第3話 探索
凍えるような寒さの外と比べると、タワー内部は蒸し暑かった。各種タービン。地下からあがってくる熱を利用した発電装置。その他生活で発生する蒸気。それを排気する機能こそついているのだが、排気しきれていないのが現状だった。
事実シャツ一枚に作業着を羽織っただけのラックが汗ばむくらいなのだ。
ラックは自室を出ると、衛兵役の若い少年に敬礼した。
「気張りすぎるなよ」
「あいあいさー!」
少年は生き生きとしていた。いつの時代どこでだって若い子供というのは元気なものだ。
自室を出ると、酷く入り組んだ街並みへと飛び込んでいく。縦に長いタワー内部の空間を利用するために、階段はほとんど無かった。家の屋根の上に家があり、その合間を配線とパイプが走り、その横に細長い家があり、課と思えば家の側面にはしごが無尽に走っている、などは朝飯前。道を辿っていくといつの間にか工場の中に入り込むこともあった。居住区は魔女の釜だった。
ラックは地図など無い混沌とした居住区の真っ只中を迷い無く駆けていた。人の群れをかわし、突き進んでいく。王とわかるや否や敬礼するものもいたが、多くは友人か家族にするような気楽な挨拶だった。
ラックはこの街が好きだった。まるで巨大な鉄の怪物の腹の中にいるような気分が堪能できたからだ。住民は血液で、無数に張り巡らされたパイプや梯子は血管だ。タワーを支える外殻は骨であろう。血液たちは限りある資源と、閉塞的な環境にもめげずにがんばっていた。
タワーの構造は大きく分けて上と下があった。下はつまるところマイナスメートルの地下世界。二つに分岐したタワーのメインフレームの周囲を取り囲む部分である。発電装置を含むライフラインはここから始まっている。水は雪を溶かして作っている関係上ゼロメートル地点から始まっているが。
タワー地上付近から最上部にかけてが居住区や、機械の整備を担当する区画、兵士の宿舎がある。上部から最上部にかけては機関砲や迫撃砲を含む火器群によってハリネズミにされていた。
上部は三叉に別れている。二つの道は一度持ち上がって地上に接する位置へと降りており、一つの道は二つの道の中間から上に伸びている。
この構造を上にジャケットを着せるが如く梁や支柱足場を雑多に組み合わせているのだ。外部と思いきや内部に入っているような箇所もある。全てを知るものはきっといないのだろう。
ラックが向かったのは最上部の見張り台だった。地上数百mに位置するその場所は、超大型のサーチライトと双眼鏡や望遠鏡の据え付けられた場所だった。人々はそこをプラネタリウムと呼んでいた。
「はぁー………寒い。爺さんまたせたな」
「おう、今日は一段と空が近いぞぉ」
ぼろ布に全身をくるんだ人物がプラネタリウムの中央の台座に腰掛けていた。ねじまがった背中からはバッテリーらしきものと電気配線が覗いていた。
世界の終わりから生きているというその人物は、いまはもう新規に作ることのできない技術の塊だった。
老人は全身が機械だった。脳さえも。数少ない、アンドロイドだったのだ。機械が人間的な意識を持つことなどありえないのかもしれないが、人間的に受け答えをするものが確かに存在していたのだ。
タワー建造以前からこの土地に住んでいたという彼はラックの一族と常に共にあったという。
ラックは老人の傍に立つと、彼が覗き込んでいる望遠鏡とは異なる別の望遠鏡を覗き込んだ。月面が写りこんでいた。曰く月面には兎がいるらしい。月面にはカニがいるといったものもいた。ラックには月面は何ににも見えなかった。クレーターの合間に浮かぶイボのような円形の物体が兎の格好を歪にしていたからだ。
「旅に出なさるのかい」
「おう」
ラックは望遠鏡から目を離すと、酷く砕けた口調で笑ってみせた。爺さん呼ばわりするこの相手こそが、自分の生まれてからこれまでで一番懐いた相手だった。何を隠そう己の手足が吹き飛んだ時の手術を担当したのがこの人物だった。
ラックの笑みをなんと思ったか老人は朗らかに笑った。人のそれを模した顔面は、皮膚が破け、配線がむき出しになって垂れ下がり髭のようになっていた。
「といっても遠方はるばるいつまでも行くわけじゃない。こっから少しのところに地下空洞があって、なにか物資があるらしいからいくんだ」
「心臓の修理をたくらんでなさるな」
「そうさ。死ぬわけにはいかないから」
「部品がある場所の心当たりは、もうない。あるとしても遠方になるだろうなぁ」
