第10話 宗教と記号

 人の脳は神経回路でできており、人の心は絶対に割り切れるものであると考えられる。人の心は無限などというのは妄説であるのがわかる。これは、認知されるものが必ず記号の形をとることを示している。すなわち、視覚は錐体細胞によって、聴覚は耳管の中の毛の揺れる具合から、嗅覚は鼻の感覚器から、味覚は味蕾から、触覚は肌の各種感覚器から、意識は前頭葉を中心としたミラーニューロンから発現する。

 人の心は記号でできていると考えられる。

 記号は、人の心にわかりやすく訴えかける効果があり、記号化されたものは大衆の人気を集めやすい。これを哲学として論じたのはボードリヤールの「消費社会の神話と構造」であるが、そこでは記号が経済によって消費されていくこと、記号の体系化がされているということの指摘がある、

 この指摘はポストモダン思想の中で曲解されたまま生き残り、東浩紀の「動物化するポストモダン」でデータベース消費としてまとめられた。

 人が消費するものは記号であり、それはデータベースとして保存されるという理論である。

 フロイトやラカンなどの精神分析が誤謬に陥ったのは、人の心を形成する記号の数を数十個くらいに想定していて、現実には人の心は数万を超える数の記号からなることを理解していなかったためだと思われる。

 その証拠に、おおよそ、たいていの言語をネイティヴに話す人が暗記している単語の数は数万個である。例えば、日本語で常用漢字は千個ほどあり、平仮名片仮名は数百である。これらを組み合わせた単語、熟語を数万個憶えて、人は言語を話している。

 新しく外国語を覚えるには、千個ほどの単語を覚えることから始まるが、ネイティヴに話すとなると変化形が多く、数万個の単語や熟語を覚えなければならないことになると思われる。

 そして、記号とは人の心として認知される時に発現するものであるが、記号の元となる事象は心の外にあり、その商品の数となると何億種類におよぶ。これをすべて暗記している人はいない。データベースを調べて、心の中に転記して扱うのである。それはまるで、コンピュータがハードディスクから情報をレジストリに移動させて作業するようなものである、

 そして、何億個の商品が消費されていくのである。

 ここで重要なのは、「記号は生々流転するものであり、それを固定したものとしてとらえてしまうと、宗教や精神分析のような誤謬に陥ってしまう」ということである。

 精神分析が誤謬に陥った理由は、数万個に及ぶ人の概念の数を数十個にまとめあげようとしていたことから明らかであるが、宗教の場合はどうか。

 宗教と記号の関係を論じるのが今回の主題である。

 宗教は、全知全能を記号とする一神教や、無我を記号とする仏教などに代表される。記号は人に認識されやすく、注意を引くので、それに対して狂信が起こる。全知全能や無我に対する狂信が宗教である。

 例えば、偶像崇拝を禁止とするイスラム教において、「記号が存在せずにイスラム教が成立するのか」という命題を立ててみたことがある。すると、イスラム教徒も、イスラム教以外に日常生活全般という記号と接するので、必ずしも、イスラム教徒が記号を否定して暮らしていいるわけではないと指摘された。この指摘は正しいだろう。イスラム教が、神を全知全能で、万物の創造主だと規定していても、イスラム教徒のとりまくすべてを宗教に帰すほどイスラム教徒も愚かではあるまい。日常生活全般をとらえる時には近代科学をもとに思考しているはずである。

 歴史上、最も人気のあった記号は、全知全能か無我であろう。そういう意味では、宗教は非常に集客力のよい記号をもったものだといえる。

 我々現代人は、もはや、宗教は記号として消費する時代になっているのである。宗教にもある程度の価値はあるであろう。しかし、それは日常生活における道徳的世界秩序としてではなく、ゲームの中の記号として消費するので充分だと考える。

 ゲームや漫画などのサブカルチャーに充分、道徳の規範として示される例示はされるのである。宗教というメインカルチャーを道徳の規範とする必要はないと思う。すでに、伝統宗教の教える道徳規範より、サブカルチャーの教える道徳規範のが大きなものであると思われる。

 もちろん、宗教の経典と、ゲームや漫画のどちらか一方を捨ててよいというものではないが。

 くり返すが、もはや、宗教は消費社会の記号として消費すべきものと成っている。その超越的特権性はもはや宗教に残しては悪であるとすらいえるものである。思う存分、宗教を記号として解体する作業を行うべきである。それこそがより良き現代思想であり、現代人の生きる様というものである。

 ボードリヤールの記号の消費は、否定的にとらえられたものであるが、記号論はひとつの思想体系になっている。

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