第2話 エバーグリーン



 雪に閉ざされた世界において、人類は二つの選択肢を迫られた。

 一つが原始的な生活に返ることだ。海に漕ぎ出し魚を取り、トナカイやペンギンを養殖するなどして生計を立てる。日々の糧を自然に求めた生活をすることだ。

 もう一つが、過去の産物にすがり付いて資源の枯渇に日々震えながら過ごすことだ。もはや石油は産出できない。核物質の抽出などもってのほか。太陽を含む自然エネルギーはもはや当てに出来ない。かすかに湧き出るガスと、常緑樹を伐採してエネルギーを得るほかに無い。

 凍りついた大地に突き刺さった異物がある。エバーグリーンという名前をつけられたそれは、数少ない人類の居住地の一つだった。地下数百mにも及ぶ構造物の内部に、周辺に居住可能な状態を作り上げることで『国』としていたのだ。


 「がんばれ。もう少しだ」


 青年は機体のパネルを撫でつつ言った。最後にまともに整備をしたのはいつごろだったことか。オイルが足りない。モータ交換部品が無い。弾薬自体貴重だ。そんな中で、整備を容易く遂行することができるはずがなかった。

 エバーグリーン外周を囲む門の前で止まる。機体後部には足をくの字に曲げてひっくり返っている解体者ブッチャーがあった。

 門の上部に設けられた監視カメラと、ドラム缶に機関砲を据え付けた様な物体が睨みを利かせていた。

 白亜の機体を目にして機関砲が上を向き、地響きを上げながら門が開き始めた。すっかり開ききる前に、スキー板を吐いた機体がペタペタと歩みを進めていく。真正面に獣皮のコートを纏ったボサボサ頭の少女がビス打ち機を腰にぶら下げて立ち尽くしていた。


 「………どけ。潰すぞ」

 「きかんぼうのご帰還か。それで王子様。どのようにいたしましょうか?」

 「どけ」


王子様呼ばわりされた青年はキャノピーを持ち上げると、腕を組み、むっつりと唇を結んだ。

 リリィ=フリーマン。白い肌に黒いぼさぼさなショートカットの髪の毛。豊満な肉体をこれでもかと分厚いコートに身を包んだ、メカニックの一人。自分を王子様と呼ぶものは多くいても、嫌みったらしく言ってくるものは彼女以外にはいない。

 王子の帰還に、門番たる男がかしこまった姿勢を見せる。


 「王よ。ご無事でなによりです」

 「ヨシュア。王なんて所詮は肩書きみたいなもんだろう。高々数百人の村を治めるにすぎんわけだ」

 「しかし王よ」

 「はぁ。相変わらずの堅物だな。昔は俺の頭に拳骨をくれたもんだが」


 かしこまった姿勢を崩そうとしないヨシュアにひらりと手を振ると、整備員達がどっと白亜の偽装布を纏った巨人へと群がってジャッキで持ち上げて運び出していく。

 “王子”は両手を包んでいた手袋を脱ぎ捨てズボンにねじ込むと、小うるさい音を立てていた自らの義足を殴りつけた。


 「調子が悪い。あとで修理しろ」

 「構わないけどこの子の修理で忙しくてねぇ。部品もないし時間もないし人でもないしで大変だわぁ」

 「後でやれ。俺の部屋にこい」

 「そういうお誘いは中のいい女子にしなさい」


 などとどうでもいいことを言いつつ逃げていくリリィの背中を見送る。ようするにめんどくさいから修理したくないのだ。

 “王子様”は自分の機体が格納庫へと運ばれていくのを見て首を振ると、疲労感に溢れた表情で自室に戻った。






 エバーグリーンの統治は、由来さえ伝わっていない彼の一族によって任されていた。統治者を決める手段は王権以外にもあったというが、もはや皆忘れ、記録さえ残っていなかった。不満を抱くものがいるはずがなかった。王といえど所詮は労働者の一人にしか過ぎず、支持命令と許可を下す役割しかもっていなかったのだから。

 今月に入って十回目を数える解体者の襲撃を意味する書類に目を通しつつ、“王子様”ことラック=アルバークはため息を吐いた。

 服は、下着のほかに着ていなかった。発電機からの熱で室内を暖めるシステムの恩恵で、部屋は春の陽気だったのだ。寒気は無かった。

 胴体から伸びる両腕と、両足は銀色の光沢をしていた。右目も同様にレンズ型の機械がはまっており、心臓に当たる部分には無数の機械配線が皮膚の下を走っていた。体の半分以上が機械によって補われていた。

