第4話
「養殖場」に戻ると、六姉の体は消え失せていた。白衣の男たちに回収されたであろうことは、ぼくにも容易に想像できた。
「お墓を作ろう」
そうやってぼくが言いだしたのは、どうしてだったんだろうか。
「養殖場」でおねえちゃんが死ぬのははじめてのことではなかった。十数年前までは『金魚』の出荷数を稼ぐため、ぼくには十人以上のおねえちゃんがあてがわれていた。
だけどそれはうまくいかなかった。一度にたくさんのおねえちゃんを育てるのは無理だったのだ。
『弟』にあまり接することのできなかった個体は気を病み、どんどん衰弱していったし、中にはおねえちゃん同士でいじめが起こったこともあった。そうした試行錯誤をこえて、ぼくのおねえちゃんは六人になったのだ。
……おねえちゃんたちはお墓を作ろうというぼくの提案に賛同した。
庭の片隅に盛り土をして、板を立てる。墓碑にはただ六とだけ。それ以上の情報はない。おねえちゃんたちにあるのは番号だけ。ぼくに「まーくん」という名前しか無いように。
「まーくん」
三姉と四姉と五姉がしゃがみこんで手を合わせている。二姉がぼくの肩を抱き寄せる。一姉が強張った顔でお墓を見つめている。
お墓の下には六姉は埋まっていない。きっと今頃、魚のように腹を開かれて、解剖されているだろうことをぼくだけは知っている。
「まーくん、泣かないで」
三姉がぼくを抱きしめる。二姉がぼくに寄りそう。四姉がぼくの手に指を絡める。五姉がその手をぎゅっと握る。
「まーくん」「まーくん」
おねえちゃんたちがぼくを呼ぶ。ぼくに集って包み込む。『金魚』のようにぼくを呼ぶ。
もうすぐ彼女たちも、向こう岸に渡って『金魚』になる。
アキアカネが飛んでいく。
涙がまだ乾いていなくても、ぼくは『弟』としての役割に戻らなければならない。ストレスはおねえちゃんたちに悪影響を及ぼすからだ。
おねえちゃんは幸せでなくてはならない。ガラスの向こうで笑顔を振りまき続ける観賞魚でなくてはならない。
「まーくん、そっちいったよ!」
四姉が叫ぶ。ぼくは羽を細かに動かして飛ぶトンボめがけて、網を振り下ろす。トンボは素早く網を避け、手の届かない高さへと飛んでいってしまった。
「あーあ、残念」
「残念無念」
四姉が駆け寄ってくる。その後を追う五姉の首には虫かごがかかっていた。
「うーん、一日かけずりまわって収穫はこれだけかあ」
三人で虫かごを覗き込む。その中にはヒグラシが一匹だけ入っていた。
「まーくん、虫取り網使うのあんまり上手くないね」
「へたくそ」
「うー」
率直な評価をつきつけられ、ぼくは俯いて唸った。四姉は笑った。
「ごめんごめん。……でも、どうしようか。このセミ、このまま虫かごで飼ってみる?」
「どうするまーくん?」
セミは虫かごの上部の網にはりつき、じいじいとかすかに鳴いていた。
「四姉、五姉、可哀想だよ、逃がしてあげよう?」
気付くとそんな言葉が口をついていた。『弟』としての模範解答だ。
おねちゃんたち二人は、にやにや笑いながら、ぼくの頭を撫ではじめた。
「まーくんは優しくて偉いねえ」
「偉い」
左右からの攻撃から逃れ、ぼくはまた唸る。そんなぼくをおねえちゃんたちは微笑ましそうに見ていた。
虫かごの蓋を開ける。セミはしばらく蓋に張り付いていたが、急に羽を動かして飛んでいった。その時、逆襲とばかりにセミの尻から放たれた液体が、ぼくたちに降りかかる。
「わっ、きたないっ」
「やだー」
悲鳴を上げながら二人が家に駆けていく。ぼくはその後を追わなかった。
田んぼのあぜ道に腰かける。この田んぼは偽物だ。季節によって見た目は変わるけれど、誰かが育てているというわけでもない。だけど吹いてくる風と連動はしているらしく、規則正しく並べられた稲穂が風に揺れて、波打っていた。
あぜ道にはところどころに彼岸花が咲いている。茎の先端から飛び出た複数の赤い花が、まるで一個の花のように四方に広がっている。そのうちの一つが風に揺られて、ぽとんと落ちた。
「まーくん、ごはんだよ」
「一姉」
座ったまま見上げると、一姉が中腰になってぼくを覗き込んでいた。ぼくは、「うん、わかった」と返事をして、おしりについた土をはらって立ち上がる。一姉はそんなぼくを厳しい顔で見つめていた。
「どうしたの、一姉」
首を傾げる。一姉はぼくの顔を両手で包み込み、じっとぼくの目を見た。
「まーくん、無理してない?」
まっすぐに突き刺すような口調で一姉は言う。なんだか一姉の声を聞いたのが久しぶりな気がした。
「無理なんてしてないよ」
いつも通りだよ、無理なんてしてないよ。ぼくは続けて言う。おねえちゃんはぼくを抱きしめた。
「まーくん」
一姉はぼくをきつく抱きしめる。その声は何故か涙に揺れていた。
「おねえちゃんがなんとかしてあげるからね」
一姉が深夜に抜け出してどこかに行くようになったのはその直後のことだった。
深夜、玄関の引き戸がからからと開く。履いていたローファーをなるべく音を立てないように脱ぎ、玄関の端へと揃える。
