エピローグ

 家の裏のお墓が六つに増えた。

 墓標に書かれているのはただの数字。


 一、二、三、四、五、六。


 アイスの棒で作ったおねえちゃんたちのお墓には、数十匹のアリが群がっている。墓の中には運ばれていく死骸もない。甘い蜜に吸い寄せられたアリたちがぞろぞろと葬列を形作っている。足元ではヒグラシが死んでいる。


 立ち上がり、日陰を歩いた。立てつけの悪い裏口の戸を引き開け、靴を脱ぐ。ドアが空きビンの箱にぶつかり、音を立てた。


 靴を揃えて持って、台所を歩いていく。ぺたぺたと足が床に張りつく音だけが響く。廊下への敷居を踏み越える。足の裏にかすかな凹凸を感じる。板張りの廊下へと出る。かなり前に作られたこの廊下はざらざらで、油断しているとトゲが足の裏に刺さってしまいそうだ。


 敷居を踏み越える。畳敷きの部屋に入る。部屋の中には箪笥と鏡台がある。息を吸い込む。イグサの香りしかしない。


 靴を畳の上に置いて、衣装箪笥を引き開ける。几帳面に畳まれたTシャツの奥の奥。引き出しの側面に貼りつかせるようにして隠してあった真っ白なカードを取り出す。カードを裏返す。何度も裏返し、じっと見る。死に損ねたヒグラシの鳴き声が部屋の中まで響いてくる。カードをズボンのポケットに入れて立ち上がった。


 廊下を歩き、玄関へと向かう。玄関マットを踏み、段差を降りて、黒々とした地面に靴を置く。少しぶかぶかの靴に足を滑り込ませ、踏み癖のある踵に指を入れて直す。格子状のプラスチックの戸を引き開ける。からからと軽い音を立てて、戸は開いた。


 玄関を後ろ手に閉め、数歩歩いてから振り返る。ぼくたちの家が、西日に照らされている。

 向き直り、歩みを進める。家の囲いを通り過ぎ、左右に田んぼを見ながら、土手へと続く道を進む。少し湿った土が体重によって凹み、足跡になっててんてんと残っていく。


 彼岸花が咲いている。死人花が咲いている。あぜ道に、土手に、赤色の不気味な花が並び立っている。風が吹く。彼岸花が一斉に揺れる。細い六本の花弁が風に揺れている。歩みを進めた。


 土手を歩き、壁にぶつかる。カードをポケットから出し、壁のスリットに滑り込ませる。がこんと音がして「養殖場」の扉は開いた。その先に広がっているのは真っ直ぐな灰色の通路だ。ぼくは振り返らずに「養殖場」を後にする。

 灰色の道を進む。途中、人間には出会わなかった。何故なのかはぼくには分からない。いつもの洗浄室を通り過ぎ、毎年おねえちゃんたちが連れていかれる道を選んで歩いていく。固い床にゴム製の靴底がこすれて、きゅきゅっと音を立てる。


 大きな両開きの扉に行き当たる。カードキーを滑らせると、空気の抜ける音がして扉が開いた。

 部屋の中央には大きな手術台があった。部屋全体は清潔に保たれ、手術台には患者の手足を拘束するためのベルトが置かれている。手術台を通り過ぎ、その向こう側へと足を踏み入れる。扉が音を立てて開き、小部屋へと繋がる。背後で扉が閉まり、警告ブザーが鳴った。小部屋はゆっくりと降下していく。降下先にあるのは出荷場だ。宇宙服に着替える部屋を通り過ぎ、エアロックに生身で入る。分厚い扉が音を立てて閉まり、ぼくは最後の息を吸った。


 エアロック内部の空気が抜かれていく。ぼくの肺がみるみるうちにしぼんでいく。空気を求めて口を開け閉めする。

 しゃがみこんだぼくの目の前の壁が開き、ぼくは宇宙空間へと放り出される。


 重力を失った世界で、ぼくはそっと立ち上がる。たったそれだけで体がふわりと浮かび、天井に向かいはじめた。

 ぼくはおねえちゃんのようには自由に飛べない。

 でもいい。それでいい。

 ぼくは出荷場の端っこに立ち、そのまま宇宙へと身を投げた。




 紺色のスカートが無重力にひらめいた。『金魚』たちの目が、宇宙をさかさまに漂流するぼくを見つけた。大水槽に集っていた『金魚』たちが水槽の向こう側を見つめるのを止め、一斉にぼくめがけて泳ぎ始めた。


 スカートを揺らし、大きくて個性豊かな襟をはためかせ、女子中学生たちはぼくに従ってついてくる。揺らめく金魚の尾びれが宙を蹴る。宇宙船が離れていく。


 まーくん。まーくん。


 ぼくを呼ばう声がする。美しくて儚い『金魚』たちのさざめきが、肌を伝ってくる。

 笑っている。とても嬉しそうに。

 温度をすっかり失ったおねえちゃんたちの腕の中に、ぼくは包み込まれる。

 そっと目を閉じた。




(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼岸の金魚 黄鱗きいろ @cradleofdragon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