第9話 アースイーター
「海というものがあったらしい。なんでも、俺たちが走ってるこの足元は全て水だったんだと。信じられるか? 一面の緑の山。植物を食べる小動物。全裸で過ごしても汗が止まらない熱い土地。そんなものがあったらしい」
スライダー『シャマシュ』が腰を落として猛烈な速度で直進していた。目的地を設定し、速度を決め、あとは自動で移動してくれるのだ。正確な地図が無い以上コンパスで方位を決めて目標物との距離を測りながら航行するしかない。アンノウン、アンノウン、データ無し、の図面上を矢印が突き進んでいくのを見つつ、ラックはキャノピーの中から外に語りかけていた。
機動装甲服を纏ったリリィが大仰な狙撃銃を構え言葉を返してきた。
「地球にも暖かい時代があったことは知ってる。実はこれから向かう土地は暖かい希望の約束された土地とか」
「なわけねーだろ」
「つまんない」
荷台は風除けの幌がついているとはいえ、お世辞にも安眠できるような場所ではない。というのにニュークは端正な顔を無防備にさらけ出して眠り込んでいた。
ラックは操縦席内部に設置されたモニタ映像を見ていた。口の端から涎までたらして気持ちよさそうに睡眠をむさぼる友が映っていた。
「ロボットも寝るのか。ますます爺様らしいぜ」
「眠るっていうか記録の処理じゃない」
「人間も脳内で眠る際に脳細胞を守る部分を修復すると同時に記録の整理をしているんだぜ」
「姉さんから聞いたんでしょ」
「ぐ」
凍結した大地の上もとい海の上を行く。凍結した海は人はもちろん装甲車が走っても割れることがない。凍結していない海というものを見たことのない二人には、青い水が果てしなく続いている光景など想像もできなかった。
だから皮肉にも操縦席でかけていた大昔の音楽が歌う『船』『砂浜』の意図することがわからなかった。
モニタをぼんやりと見つめていたラックは、警告の文字列に目を見開いた。自動操縦を解除するべく操縦桿を握る。地下から迫りくる脅威に声を張り上げ増速した。
次の瞬間つい今しがたシャマシュが通過していた地点を掘削用ドリルの円盤が生えた。岩盤を押しのけ、凍てつく大地を吹き飛ばしながら胴体をくねらせる。巨大なミミズのような物体が弧を描いて大地に進出すると、蛇のように身をもがきながらシャマシュに迫ってきたではないか。
地上を人類が闊歩していた時代はとうに過ぎ去り、狂った機械たちが地球上を支配していた。あるいは過去の過ちによって生み出された奇形生物たちが。
「敵襲!
シャマシュの後部スラスターベーンが偏向するや、青白い火炎を噴出した。ソリが白熱する。
大地喰い。通称アースイーターは、強力なドリルを先端に備えた機械の怪物だった。大昔トンネル工事のため運用されていたはずのそれは人には無害だが、乗り物を見るや否や攻撃を仕掛けてくるのだった。強固な外殻は並大抵の攻撃では傷一つ付かず、車両にも容易く追いすがってくるだけの速力を有する。
「まずったな。対地爆弾を積んでくるんだった」
ラックは舌打ちをすると、兵装の選択をもう一度やり直したい気持ちを抑えるべく、アクセルを全開にしていた。
対地爆弾。スライダー用に開発されたそれは追跡者に対する強力な贈り物だった。射出と同時に地面に吸着。遅延信管と動体センサーによって炸裂するトラップだった。追いかけるしか脳の無い
「応戦しましょう」
「あったりまえでしょ? もたもたしてて食われるのは御免よ!」
ニュークが荷台の上に乗る。自動小銃にマガジンを差し込むと腰を落として狙いを澄ます。
機動装甲服に身を包んだリリィも同様に狙撃銃を引っ張り出して構えていた。
「くるぞ!」
シャマシュのフロントライトがハイビームになる。スラスターの方角が歪み、肢体が軋んだ。二条の赤い轍を地面に描き出しながらも、後方からのしかかろうとしてくる
「どわぁぁぁぁぁッ!?」
「リリィ!」
衝撃。リリィの足が機体から離れた。例えいかに握力を誇る
よろめいたリリィの足を掴んだものがいた。ニュークががっしりと足を掴み荷台に放り込んでいた。腰溜めに構えた自動小銃をフルオートで撃ちまくる。対人戦闘を想定した小銃弾は、人ならば一発で致命傷を負う威力を誇る。だが
「サンキュー相棒。危うくメカニックがいなくなるところだったぜ」
「装甲凹むかと思った! あのさぁもうちっと言い方ってもんがあるんじゃないのかなぁ!? 嫁入り前よ嫁入り前! 聞いてるかコラ! 聞いてるか
リリィの元気な悲鳴が荷台から聞こえてきた。ラックは地面に潜り込み姿を消した敵の情報収集で忙しかった。
「いいから周辺を警戒しろ。シャマシュの拳ならぶち抜ける自身があるが、潜られちゃまずい。最悪地中に引きずり込まれるぞ」
