第14話 日本現代思想の幻想たち

 ぼくは日本現代思想についてはかなりの素人で、もちろん、そんなものを簡単にまとめることなどできないのであるが、いちおうある程度のぼくの現代思想史の漠然とした印象があるので語っておこうと思う。とても学術的なものではないし、漠然とした印象であり思い込みでしかないのだが、それでも、日本現代思想をやりたいという人はいるだろうし、自分の生きた時代の一つの側面というものを居酒屋談義程度に読んでもらえれば幸いだ。

 仲正昌樹「集中講義!日本の現代思想」(2006)、佐々木敦「ニッポンの思想」(2009)、石田英敬「現代思想の教科書」(2010)などに比べると参考文献が少ないかもしれないが、くだらないポストモダン思想についての言及はできるだけ避けた。仲正昌樹「現代思想の名著30」(2017)で「構造と力」が日本の現代思想にあげられてるのだから、ぼくの選択でもいいんじゃないだろうか。

 日本の戦後の現代思想についてぼくなりにまとめてみることにしたものであり、学術的なものではない。適当にまとめたものである。

 1959年に三島由紀夫「不道徳教育講座」が出る。まあ、不道徳なことについて真面目に語ってみようというもので、以下に書かれたものの先駆的な代表作ということになる。とりあえずは読んでもらわないと始まらない。

 で、1963年に寺山修司「家出のすすめ」が出る。「東京へ行こう。行けば行ったでなんとかなるさ」という内容のもので、東京礼賛のすすめである。寺山修司が家出をしたのか知らないが、寺山修司は19歳には早稲田に合格して青森から東京へ出てきている。だいたい人生論なんてひと世代立たなければ結果はわからないが、ぼくの知る限り、東京へ家出した若者のほとんどはなんとかなったりせず、ひどい目にあった。幸せにはならなかった。90年代女子高生文化の結果としてそれははっきりしている。何よりムカつくのが、東京もんはそういう上京してくる若者をバカにしていることである。東京に来れば幸せになれるなら、最初から東京にいる自分たちのが上だし詳しいというわけである。しかしこの問題は難しく、2017年現在でも、都市集約型経済が望ましいとして東京に人が集まっている。

 1967年に寺山修司「書を捨てよ、町へ出よう」が出る。娼婦とマザコンを推奨した書なのだが、書を捨てて町へ出て何をしているのかというと、競馬とパチンコなんだから本当にくだらない。ただ、寺山修司は現代詩に造形が深く、本自体には不思議なさわやかさがある。

 時代がちょっと前後するが、1965年に澁澤龍彦「快楽主義の哲学」が出る。澁澤はサディズムのサドや、バタイユの「エロティズム」を訳した学者だから、いかがわしい内容も抑えており、性の解放を訴えている書。喧嘩より乱交である。なまじ、澁澤龍彦という博覧強記の人に書かれているので、非常に参考になる。真面目な文学青年も不良青年に出し抜かれないように読んでおこう。乱交パーティーなどは大多数にとって探してもいつまでも見つからないものかもしれないが、実在はしていたようだ。

 1982年に林真理子「ルンルンを買っておうちに帰ろう」が出る。題名が寺山修司の「書を捨てよう、町へ出よう」のパロディだが、内容はもっと誠実なものである。バブル経済のもとで流行に踊らされる大衆の中で、女性の本音を大事にして時に大胆に時に謙虚に生きる様を書いたエッセイである。

 1983年には浅田彰「構造と力」が出る。日本でのポストモダンブームの先駆けとなった本で、「知の欺瞞」以後の今読んでもなかなか面白い。印象深いのは、「シラケつつノリ、ノリつつシラケる」のが当時の学生の美意識だったことである。

 1984年には浅田彰「逃走論」が出る。都会的遊牧民族として生きる思想を説いた書である。ノマド的生き方という。賃貸アパートを移り住み、非正規雇用で暮らそうという書。さらには、大学にいつまでも残り、親の仕送りで死ぬまで研究生活がつづけられれば儲けものだという書でもある。結果として、この思想の実行者はほとんどが貧乏になり没落してしまった。ノマドといわれた人たちは90年代には15万人いたと新聞に書いてあったが、ほとんどが没落していたと書いてあった。おそらく、小泉改革の非正規雇用拡大の理論的支柱である。

 1993年に宮台真司「制服少女たちの選択」が出る。宮台真司は1985年(26歳)から1996年(37歳)までテレホンクラブなどでエッチな行為をフィールドワークしていた社会学者である。その記録のまとめである。女子高生が売春をしているとして大いに話題になった。宮台真司は少女たちは傷つかないと主張していたが、文庫化された2006年の増補では、十年後の調査では、売春していた少女たちの多くは傷ついていたということが報告されている。90年代女子高生ブームを語る上で欠かせない必読書である。おそらく著者の趣味なんだろうが、茶髪ギャルより清楚系進学校の普通の子が強調されてるのが印象深い。

 1995年には漫画で、小林よしのり「戦争論」が出る。日本保守思想の一大ブームを作り出したが、ちょっとまちがった右翼思想をもたらしてもいる。しかし、2015年に念願の安保法案が成立している。

 1999年には、飯島愛「プラトニックセックス」が出る。不良少女の自伝で、素晴らしい女性の心理描写がされている。不良のバイブル。村上春樹の「ノルウェイの森」を読むより、これを読んだ方がいいだろう。ぼくは、飯島愛の「プラトニックセックス」を読んで、ニーチェの奴隷道徳と野獣道徳をアウフヘーベンするべきだと思うんですが。

 他にも、笙野頼子さんの小説なんかを読むといいかもしれない。「説教師カニバットと百人の危ない美女」「金毘羅」「だいにっほん、おんたこめいわく史」あたりがいいだろう。飯島愛の「プラトニックセックス」は非常に読みやすいが、笙野頼子はちょっと難解かもしれない。がんばって読んでくれ。

 あとは、真面目女子によって書かれた自伝で良いものが出るとうれしい。

 2008年には高橋昌一郎「理性の限界」が出る。哲学的対話篇であり、哲学入門書には最も良いだろう。誰か我はという人はこういう現代的対話篇をもっとたくさん書いて読ませてほしい。


 以上で、本の紹介は終わりである。どれも面白い本なのでぜひ一読願いたい。が、失敗した思想も多々あるので、過去の失敗を省りみず、同じ過ちをくり返してしまうのは避けてほしい。乱交するのはいい。だが、売春などしても男が欲望で暴れ脅してくるだけである。遊牧民的生き方をするより定住して定職についた方がいい。人生で勝ってるのは圧倒的に正社員であり、無職や非正規は不幸なことが多い。競馬、パチンコに入れ込むなど論外である。

 2008年より後はネットの時代になり、ぼくは代表的社会論は知らない。マイルドヤンキー対オタクの戦いはオタクが勝利したと思っているが、ただ、半グレという暴力的な若者が「おれたちもいい飯食っていい女抱きたいじゃん」と芸能界やアダルトビデオ業界に攻勢をかけていたようである。

 まあ、これらの人生論はほとんど失敗して、その結果、文系学問なんか役に立たないからと文系再編されて、理系技術者が重視されるようになった。

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