紅玉の娘
むかしむかし、あるところに、一人の若者がいました。
若者は、森で狩りをして、えものを売って日々を暮していました。
若者は弓が大層上手でしたので、毎日となく、立派なえものをとらえることができました。若者が町へえものを売りに行けば、いつも大勢のお客さんが、競うようにしてえものを買ってくれました。
ある時、若者が森で狩りをしていると、となり町から来たという狩人が若者に話しかけてきました。
「お前さんは弓の名手と聞いたが、本当かね。」
若者は、そうだ、と答えました。
「牛よりも大きなイノシシを狩ったというのは、本当かね。」
若者は、そうだ、と大きくうなずきました。
「どんなえものでも狩れるというのは、本当かね。」
若者は、そうだ、と胸をはりました。
「しかし、あそこにいる大山鳥は狩れまいよ。」
狩人が笑ったので、若者はそくざに弓に矢をつがえました。遠くの木の枝で羽根を休めている大山鳥目がけて、矢を射かけました。
矢が放たれたまさにその時、若者は、自分がねらったえものが山鳥ではないことに気がつきました。
それは、神の使いといわれている大フクロウでした。若者のうで前をねたんだ狩人が、若者をわなにかけたのです。
若者の射た矢は、まっすぐに大フクロウにつきささりました。
若者がぼう然と見守る中、大フクロウは木の葉を散らしながら、地面へと落ちていきます。
みるみるうちに、空を黒い雲がおおいつくし、辺りに神鳴りがとどろきました。いなずまがすぐ目の前で光り、若者は気を失ってしまいました。
次に若者が目を覚ましたのは、見たこともない森の中でした。
いえ、これは森と呼ぶことができるのでしょうか、動物の鳴き声はおろか、虫の羽音すら聞こえない、かれた木がえんえんと立ち並ぶだけの〈死の森〉でした。
うす暗い空からは、ちらちらと雪がまいおりてきます。ですが、火を起こそうにも、若者は全ての持ち物を失ってしまっていました。
助けを求めて〈死の森〉をさまよいながら、若者は思いました。きっと、今、自分は、神の使いを殺した報いを受けているのだろう、と。
自分のことをだました狩人のことが、若者は腹立たしくてなりませんでした。でも、それ以上に、簡単にだまされた自分に腹が立ちました。あの時、もっと落ち着いてきちんとえものを見ておれば、あれが山鳥などではないことにすぐに気がついたはずだったからです。
そして、そんなおろかな二人の人間のせいで殺されてしまった大フクロウのことが、気の毒でなりませんでした。
許しておくれ、と、若者がつぶやいたとたん、目の前が急に開けました。
そこには、鏡のような
〈死の森〉を歩きまわり、すっかりつかれきっていた若者は、夢中になって水を飲みました。こおるように冷たい水でしたが、若者は生き返ったような気がしました。
その時、若者の耳に、小さな声が聞こえてきました。
助けを求める、女の声でした。
若者は、おどろいて辺りを見まわしました。しかし、女の姿はどこにも見えません。
じっと耳をすませば、どうやら声は、湖の中から聞こえてくるようでした。
どうしたことだ、と、若者は湖を見つめて立ちつくしました。
そうしている間も、女の声は、助けを求め続けています。
「たすけてください。ここは、とても、さむい。」
若者は、心を決めると、湖に飛びこみました。
水はとても冷たく、若者はすぐにでも息が止まりそうでした。それでも、若者はもぐるのをやめませんでした。神の使いを殺してしまった自分に、今できる、たった一つのつぐないだと思ったのです。
やがて、水をかく手足が石のように重くなり、頭が割れるように痛くなってきました。目をあけているはずなのに、目の前がゆっくりと暗くなっていきます。
若者が死をかくごした時、急に辺りが明るくなりました。
湖の底に、赤く光る小さな像がありました。美しい娘の、像でした。助けを求めていたのは、その像だったのです。
若者は、娘の像に必死に手をのばそうとしました。ですが、こごえた身体は、まったくいうことをきいてくれません。
そうして、若者は、また、気を失ってしまいました。
どれぐらいの時間がたったのでしょう、若者は、湖のほとりで再び目を覚ましました。
水に入ったはずの服はすっかりかわき、身体も温かさを取りもどしています。
夢を見ていたのだろうか、と、あわてる若者の手には、しかし、紅玉で作られた娘の像がありました。
「それは、わが兄弟の血で作ったものだ。」
若者が声のしたほうをふりかえると、そこには、真っ黒な毛並の大猫がいました。
この大猫もまた神の使いでした。大猫の言う兄弟とは、若者が殺した大フクロウのことにちがいありません。
「お前のつぐないは、確かに受け取った。」
大猫は、静かに若者に語りかけてきました。
「だが、人間達は、わが兄弟を殺したお前を許さないだろう。」
