第15話 交易地
「ね、こっちで合ってるの……?」
何度目になるかもわからない問いかけにラックは音楽の音量をマックスにすることで応じた。大昔流行していたというリズムが、遠い未来の雪原に響き渡った。
時速数百kmという速度でスライダーが突き進んでいた。果ての無い雪原の上。前方に建物のようで地面のような巨大な構造物が顔を覗かせていた。数にして数十。巨大な球体を上に抱えたもの。水平に伸びた部分にビルが生えたようなものもあった。上には赤い錆びの塊と貸した飛行機が乗っていた。
大昔鉄の翼を持つ乗り物が世界中を駆け巡っていたというが、現代では飛ぶこともままならない。高空は汚染された微粒子が滞留しているのだ。僅かな時間であればまだしも大量の吸気を行うジェット飛行機はあっというまにタービンをやられる。やむを得ず低空を這うようにしか飛べないのだ。ましてその飛行機が武器を抱えて殺し合いに参加していたなど、ラックたちは知る由も無かった。
「大昔の人はおばかだったんだねぇ。何も無いところにこんな狭い滑走路並べてさ」
「爺様曰くこいつは船で飛行機を運んでいたらしい」
「なんで運ぶの」
「知らん。燃料が足りないんじゃないか」
「追加の燃料タンクでいいんじゃないの」
「知るかよ俺に言うな」
ラックは好奇心旺盛な腐れ縁の少女を片手でいなすと、荷台に積みこまれた燃料タンクを見遣った。万が一にでも被弾しようものならガスが気化して爆発して死ぬしかないだろうが、長距離をガス欠無しで移動するにはやむをえない処置だった。
荷台の上には防寒着を着込み腕枕をして足まで組んだリラックス姿勢のニュークがいた。
「退屈ですねぇ……」
ニュークはもさもさと携帯食料を口に運んでいた。塩と砂糖と油を溶かした液体を小麦粉に混ぜて焼いたものだ。保存にはうってつけだが味は酷いものだ。しかし人は慣れるもの。顔をしかめて食べていたニュークは今では渋面で食料を咀嚼する進化を遂げていた。
一行が向かっている先は北であることは間違いない。ターキオへ続く経路の一つであることも。しかしまさか、最短距離ではなく、迂回路をとらされていることなど誰が想像できたというのか。スタジアムの長たるクラウディアが虚偽を伝えているなど、考えもしなかったのだ。
罠に嵌っていることを自覚している被捕食者はいない。罠に嵌って初めて気が付くものだ。
「あれが交易地か………」
ラックは操縦桿をゆるりとねじる事で機体の進行方向を曲げた。
交易地。交易地には欠かせない要素がある。スライダーや犬ソリが通過しやすい平地にあること。吹雪かないこと。守りが堅いことだ。しかし、その交易地は言うならば船の集合体であり、タレットの一つ見当たらなかった。垂直にそそり立った船。半ばからへし折れた船。甲板の無い飛行船に似た船のような何かもあった。障害物が多く守りに適していることは明らかであるが、防衛設備どころか護衛の人間さらに交易地を訪れるであろうキャラバンの姿さえなかった。
おかしい。警戒しろ。理性の声が囁いた。
すぐに回避機動に移れるように指先に琴線を張る。センサーの走査範囲を拡大。
「ちぃっ!?」
雪原を割り漆黒の機体が姿を現した。優美な流線型。センサーが警告を発した。レーダーモニタに映りこむ白い点。ラックが舌打ちを飛ばしペダルを蹴っ飛ばした刹那、対地ロケットポッドから無数の鏃が生えた。
「クソったれ! 掴まってろ!」
ラックは叫ぶよりも早く、ロケット弾の射線を見切っていた。爆発音と共に大地の表面で弾丸がはじけた。遅れて獣の雄たけびのような絶叫が吼えたくる。大口径の機関砲弾だった。スライダーは戦車のように打たれ強いわけではない。歩兵の火器で装甲を抜かれることもあるのだ。回避に徹するしかなかった。
「ラックぅ! 反撃してよぉ!!」
