第11話 巨人

 いかに人類が科学力を結集させたとしても、年月の経過という絶対的な流れの前では無力だ。街は朽ち果てる。やがて森林に覆われ、植物の侵食と風化によってコンクリートと金属は腐食して土に返っていく。せき止められていた川は元通りの流れを取り戻し、あらゆるものをさらっていくのだ。

 “それ”も例外なく年月によって原型を失いつつあった。

 ビルよりも高い巨体があった。

 頭部に生えた角。二つの瞳は爛々と緋色を湛えており、歩むたびに全身から濛々とミルクのように濃密な蒸気があがっていた。頭部から脚部までがびっしりと植物に覆われていた。カラスが、海鳥が、多種多様な鳥がそれの周囲を取り囲んで嘶いていた。

 それが歩む。ビルの残骸を踏み倒し、砂煙をものともせずに突き進む。唐突に止まる。全身各所から膨大な湯気を噴出した。しかし、勢いが強すぎる。さながら獣の咆哮が如く湯気が全方位に同心円状に衝撃波となって拡散していた。

 あるものはそれを災厄ディザスターと呼び、あるものは破壊者デストロイヤーと呼ぶ。もはや由来も、存在意義もわからない巨大な怪物であると。

 ラックらが生きる時代は多様な名前で呼ばれていた。忘却の時代オブリビオンなどと呼ぶものもいる。過去にあったことを記憶している人間がことごとく死に絶えた時代なのであると。


 「ぶったまげたな。あんなものが歩けるのか」


 右目の望遠レンズをうならせていたラックが、続いて口でもうなった。話には聞いていたのだが、まさか数百mはあろうかという物体が歩けるなどとは思っても見なかったのだ。そして悪いことに、あれが敵なのだ。打ち倒す術を考えなくてはならなかった。カードの引きは悪い。応援は一切無し。火力支援も望めない。だがこちらには切り札ジョーカーがあった。

 ラックは伏せ姿勢で狙撃砲を構えているシャマシュを一瞥した。偽装用の白布を被りキャノピーを雪に埋没させていた。


 「大きいですね」

 「あぁ。砲撃で倒そうとしたこともあったらしいが――結果は反撃を食らって部隊が壊滅したとさ」


 ラックは傍らでロケット・ランチャーの筒を構えているニュークに言った。さらにその横には伏せ姿勢をとっているリリィがいた。

 クラウディアの話が正しければ戦車を含む機甲部隊による攻撃を実行したことがあるというが、ことごとく失敗に終わったのだという。砲撃を跳ね返す重厚な装甲。腕を振るえばビルごとなぎ倒してしまう馬力。大部隊をもってしても攻め落とすことが出来なかったのだと。

 しかし、歯を食いしばってでもやらねばならなかった。ガス燃料を補給しなければターキオに到達することはできないのだ。物々交換を拒否されてしまった以上は、条件を飲むしかない。あの巨人を討伐するのだ。


 「さぁて、こいつの砲で抜けるかね」


 ラックはシャマシュの砲を見上げた。120mm砲。優れた弾道特性を有する滑腔砲である。エバーグリーンが敵対してきた機械や車両の全てを打倒することできる数少ない武器であり―――。


 「オウサマオウサマ。機甲部隊の砲撃に耐えたことをもう忘れたの? やるとすれば至近距離に寄って装甲の薄そうなところに叩き込むしかないけど、あの体躯なんだから、蚊に刺された程度じゃない」


 ――巨人相手には豆鉄砲にしかならない武器である。零距離の水平射撃を浴びせかけても足止めにもならないだろう。

 ラックは立ち上がると腕を組んだ。遥か彼方。“死の森”と名づけられた古い都に聳え立つ巨人を。都に渦巻く雪吹雪にかすむ巨大なる影を。

 巨人は酒に酔った人間のようだった。歩いてみたかと思えば静止する。腕を振るう。伸びをする。天を仰ぐ。動きは鈍かったが、肢体の長さが数百mにも及ぶだけに、それだけで暴風が発生していた。


 「いずれにせよここでじっとしていても何も始まらん。俺がしかけてくる」


 ラックは言うなり二人の肩に代わる代わる手を置くと、キャノピーを開けてシャマシュに乗り込んだ。


 「見てろ。デカブツに一泡食わせてやる」


 タービンが高速回転し始めた。スラスターが火を噴き、5mの小人を推進させる。スキー板が白熱するや雪を溶かし蒸気へと変貌させていた。ものの数秒とかからずに小人がさび付いた車の墓場と化している道路へと滑り出した。

 巨人は反応を示さなかった。雄大豪壮なる巨影は、赤い瞳をあらぬ方角へと虚ろに見開いていた。


 「湯気……熱を発しているのか、こいつは」


 ラックはふむんと髭の生えかけた顎を撫でた。増速。最大速力で瓦礫と化した街並みへと突き進む。湿度を意味する計器が急激に跳ね上がった。気温もだった。巨人が高温を発しているらしい。モニタをサーマルへ変更。白一色に染まった巨体が映りこむ。


