第二章 Departure

第8話 目的地、ターキオ

 スノーホワイト。

 それは、霧に埋もれた地下都市にいるという霜の巨人を従えた女王の言い伝えだった。

 霜の巨人を従えた彼女は古代の技術に精通しているという。

 言い伝えはさまざまな神話や伝承と混じって正確なものがなかった。曰く彼女は世界を滅ぼした。曰く彼女は世界を支配していた。曰く巨人がこの雪に閉ざされた世界を作った。巨人を倒すことで世界を元通りに直すことができるとも。

 共通点は、高度な技術を持っているということだ。御伽噺や伝承は事実を異なる解釈で伝えているに過ぎない。高度な技術を持つ『国』や『組織』があり―――ラックの心臓やニュークの修理を行える。事実はこのようなものだとすぐに察しがついた。

 ニュークの記録にスノーホワイトがあるということは謎だったが。ニュークが製造され事柄を記録し始めたのがいつなのか。穴の中に閉じ込められていた理由は。謎ばかりだった。


数日後。


 防寒着を羽織る。獣の皮と羽毛でできたそれは、防弾繊維に金属とゴムで強化された鎧だった。電熱と空調装置によって温度を一定に保つ機能も搭載していた。王たるラックの身を守る為に作られた特注品だったが―――重量は尋常ではなかった。機械の肢体を持つラックにしか使いこなせなかった。

 ベルトを締める。滅多なことでは運用されない自動拳銃オートマチックを両腰に提げる。バッテリー装置に設けられた鞘にマチェットを差す。腰にはナイフを。登山用ピッケル。ハンマー。マガジン。“右目”を外す。熱感知機能を搭載した高級カメラを装着した。最後にライフルを担ぐ。振り返ると機動装甲服を纏ってドアの縁にもたれかかるリリィがいた。手で宙をかいてみせる。


 「ついてこなくていい。あんだけ邪険にしてるくせに調子よく付いてくるなんざ百年早いぜ?」

 「死に掛けの王様一人いかせたら整備部の名折れって何度も言ってるけど? 機動装甲服を操れるメカニックは私くらいなもんだし。サキ姉は引きこもりで寒がりだから嫌だってさ」

 「素直な子のが好きだぞ」


 ラックは自動拳銃のスライドを引きチャンバーを確認すると、素早くもう一丁を確認し、手中でくるり回転させてからホルスターに差し込んだ。

 ぐぬぬとリリィが唇を噛む。表情を見られまいと思ったのかバイザーが降りた。


 「ぐ………ぐぅぅ」

 「犬か? お手」


 ラックが手を突き出すとリリィが腕を組みそっぽを向いた。ラック、ひらりと手を引っ込める。


 「心配だから! 心配だからついてこうっての! これでいい? ……一人じゃろくに腕も外せないぽんこつのくせに……」

 「腕は外せるようになった! どうだ!」

 「ふん! 足は? 腕だけのくせに……」


 ぶつぶつと呟きつつ退室する。きっとシャマシュの整備に戻ったのだろう。

 食料。地図。コンパス。燃料。その他必要物資を手早くまとめて部屋を出た。

 複雑怪奇な通路を歩いて、角を曲がり、歩いて、カフェの軒先で優雅に足を組み本を読むニュークを通り過ぎ―――。

 ニュークがいた。行きかけた足を元の経路に再設定した。


 「おい。行くぞ。格納庫にいるのかと思っていた」

 「ラック。本というものは面白いものですね。新鮮だ。数式として入力されるよりも視覚情報を通したほうが味わいがある」

 「ウム。文化はいいぞ。人類を人類として定義してくれるからな。だがあとでやるべきじゃないか。どこで買ったんだ」


 麻布の労働者服の上から白いカーディガンを引っ掛けてキャスケットを被り、どこで仕入れたのか眼鏡を鼻に引っ掛け本を嗜む様はラック以上に“王子様”らしかった。服装は粗末なのだが、生まれ持ったもとい製造された時からの端麗な容姿と相成って、一枚の絵画のような美しさがあった。

 ラックは口元に笑みの属性を滲ませた。


 「盗んだのか。悪い奴だなぁ」

 「誤解です。街を探索していたところプレゼントを貰ってしまいまして」

 「うむ………お前さん見た目がいいからな。ちなみに男か、女か?」

 「両方です。困ったなあ。私は体は男ですが、精神は男性でも女性でもない中立に設定されていまして」

 「そうなのか。応えてやったらどうだ」

 「初対面ではなんとも……好意は嬉しいですよ」


 ラックは着替えをニュークに着せる際に服とも布着れともつかぬ物体を剥ぎ取っていた。当然裸体を確認し、男性と認識している。だが精神まで見たわけではない。男でもあるし女でもあるらしい。