「狙撃砲でやりあうには分が悪すぎらぁ!」
120mm砲は当たりさえすれば一撃で相手を撃破せしめる威力を有するが―――発生する熱量により初弾以降が上向きの弾道を取るなどの独特な癖がある。当てように当てられるものではない。全高数十mを超す
シャマシュは近接格闘に特化した機体。間合いに持ち込むにはとにかく射撃をかいくぐらねばならない。戦闘は常にファーストルック・ファーストキルを基本としている。
ラックは壁面の装置のカバーを指で弾くと、引き金を落とした。シャマシュ前方に煙幕弾が吐き出され濃密なピンク色の空間を構築する。目くらましだった。
「わっぷ!」
「掴まってろと言ったろ!? あの交易地とやらに逃げ込むしかねぇ!」
リリィが荷台の上で狙撃銃を構えようと手すりに掴まったとたんに、シャマシュが急加速、危うく振り落とされそうになった。
悲鳴を上げるリリィとは対照的に、ニュークはコートをはためかせ自動小銃の狙いを謎の漆黒のスライダーに合わせていた。
「勝算はあるんですか」
「接近戦なら無敵だ。見てろ鉄屑。追ってこい」
一目散に交易地に突入するシャマシュ目掛け、低空を舐めるように飛翔したロケットが煙幕を突き抜けた。しかし対象は既に交易地の中へと飛び込んでいた。ロケットは哀れ地面で汚い花火を咲かせるだけだった。
雪原で伏せをしていたスライダーが立ち上がった。ジープと装甲車の混血に手足を生やしたようなシャマシュとは対照的に、流線型を多用した航空機を彷彿とさせる華奢な機体であった。側面にはロケット・ランチャー。背面には機関砲を備えており、両腕には格納式のブレード装置が装着されていた。
スライダー『ヴィーナス』が一歩歩む。ふくらはぎの部分へ移動していたスキー板がぴたりと脚部底辺にはまり込んだ。スキー板が白熱し、背面部のスラスターノズルが蠢いた。緩やかに、冷水が流れるが如く静けさをもって、漆黒が進んでいく。獲物が逃げ込んだ“巣”へと。
「ラック。交易地というものがどういうものかわからないんですが、誰もいないというのはおかしいのでは」
「交易地ってのはな、安全で、開けていて、人の出入りが激しい交通の要所にあることが多い。誰もいないどころか――――大勢死んでるなんざ墓場くらいなもんだ」
ラックは言うと機体を停止させた。操縦席で腰にぶら下げた拳銃を落ち着き無く触る。
トラックがあった。犬ソリがあった。砕けた人間の残骸があった。解体され装甲やスラスターをはがされたスライダーがあった。そしてそれは交易地とは名ばかりの何者かの拠点の真っ只中に打ち捨てられていた。
雑多なゴミ――人間の死体を含む――が積み上げられて交易地の真ん中で燃やされていた。異様な光景であった。人が、トラックが、生物非生物問わずゴミ同然に燃やされていたのだ。暖を取るにしては盛大過ぎた。廃棄物処理にしては効率が悪すぎる。燃えることを楽しんでいるようだ。
異常者が潜んでいることは間違いない。気持ちの悪いことに、異常者の姿が見られない。いつ襲い掛かろうかと手ぐすねを引いて待ち構えていることはわかるのだが、気配がしない。
ゴミ屑の山が轟々と燃え盛る音。哀れな犠牲者達の骸は黙して語らぬ。
ラックが操縦桿に指を戻す。“取っておき”を作動させるべくトリガーに指を這わせた。
リリィが
ニュークがフードを跳ね除け赤い瞳で周囲を警戒した。
―――ガスの圧搾音と同時に空中に一筋のワイヤーが躍り出るや、闇がそそり立った廃墟の影から影へ飛び込んだ。
「そこか!」
シャマシュが旋回した。発砲。120mmが火を噴きコンクリートの壁をぶち抜いた。建物が崩落する。漁船数隻を鎖で纏め上げたオブジェが地面に打ち付けられた。
