第13話 イデア論の哲学史
西洋哲学をやるのに避けて通れないのがプラトンのイデア論である。もともとは、「国家」の第五巻から第七巻にかけて書かれた存在論が起源で、それは「洞窟の比喩」として語られる。「洞窟の比喩」とは、難しくて容易に要約できないが、洞窟の中では実体は見えず、灯りに照らされた影が見えるだけである。それがこの世界の存在の構造ではないかという仮説。つまり、この世界にはどこかに真の実体の世界であるイデア界が存在していて、我々の現実はその影にすぎないのではないかという仮説である。証拠はない。
プラトンの対話篇に「国家」より後に書かれた「パルメニデス」というものがあり、これは文庫化されてないので入手困難だが、思い切って大金を出して古本で買ってみた。「パルメニデス」の副題は「イデアについて」であり、読んで重要なことが書いてあったら後でこの箇所を書き直したいと思う。まだ読んでないので、それについてぼくがまったく知らないでイデア論について語るのは許してほしい。
このイデア論は、可能性として古代思想としてはありえたかもしれないが、原子論や進化論などが発達した現代では信用される仮説ではない。進化しつづけた動物のそれぞれに対応したイデアが存在するとはとても考えられないのである。この失敗した仮説であるイデア論は西洋哲学史で極めて大きな影響力を持ちつづけた。これから、イデア論を論じた哲学者の代表者を述べて、イデア論の哲学史の概略としたい。
まず、プラトンの生前に直接、教えを受けていたアリストテレスはなんといっているかというと、「形而上学」にある。引用する。
――ある何か離れてそれ自体で存在していて、なんらかの感覚的なものに属しないようなものが、果たして存在するのかどうか。
アリストテレスは「形而上学」において、資料(ヒュレー)と形相(エイドス)を対比して説明するが、形相(エイドス)はイデアのような概念を必ずしもそのまま示してはいない。アリストテレスは、「形而上学」で「最後は善のイデアに至る」と書いていて、イデア論を結局は肯定している。
別の章で書いたが、このアリストテレスの「形而上学」がイスラム社会で最も信頼できる世界の構造と考えられていて、十二世紀のヨーロッパのルネサンスまでの間はアリストテレスの「形而上学」が信じられていた。だから、イデア論はこの間、ずっと可能性として信じられていた。
十三世紀前後のヨーロッパにおけるイデア論の議論を書いた書物は山内志朗の「普遍論争」である。日本の哲学者山内志朗はヨーロッパの図書館に行き、直接、中世ヨーロッパのイデア論の論争を、文献を原語で読んで調べたそうである。イデアは存在するとした哲学者とイデアは存在しないとした哲学者が言い争っていたとある。どうも推察するに、山内志朗は西洋哲学、さらには現代哲学がイデア論という幻想を本当に根拠にしているのが信じられなかったようである。それでそれは本当なのかどうか確かめるためにヨーロッパの図書館で中世の文献を調べたのである。その結果、中世ヨーロッパの哲学者の中には本気でイデア論を信じている人が大勢いたという結果が得られた。
やがて、十六世紀になり近代哲学が始まる。コペルニクスが「天体の回転について」を発表して、近代科学思想が始まる。哲学も近代化する。デカルトやスピノザやライプニッツは手放しでイデア論を肯定することはなかったようであるが、有名な哲学者でイデア論を肯定する人は近代哲学が始まってからもどんどん出てくる。
十九世紀のヘーゲルである。「精神現象学」は、人々の掟と神々の掟に分けて論証され、どうも、イデアという単語は使わないものの、ヘーゲルの「精神現象学」はイデア論を肯定する論理で書かれているようなのである。神々の掟は絶対に正しいとされ、おそらくイデアを意識している。
ヘーゲルは、カントの二律背反を解釈するために出てきた哲学者であるから、二つの矛盾する論理が融合されて別の論理になるという思考を辿る。「精神現象学」は、人々の精神とイデアの精神が融合して、絶対知に至るとなって終わる。絶対知である。そんなことはありえない。ヘーゲルですら完全な真理には到達していないだろう。だから、ヘーゲルの哲学で絶対知に至るというのはもう完全にファンタジーである。このファンタジーが十九世紀の哲学としてドイツで圧倒的に支持されてしまう。この頃から西洋哲学はおかしくなっていく。
二十世紀になると、デリダが「声と現象」を発表する。これもイデア論を扱ったファンタジーである。イデアに対して現実存在が反復することによって歴史がつづき、その差異によって歴史の現象が異なるとしている。ファンタジーの設定としては面白いかもしれないが、イデアが存在する証拠がひとつもないので仮説である。
ドゥルーズの「差異と反復」は、1967年に発表されたデリダの「声と現象」のパクリであり、1968年に書かれた博士論文である。同じようなことをいっているが、冗長でしかももっとくだらない論理展開がされてるので読まなくてもいいだろう。
というように、今では信用する人のほとんどいないイデア論であるが、哲学にはどんどん出てくる。哲学の凋落の原因でもあるだろう。ぼくはイデア論を支持しないし、そんなものを真剣に探究して哲学を研鑽したら現代哲学に未来はないと思っている。
しかし、まだ見過ごせない問題がある。これはぼくがそう考えているわけではないが、そう考える人もいるということで、プラトンの「洞窟の比喩」が重要であると考える人々がまだいるのである。それは、カントの物自体がプラトンのイデアと同じなのではないかという解釈である。カントの物自体は、存在と認識の様式において想定される仮説であるが、実体の真の姿であるかもしれないが、プラトンがいった「善のイデア」とかにはぜんぜん当てはまらないので、別概念だとぼくは考えるが、同一視して西洋哲学は伝統的に正しいと主張する人々がいる。
これがイデア論の哲学史である。プラトンの「パルメニデス」を読み終わったら書きかえるかもしれないけど、これでひとまずこの章を終わる。
追記。
プラトンの「パルメニデス」を読み終わった。最初は読み終えたら部分的に書きかえようとしていたが、読み終わったところ、とても部分的な修正では間に合わないので、追記の形をとることにした。
「美のイデア」とか「善のイデア」とか書いてあるのは「パルメニデス」であって、「饗宴」や「国家」ではない。「洞窟の比喩」とかこれに書かれていることに比べればどうでもいい。これはイデアを知るには必読である。カントも、田辺元も、ドゥルーズの「差異と反復」もこれを参考に書かれているのである。これは、プラトンがパルメニデスの教えを暗記している人に伝え聞いたものを書き写したものである。パルメニデスは天才だ。カントですら、パルメニデスの物まねにすぎない。イデアという考えはパルメニデスによって考えだされたものだ。西洋哲学はプラトンの注釈にすぎないのは本当だった。カントですら、プラトンへの注釈だった。それは「パルメニデス」を読まなければわからないだろう。天才だ。これは天才の書だ。
何をいっているかというと、極めて難解だが、こんな感じである。
部分は全体ではありえず、全体は部分でありえない。多は一ではありえず、一は多ではありえない。我々の現実は多様であり、つまり多である。ということは、多である我々の現実は一ではありえず、この世界は一である。よって、多である我々の現実はこの世界には存在しない。
ぜひ日本の出版界にはプラトンの「パルメニデス」を文庫で安価に手に入れられるようにしてほしい。
おそらく、プラトンの「パルメニデス」が霊魂、天国、神の国の存在証明である。
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