第6話 修復
打撃音。数人の、どころか十名の男たちが上半身裸の小柄な青年を囲んでいた。
「王族気取りのガキの癖に!」
「へえぇ? ガキと思って甘く見るなよオッサンども」
男が繰り出した拳はあろうことに青年の金属製の腕に掴まれていた。手首を返される。男は手首を折られる恐怖に駆られ自ら回転して投げられていた。
大男の一人が飛び掛った。青年が拳を掻い潜ると手首を掴み背後側から耳を掴み引き倒した。
“渡り”と呼ばれる迷彩柄をトレードマークにするものたちが脈々と受け継いできたという格闘術を元にした動きだった。
三人目。腰を落としステップを踏む青年を蹴り飛ばさんと男は足を挙げ、片足が浮いたところで青年に足を払われ転倒した。
四人目。青年が振るう嵐のような拳の勢いで吹き飛ばされる。
包囲しているのは男たちではなかった。青年が彼らを追い立てていたのだ。
青年の身が群れに飛び込む。後ろで結い上げた黒髪がひらりひらりと舞っていた。金属製の腕と足は、ただ振り回すだけで強力な鈍器足りうる。 青年ことラックの技量が合わさることでまさに鎧袖一触と化すのだ。
全員が床に倒れ静かになっていた。全身から汗を滴らせて肩を上下させているラックだけがいた。背中にバッテリー装置を背負っており、バッテリーには無数の凹凸があった。
「またやりましたか」
「爺さん。こいつらが喧嘩売ってきたから買ってやった。悪いか」
ラックは顔面に痣を作っていた。
エバーグリーンの展望台すなわちプラネタリウムの主がやってきた。ラックは彼を爺さんと呼び、エバーグリーンの民は賢者と呼んでいた。
両親を失い、怪我で手足と心臓をも失ったラックは自暴自棄になっていた。所詮は先人のあとを継いだに過ぎないラックは粗暴な行いもあってか嫌われていた。自分なんてどうでもよい。気に食わない奴は殴る。行動原理は単純だった。
疲労でラックがへたり込んだ。すぐ傍に老人が悲しそうな顔をして跪くと杖で地面を掻く。
「自らの民ですぞお坊ちゃん。やるべきではなかった。あなたが役割を受け入れないのに、どうして皆が従うのか。あなたが逆の立場ならどう考えるかをよく想像するべきではないかね」
「俺が役割を受け入れたところで連中従わんぜ。殴り飛ばしたほうが早い」
ラックは血混じりの唾液を吐き出すと床に転がっていた上着を取って羽織り歩き始めた。
いくら対立者を殴ったところで気は晴れなかった。いつしか虚しさを感じて喧嘩をやめたのは道理だったのだろう。何より老人という理解者がいたからこそだった。
しかし、それでも、戦いで気が高ぶると思い出す。敵を殴り飛ばした時の快感を。自分の拳には誰もかなわず満足な戦いがなかったことを。
アンドロイドが掴みかかろうとした。
「せえっ!」
アンドロイドの体が宙に浮いたと同時に頭部を蹴り飛ばす。アンドロイドが起き上がった。人骨を握っていた。
「があああッ!」
振りかぶりに合わせて右腕を割り込ませる。人骨と金属製のフレームが衝突し、人骨が敗北を喫した。粉々になる人骨を見てアンドロイドがきょとんと骨を見つめていた。
「驚いただろ? ぐあっ!?」
ラックが拳を繰り出した。必殺の一撃。多くの人型アンドロイドは頭部にCPUを積んでいる。破壊さえすれば、こちらのものだ。
だがラックはあろうことか手首を掴まれ地面に転がされていた。学習したのか。意趣返しか。
「ぐ るるる!!」
「くそ!」
顔面目掛け炸裂する抜き手をかろうじて首の動きだけでいなすと、手首まで埋まったせいで動きの取れないアンドロイドの髪を掴んで引き倒し、殴る殴る!
