてくるとは、一体どんな理由があるのだろうか。

 鏡台の前でシャツの襟を正しながら、ラグナはそっと眉をひそめた。

 結局、あれからラグナは一度もヴァスティの町を訪れていなかった。何か口実を作ってフェリアを遠出に誘おうかと思わなくもなかったが、火事の始末に多忙を極めているであろう彼女や彼女の同僚に迷惑がかかることを考えると、どうしても二の足を踏まざるを得なかったのだ。焼け跡の片付けを手伝いに行けば、との案も、火事から三日を自室で呆けて過ごした後では今更実行に移しづらく、かくして学校の課題ばかりか、ラグナが委員長を務める学生代表委員会の年次計画書案までもが、その完成度を格段に上げることになってしまっていた。

 俺は逃げているのだろうか、と、ラグナは鏡に向かって独りごちた。勝とうと思えば勝てる、などと言っておきながら、理由をつけて行動するのを先延ばしにしているとしか思えない現状に、苛立たしさを禁じ得ない。その一方で、ラグナの思考の奥の奥で、時折小さな声が囁くのだ。まだ勝てる、望みがある、と考えることこそが、逃避に他ならないのだぞ、と嘲笑うように。

 鏡の中のラグナが、そっと頭を横に振る。今はそれよりも、あのバカ息子の話とやらを聞かなくては、と。

 溜め息を部屋に残して、ラグナは扉を閉めた。

 

 

 ラグナが客間に入るなり、エリックがばね人形のように長椅子から立ち上がった。幾分ホッとして見えるのは、ヘリストと二人きりでいた時間が相当気まずかったからに違いない。

 ラグナが何か言うよりも早く、エリックが急いた調子で口火を切った。

「選鉱場から宝石が消えた」

 突拍子も無い話題提起に、ラグナは眉をあげて応えた。まあ落ち着け、と、エリックに再度椅子に座るよう促して、自身も長椅子の向かいにある肘掛け椅子に腰を下ろす。

「それは一体どういうことだ?」

「お前……」と、言いかけたところで、ラグナの後方で控えるヘリストの存在を思い出したのだろう、エリックは慌てて背筋を伸ばした。「でっ、殿下、は、何か知らないか」

 階段状に四層に分かれている選鉱場では、坑道から近い最上層から順に、鉱石の洗浄、破砕、選別、と、作業が進められていく。鉱物の種類ごとに選り分けられた鉱石は、鉱車によって運び出され、鉱倉に一時的に蓄えられることになっているのだが、エリックの話によると、鉱倉行きの鉱車に乗せられていたはずの輝石の原石が一つ、無くなってしまったというのだ。

「わざわざ鉱山の外まで話を聞きに来たということは、紛失ではなく、盗難を疑っているということか」

 ウルスの問いに、エリックは身を乗り出して、自分の膝に肘をついた。

「そうだ。床板を引っぺがす勢いで、隅々まで選鉱場を探しまくったが、見つからねえ」

「だが、鉱山の入り口にある詰所で、厳重な身体検査があるはずだろう」

「ああ。けれども今のところ検査には一切引っかかってねえんだ。あまり小さなものじゃねえから、見逃してしまったなんてこともあり得ねえ」

 そう言って、エリックは右手の親指と中指とで輪を作ってみせた。確かにその大きさならば、隠し持つのも容易ではないだろう。

 宝石の捜索に、高位の魔術師であるヘリストを貸せ、とでも言いたいのだろうか。エリックが来訪した目的が今一つ理解できず、ラグナはとりあえず問いを重ねる。

「その宝石が無くなったのは、いつだ」

「四日前だ」

 エリックは一際大きく息を吸うと、いつになく真剣な眼差しをラグナに向けた。

「選鉱場では、上から順番に鉱石いしを帯式運搬装置で運んでいくのは、知ってるだろ? そいつがこの間故障してな。ハルスの工房から何人かが修理に来てくれたのが、四日前だ。で、現場で指揮をとった技師二人のうち、一人がウルスなんだ」

 話ここに至り、ようやく得心のいったラグナは、口元に苦笑を浮かべた。

「なるほど、それで私を疑って来たのか。私がウルスを使って宝石をせしめたのではないか、と」

 ウルスの勤める工房は鉱山の敷地内にあるが、ラグナがそこを訪れるに際して所持品検査を受けたことは、たったの一度も無い。ラグナ自身は、皆と同様に身体検査を受けることに異論はないのだが、ラグナの姿を見るなり駆け寄って門をあけてくれる、門番の好意を無下にすることもないかと、毎度そのままありがたく通らせてもらっていたのだ。