若者は、何を言えばよいのか分からなくなって、じっとうつむいていました。いつの間にか、あの狩人に対するうらみも、自分に対するいかりも、もう若者の中からは消えてしまっていました。ただ、目の前の湖のように深い悲しみだけが、若者の胸にありました。
悲しみは、やがてなみだとなって、若者のまぶたからこぼれ落ちました。
そのなみだが手の中の像にかかったとたん、像がふるえだしました。
若者がおどろいて取り落とした像は、みるみるうちに人間の娘に姿を変えました。
それは、とても美しい娘でした。紅玉のような赤い髪をした娘でした。
若者は、ひとめで恋に落ちました。そして、それは、娘も同じだったのです。
「お前達が、ここ、〈冷たい夜の森〉に住むことを許してやろう。」
手を取り合う二人に、大猫が優しい声でそう語りかけました。
「――そうして二人は、
若者が老人となる頃には、カラントはもう、死の森などではありませんでした。沢山の作物が実る、豊かな土地がそこにありました。
長い歳月がたち、若者は、沢山の子供や孫、曾孫や玄孫に見守られて、常世へと渡ってゆきました。残された紅玉の娘は、若者の墓を見下ろす山に入り、そこで元の小さな像に戻って、いつまでも彼のことを見守り続けました。めでたし、めでたし」
建国の神話を語り終えた短髪の少女は、ぱたりと帳面と閉じると、観客の反応を確かめるように、辺りを見まわした。
一呼吸おいて託児院の小さな部屋を、子供達の拍手が震わせる。その様子を、ラグナは扉のすぐ脇で目を細めて眺めていた。
子供には子供の世界が必要です、とのラグナの母――テア王妃の意向を受けて、ラグナの従兄弟ウルスとともにルウケの館にやってきたフェリアに、テアが初めて読み聞かせてやった物語が、この「紅玉の娘」だった。「私にも読み書きを教えてください」とヘリストを口説き落としたフェリアが、粗末な紙を自分で綴じ合わせた帳面に初めて写しとったのも、この物語だった。
それ以来、フェリアは機会を得るたびに、新しい物語をお手製の帳面に写し続けた。そうやって蒐められた写本は、今やこのように彼女の仕事になくてはならないものとなっている。
ここ、ヴァスティは鉱山の町だ。ぐるりにそびえる山々からは、銅や銀といった
「フェリアー、ラグナ様が来てるー」
「王子様来てるー」
ラグナに気づいた子供が数人、ばらばらとフェリアのもとへ駆けてゆく。フェリアは、もう一人の職員に次の物語りを託して、ラグナのほうへとやってきた。
「ラグナ殿下には、ご機嫌麗しゅう」
良家の息女と見まごうばかりの優雅な仕草で、フェリアがこうべを垂れる。
「取ってつけたような『殿下』はやめろ」
眉間に皺を刻んで、ラグナは息を吐いた。
フェリアは、琥珀の瞳を刹那悪戯っぽく輝かせて、それからすまし顔で背後を振り返った。次なる説話に聞き入る子供達の小さな後姿をゆっくりと見渡してから、その眼差しのままラグナを見やる。
「子供達の前で、王子様をぞんざいに扱うわけにはいかないでしょ」
「しがらみに絡めとられたうるさい大人ではあるまいし、何を気にすることがある」
「馬鹿ね」
いつもの調子でぴしゃりと言い放ったのち、フェリアは慌てて周囲を窺った。
幸いにも語り手も聞き手もすっかり物語の世界に入り込んでおり、フェリアの失言に気を留めた者はいない。フェリアはそっと胸を撫で下ろすと、苦笑とともにラグナを見つめた。
「相手が大人なら、無礼者だの身の程知らずだの、私が悪く言われるだけだからいいのよ。でも、子供達は駄目。彼らは私の言動から、色んなことを学びとっていくわ。それこそ、自国の王太子にどのように接すべきか、ってこともね。まだ価値観の定まっていない彼らを、無用に混乱させるわけにはいかないでしょう」
淡々と諭すその口調にヘリストの影を見て、ラグナは思わず天を仰ぎそうになった。一呼吸おいて気を取り直し、挑戦的な視線をフェリアに投げる。
「そうだな。王太子に体当たりを喰らわすような子供に育てるわけにはいかないからな」
「あ、あれは、ラ……あなたがウルスに意地悪したからでしょ」
今は昔、ラグナが初等学校に入学してすぐの秋の休暇。普段は大人しい従兄弟のウルスが、珍しくも、ラグナに対抗するようなことを言ったのだ。「君はこんな言葉も知らないんだね」と。
今ではラグナ自身も、ウルスのあの反応はむべなるかなと思っている。初等学校がいかに素晴らしいところか、そこに通うことで自分がいかに賢くなったか、散々自慢を聞かされたあとの、本当にささやかな反抗。「じゃあ、この言葉知ってる?」と気弱な従兄弟をして問わせしめたのは、間違いなくラグナだったのだから。だが、その時のラグナはあまりにも子供だった。彼は、ウルスの軽侮に激昂すると、ヘリストの授業に備えてウルスが携えていた国語の教本を取りあげた。「お前が勉強できるのは、僕のおかげなんだぞ」と。