アンドロイドが頭突きをかましてきた。たまらず倒れ頭を抱えるラックをよそにアンドロイドが逃げた。
「待て!」
ラックは後を追いかけた。どこか楽しそうに。
リリィは顔面蒼白だった。まさかよりによって銃撃を受けるなどとは思わなかったのだ。運の悪いことにロープに弾が命中するなどとは想像もできなかったのだ。
機動装甲服は推進装置を使うことで一時的に空を飛ぶこともできるが、修理部品が手に入らない上に推進剤の精製に時間がかかるために、使えないも同然だった。後を追いかけて探すべきなのだろうが、戦闘を得意としていないリリィには辛い決断だった。
自分ならまだしもラックというエバーグリーンの指導者が落下ともくれば、流石に無視して帰宅は出来まい。考えに考え抜いた末にリリィはシャマシュに戻り無線装置を使い応援を呼ぶことにしたのだ。こっ酷く怒られたことは想像するに難しくはあるまい。
時間にして丸一日後。敵襲。得体の知れない穴の中。生きているかも定かではないラックを探すべく集まったレンジャーが、穴の上部で待機していた。機動装甲服を纏ったリリィも同行していた。
「作戦は以上だ。速やかに捜索し、脱出する」
レンジャー部隊隊長たる髭面の男が暗澹たる顔で腕を組んでいた。雪に埋もれたこの時代ではごく一般的なボルトアクションライフルを背負っていた。男たちが応と頷き合う。穴に転落し行方知らずになってしまった重要人物を捜索し連れ帰ることが目的だった。
男たちがラペリング降下を開始しようとした時だった。地面の一角の雪が退けられたのだ。マンホールの錆びた蓋が持ち上がると、金色の毛髪を蓄えたアンドロイドを担いだラックが姿を現したのだ。まずアンドロイドを外に放り、自分が這い出てくる。頬には裂傷。鼻から血。左腕はあらぬ方角に曲がり背負ったバッテリー装置からは火花が散っていたが、健在であることを示すようにきらきらと目が輝いていた。
「皆来てくれたか。紹介しよう。“ユニーク”だ」
ラックは、言わんとすることを理解できず唖然とする男たちを前に、身動き一つしないアンドロイドの肩をぽんぽん叩いて見せた。
「気に入った。連れて帰るぞ。さぁ準備は整ってるんだろう。帰ろう」
「―――ということなんだ。面白いだろ」
嬉々として詳細を説明してくれたラックを前に、リリィの面影を引き伸ばしたような顔立ちをした女性が唖然失笑していた。
リリィと同じような青い瞳にぼさぼさとした癖のある髪の毛を後頭部で一括りにした女性だった。肉付きが悪く肌が白い。目の下に異様な暗色のくまを作っていた。皮肉染みた仕草で肩をすかせると安楽椅子を足の反動でくるり回して振り返った。
「貴方正気なの? 狂ったアンドロイドと一日中戦って決着が付かなくてふと気が付くと友情が芽生えてたって、ヤバい薬かなにかをきめてきたの?」
「お前に言われたくはないな」
ラックが不満げに唇を変形させた。視線の先には傷一つ無い銀色の円盤と読取装置が一体化した代物があった。水色の冷却液の中に浮かぶ電子機器もあった。ラックの理解に及ばない機器の中には人間の小脳と酷似した物体まであった。マッドサイエンティストという表現が適切だった。
「失礼ね。私のは芸術。快楽信号を脳に送り込むことで得られる幻想的な風景を見させてあげてるだけじゃないの。麻酔薬無しに手術も可能。無限の未来を感じるわ」
サキはこともなげに言って見せた。鳥篭にも似た装置を装着した得体の知れぬ茶色の色素の付着した手術台が部屋の隅にあった。墓石のような電子機器から無数に伸びるコードが籠のソケットに集約されていた。
ラックは昔、台に寝かせられたことがあった。記憶が曖昧だったが、身も凍るような恐怖を覚えたことだけは記憶していた。
「似たようなもんだろ。大昔俺を発狂させかけたろ」
「技術程度が低かったのね。必要な犠牲だわ」
「くそが。自分でやれ自分で」
リリィには姉がいる。サキ=フリーマン。電子技術に長けたメカニックだった。
麻酔無しに手術する為に過去の技術を漁っていた彼女はある日この機器を見つけてきたのだという。本来の意図を外れて人の脳を覗き見、快楽や夢を送り込む技術を完成させていた。膨大な電力を食うこれら機材を許しているのは、電子機器群がエバーグリーンの各所演算能力を受け持っているからだ。悪戯に技術を野放しにはさせなかった。
ラックが苦々しい顔で毒づくも、肝心のサキはどこ吹く風だった。科学が果てに到達するまでに生ずる犠牲は土から生まれてくるのだと言わんばかりに胸を反らしていた。
「えーごほん。で、どうするんでしたっけ王様」
話の筋を矯正するべくリリィが気まずそうに口を挟んだ。両手両足を縛られた件のアンドロイドが地面で芋虫になっていた。
サキがごついリング付きの眼鏡をかける。耳に挟んでいたピンセットを指に絡めてタップダンスさせると、二人に人差し指で作業台に乗せるように指示した。
「直せるか?」
「………直すのはいいけど私たちの頭蓋骨カチ割られたらどうすんのか考えておいてくださらない?」
サキが言うなり机の下から散弾銃を取り出しラックに放ってよこした。大男でも即死させることのできる散弾銃は今も昔も戦士の頼もしい相棒だった。
「スラグ弾。着弾と同時に炸裂し高圧電流を生じる特製。ゴムやセラミックでも瞬時に電熱で絶縁破壊して回路までショートさせられる」
「………で、要したコストはどこからくすねた?」
「えへへ」
「えへへじゃない。後で覚えてろ」
ラックが表情を凍らせるとサキは子供っぽい誤魔化し笑いを浮かべた。姉妹揃って始末に終えない。
サキはアンドロイドの後頭部の髪を指で梳いてどけた。アクセスパネルに蛇のように皮の張った指を這わせると端子接続口を探り当てた。手持ちのパソコンからコードを伸ばし繋ごうとする。繋がらない。端子が合わない。首を振ると、ニヤニヤと口元を歪めた。
「私なりに狂いを修復してみせる。一週間くれないかしら」
「あぁ。ぞっとするね。壊したら雪原に裸で追っ払うぞ」
ラックが言った。
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