絡み合う糸 (2)

 

 

 がなり始めた半鐘の音に追い立てられるようにして、ラグナ達は坂を駆け上がった。地を蹴るごとに手足は重くなり、心の臓がますます早鐘を打つ。息をするたびに軋む胸を気力でもたせ、彼らは死に物狂いで走り続けた。

 冬を名残惜しむ夜風の中、全身汗だくになって教会の角を曲がれば、少し開けた広場の向こう、うねり逆巻く火焔が一同を出迎えた。見慣れた二階建ての建物が、向かって右の側面を炎に呑まれ、ごうごうと悲鳴を上げている。すぐ横に立つトウヒの葉が、風に煽られるたびにちりちりと火花を散らしていた。

 半鐘を聞いて駆けつけたのだろう、広場には、水桶を持った近所の人々が集まってきていた。坂を少しだけくだったところにある溜め池から水を運ぶべく、炎に向かって一列に並んでゆく。ラグナ達が列に加わるのとほぼ同時に、水の入った桶が、広場へと順に送られてきた。

「フェリア、ああ、フェリア!」

 しわがれた声とともに、小柄な老婆が彼らのもとへ駆け寄ってきた。名を呼ばれたフェリアは、両隣のラグナとウルスに断りを入れて、水桶を送る列から外れる。

「院長先生! 子供達は?」

「大丈夫、皆、ここにいるよ」

 その言葉を裏付けるかのように、少し離れた植え込みの陰から小さな影が幾つも飛び出してきた。皆、一様にべそをかきながら、託児院院長とフェリアの周りを取り囲む。

「泊まりの子供達を、リンと一緒に寝かしつけておったら、一階から火が出てね。どうやら厠に行こうと勝手に布団を抜け出したダニーが、火のついたランプを落としてしまったらしくてね」

 そこで一旦言葉を切って、院長は憔悴しきったおもてを伏せた。

「さっさと助けを呼べばいいものを、一人で火を消そうとしたのか、わしらが気がついた時には、もうどうしようもなくてね……」

「ダニーは無事なんですか?」

「廊下の途中で倒れておったが、どうやらそのおかげで煙をさほど吸わずに済んだようでね。今さっき、リンが治療院に連れていってくれたよ。手足のあちこちに酷い火傷をこさえておってね……可哀そうに……」

 院長が嗚咽を漏らし始めるのを聞いて、子供達の泣き声も大きくなる。と、その時、広場の入り口辺りから子供の名前を呼ぶ声が幾つも聞こえてきて、フェリアはホッと胸を撫で下ろした。

「みんな、お家の人が迎えにきてくれたよ」

 子供達は、自分の迎えを見つけるや、一目散に駆け出していった。先ほどまでの悲しみや恐怖の発露とは違う、安堵の泣き声が皆の胸を打つ。

 だが、穏やかなひとときは、甲高い女の声によってあっけなく引き裂かれた。

「エミル! エミルはどこ?」

 若い母親が、半狂乱になって我が子を探し回っている。

 院長が、愕然と目を見開いて、燃え盛る建物を振り返った

「エミル……、そうだ、エミルを見とらん……」

「どういうことですか」

 フェリアの声が、震えている。院長は、まるで独り言のように、訥々と口を開いた。

「煙が上がってきて、布団に入っとった子は間違いなく全員避難させたんだ……そう、間違いなく全員。だが、エミルはおらんかった……」

「もしや、エミルもダニーと一緒に?」

「だから、ダニーは自分一人でなんとかしようとしたのか……お兄ちゃんぶって……」

 こりゃあ、ランプをひっくり返したのはダニーじゃないかもしれんな。そう院長が唇を噛む。

「ダニーの傍にエミルはいなかったんですね?」

「ああ」

「じゃあ、あの子、隠れてるわ、きっと。怖くなって」

「なんてこった……!」

 その場に崩れ落ちる院長を残して、フェリアは素早くきびすを返した。水桶を送る人の列に駆け戻るなり、ウルスの手から水の入った桶をもぎ取る。

 ウルスはもとより、ラグナもあっけにとられて見守る中、フェリアは頭から水をかぶると、炎なめる建物へと駆け出していった。

 