 のんびりしてはいられない。手招きをして格納庫に誘う。

 格納庫についた。白い偽装布を纏った足の生えた装甲車のような“武器”を携えて待っていた。背中に装着した狙撃砲と、マニュピレータを保護するナックラーだった。シャマシュは近接格闘を主軸とした設計だった。狙撃は狩の手段にすぎなかった。外敵とやりあうときは拳が弾丸となるのだ。

 傍らには機動装甲服を纏ったリリィと毛布を肩に引っさげて震えているサキがいた。


 「出発するぞ。準備は整ってるだろうな。サキまでくるのなら布団はやめるべきだと思う。水を吸って凍って死ぬ」

 「貴方底抜けのばかなの? 風邪を引いたのよ。銃すらろくに撃ったことのない女が外で歩いたって野垂れ死にがいいところよ。見送りに来たの。王子様随伴歩兵の」

 「そんなんじゃないってば」


 腕を組んだリリィがぷりぷりと怒っていた。ラックはため息を吐くと荷物を収納ハッチにねじ込み、キャノピーを持ち上げて身を滑り込ませた。キーをひねる。タービンが起動する轟音が上がった。


 「一応聞いておくけれどどこにいくんだって?」

 「北のさらに北。ターキオと呼ばれた古代都市です」

 「だそうだ」


 目的地を返答したのはニュークだった。ラックは言うと外部出力のスピーカーをオンにした。レバースイッチをかちかち倒していく。暖房出力よし。操縦席内部に暖かく埃っぽい空気がなだれ込んできた。スライダーは本来的に一人乗り用だが、運搬を想定してトラックの荷台に似た設備がくっ付いている。ニュークとリリィは荷台に乗ることになるだろう。

 オペレーションシステム起動。画面上に文字列がスクロールするとメイン画面が立ち上がる。各部の状態。グリーンではないが、問題なく稼動するレベル。燃料満タン。近年まれに見るグッド・コンディション。


 「そう……気をつけてね」


 言うなりサキは足早に歩いてしまった。

 ニュークが素早く荷台の手すりに取り付くと、荷物を開け始める。ラックから受け取った装備一式をてきぱきと身に着けていく。リリィが機体にぶら下がると天井から下がっていた操作装置をかちりと押した。外界と内部を隔てるシャッターが開いていった。どっと凍える風がなだれ込んできた。


 「ずいぶん見送りがいないのですね」

 「まぁな。みんな忙しいんだろ」


 にやりとラックが人の悪そうな笑みを浮かべた。王とは言っても国の運営は各担当部が受け持っている。ふらりと街中に潜伏することも珍しくなかったラックなのだ、数日数週間留守にしたところで誰も気にもしなかった。見送りを意図的にさせなかったのだ。

 アクセルペダル。そりが俄かに白熱すると、ローラー装置が大地に爪あとを立てて機体を前方へと押し出した。

 システムにアクセス。電子パネルを指で操作して行き先を指定。かかる時間は丸一日。スラスター推進ではなくローラー推進を選択。ソリの温度も低めに設定。燃料切れになればスライダーはただのでかい箱になるからだ。

 ラックは機体が生み出す加速度に苦しげな息を吐いた。バック・ミラーに消えていく巨塔に後ろ手で親指を立てる。





 「はぁぁ…………」


 全身白ずくめのギリースーツに身を包んだ不気味な影が岩陰に隠れて双眼鏡を覗き込んでいた。

 エバーグリーンを望む位置に突き立っていた錆びついた鉄塔の最上部だった。白装束の下には機動装甲服が主の命令をいまかいまかと待ちわびていた。

 人物は双眼鏡を下ろすと肉食獣染みた長い舌で唇を潤した。


 「ラック……」


 粘つく吐息はしかし冷気によって凍結させられてしまう。

 やっと、機会を得ることができたのだ。理由はわかっている。傷ついた心臓を直すためだ。どこか遠い土地へと向かって修理しようというのだろう。全て知っていた。あの男のことは。エバーグリーンから遠く離れる瞬間を狙っていたのだ。

 “まだ近い”。まだ、狙うべきではないだろう。


 「あなたは私のもの………邪魔なものは全て排除する」


 機動装甲服の頭部装甲装置が閉まる。バイザーとヘルメットが定位置につくとカシュンと音をあげて外部と内部を完全に遮断した。

 バイザーの奥で喉が鳴っていた。いつしか響きはくぐもった歓喜の声へと変貌していた。

 鉄塔の一端にワイヤー装置を突き刺しスライダーが一機ぶら下がっていた。白の偽装布を纏ったそれは、見るものを引き寄せる流線型をした漆黒の機体であった。


 「ねぇヴィーナス。そう思うでしょう」


 名を呼ばれた機体は身じろぎもしなかった。

 雪原を掻き分けて驀進する巨人を見つめているだけだった。

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