太陽と月 (1)

 託児院を出たところで、ラグナは伴の騎士サヴィネの不機嫌そうな顔に出迎えられた。

「教会でお待ちください、と申し上げたはずですが」

 ラグナよりも七歳年上のサヴィネは、いつも朗らかでめったなことでは笑顔を絶やさぬ好漢だ。それだけに、彼の眉間に刻まれた皺の存在感は非常に大きい。ラグナは、胸の深くまで息を吸い込むと、それと分からぬように腹の底に力を込めた。

「時間を有効に使おうとしたまでだ」

 ラグナがそう嘯くなり、サヴィネの眉間の皺はますます深みを増した。

「子供じゃあないんですから、思いつきを実行に移す前に、あらかじめきちんと仰ってくださらないと」

「言えば、一人で行かせてくれたのか?」

 万に一つの希望をいだいてラグナがサヴィネを見やれば、頑迷な眉宇びうがそれを粉みじんに破砕する。

「あー、まあ、申し訳ありませんが、承服しかねますね……」

 深く息を吐き出してから、サヴィネは真摯な瞳を真っ向からラグナにぶつけてきた。

「そもそも、何のための伴とお考えですか。私は、ラグナ様のことを、この命に代えても守りきる覚悟でおりますが、騎士でもない他の者にも、それを強要なさるおつもりですか? それに、もしもラグナ様の身に何かあった場合、彼らにその責を負わせることにもなるのですよ。大切なご友人だと仰るのならば、そのような苦難を……」

「解っている」

 正論という名のやいばを、徒手ではらうことなど不可能だ。だがそれでも、ラグナはそれを試みずにはいられなかった。足掻けば足掻くほど、ただ徒に、おのれの未熟さをさらけ出すことになるばかりだと知っていても。

「解っておられるようには思えません」

 案の定、サヴィネはあきれたような表情で、即座に切っ先を返してきた。

 痛みに耐えかねたラグナの口から、更なる憫然がほとばしる。

「解っていると言っている!」

 その瞬間、ラグナは大きく息を呑んだ。おのれの、まるできかん気な子供のごとき言いざまを自覚して。羞恥のあまりサヴィネの顔を見ていられなくなり、思わず足元に視線を落とす。

「解っておられるのなら、それでいいです」

 ラグナが吐き捨てた言葉を、サヴィネはひょいと拾い上げた。

「どうやら私は気が利かない人間らしいんでね。ラグナ様には、そんな私にも分かるような行動をとってくださると助かるんですよ」

 サヴィネは軽く肩をすくめると、いつもの笑顔を浮かべた。ぐるりと周囲を見回したのち、南の方角、町の中心にそびえる時計塔のところで目をとめる。つられてラグナも視線を向ければ、やいばを象った鋼鉄製の針が、午後三時半を示していた。

 ウクシ山への登山道の入り口近くにある託児院からは、ヴァスティの町が一望できた。町の北側に連なるウクシ、カクシ、コルメの三山から、眼下の湖へなだれ込むようにして立ち並ぶ家々の屋根が、夏の日差しを受けてオレンジ色に輝いている。この地方の屋根瓦が王都に比べて赤みがかっているのは、焼成に使われる薪を節約するせいだと、ラグナの母、テア王妃が言っていた。低い温度で瓦を焼くことになるため、土の中の鉄分が錆色を保ち続けるのだという。

 鉱山やまの町は、鉱石いしを中心にまわっている。燃料も、水も、まず冶金業が優先され、それから他の用途に割り振られるのが常だ。王都周辺の穀倉地帯と比べるとどうしても不自由さは否めないが、その代わり、効率の良い水車や軌道式手漕ぎ車といった技術の進歩は、他の地方よりぐんと抜きん出ていた。カクシ山の中腹にある工房では、そういった鉱山で使われる機械の開発や改良が、日々行われている。ラグナの母方の従兄弟であるウルスは、技師としてそこで働いているのだった。

「さて、もうアン様のところへ、向かわれますか?」

「いや、叔母様の前にウルスに会いに行く。明日の講義のことを早く教えてやったほうが、奴も予定を立て易かろう」

「それは、良いお考えですね」

 サヴィネが露骨にホッとした顔を作るのを見て、ラグナは密かに溜め息をついた。大方、ヘリストに言い含められでもしていたのだろう、竹馬の友二人の扱いについて、あくまでも公平であらねばならぬ、とでも。