「ま、待て、フェリア! 俺が!」

 一拍遅れて、ラグナは我を取り戻した。フェリアを止めるべく、彼女のあとを追う。

 だが、三歩も進まないうちに、ウルスがラグナを羽交い絞めにした。

「列に戻るんだ、ラグナ。僕達の仕事は、彼女のために火勢を少しでも弱めることだ」

「ふざけるな! お前、彼女を行かせて平気なのか!」

 腹の底からウルスを怒鳴りつけるも、拘束は全く緩まなかった。なんとかしてこの腕を振りほどこうと、ラグナは必死で身をよじる。

 その間に、フェリアは、あけ放されていた玄関扉から建物の中へと姿を消した。

 冷たい手が、ラグナの腹を割り、臓腑を鷲掴みにする。とどめを刺すのは、耳元を震わせる冷徹な声。

「今ここにいる誰よりも、彼女が、子供達の行動様式を知っている。この建物の構造についても、だ。僕達じゃあ、足手まといになるだけだ」

「しかし!」

 それでも足掻かずにはおられなくて、ラグナは肩越しにウルスを振り返った。この、腹立たしいほどに冷静な従兄弟を、正面切って威喝せん、と胸一杯に息を吸い込む。

 次の瞬間、ラグナは、言うべき言葉を見失ってしまっていた。

 そこにあったのは、ウルスの、恐ろしいまでの苦悶に歪む顔だった。

「いいか、ラグナ。彼女は、つまらない英雄主義に酔いしれるために行ったんじゃない。盲目的な献身欲を満たすためでもない。子供を、助けるために、行ったんだ!」

 ウルスが言葉を吐くたびに、鮮血が辺りに飛び散るようだった。

 ラグナは、茫然とウルスを見つめた。普段の彼からは想像もできない形相に、驚きとともに胸騒ぎを覚える。まさか、と。まさか、ウルスは――

 ラグナが大人しくなったのを見て、ウルスがいましめを解いた。

 ラグナは、無言で、燃える建物を振り返った。今、水桶の列に戻っても、つつがない進行を邪魔することになるだけだと思ったからだ。おそらくウルスも同じことを考えたのだろう。ラグナのすぐ横に立つと、思い詰めたような表情で、じっと炎を注視している。

 建物は、既に三分の一近くが火焔に呑まれている状態だった。フェリアが飛び込んでいった玄関の付近はまだ炎に包まれてはいないが、建物内部がどうなっているかは分からない。有毒な煙だって充満していることだろう。ラグナは手のひらに思いきり爪を立ててこぶしを握りしめた。その間も、炎は容赦なく逆巻き、熱気がうねり寄せ、灰が降りしきる。人々の掛け声と、水をかける音の、なんと頼りないことか。

 絶望に耐えかねたか、託児院の院長が泣き崩れた、その時、風に押し戻されて半分閉まりかけていた玄関扉が、派手な音を立てて蹴破られた。

 子供を抱えたフェリアが、建物から転がり出てくる。

 水桶を持った男が二人、すかさず飛び出してきて、フェリアと子供の身体を冷やす。空になった水桶を列に向かって放り捨て、二人を建物から離れたところへ運んでいこうとする。

 フェリアが自分の足で立ち上がったのを見て、居並ぶ面々から大歓声が湧き上がった。

 ラグナも、歓声を上げた一人だった。感極まり、フェリアのもとへ駆け寄ろうとして……、視界の端に異変を捉えて、ラグナは驚いて振り向いた。

 ウルスが、すっかり気の抜けた表情で、地面に膝をついていた。ラグナの視線にも気がつかない様子で、呆とフェリアを見つめている。

 やがて、ウルスはぺたりと地面にへたり込むと、両手で頭を抱え込んだ。

「良かった……!」

 それは、囁くような小さな声だった。だが、何よりも雄弁に彼の心を表していた。

 ラグナは、ウルスを見下ろしながら、身動き一つできずにいた。

 八か月前の選鉱場での事故にて、怪我人が命をとりとめていくたびに沸きかえる室内で、一人冷静な顔でラグナの傍に控えていたウルス。最後の一人も助かり、皆が熱狂してラグナのもとに押し寄せてきた際も、ラグナを守ろうといち早く前に飛び出してきたウルス。