「ラック、前に街があります。誘い込みましょう!」
前方に街並みの残骸が見えてきた。高層ビル群だったものが無数に聳え立っている。例えいかに強力なドリルを備えるとて障害物に邪魔されれば動きが鈍る。そして障害物だらけの場所というのはスライダーにとっての優位な戦場だった。
その様子をビル群に張り巡らされたワイヤーにぶら下がった防寒着の人物たちが眺めていた。
「ボス。厄介者がやってきますぜ」
「ふん。よそ者ね。よそ者はどうでもいいけども――あのスライダーはぶんどりたいわ。友好的ならばよし。敵対的ならば殺してしまいなさい」
ボスと呼ばれた人物はフードの奥の瞳を鋭くしていた。ラペリングベルトに接続された固定器具を緩めると、瞬く間に別のビルへと滑車が滑り出した。人物の姿が消えた。
リリィが身を乗り出すと慌ててキャノピーに飛び乗った。前方にビルの壁面。高速で衝突すれば頑丈なスライダーはともかく中に乗っている人間は無事ではすまない。
「前! 前ー!」
「掴まってろ! 派手にぶっ飛ぶぞ!」
スライダーの本領を見せてやる。ラックが牙を剥き笑った。
スライダーを単純な犬ぞりかなにかと一緒くたに考えるのは愚か者だ。装甲車と同じものであると考えるのは早計だ。重機と考えるのは考えが浅いのだ。
跳んだ。全高5mにも及ぶ物体が。ソリを交差させて脚部を伸縮させるや、壁目掛け斜め上方向に強引に推進した。スラスター偏向。壁面を文字通り溶かし得られた低摩擦上でくるりバレエダンスを決める。瀕死の白鳥よりも強く。くるみ割り人形のように優雅に。空中に進出。煌く建材の欠片と共に宙を飛んでいた。
リリィは咄嗟に手すりを掴んだ。体が空中に浮く。
ニュークは起用にも両足で手すりを包み込んでいた。
「うわぁぁぁぁぁぁいつかぶっ殺してやるぅぅぅぅ!!」
「すごい! とんでる!!!」
改めて殺意を宣言する女。大喜びする男とも女ともつかぬ機械人形。
重力から解き放たれたシャマシュがぎらりとヘッドライトを滾らせる。コンマ数秒前の空間が
「ついてこられるか? 鉄屑」
ラックが笑い声を上げた。
操縦桿をかくんと引く。ペダルを蹴っ飛ばす。
スキー板が駆動するとどしりとした脚部をさらけ出す。板部分が脛の部分に移動することで、足底を露出させたのだ。巨体が鉄骨の上を走る。腰を落とし、片手で別の壁面に火花を散らせながら。瞬く間にビルの屋上に達すると跳躍。スキーを再展開。空中で身を丸くして一回転。別の斜めに立った壁面に吸い付き、スラスターによって加速した。
追尾など出来るはずがない。
「撒いた。これで……くそっ!?」
着地。
灰色塗装のスライダー二機が鉄塊を振り回しビルを粉砕しなければ、空中でスラスターを再起動させて無茶な方向転換などしなかっただろう。巨体が振り回す鉄塊は、それだけで破滅的な威力を誇る。重量にして数十トン近くの物体が時速数百キロメートルで衝突するのだ、装甲の硬さなど関係なく内部が破壊される。
輸送用トラックの前面に似た構造を持つ双子のように似通った二機がビルとビルの間にワイヤーランチャーで手がかりを形成。ぶらさがる。二機の動きはまるで鏡合わせだった。
「我らの攻撃をしのぐとはただものではない」
「流れだろうか」
「いや傭兵だ。凄腕の」
「流れだ。素人の」
「素人が我らの攻撃をかわしたというのか」
「素人だからこそかわしたに違いない」
なにかかみ合わない喧嘩を始める二機。双方共にぶらさがりながら鉄槌でどつきあっている。
ラックはため息を漏らした。殺意を感じないのだ。こちらを試そうとしている。ここは敵地。相手のよく知った戦場だ。どんなトラップが仕掛けられているかもわからない。増援の可能性も否定できない。
「おい。俺らに用があるなら早くしてくれないか?」
「む、確かに。こやつ頭がまわるな」
「そのようであるな」
ラックは無線越しに言った。
「早くしてくれると助かる」
刹那、背後の地面がひび割れたかと思えば
シャマシュのヘッドライトが点滅した。
ものの数秒の早業が炸裂した。シャマシュが
シャマシュのマニュピレータが
灰色の服に身を固めた人影が、倒壊するビルから次々とワイヤーで別のビルへと伝っていく。濛々と立ち上がる濃密な砂煙の中にヘッドライトが輝いていた。スラスターを短く吹かし、スキーのエッジを地面に突きたてながらシャマシュが静止する。
「客人が多いからな。起きろポンコツ娘」
ラックはキャノピーを開けると、完全に気を失ってしまっているらしいリリィを足で踏みつけてやった。
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