闇が船から船へと飛び移る。本来スライダーは平面の移動に長けた乗り物だが――どうやら相手はスタジアムの住民が使うようなワイヤー・ランチャーであたかも飛翔しているような機動を取っているようだった。
「………榴弾装填。信管設定………近接信管……」
ラックはパネルを呼び出すと軽快なタッチで設定を弄った。直撃させられないならば足場ごと崩すしかない。榴弾ならばワイヤーごと地面へ叩き落すことができるはずだった。
自動装填装置がうなりを上げて装填中の弾を弾薬庫に放り込むと、榴弾を装填しなおした。
「…………」
静寂。降り積もる雪がスライダーの表面にこびりついていく。
風を切る音。船が軋む音。
漆黒のスライダーが何かを投擲するのとシャマシュが120mm砲を発砲するのは同時だった。漁船が空中で大爆発を起こす。
駐退復座機が作動。自動でシャマシュが踏ん張った。次弾装填。シリンダー式の自動装填装置が次弾を装填する。
さらに空中にワイヤーが伸びる。二本足。キャノピー。スライダーがシャマシュ後方斜め上から迫っていた。
「ハッ―――――貰った」
シャマシュが振り返る。腰の慣性を活かした熾烈なアッパーを放った。拳が音速の壁を抜いた。空気の炸裂音を置いてきぼりにして、迂闊なスライダーのキャノピーを貫いた。
「燃え尽きろ!」
シャマシュの腕に設けられたノズルが雪を払い口を開いた。気化ガスが拳を沿って操縦席の内側に浸透した。この間コンマ数秒の出来事だった。着火。爆発。スライダーが仰け反り、彼方へと吹き飛ばされる。地面を転がり、部品を撒き散らしながらタンカーの横っ腹を穿ち、燃え上がった。
シャマシュが右拳の火を振り払う。腕の振り回しに合わせて一回転。身に纏う湯気と煙が渦を巻いた。
「やった! やったんでしょ! ザマミロこんちくしょーが!!」
「いや待ってください襲撃者のスライダーとは形状が―――あれは―――」
ニュークが小躍りするリリィの肩を掴む。
ラックは手ごたえとは別に違和感を覚えていた。機体の形状が異なっていたような気がしたのだ。
僅かな隙を、襲撃者は見逃さなかった。姿を見失った三人へと、魔弾が放たれる。スライダー『ヴィーナス』が船の陰で身構えておりキャンピーが口を開けていた。灰色の服を纏った女がロケットランチャーにも似た大型銃を発砲した。それは空中で花開くと、ニュークとリリィがいる荷台の床に命中した。
リリィは着弾音を聞き視線を下方に向けた。鏃のような物体。リリィはその物体に見覚えがあった。古代の戦争でごく僅かな数が運用されたという兵器だった。稀に発掘されるのだが使いどころがなさ過ぎて分解されるか死蔵されるのが常だった。
「EMP………!?」
炸裂。鏃状の物体がアンテナを立てる。目には見えぬ波動が同心円状に拡散した。
リリィの視界が瞬時に失われる。
―――システム異常
―――電磁シールド不調
―――再起動まで あと 秒
傍らでニュークが倒れこんだ。虚ろに開いた瞳は何も映していなかった。
「クソ!」
ラックはまさか敵の攻撃でシステムがダウンしたなどとは思ってもいなかった。突然シャマシュのガスタービンが静止したかと思うと、オペレーションシステムがダウンしてしまったのだ。しかも自分の義足・義腕までが動かなくなっていた。
キャノピーを外側からこじ開けるものがいた。
「“お久しぶり”……だね」
「あぁよくきたなくそったれ」
スタジアムで偶然裸体を拝んだ相手が覗き込んできていた。金色の髪。燃えるような赤い瞳の女だった。
女はにちゃりと唇を歪めた。爛々と輝く狂気が緋色の瞳から正常な輝きを奪い去っているようだった。
次にラックが見たのは注射器を取り出して己の首元に突き刺さんとする女の張り付いたような笑顔だった。
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