 いつも冷静沈着な彼が、ここまで感情をあらわにするさまを見るのは、ラグナにとって初めてのことだった。

 そして、先刻の夕食の席での、ウルスらしからぬ拗ねたようなあの態度。

 ――まさか、ではない。間違いなく、ウルスもまた、フェリアのことが好きなのだ。

「エミル! ああ、エミル!」

 早速子供を胸に抱いた母親に、フェリアが落ち着いた声で指示を出す。

「少し煙を吸ったみたいなので、早く治療院へ」

「はい!」

 弱々しく咳き込む子供を抱えて、母親が駆け出していく。ほどなく「エステラ先生が教会前にいるよ」と声がかかり、母親は感謝の言葉とともにそちらへ向かった。鉱山付きの癒やし手が、助けに来てくれたのだ。

「ああ、フェリア、よくやってくれたね! ありがとうね!」

 託児院の院長が、フェリアの足元に泣き崩れた。慌ててフェリアが身を屈めて院長を助け起こす。

 喜びの涙にむせびながらも、院長がついと眉根を寄せた。

「可哀そうに、怪我をしているじゃないか」

「あ、これは、最後の最後で、火のついた木切れか何かが飛んできたから……。でも、上手く避けたでしょ」

 よく見れば、フェリアの左頬には、親指の太さほどの擦り傷があった。熱風に晒されたせいだろう、袖まくりをした腕や手は全体的に赤みがかり、手の甲には真っ赤に腫れた火傷も見える。

 院長は、いたわしそうにそっとフェリアの髪に手をやり、すまなかったね、と唇を噛んだ。

「折角伸ばした髪も……可哀そうに」

 左頬を傷つけた木切れとやらの仕業だろう、フェリアの髪は、丁度耳の横から肩にかかる部分の毛先が、熱でちりちりになってしまっていた。

「これは……切るしかないかねえ……」

 院長の言葉を聞き、フェリアの表情が一瞬固まった。

 ふと気配を感じてラグナが横を見ると、いつの間に立ち上がっていたのか、ウルスがじっとフェリアを見つめていた。眉間に微かに皺を刻み、唇を軽く噛みながら。

 

 

 皆の懸命な努力の甲斐あって、火勢は随分弱まってきたものの、消火活動はまだまだ続く。水を汲む者、それを運ぶ者、炎に撒く者、そして空になった水桶を戻す者。交代で休憩をとりながら、人々はひっきりなしに動き続けた。

 最初のうちは、ラグナ達はひとところに固まって消火作業を手伝っていた。人員が入れ替わるほどに、いつしか皆、散り散りになってしまい、今はサヴィネは最前線で水を撒き、ウルスはラグナよりも少し炎に近いところで、黙々と水桶を前へ送っている。

 ラグナは、両脇の人に「少し休む」と言い置いて、水桶の列を抜けた。

 炎が収まるにつれ夜が深くなる広場を、真っ直ぐ教会のほうへ向かう。

「先手を打て」と、内なる声がラグナに囁いていた。相手は、この自分よりも、圧倒的に有利な立場にいる。先手を打たなければ、勝てないぞ、と。

 心の隅に僅かに残る罪悪感を払い落とすように、ラグナはゆるりと頭を振った。更に歩調を速めて、教会の前に出る。

 礼拝堂の入り口のところで、フェリアが火傷の手当てを受けていた。石段に腰かけたフェリアの左手に、助祭が薬を塗っている。

 包帯を巻き終えるのを待って、ラグナはフェリアの名を呼んだ。

 フェリアが、ほんの微かに柳眉を寄せた。

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