 「なるほど……“霜の巨人”とはよく言ったもんだ!」


 ビルの壁面に目をやると、霜が張り付いていた。霜が張り付いているから霜の巨人と怪物が呼ばれるようになったのだろう。各地で目撃される巨人たちは皆一様に霜を纏ってあらわれるという。高温を発し、雪を蒸発させ、水分が再凍結することで霜になる、というからくりだった。

 世界の謎を一つ解き明かしたラックだったが、攻略法は一向に思い浮かばなかった。

 巨人がふいに足を止めて振り返った。不気味に輝く灯台照明のような瞳がにらみつけてきていた。


 「チッ――――!!」


 舌打ち。フットバーを蹴っ飛ばす。シャマシュがスキー板をかすかに持ち上げた刹那横にぶれた。

 数秒後。暴風を伴い巨人の右手が伸張していた。家数件丸ごと掴んで余りある面積の鉄板がレシプロ機並みの速度で接近してきたと考えれば、ラックの額に冷や汗が浮かぶ理由もわかるというものだろう。地面がめくれ上がった。鉄柱のような太さを誇る指がコンクリートの地面を焼けたバターをナイフで切るように切り分けていた。五つの亀裂にはしかし、横回転して逃れたシャマシュの姿は無かった。

 巨人が前傾姿勢をとったことでよろめいた。巨大な二本足が地面を打ち付ける。建築物に付着していた粉雪が舞い上がった。


  「くそっ! 接近もままならんか!」


 物量差は圧倒的だった。蟻と人間の質量の差に等しい。シャマシュが最大打撃を与えたところで何の痛痒も感じないだろう。正攻法で敵う相手ではないのだ。

 ラックは操縦席内部のレバースイッチを操作した。シャマシュの荷台に溶接されたスモークロケットランチャーが四方八方に弾頭を射出した。巨人の全身を覆うには薄い密度しかなかったが―――建物の影に隠れ離脱するシャマシュの行き先を暗ますことはできた。

 目標を見失った巨人が吼えた。




 

 「すッッッごいマシン! 何で動いてるんだろ!? タービン? あんだけの巨体支えられるなんて信じられないテクノロジー!」


 興奮冷めやらぬ様子のリリィは豚肉を砂糖で煮た料理をフォークで突いていた。本人は認めたがらない事実だが機械に関する造詣が深い理由はつまるところ趣味趣向に合うということだ。全長数百mの巨大な怪物が闊歩している光景に遭遇して興奮を抑えようとしていたらしいが、気が抜けて素が出たらしい。

 ラックは、珍妙な顔つきで豚の煮物を突いているニュークをちらりと一瞥した。ものを食べることが出来るらしい。ものを分解して電力に変換する機能も有するという。

 スタジアム内部には居住空間が広がっていた。錆びた鉄のコンテナを重ねて作った家が並んでいた。航空機のボディをくりぬいた家もあれば、土管をいくつも重ねた粗末な家もあった。人々は寒さに震えながらも仕事に精を出していた。


 「落ち着けオタク娘ギークガール。魔力だろうが気合だろうがなんでもかまわん。俺たちはアイツをぶっ壊す為にいるんだぜ」

 「………お、おいしい! これおいしいですね……豚肉……」

 「ン、そうだろうな。エバーグリーン謹製“エネルギー・バー”と比べりゃ極楽の食事だ」


 ニュークがほくほく顔でほっぺを押さえて顔を綻ばせていた。食事が初めてではない。小麦粉を乾燥させて塩と油と砂糖を加えて焼き固めたクッキーなら食べたことがあるのだが、想像を絶する味なのだ。一口目で肩を落とす程度にはがっかりしていたのだが、豚肉の煮物は口に合ったようだった。

 ラックはぱくりと豚肉を食べると、机の上に散らばった写真の一枚を取った。巨人の各所を撮影したうちの一枚だった。単なる挑発ではなく、威力偵察だったのだ。正面から貫通できるような盾が相手ではないのならば、盾をかいくぐる手段を探るほうが遥かに賢明なのだ。

 

 「頭を狙うのがいいだろうが―――目を潰したところで大暴れするだけだろうなぁ……第一あの目は目じゃなくて照明かもしれない。で、どう思う。リリィ=フリーマン」

 「へっ………えーと……その……目を狙えばいいんじゃないかな!!」

 「聞いちゃいねーや」


 駄目だこりゃとラックが匙ならぬフォークを投げる。

 正攻法が駄目、弱点が不明となると、調査にかかる時間が想像もできなかった。時間が無いのだ。のんびりしている間にも心臓がいつ止まるかわからないというのに。医者と技術者の予想が外れることはよくあることなのだから、自らの寿命がいつ尽きてもおかしくないと思っていた。

 死の森に再度赴かねばとラックが豚肉料理の残りを掻き込んだときだった。


 「義足に義手。エバーグリーンの王子様」

 「エバーグリーンの王子様が義足義手とは」

 「知っているくせに」

 「知らないくせに何様のつもりなのだ」


 どこかで聞いたような口喧嘩をしつつ、二人の人物がすぐ隣に食事を載せたトレーを運んできたのだった。

 つまらなそうに肘をついていたラックが目を見開くと二名の顔を交互に確認した。


 「……もしかしなくてもスライダー乗りのやつらか」


 二名が同時に頷き隣に座った。

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