ぼくはそんな彼女に声をかけた。
「……一姉、そこで何してるの?」
一姉は一度驚いたような顔を作った後、すぐに厳しい顔でぼくを見た。
「まーくん。こんな時間に起きてるなんて悪い子ね」
「トイレ、行きたくって」
「そう。じゃあおねえちゃんがついてってあげようか」
「大丈夫、一人で行けるよ」
ぼくはふわわとあくびを噛み殺す。一姉は小さく笑った。
「ほら、はやくトイレに行かないともらしちゃうよ?」
「うん……」
一姉とすれ違い、屋外のトイレを目指す。その時、一姉の太ももとふくらはぎの内側に一筋、血が伝っているのに気付いた。
「一姉、血が出てる!」
ぼくは慌てて一姉にしがみつく。一姉はそんなぼくの頭を優しく撫でた。
「大丈夫。まーくんは知らなくてもいいよ」
ぼくは一姉を見上げた。一姉は笑っていた。
「おやすみ、まーくん」
ヒグラシが鳴き終わり、おねえちゃんたちが寝静まった夜。一姉はいつも通りにどこかへと出かけていく。ぼくはそんな一姉を、玄関に腰かけて待ち続ける。
からから、と軽い音を立てて引き戸が開く。浮かない顔で身を滑り込ませてきた一姉は、真っ暗な玄関で足を揺らせているぼくを見つけて、まーくん、と口を動かした。
「また夜更かししてたの?」
「ごめんなさい」
ぼくは目を伏せて謝る。一姉は「悪い子ね」と口では言いながらも、ぼくの頬に優しく触れた。
おねえちゃんを見上げる。おねえちゃんは目を細めて笑っていた。
「まーくん。おねえちゃんとデートしようか」
「夜風が気持ちいいね」
一姉は浮かれた歩調で土手を歩く。ぼくはそんなおねえちゃんの後ろを訝しみながら歩いていく。
「こんな夜が続けばいいのにね。そうだったらいいのに」
「夜はいつもこんな風だよ」
映し出された星空。調整された温度。作られたそよ風。だけどおねえちゃんは首を横に振った。
「違うよ。この夜は特別なの」
「とくべつ?」
ぼくは首を傾げる。
おねえちゃんはしゃがみこんで、ぼくの目を覗き込んだ。
「まーくん、逃げよう」
にげる、とぼくは繰り返す。おねえちゃんはぼくの頬に触れて、真剣な目でぼくを見ている。
「ここにいたらまーくん、嫌なお仕事ばっかりさせられちゃうよ」
全身が強張る。おねえちゃんは相変わらず、ぼくを見ている。
「まーくん。おねえちゃんがまーくんを逃がしてあげるから。一緒に来て」
一姉の手がぼくの手を包み込む。ぼくは何故か、その手を振り払えなかった。
土手に沿うようにして彼岸花が咲いている。草むらで鈴虫が鳴いている。
おねえちゃんとぼくは砂利道を一緒に駆けていく。音のない夜に忙しない足音だけが響いている。
養殖場の壁にぶつかってぼくたちは立ち止まる。
一姉はポケットの中から一枚のカードを取り出した。……いつも、ぼくをここから連れだす男が持っていたカードだ。
「そんなものどうやって」
「白い服のお兄さんにスペアを貰ったのよ」
かしゅっと音を立てて壁のスリットに滑らせる。扉が開いた。
扉の向こう側に広がっていたのは、いつも通りの灰色の通路だ。白い服の男たちの姿はない。
ぼくたちは手に手を取って、細くて長いその通路を駆けだした。
「まーくん、おそとに出たら何がしたい?」
走りながら、一姉が尋ねる。
「なんでもしていいのよ。まーくんはもう自由なんだから」
ぼくは考えた。すぐに答えは出た。
「おねえちゃんと一緒にいたい」
一姉はびっくりした顔で振り返った。そうしてから、泣きそうになりながら笑った。
「ふふ、私もまーくんと一緒にいたいよ」
おねえちゃんは振り向きざまにぼくの体を抱き寄せて、言う。
「まーくん、ずっと一緒だよ」
「うん」
ぼくは目を細める。おねえちゃんは幸せそうに笑っていた。
「動くな!」
灰色のごてごてした服を着た二人の男が、ぼくたちの行き先に立ちふさがっていた。男たちは黒くて取っ手のついた塊を持っている。
あれはなんだろう。ぼくも、きっと一姉にも分からなかったけれど、不吉なものだということだけはぼくたちにも分かった。
「走って、まーくん!」
一姉が叫ぶ。叫びながらぼくの手を引いて走る。ぼくは引きずられるようにしておねえちゃんについていく。
背後で乾いた破裂音がした。
一姉は足をもつれさせて倒れこむ。
倒れた彼女の白いセーラー服に赤い染みがじわじわと広がっていく。
彼岸花だ。
一姉の背中に、真っ赤な彼岸花が咲いている。
「なんてこった。今期の出荷が四匹にまで減っちまった」
「ただでさえ交配で一匹死んじまってるのに……館長にどう説明すれば……」
黒い塊を持った男たちはぼくたちに歩み寄ると、倒れたままのおねえちゃんを足で軽く蹴った。おねえちゃんは動かない。
「何をしている『弟』! さっさと自分のセクションに戻れ!」
騒ぎを聞きつけて集まってきた男たちのうちの一人が、ヒステリックに叫ぶ。
「はい」
ぼくの手が一姉から離れる。
まだ温度の残る一姉の手は、そのまま床に落ちた。
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