 ラックは自らの心臓に手を置くと、上着を羽織った。


 「くっ………」


 心臓が不規則に動いた。脈拍を制御しきれていないのか、そもそも制御する気さえ放棄したのか。跳ね上がる心臓につられ床に倒れ掛かる。


 「後数年………なんて見通しは捨てるべきなんだろうな」


 ラックは口元に薄い笑みを浮かべて見せた。ラック。幸運の名前とは裏腹に厳しい人生を歩んできた身である。幼少期に両親を亡くし、成人した後に攻撃に遭い体の大半を吹き飛ばされた。かろうじて生き延びた彼だったが心臓を人工のものに置き換えねばならなかった。そしてその心臓も徐々に機能を失いつつある。

 整備士と医者の話によればもって数年以内に心臓が機能を喪失し、死ぬ。もともとごり押し気味の手術だったのだ。心臓が欠陥を抱えているなど考えもしなかったのだ。


 「とんとん。お邪魔しまっす」

 「ノックをしろとあれほど言ってるんだが。聞こえてないのかお前は」


 ずけずけと扉の鍵をピッキングして入ってくるリリィへラックが目を細める。どんな電子鍵だろうと、南京錠だろうと、彼女にかかれば紙切れも同然に破られる。ある意味最高の暗殺者であり、盗賊としての素質を持っているといえるだろうが、彼女は整備士だった。

 心臓を押さえているラックを見てリリィは勝手に部屋中を物色し始めた。エバーグリーンにおいて数少ない調度品が置かれる温かみのある部屋中を好き勝手に徘徊していた。

 木製の机。ランプ。酒瓶。ラジオ。ソファ。鼻の長い生き物の模型。翼の生えた乗り物の絵。等々。

 そんなリリィをラックは何をするでもなく、一人安楽椅子に腰掛け机に足を投げ出していた。


 「言っておくけどまだ見つかってないんだなこれが」

 「死ぬ気で探せ。命令だ」

 「王様の命令といっても聞けるものと聞けないものがあるんだよなぁ。ただでさえレアな電子部品。よりによって人間の体に埋め込む人工心臓そのもの。あるいはスペアパーツ。見つかると思う?」

 「なんとかしろ」

 「なんともできないなあ。レンキンジュツ? があればできるかもね」


 なにやらよくわからない単語が出てきた。使った本人も理解していない様子だった。知識量では圧倒的にリリィのほうが多いことは明白だったが、それでも言わんとしていることは理解できた。

 この雪に埋もれた世界で、どこにあるかもわからない人工心臓の部品をよりによって使える状態で見つけることがいかに難しいかということだ。雪山に別の山から拾ってきた雪玉を落として探すようなものだ。

 王子ことラックはため息を吐いたが、すぐに机の引き出しから書類を引っ張りだした。


 「探索組が面白いものを見つけたとの報告が入っている。キャラバンからの情報とも合致する。北西に行った方角に地下空洞があるらしい。さっき俺も確認してきたが怪しい穴があった」

 「んなことよりさ」


 リリィが言いにくそうもとい言いやすそうに口を開いた。

 エバーグリーン外周を包み込む壁が記載された書類だった。


 「壁を作る計画を進めるべきなんじゃないの」

 「……資源が無い。コンクリートの生産量も限られる。第一、誰が作るんだ。せめてアレがもう数台あれば……」

 「もたついてるうちに解体されちゃうぞ」

 「理解している。できるならもうやってる」


 ちらりとラックが視線を外す。壁際には白い偽装布を纏った二足歩行型の物体の模型が鎮座していた。

 その昔、建築や整備に使われていたというロボット。現代の戦闘においてもっとも強く、速く、硬く、もっとも高度な産物の一つ。人々はそれを『スライダー』と呼んでいた。積雪をものともせず“滑る”からそう呼ばれるようになったのだ。人力でコンクリートと鉄で壁を作るのは骨が折れる。スライダーの馬力ならば容易く建築できるだろう。

 だが、スライダーは、多くの資源と同じように発見されることは極めて稀だった。エバーグリーンが有するスライダーはものの二機。一機も持たない生存領域と比べれば多いほうだが、整備に使われる部品も資源も底を尽きかけていた。補給先を見つけない限りはいつかスクラップになるだろう。


 「だからこそ、その怪しい噂にかけてみたい。俺の心臓はともかく資源が見つかれば万々歳。見つからなくても―――」

 「わーったって。了解、手伝えばいいんでしょう手伝えば。整備班が夜なべして整備した機体をボコボコにして帰ってくるって寸法でしょ私知ってる」


 投げやりなものいいだった。リリィはソファに身を預けあくびをかみ殺しながら聞いていた。

 ひらりとラックが手を振って見せた。


 「明日の夜出る」


 一晩で支度をしろと言われたリリィは聞きたくないと言わんばかりにクッションをとると顔を覆った。

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