老人が髭をこすりながら言った。老人は過去の知識の探求者だった。まだ体が動く頃は世界中を見てきたというが、事実であると信じるものは少ない。老人の言葉はたわごととして扱われるのがほとんどだった。
「お前さんが消えたらエバーグリーンは誰が率いるのかをよく考えなされ」
「俺が死んでも後の連中が継いでくれるさ。所詮スライダーの操縦しか出来ない男にできることなんざ限られてるんだ。いなくなったらいなくなったらで、あとはうまくやってくれる」
ラックは自嘲気味に言った。
老人がふむと喉を鳴らす。
「ならば気をつけることだ。大いなる過去に挑むならば犠牲を覚悟しなければならない。お前さんは両腕を失って心の臓腑までも奪われたが―――」
「失うものはないぞ」
「忠告はした。あとの判断は自分でなさるように……」
それっきり老人は黙ってしまったが、ラックが手を伸ばすといとおしそうに手をとった。傍らに跪くラックの頭を撫でると、背中を軽く叩く。
「いってくるぜ爺さん」
「無事を祈りましょうぞ」
ラックはその場を去った。
スライダー。それは過去の産物の一つ。
人間が持ち運ぶことの出来ない大口径砲や、近接武器をやすやすと担ぎ上げることができる巨人。両足に装着した“そり”で雪原を、大地を、瓦礫でさえ溶解させ、“滑る”ことの出来る唯一の武器。
言うならば装甲車の前面を胴体に。箱を体幹に据えたような物体に、両手両足を付けたと表現するべき乗り物だった。首が無く、胴体だけで歩く姿はいっそのこと滑稽だったが、前傾姿勢に瓦礫を跳ね飛ばしつつ闊歩する様は、見るものを圧倒させた。特筆するべきはその機動力だろう。馬よりも速く、障害物をものともせずに進行するのだ。
エンジンキーをひねった途端にどるんと機体が身震いをした。オペレーションシステムに文章列が走ると、モニタがブーンというため息を吐いた。ガスタービンエンジンが高速回転を始める。自動で暖気運転に入った機体をよそにラックは操縦のための準備を整えていた。
「エンジンよし。ダンパーよし。整備部は丁寧な仕事をしたな」
「私に感謝してくれないと困る」
突然機体の上に何かが着地した。格納庫の水銀灯が背景になっていた。外部カメラが拾った映像を投影するモニタ上に灰色の塗装を帯びた鎧が直立していた。鎧は油圧装置とモーターを組み合わせたパワーアシスト機能が付いていた。鮫のように鋭利な頭部に横一文字のカメラ装置とライトがついていた。鎧は鉄骨を切り出して取っ手をつけたような棍棒と対物ライフルを抱えている。
ラックはそれに見覚えがあった。リリィの
「一晩整備にかかったんだからさぁ感謝の言葉くらいは欲しいわけさ。お、う、さ、ま」
ラックはキャノピーを持ち上げて外に出ると、得意げに腕を組み胸を反らしているリリィを見上げる位置についた。唇をぺろりと舐めて潤すと真顔で言ってのける。
「愛してるよ」
「でへへへへ愛されちゃった代わりにお給金あげて」
リリィが同じく真顔で笑うという不気味な仕草をやってのけ、よこせといわんばかりに手を突き出してきた。エバーグリーンにおいて給金という概念はある。あるが、どの労働者も一律“額”は決まっていた。すなわち生存可能な糧食と、物々交換用の最低限の物資だった。王の権限ならば額を変更することも容易いだろうがラックは首を左右に振った。
「だめだ。で、ついてくるつもりなのか」
「王様一人だけでいかせたら整備部の名折れってもんよ。ってのはタテマエで真剣に言うと死なせたくないんだってこと」
まじめな顔を浮かべる腐れ縁の少女にラックは機械製を振って見せた。
「相変わらずのあたらない狙撃に期待させてもらう。で、うまくなったのか?」
「れ、練習用の弾が見つからないだけだし」
リリィが弾があれば上手くなるのだと言わんばかりに顔を反らす。
弾丸は食料と同様の価値を持つ。安定的な製造ラインがあったという昔ならともかく、資源不足に悩む現代では練習用の弾丸などあるはずが無い。ラックは知っている。リリィという少女の狙撃の才能が皆無どころかマイナスに振り切れているということを。当てにはならないだろう。彼女の機動装甲服が携える鉄骨の棍棒のほうが万倍はあてにできそうだった。
旅の道連れを得たラックは、彼女が機体に掴まるのを見てキャノピーを閉めた。電子パネルを操作して格納庫の扉を開けた。整備班の面々があくびをかみ殺しながら手を振っている。
「行ってくる。三日後には帰ってくる。心配するな」
ラックは言うと機体を格納庫の外へと“滑らせた”。
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