「頸木なぞ、一つあれば充分だろうに」

「何か仰いましたか?」

「なんでもない。独り言だ」

 サヴィネをお目付け役に据えずとも、ヘリストが一言フェリアに釘を刺せば、それで充分なのだから。恩師の、しかも国王の腹心として国を思っての言葉に、よく躾けられた生徒が従わぬわけがない。

 ラグナは再度静かに息を吐き出すと、「行くぞ」と踵を返した。

 

 

 教会に預けていた馬を引き取り、ラグナ達は山をくだった。まばらだった家屋がやがて互いに身を寄せ合いだしたところで、四つ辻を東へ針路を変える。眼前に広がるなだらかな谷の向こうに、目的地のカクシ山が見えた。

 谷の斜面を覆う杏子の木々は丁度収穫が終わったばかりのようで、痛むなどして食用に適さない実が、そこかしこに打ち捨てられていた。馬の足音に驚いた野鳥が、慌てふためいた様子で一斉に空へ飛び立っていく。一拍遅れて、甘酸っぱい杏子の実の香りがラグナの鼻腔をくすぐった。

 果樹の谷を抜けた二人は、鉱山やまと繁華街とを繋ぐ石畳の道に足を進めた。

 先刻までののどかな風景から一転して、賑やかな往来が二人を迎える。ラグナを見とめた通行人が頭を下げて道を譲ろうとするのを、身振りで押しとどめ、ラグナは人の流れに馬の歩調を合わせた。薪を積んだ荷馬車のあとから鉱山の門をくぐり、詰所前の広場へ入る。奥の厩に馬を繋いだラグナを見て「坊ちゃん」と声をかけてきた年配の馬丁が、サヴィネに気づいてあわてて「殿下」と言葉を改めた。

「ウルスの坊に用なら、もう少し後にしなさったほうが良いんじゃないかねえ」

「何故だ」

 馬丁は、髭面を苦笑に歪めて、後方に建つ倉庫のような建物を指さした。『ハルス機械工房』と書かれた看板が、ここからでもよく見える。

「エリックの奴が少し前に坊に会いに来て、まだ出てきてないんだよ。今行ったら鉢合わせするんじゃないかな」

 馬丁の言葉を聞くなり、サヴィネが面倒臭そうな表情で溜め息をついた。ラグナはそれを横目で見ながら、悪戯っぽく口角を上げる。

「そういや、奴とはしばらく会っていなかったな」

「やれやれ、きかん気なところもテア様譲りかい」

 あきれたとばかりに肩をすくめる馬丁だったが、その瞳にはどことなく嬉しそうな気色けしきが浮かび上がっていた。

「あんなのでも、親方の大事な跡取り息子だ。取っ組み合いの喧嘩だけは止しておいてくだせえな」

「せいぜい努力しよう」

 サヴィネが肩をすくませるのを見なかったことにして、ラグナは意気揚々と工房へと歩いていった。

 

 

「だから、大丈夫なのか大丈夫じゃないのか、はっきりしろってんだ!」

 四頭立ての馬車も悠々通れそうな大きな戸口に近づくにつれ、聞き覚えのある怒鳴り声がラグナの耳に飛び込んできた。

 普段は各種機械の駆動する音で騒がしい工房だが、どうやら今は水車の歯車を外しているようだ。いつになく静かな建物から、不規則な槌の音だけが響いてくる。ラグナは、微塵の躊躇いも見せずに、開け放たれた扉をくぐった。

 二階建ての家屋がすっぽりと収まってしまいそうな広大な空間に、所狭しと機械や資材が置かれている。屋根裏に渡された梁のあちこちには、鉤や滑車がぶら下がっていた。右手奥の、木箱などが比較的整然と置かれているその向こうは、水車に連なる工房の心臓部だ。

 せわしなく働く工員達が、ラグナの姿を見とめてお辞儀をする。工房長が挨拶に飛び出してこないところを見ると、おそらく彼は席を外しているのだろう。なるほど、エリックが心置きなく大声を張り上げられるわけだ、と、ラグナは独り合点した。