 エリックは眉間に皺を刻んだまま、ぶんぶんと首を横に振った。

「いや、流石に王子様を犯人呼ばわりする奴はいねえよ! 宝石なんざ、わざわざ盗まなくても、王子様なら幾らでも手に入れられることができるだろうからな」

「つまり、逆に、ウルスが私を利用して宝石を横領したのではないか、と」

 肩で息をついたのち、ラグナは椅子に背中を預けた。

「どちらにせよ、ありえないな。何しろ私はここしばらく鉱山には近づいてはいない」

 目を細め、疑わしそうにラグナを見据えていたエリックだったが、やがて「そうか」と尊大に頷いて、こちらも背もたれにふんぞりかえる。その態度が少々気に障り、ラグナは心持ち語気を鋭くした。

「そもそも何故ウルスを疑うんだ。可能性のある人間は他にもいるだろう?」

「そりゃ、関わりのありそうな奴は、片っ端から順番に、一通り話を聞いたさ。だがな、ウルスだけが、何も言わねえんだ。知らねえとも、盗ってねえとも、何にも言わねえ。一っ言もだ」

 予想もしていなかった展開に、ラグナは思わず椅子の背から身を起こす。

 背後で、ヘリストが「なんですと」と小さく呟くのが聞こえた。

「盗ってねえ、って言うことすらできないとなると、こっちも奴を拘留するしかねえ。たとえ奴が王子様の親戚だろうとな、鉱山やまには鉱山やまのやり方ってのがあるんだからな。けど、丸一日尋問しても、やっぱり奴はうんともすんとも言わねえ」

 鉱山の仕事は常に危険に満ちている。災害や事故に立ち向かうため、そしてそれらを防ぐため、鉱山で働く人々の結束は非常に固かった。だがそれは、裏を返せば、裏切り者には容赦しないということでもあった。一昔前ならば、掟を破った者は、その命で罪をあがなわさせられたと聞いている。

 現代においてカラントの法律は私刑を禁じているが、官吏の目の行き届かないところ――閉鎖的な鉱山などはその最たる例だ――では、必ずしもそれが守られているとは限らない。ラグナは、知らず椅子の肘掛けをきつく握りしめる。

「無くなった原石も見つからねえし、完っ全に手詰まりなんだよ。なあ、お前なら何か知ってるんじゃねえのか? あいつは、私利私欲で仲間を裏切るような奴じゃねえ。だんまりを決め込んでいるのにも、何か理由があるはずなんだ」

 いつになくしんみりとした様子のエリックに、ラグナは驚きを隠せなかった。

「お前は、ウルスのことが嫌いなのだと思っていた」

 エリックは、何を今更当たり前のことを、と言わんばかりに口元を歪める。

「ああ、嫌いだな。いじいじしているところとか、はっきりしないところとか、反吐が出るほど嫌いだね。だが、それとこれとは別問題だ」

 思いもかけない言葉を聞き、ラグナは思わず目をしばたたかせた。今まで、エリックのことを、粗暴で愚昧なだけの人間だと思っていたからだ。

「なんだよ、俺の顔に何かついてんのか」

「いや、目が曇っていたのは、どうやら私のほうだったようだ」

「は? 何をわけの分かんねえこと言ってんだよ」

 エリックが、ラグナに向かって斜めに顎を突き出し、凄んでみせる。

 即座にヘリストの咳払いが部屋の空気を揺らし、エリックは、またもや、ばね人形のように背筋を伸ばした。

 

 

「何か思い出したことがあったら教えてくれ」と言い残して、エリックは帰っていった。

 彼が退出するや否や、ヘリストが慌ただしく外出の用意を始めた。今回の盗難事件について、詳しい話を聞きにヴァスティの町へ行くと言う。

 帰りが日没を過ぎる可能性も考えて、サヴィネがヘリストの伴を務めることになった。「お独りでは絶対にお屋敷から出ないでくださいね」と再三にわたってサヴィネに釘を刺され、ラグナはつい苦笑する。

「解っている。せいぜい貝のように閉じ籠もっておくさ」

 お願いいたしますよ、となおも念を押すサヴィネのあとをついで、ヘリストが気遣わしげに口を開いた。

「とにかく、せめてウルスの様子だけでも、見てまいります」

「よろしく頼む」

 玄関扉を押し開き、一歩踏み出したところで、ヘリストが静かに振り返った。

「ラグナ様」

 ほんの刹那瞼を閉じたのち、ヘリストは真っ直ぐにラグナの目を見つめた。

「わざわざ言うまでもないことですが、仮にウルスが、本当に罪を犯していたとして、ラグナ様の従兄弟だからと、彼の罪を無かったことにすることはできません」

 その言葉はまるで、ヘリスト自身に言い聞かせているようにも聞こえた。

「規律を守らせるべき立場の者が、規律を破るということは、これ以上無い悪手です」

「解っている」

 ラグナが力強く頷いてみせれば、ヘリストの眼差しが微かに緩む。

「それでは、行ってまいります」

 二人の乗った馬が門の向こうへ消えるのを待って、ラグナは館の中に戻った。依然としてざわめき続ける胸を、そっと右手で押さえながら。

 

