第3話 何が目的か

 正義とは目的に適ったことであると書いた。では、人は何を目的に生きているのだろうか。

 カントの「判断力批判」にはこうある。「美学的判断力とは、快不快の感情によって判断することで、目的論的判断とは異なる。」それをふまえた上で読んでほしい。

 人間の欲でいちばん強いのは性欲だといわれる。フロイトの哲学の概念は、エロスとヴァイオレンスだといわれる。性欲と暴力である。

 エロスとは何かというと、いちばんの古典はプラトンの「饗宴」だということになるだろう。エロスとは何かについてとうとうと、とりとめのないことが書いてある。これもおすすめなので一読願うとして、性欲が人間の目的なのだろうか。

 霊長類学にこうある。サルは、二歳から六歳にかけて脳が急速に成長する。その後、十二歳から十六歳にかけても脳が急速に成長する。これを第二次性徴期という。第二次性徴期の終えたサルは、性欲が強くなり、異性を求めて争うようになり、死亡率が上がる。これがサルの人生である。

 人間はサルのちょっと頭がいい程度なので基本はこれと同じ過程をとる。ただ、人間にはただの暴力ではなく、強い優しさや協調性があるのである。サルにも優しさや協調性はある。ただ、人間はサルより優しさや協調性が強い。人間が優しさや協調性が強いのは人類の歴史の結果である。優しさや協調性を求める社会が安定するのである。

 優しさや協調性は、現在、未解明である。だから、優しさや協調性の神秘性を信じない人は、暴力で異性を奪いあって喧嘩しつづけることになる。

 誰も、恋愛の正解は知らない。だから、異性を求めることの正しさはよくわからない。

 ひとついえることは、恋愛は平等には人を幸せにしないということである。人類は進化する。進化するためには競争原理が必要だ。人類は競争原理をもつために、有性生殖が始まったイソギンチャクだった時から、性欲で暴力を振るい争ってきたのである。性の目覚めは悪いことではない。優しさや協調性は、自分の自我の確立の上に築かれるものなのである。自分の欲が主張できて、なおかつ、優しさや協調性をもつと、健康的な大人だと思われる。

 恋愛は、有性生殖が始まって以来、競争原理を産んできた。恋愛に負ける者たちはみんなこの競争原理を憎んでいる。しかし、万人が恋愛で幸せになれる理想郷はまずできはしないだろう。

 さて、目的とは何かを語っていたら、性欲だけでかなり来てしまった。もう少し、脱線して話そう。フロイトは、性の欲動と死の欲動を提唱したことで知られる。死の欲動を誰もがもっているとされる。

 死の欲動、死にたがる衝動、自分を傷つける衝動をもつのが人間というものである。

 これを統制するのもまた難しい。次回も、また何が目的かである。

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