第16話 儒教について

 ぼくが道教だと思っていたものは、現代的な価値観では儒教であるようだ。儒教を始めとする中国思想の本を二十冊ほど読んだ。これはただの感想文であり、儒教について信頼できる研究ではない。結論として、儒教の経典のほとんどは現代では読む価値のない書物ばかりである。脱欧米中心歴史観を心に刻み、二十三年間、読書してきたぼくであっても、日本思想や中国思想は、西洋哲学の思想には勝てないと判断したことを正直に述べなくてはならないだろう。まあ、そうはいっても、西洋哲学で偉大なのはほとんどプラトンとカントだけなのだが。

 大学、中庸、論語、孟子の四書は、現代で参考にすべき道徳律ではない。教えていることは、「修身」であり、身をつつしむことである。

 書経、詩経、易経、春秋左氏伝は読んだが、礼記は未読である。「神」という漢字は、孔子が左伝で初めて使った漢字であり、日本語の神は、孔子の作った漢字によって使用されている。孔子の「怪力乱神を語らず」は乱神を語らないという決意表明であり、儒教神については語るらしい。神という概念は、孔子の左伝にまでさかのぼるが、無神論の萌芽は荀子にも存在する。

 荘子や韓非子は、中国の歴史を知りたい人は根拠を調べるのによいかもしれないが、読んで面白いものではない。荘子も韓非子も、孔子が出てきて議論をするので、儒教を知りたい人には、荘子や韓非子はおすすめである。

 易経は、中国古代科学であり、物理学と心理学を同じ原理でとらえる文献である。易経を二進法の起源であると主張したのはライプニッツである。ライプニッツは技師に依頼して、二進法で動く計算機を作ったらしいが、それが世界初の計算機(コンピュータ)であるかどうかは議論の別れるところだ。

 儒教で面白かった本は、十二世紀の中国思想家の朱子(朱熹)の「近思録」である。朱子は生涯で四百冊の文献を書いたとされる。おれの記憶によれば、江戸時代の佐久間象山が朱子の書いたものをすべて翻訳したはずだが、その全集は40冊前後の冊数だった。だから、朱子の著作は江戸時代の印刷技術で40冊前後の全集になるのではないだろうか。

 ぼくが読んだ朱子は、入門書として編纂された「近思録」だけである。「近思録」は湯浅幸孫訳で全3巻の文庫本(タチバナ教養文庫)であるが、これは朱子の書いた巻物の冊数では14冊になる。このように朱子の著作の冊数は、現代で整理すると400冊より少ない数になるのではないかと推測する。「近思録」のうちの朱子学の奥義が書いてあるという巻物の第一巻「道体篇」の90ページほどの文章だけが、ぼくの今すすめる儒教の経典である。「道体篇」に書かれているのは、「陰陽五行説」である。ぼくは「陰陽五行説」を道教であると主張していたが、儒教と道教は朱子によって統一されて現代の我々が見聞する中国思想を形作っている。中国の人は、外国である日本人のぼくに勝手に決められるのは面白くないだろうが、ぼくが決めてよいなら、道教とか老荘思想といわれる中国思想はすべて儒教であると分類する。なぜなら、儒教の中興の祖である朱子が陰陽五行説を儒教の奥義としているので、つまり、陰陽五行説はすべて儒教なのだろう。

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