「……あの時ね、あれでも一応悩んだのよ。相手は王子様なんだから、蹴っちゃまずいよね、って。叩くのも、やっぱり駄目なような気がしたし、でも、何を言っても本を返してくれないし、ウルスは泣き出すし、仕方がないから、えーい! って」
「『意地悪するな!』に『すぐに泣くな!』だろ。母上といい、女というものはなんと怖い生き物なんだろう、と思ったさ」
くつくつと笑ってみせれば、フェリアの頬が薔薇の花びらのように赤くなった。
「そ、それよりも、どうしたの、わざわざこんなところに」
「ヘリスト先生が、昨日の埋め合わせの講義を明日行うそうだ」
ラグナの言葉を聞くなり、フェリアの目が輝きを増した。
「ありがとう! それじゃあ、キュッタさん達にも教えてこなくちゃ」
フェリアが早速とばかりに扉へ向かう。その行く手を、ラグナは身体で塞いだ。いつぞやの体当たりのごとく、フェリアの身体がラグナの胸に突き当たる。
「そちらへはサヴィネが行っている。詰所への掲示も手配済みだ」
だが、あの時とは違ってラグナの背丈は、今やフェリアよりも優に頭一つ分は高い。ラグナの代わりに吹っ飛びかけたフェリアを、彼は左手の一本でしっかりと支えた。
フェリアが、慌てた様子で、だが抜かりなく声は抑えて、ごめんなさい、と身を起こす。
「サヴィネさんも一緒だったんだね」
いつもラグナの伴を務めている騎士の名を口にしたのち、フェリアは「てっきりお屋敷を脱走してきたのだとばかり思ってた」と笑った。笑いながら、彼女はラグナから一歩の距離をとった。
ラグナの口から、知らず溜め息が漏れる。
「講義は明日の何時から?」
「午後六時だ」
ラグナの答えを聞き、フェリアが考え込む素振りをみせた。それを見て、ラグナは慌てて言葉を継ぐ。
「都合が合わないならば、先生にかけあってみるが」
「ううん、たぶん大丈夫だから」
「そうか?」
遠慮をしているのか、本当に問題が無いのか。彼女の言葉からこういった機微を読み取れないでいるおのれを自覚するたびに、ラグナは、来し方との距離を思い知らされるのだ。
「最近、ヘリスト先生の講義を受ける人が増えたでしょ。皆とても先生に感謝しててね、おかげで結構融通が効くのよ。それに、ほら、私はウルスと並んで変人扱いされているから、男の人達に一人混じってても、『はしたない』とか『女が学問なんて』なんて、今更誰も言わないし」
昔から変わらない短い髪を揺らしながら、フェリアが微笑む。カラントの成人は、男女問わず頭髪を背中まで伸ばしているのが普通だ。子供の頃こそ短髪で過ごす者も多いが、十五を過ぎたあたりから、人は髪を伸ばし始める。そういうところ一つとってみても、フェリアは確かに「ちょっと変わったお嬢さん」ではあった。
だが、ラグナは、フェリア以外にもかつてそう呼ばれていた人物を一人知っている。
「それにね、私がここで子供達に文字や数学を教えていることを、評価してくれる人が多くなってきてね。だから、ヘリスト先生のところへ行く、って言えば、快く送り出してくれると思うわ」
「そうなのか」
「そうよ。学問で腹が膨れるか、なんて言う人もいるけど、直接腹は膨れなくても、確実に『できること』は増えるもんね。仕事の効率が全然違う、って、親方も言ってたわ。やっぱり学はあるほうがいいな、って。だいたい、王妃様もそれで国王陛下に見初められたようなものだもんね」
もう一人の「ちょっと変わったお嬢さん」の話題をフェリアが口にのぼしたところで、小さな頭が幾つも彼女にぶつかってきた。
語りが一段落ついたのだろう、先ほどまで一心不乱に物語に聞き入っていた子供達が、今度はその情熱をラグナ達に傾けてくる。
「おうじたまだー」
「ラグナ様こんにちはー」
「ねえ、フェリアは王子様と結婚するの?」
五つぐらいの女の子が、瞳を輝かせながらラグナとフェリアを交互に見上げてきた。
ラグナが何か言うよりも早く、フェリアが「違うわよ」と女の子の額を突っつく。
「私とラグナ様は、同じ先生に勉強を教わっているだけよ」
「いいなー、あたしも王子様と一緒に勉強するー」
「じゃあ、しっかり文字を書けるようにならないとね。お茶を飲んだら、書き取りの時間だよ」
「はーい!」
元気の良い返事ののち、子供達は、お茶、お茶、と歌いながら、二人から離れていった。
「もう少し夢を見せてやったらどうだ」
何の夢を、誰に。肝心な事柄を喉の奥に貼りつけたまま、ラグナは口元を歪ませる。
フェリアは、ラグナの言葉に直には応えず、子供達を見つめたまま静かに口を開いた。
「あの子達がああいう質問をするってことは、周囲の大人がそれを口にしているってことよ」
それから、一転して明るい声で、フェリアはラグナを振り返った。
「そうだ、講義のお知らせ、ウルスにも伝えに行くんでしょ? 彼なら今、工房にいるんじゃないかな。早く教えてあげて」
ああ、と一言を返すだけが、ラグナにはやっとだった。
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