9-37.日常を迎えに

 『マニ・エルカラム』は戦争じみたランチタイムを終えて、ゆっくりとした空気が流れていた。アリトラはいつものように食器類をカウンターへ運び、テーブルを一つずつ丁寧に拭く。常にランチタイムは忙しいため、テーブルをしっかり拭くことが出来るのはこの時間帯となる。


「そういえば、聞きました?」


 メニューをランチ用のものからディナー用に交換していた、同僚のファルラが声を掛ける。


「怪盗Ⅴがまた予告を出しましたよ」

「またぁ?」


 アリトラは呆れたように言った。


「ここ最近は静かだったのに」

「まぁ、『異邦の門』の事件も一段落したからなぁ」


 カウンターの椅子に腰を下ろしたカルナシオンが、咥え煙草で新聞を持ったまま呟いた。


「こういう事件もまた増えていくんだろ」

「増えなくていい。迷惑」


 現役の制御機関職員、それも監査委員会の長官が逮捕された事件は連日新聞やゴシップ誌を賑わせた。暫くの間は『異邦の門』の残党たちが小規模な暴動を起こしたり、それに賛同する者が訴状を刑務部に送りつけたりするなど何かと騒がしかったが、一ヶ月もする頃には落ち着いた。


「結局、武器商人のイクスとやらが行方不明になったからな。まぁあのどさくさに紛れて逃げたんだろうけど」

「もう来ないでほしい」

「来ないだろ、多分。仕事を途中で投げ出した商人なんか誰も雇わない」


 店の二つある出入口のうち、建物内に繋がる方が開いた。ドアベルの音と共にリコリーが顔を出す。


「アリトラ、終わった?」

「もうちょっと待ってー。あと少し」

「そうか。二人とも今日は昼までか」


 カルナシオンはカウンター内に貼ってあったシフト表を見て、思い出したように言った。カルナシオンが書いた文字に重ねて、アリトラの丸みを帯びた字で「厳守!」と念押しされている。


「じゃあもう上がっていいぞ、アリトラ」

「本当?」

「あぁ。ホースル迎えに行くんだろう? リコリーはよく休み取れたな。最近ずーっと資料の整理だっただろ?」


 リコリーは苦笑いを浮かべて首を振った。


「ずっと忙しかったんですけど、漸くと言ったところです」


 数日間しか在籍していなかったとは言え、テオの部下であったリコリーは監査委員会の書類の整理を命じられた。ほぼ知らないに等しい部署の、見たこともない書類を片づける羽目になったリコリーは連日泣きそうになりながらも真面目に作業を続けた。恐らくその性格上、法務部の同僚たちが気付かなければ何日でも一人で続けたに違いない。


「皆が手伝ってくれたので、もう殆ど片付きました。午後はサリルに任せてます」

「お前は真面目過ぎるのが欠点なんだよ。もう少し柔軟にやれ」


 呆れたようにカルナシオンは言うが、リコリーはそれには曖昧に答えただけだった。

 一方、それほど真面目ではないアリトラはエプロンを丸めてカウンターの下に捻じ込み、代わりにバッグを引きずり出す。


「でもマスターだって、刑務部に事件の説明で呼び出されるたびに真面目に出向いてた。無視してもいいのに」

「お前達が嫌がるから、俺が解決したことになったんだろうが。今からでもバラしていいんだぞ」

「マスターだって犯人わかってたんだから同じじゃないですか」

「そうそう。それにこの店のお客さんの傾向を見ると、刑務部の人は少ない。この辺りで恩を売って、客層を拡大するのも良いと思う」

「ったく……、好き勝手言いやがって」


 カルナシオンは仕方なさそうに笑った。


「そういえば、ホースルは今回長かったな。一ヶ月も商談でいなくなるなんて初めてだろ」

「何でも西ラスレで大バザールがあったとかで、それに行くために滞在期間伸ばしたみたいです」

「お土産沢山買ったって手紙に書いてあった。楽しみ」


 嬉しそうに話す双子だったが、店内にある時計が時報を鳴らすと我に返った。


「大変。早く行かないと、リコリー」

「そうだね、アリトラ。ではマスター、失礼します」

「あぁ、ホースルによろしくな」


 店を出た双子は駅に向かって歩き出す。移民排他運動もすっかり下火となり、商店街には元の明るい空気が戻ってきていた。賑やかな雰囲気を楽しみながら、二人は他愛もない話を交わす。


