第8話 神を意地でも肯定したい人たち

 神について語ることにしよう。多神教の神々はアミニズムとの結びつきが強く、世界全土に見られる。多神教はいろいろな教えを雑多に取り込めるので我が国日本では評判がよい。絶対に神は唯一でなければならないとは日本人は考えていないし、キリスト教徒も一神教と二元論で迷うことがあるらしい。ゾロアスター教に見られる、善の神と悪の神が争い、二元論で世界が構成されているという考え方だ。キリスト教徒が一神教と二元論で迷うなら、イスラム教徒もおそらく本音では迷うのだろう。

 一神教の神の定義を明確に定めたのはイスラム教の開祖ムハンマドだが、その定義は、「神は全知全能であり、万物の創造主であり、天地の支配者であり、寛大で慈悲深い」だ。偶然、一神教の神を信じている日本人にコーランを読んでもらう場面に立ち会ったのだが、ぼくは神を信じている人なら絶対にコーランを読んだら喜ぶと思っていた。だが、結果はちがった。その日本人は神を信じるのを辞めてしまったのだ。なぜなら、「神は救ってくれてないじゃん」ということである。やはり、実際の信仰者たちには、現実に生きる中で神が自分にどう関わるかが重要なのである。机上の空論では信仰しつづけたりはしない。実際に神が救ってくれないかぎり、一神教の神を信じたりしないのである。

 一神教について簡単に歴史をまとめると、最初の一神教はエジプトの紀元前十四世紀のイクナートンが創始したアテン神であると思われる。それからしばらくして、ユダヤ民族がヤハウェの信仰を始め、一世紀にイエスが生まれるまでの間に、神の呼称が神々から神に変わった。一神教が成立する。

 紀元前四世紀に中国で成立した「荘子」外篇に、キリスト教成立以前、仏教の中国伝来以前に「造物主」ということばが見られ、一神教の萌芽があったことがうかがえる。

 一世紀の間に、インドでおそらくキリスト教と関係なく、「ヴァガバット・ギーター」が作られる。クリシュナを世界すべてと同一視する汎神論である。

 六世紀にムハンマドがイスラム教を創始する。

 十七世紀になり、スピノザが「神学・政治論」を書いてキリスト教会の盲信を批判する。そして、スピノザは破門されてしまう。名著なので、ぜひ、「神学・政治論」を読んでほしい。この本が成立した原因には、キリスト教を信じない日本人も幸せに暮らしていたことを、江戸時代のオランダ人であるスピノザが指摘してできたものである。

 さらに、十九世紀では、ニーチェが「神は死んだ」といいだす。ニーチェは日本哲学界ではいちばん人気の大人気者なので、詳しくは書かないが、どうか主著「ツァラトゥストラはこう言った」だけでなく、「善悪の彼岸」や「道徳の系譜」、「キリスト教は邪教です」も読んでほしい。道徳を決定し管理するキリスト教会の権力に反抗したものであり、いつの時代の権力者に対しても通用する反抗の書である。

 ちなみに、それでも、神を信じたい人たちはプラグマティズムというものを考えだした。ウィリアム・ジェイムズの「プラグマティズム」が代表作だが、科学を肯定し、なおかつ神を肯定する思想である。辞書的な解説には、「現実主義」などと書いてあるが、要は、キリスト教と科学と妥協した思想で生きるというものである。しかし、現代人の多くは、神は救ってくれないとして、プラグマティズムすらよしとはしない。

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