「ぼそぼそ喋んな、聞こえねえ!」

 怒声を辿って視線を左に向ければ、向こうの壁際に置かれた机の前で、がっしりした体躯の若い男が、くすんだ赤毛を振り乱しながら、大きな動作で両手を天板に打ちつけるところだった。一際派手な打撃音が、工房の壁に反響する。彼こそがエリック・ランゲ。ヴァスティ鉱山を経営する「親方」の一人息子だ。

 咄嗟に前に出ようとするサヴィネを、ラグナは静かに制止した。

「しかし、ラグナ様」

「『子供の喧嘩に大人が出張るな』だ」

 それは、子供の頃にエリックがサヴィネに言い放った言葉だった。もっともも、そのすぐあとにフェリアに完膚なきまでに言い負かされたエリックの、「父ちゃんに言いつけてやる」との伝家の宝刀を、真っ向から叩き折ったラグナの言葉でもあったのだが。

「ウルスも、もういい大人なんだから、自分の身ぐらいは自分で守らんとな」

 意地の悪い笑みを浮かべるラグナの視線の先には、今まさにエリックに詰め寄られている従兄弟の姿があった。

 母親譲りの細い顎に、あまり日に焼けていない肌。額にかかる鮮やかな赤の髪は、緩やかな曲線を描いている。筆で引いたような眉の下には、強い意志を感じさせる灰色の瞳。作業の邪魔になるからだろう、髪を緩く首の後ろでくくっている以外は、すうっと通った鼻筋も、薄い唇も、ウルスはラグナととても良く似ていた。

「今までの昇降機と同等の安全性はある」

 粗暴な示威行為に怯んだ様子もなく、ウルスは淡々と答えを返す。それを聞いてエリックが盛大に舌打ちをした。

「大丈夫なんだったらさっさとそう言え」

「僕は最初からそう言っていた。ただ、君が言うような『絶対的な保証』はできない、というだけで……」

「てめえ、ふざけてんのか!」

 またもエリックの手のひらが、派手な音を立てて机に叩きつけられた。

「俺達を実験台に使おうってのか! 何が新型だ。何が効率が良い、だ、ふざけんな!」

「別に、何か問題があるわけじゃない」

「保証できない、って、今、お前が言ったんだぞ!」

「ああ。保証はできない。何事も『絶対』なんて言えるものは……」

「御託はどうでもいいんだ。大丈夫なのか、大丈夫じゃないのか、俺が聞きたいのはそれだけだ!」

 ウルスの正論は、筋肉の詰まった頭では理解できなかったようだった。激昂したエリックは、ウルスの胸倉を鷲掴むと、そのまま力任せに彼を目の高さまで引っ張り上げる。

 流石にこのまま捨て置くわけにはいかないな、と、ラグナは二人のところへ足を向けた。

「いつまでもグダグダグダグダ、いいかげんはっきりしやがれ! お前がそんなザマだから、フェリアがあの王……」

「フェリアがどうした」

 ラグナが背後から問いかけた途端、エリックが雷に打たれたかのように全身をわななかせて小さく跳ねた。滑稽なほど狼狽した様子でラグナを振り返り、ウルスの胸元から慌てて手を放す。

「な、なんだ、お前か。何の用だ」

「別にお前には何も用は無いんだがな」

 これ見よがしなラグナの溜め息を聞き、エリックの口元に力が入った。派手に鼻を鳴らしてから、吐き捨てるようにして言葉を投げつけてくる。

「また、皆に構ってもらいに来たのか」

「『構って』? 何故俺がわざわざ他人に構ってもらわなければならないのだ」

 怪訝に思って尋ねかけたところで、ラグナの脳裏をかつての情景がよぎった。

「そういえば、お前、前は『ちやほや』と言っていなかったか?」

 ラグナがサヴィネに連れられてヴァスティの町へ顔を出すようになった頃から、エリックとその取り巻き達は、ラグナを見るなり(そして周囲に大人がいないと見るや)「ちやほやされに来たんだろ」「そんなにちやほやされたいのか」と囃したててきた。そしてそのたびに、ウルスとフェリアが、「ちやほやしてほしいの?」「ちやほやしてあげようか?」なんて余計なことを訊いてきたものだった。