「そういえば、前に微妙だって言ってたホットサンドの付け合わせあったでしょ」

「微妙だなんて言ってないよ。ちょっと合わないって言ったんだ」

「あれ、色々考えたんだけどね、ジンジャーの美味しさを消さないようにするには、逆にその味を活かせばいいんじゃないかと思って」

「何にしたの?」


 アリトラが答えようとした時に、鈴の鳴るような声が二人を呼び止めた。


「こんにちは、双子ちゃん」

「ライラックさん」

「リムさんだ。久しぶり」


 リムは飾り気のないモノトーンの服を着ていたが、本人の顔と紫色の髪のおかげで往来でもよく目立っていた。


「どこかにお出かけかな?」

「はい、父を迎えに行くんです」

「駅で待ち合わせなの。リムさんは?」

「俺は今から君たちのお祖父様に会いに行くんだよ」


 双子はその言葉に驚いて、同時に首を傾げた。


「祖父に御用があるんですか?」

「何で?」

「胸算用が済んだんでね。清算してもらうのさ」


 それは双子には何の答えにもなっていなかった。揃って疑問符を浮かべる様に、リムは美しい顔で微笑む。


「それより、この前破壊された商店街だけどね、来月から復旧作業が始まるそうだよ」

「そうなんですか? 思ったより早くてよかったです」

「商店街の人たちって、リムさんのところにいたんでしょ? 流石、ライラック家だって皆言ってる」

「うーん、それはあまり広めてほしくないな。当然のことをしたまでだよ」


 実際、この件でライラック家の評判は高まっている。いくつかの新聞の紙面には、リムの美しい顔と共に簡単なインタビューが載せられ、若い女は普段買わない新聞を求めて店に殺到した。

 セルバドス家はと言えば、特に注目されることもなく「移民狩りに巻き込まれた不運な家」程度の扱いで終わっている。当初は新聞社が何度か取材に来ては、事件をセンセーショナルに煽り立てる話のネタを得ようとしていたが、執事のゴーシュによって悉く追い返された。ライラック家に比べて地味なセルバドス家に、誰もが早々に興味を失ったのも要因である。


「あまり引き留めても悪いかな。お父さんによろしくね」

「はい。失礼します」

「リムさん、またココア飲みに来てねー」


 走り出した双子をリムは笑顔で見送る。しかしその姿が小さくなると、長い髪を掻き上げて呟いた。


「また変なことに首突っ込むんだろうなぁ、あの子たち。まぁ、暇つぶしになるからいいけどね」


 そんな呟きは、楽しそうに駅に向かう二人には聞こえていなかった。賑やかな商店街には、前と同じようにフィン人以外も多く見られる。各店舗の軒先には、店舗や家を失った移民たちへの募金を呼び掛けるポスターが貼られている。

 日常は戻りつつあったが、双子にとってまだ一つ大事なものが足らなかった。商店街を通り抜け、駅前のロータリーに入ると同時に、駅の改札から人が続々と出て来た。到着したばかりの列車には人が多く乗っていたらしく、瞬く間に改札前の階段が人で埋まっていく。

 だが双子はその中から、青い髪の男を見つけ出していた。


「父ちゃん、お帰りなさい!」

「お帰りー!」


 駆け出した双子に気が付いて、ホースルが手を広げて腰を少し屈める。二人は大事な日常を取り戻すために、無邪気にその腕の中へと飛び込んだ。


 anithing+ /双子は推理する  完

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