 

 ヘリスト達がいなくなると、館は急に閑散としたように感じられた。使用人達は、丁度使用人頭の部屋で午後のお茶を喫している頃だろう。ラグナは自室に上がると、エリックの来訪で中断させられた読書の続きに戻った。

 しかし、目は文字を追うものの、本の内容が一向に頭に入ってこない。気がつけば、同じ頁の同じところを何度も何度も堂々巡りしてしまっている有様だ。ラグナは少し大げさに溜め息を吐き出してから、勢いをつけて椅子から立ち上がった。気持ちを切り替えるべく、掃き出し窓をあけてバルコニーへ出る。

 ウルスならば、こんな非常事態においても、他事に気を取られることなく冷静におのが為すべきことを遂行することができるのだろう。これまでも、思慮深い従兄弟のことを思い起こすたびにおのれの未熟さを自覚させられてきたラグナだったが、あの火事の晩以来、その思いは特に強くラグナを苛み続けている。

 だが、と、ラグナはそっと唇を噛んだ。その冷静沈着を絵に描いたようなウルスが、よりによって今回、問題の渦中に巻き込まれてしまっているというのだ。

 そもそも、あのウルスが盗みなどという馬鹿げた行為を働くはずがない。そう確信しつつも、ラグナは不安を抑えきることができないでいた。いくらウルスが身内以外に対しては口不調法なのだとしても、身に覚えがない嫌疑ならば、彼はその旨きっぱりと主張するに違いないからだ。

 逆に、万が一彼が本当に宝石を盗んだのだとしても、証拠が見つかっていない現状、「知らない」とそらとぼけてしまえば、拘留されずにすんだはずだった。現にウルス以外の人間は、真実はどうあれ、そうやって追及の手を一旦逃れることができているのだから。

 それなのに、丸一日に亘る尋問を受けてなお、沈黙を守り続けるということは……。

「まさか、誰かを庇っている、ということか?」

 思考の続きが、ラグナの口をついて出る。バルコニーの欄干を掴む手に、力が入る。

 と、その時、ラグナの目が、道の遠くに人影を一つ捉えた。

 

 湖畔の道をこちらへ駆けてくるのは、フェリアのようだった。バルコニーから身を乗り出し、目を凝らし、確証を得るなりラグナは急いで館内へとって返した。一階へ降りると、階段ホールから直接庭園に出られる、色ガラスをあしらった扉を押し開く。ここから庭を突っ切れば、裏門はすぐ目の前だ。

 ルウケの館は湖を背にして建っている。湖のほとりを一周する道は、館の手前で二手に別れ、一方は館の正門へ、もう一方はそのまま館の裏を通り抜けてゆく。ラグナが裏門を選んだのは、門番と押し問答を繰り広げるのが面倒だったというのもあるが、何よりこちらのほうがフェリアのいるところまで近かったからだった。

 閂を外し、敷地の外へ出る。独りでは屋敷を出ないよう、というサヴィネの言葉は、ラグナの頭から完全に抜け落ちてしまっていた。ただひたすら、夢中で、フェリアのもとへと走る、走る。

 ラグナが館の表への岐路に到達した時、フェリアは、まだ五丈ほど向こうにいた。町からずっと駆けどおしだったに違いない、すっかり疲れ切った様相で、時折足をもつれさせながら、こちらに向かって走ってくる。

「一体どうしたんだ、フェリア」

 ラグナの問いが終わりきらないうちに、フェリアが今にも泣きだしそうな表情で、ラグナに取り縋ってきた。

「お願い、ウルスを、ウルスを助けて!」

 フェリアの髪は、以前のように短くなっていた。火事で痛めたせいだろうか、それとも――

 なんにせよ、こんなところでは落ち着いて話なぞできるわけがない。ラグナは、足元にへたり込んでしまったフェリアをそうっと助け起こした。

「とにかく、館で話を聞こう」

 一体全体、今、ウルスの身に何が起こっているのか。フェリアを伴って館に向かいながら、ラグナは、胸の奥からせり上がってくる不安感を無理矢理嚥下した。

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