「……しかし、結局、お前もフェリアも、俺をちやほやしてくれたためしがなかったが、な」

「本当にちやほやしてほしかったんだ……」

「あー、うるさい! 二人して勝手に話を進めてんじゃねーよ!」

 話の端緒を開いたのが自分だということを忘れているのか、エリックが地団駄を踏んで文句を言う。

「とにかく、だ! 身分関係なく一人の男としてだったらな、俺はお前なんかには、絶っ対っに! 負けないんだからな!」

 おぼえてろよ! と、ありきたりな捨て台詞を残して、エリックはそそくさと立ち去っていった。

「見事に話が通じていなかったな」

 ラグナが同情を込めた眼差しを投げかければ、ウルスが諦めの表情で肩を落とす。

「今に始まったことじゃない」

「お前の手に余るようなら、工房長に任せてしまえばいいんじゃないか?」

「もとよりそのつもりだよ。そもそも僕は、部品の改良を行っただけで、全体の設計に携わったわけじゃないからね」

 そう言ってウルスは、机の上に置かれたこぶし大の金属の塊を手に取った。

「それが?」

 ラグナの問いに、ウルスは小さく首肯した。

「これは、自分で作ってみた試作品」

 鈍く光るくろがね色の部品は、歯車と輪を組み合わせたような形をしていた。

「どうやって作るんだ、こんなもの」

「地金を打ってもらって、それを削り出した」

「彫った、ってことか、これを。器用なものだな」

 感嘆の声を漏らしたラグナから、ウルスはそっと視線を外した。

「僕は、技師としてはまだ一番下っ端だから。自分でなんでもやらなきゃならない」

 そう言うウルスの目に、強い光が灯っているのを見て、ラグナは知らず目を細めた。彼ならばそう遠くない未来に、この工房を代表するような立派な技師になれるに違いない、と。

「……ってことは、あいつは、その『一番の下っ端』にあんなにしつこく絡んでいたのか」

 情けない奴め、と、ラグナは先刻エリックが逃げていった出入口を振り返る。それから再びウルスのほうへ向き直ったラグナは、何か物言いたげに自分を見つめるウルスに気がついた。

「何だ」

 しばし躊躇いを見せたウルスは、やがて訥々と話し始めた。

「去年あたりから、君に突っかかってくる奴が減ってるだろ」

 ラグナは少し考えてから、素直に頷いた。

 ウルスは、穏やかな口調で言葉を重ねていく。

「皆、世の中のことが見えてきたんだよ。それで、王子様にちょっかいをかけるのは拙い、って、気がついたんだろう」

 もやもやとしたものが腹の底でゆらりと揺らぐのを、ラグナは感じた。澱のような何かを全て吐き出してしまいたくなる衝動を抑えて、胸いっぱいに息を吸い込む。そうして、殊更に軽い調子で肩をすくめた。

「つまり、あいつはまだお子様ってことか」

「違うよ。彼もまた知ったのさ。皆が、何を考えて王子様を『ちやほや』しているのか、ってことをね」

 その瞬間、ラグナは思わずウルスを睨みつけていた。いつの間に噛み締めていたのか、奥歯が微かにきしりと音を立てる。

 対するウルスの表情は、あくまでも冷静で、ラグナは両のこぶしに力を逃がすと、周囲には分からないよう嘆息した。

「俺は、奴に、同情されているのか」

「彼の頭の中は、そこまで整理されていないみたいだけど。八つ当たり、ていうのが一番近いかも」

 普段どおりのウルスの声が、ラグナを平静に引き戻す。

 ラグナはあらためて、おのが従兄弟の観察眼に舌を巻いた。

「よく見ているものだな」

「そんなことないよ」

「いや、大したものだ」

 真剣なラグナの声音に、ウルスは刹那面食らったような表情を浮かべ、そうして小さくはにかんだ。

「褒めても何も出ないよ」

「じゃあ、叔母さんの前で褒めなおすとするか。なら、美味しい夕食をたらふく食べさせてくださるだろうからな」

「家の食料庫をカラにさせる気かい」

 よく似ていながら全く似ていない二人の従兄弟は、互いに顔を見合わせて、一方はにやりと、もう一方はくすりと、笑った。

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