第14話 女
検体を封じ込めたプレパラートに目を通していたラックは、ため息を吐いた。
「放射線による異常変異か? 寒さ、暑さ、放射線を含む汚染に対する耐性を獲得しているのか」
巨人を打ち倒した後、ダダで巨人を引き渡すのも惜しく、使えるものをこっそりと持ち出そうとしていたのだ。ニュークとリリィが巨人本体への興味を示す一方で、ラックが興味を示したのは巨人に生えていた樹木だった。極端な高温、低温、汚染された土地でさえ枯れることなく生命を脈々と紡いでいるそれらは、故郷のエバーグリーンで一般的に知られている常緑樹の生命力とは比べ物にならなかった。
樹木の種子。花粉。枝。液体。その他サンプルを採取して、シャマシュの格納庫に載せる。凍てつく寒さをものともせず成長する樹木があるとすれば、いつか木炭が量産化できるかもしれない。それどころかエバーグリーン周囲を緑化できる可能性もあったのだ。持ち帰るべきだった。
「……あぁー……うん、へたに弄らない方がよさげ……」
ラックは顔を上げると検体を収納しているアーモボックスの蓋を閉めた。
「めぼしいものは見つかったか? なんでもいい。どうせスタジアムの連中にはわからんしな。かっぱらっちまおうぜ」
「“操縦席”? はだめ。とめ方わかんなくてふっ飛ばしちゃったし。で、ハッチがあるから入ろうとしたらガイガーカウンターがなり始めて諦めて戻ってきた」
「ニュークにやらせろ」
「ニュークの放射線シールドでも厳しい線量だったけど? 回路焼かれちゃうって。あと侵入を拒むようっぽい防御システムがあったんだけど突っ込ませてみる? 絶対突破無理だってかけてもいいよマジで」
「防御システム?」
「タレットにレーザーガンに……ドローンとか」
ラックは首を捻った。操縦席らしきものがあったという発言や、防御システムの存在。神の存在など信じない時代の住民としては巨人が天から使わされた怪物だとは思っていなかったが、人が作った乗り物である可能性を示唆する根拠を発見するとなると流石に驚く。
この世界には、歴史上に空白地帯が存在する。人類の黄金期があることは皆がなんとなく知っていることだ。埋まっているもの。廃墟。巨大構造物。そして伝承。人類が宇宙さえ支配した時代があったのだと、子供でさえ知っている。そして、巨大な空白が横たわっている。空白の背後に並ぶは全て雪と氷に閉ざされたスノーボールアースの時代だった。巨人は、空白地帯を埋める為の鍵なのではないだろうか。
いや。ラックは思考を止めた。歴史浪漫などどうでもいい。必要物資を剥ぎ取って燃料を補給して旅を続けねばならないのだから。放射性物質漏れがあったとしても、知ったことではない。
ラックはいよいよレッドゾーンに突入したシャマシュの燃料計をいとおしそうに指で撫でると、巨人の破片を目を輝かせて拾い集めているニュークに手招きした。
巨人の死を悲しむかのように鳥たちが嘶いていた。巨人が発する熱の残り香が生む上昇気流に沿って螺旋を描くように旋回していた。ラックにはまるで葬送の列のように思えた。
お湯浴びなどいつぶりだろうとラックは思った。
エバーグリーンの王族とて悪戯に燃料を消費するお湯浴び等、おいそれと出来るはずが無い。巨人を討伐したことでラックら一行は英雄のような扱いを受けていた。十分過ぎる食料、武器、弾薬、燃料補給はもちろんのこと、こうしてお湯が並々と注がれた湯船に漬かることができたのだ。
湯に沈んでいく己の腕を見つめる。金属とセラミックからなる作り物の腕は当然の如く水には浮かない。力を抜けば浮く生の腕とは異なり、湯船の底を目指すのだ。
バッテリー装置は外していた。義腕と義足内蔵のバッテリー装置とて数時間は持ちこたえてくれる。湯に漬かることを楽しむ余裕はあるというものだ。
ラックはリリィにお湯浴びをすると言った時の表情を思い出し一人笑った。錆びたらどうするだの感電して死ねだの酷いことを言われまくったが―――肌をじんわりと温めてくれる湯の魅力の前には勝てなかった。
「………こうしたときは髪の毛をまとめてタオルで頭の上に乗せておくと母さんが言ってたような気がするなぁ……男の俺には関係ないだろうけどな。いややるべきなのか? わからないなぁ……」
ラックは自らの肩まで垂れた髪の毛を指に巻きつけた。湯に浸かる時、女性は髪の毛が邪魔にならぬよう傷つかぬようにまとめておくものだ。男性であるラックにそんな風習などあるはずがなかった。遠い過去にかすんだ母親の明るい表情。追憶に沈みかけた己を叱咤するべく腰を上げて手早くタオルで水分を取る。
暖房の効いた脱衣所に出ると衣服を身に着ける。極寒の環境に耐える為の服だ。着替えには時間がかかる。脱衣所は数名が同時に使えるようになっていた。申し訳程度に囲いがついていた。故にもう一人が脱衣していることには気が付かなかった。
服を纏い、出るべく数歩進み、あっ、という小さい声に振り返る。
黄金のような女がいた。ニュークのそれが柔らかな月の輝きならば、女のそれは照りつける直射に身を焦がす金星・明けの明星だった。緩やかに頭部から伸びた金糸は、波打ちながら胸元を覆い、下腹部まで垂れている。女性的な起伏激しい肢体は見るものの眼球を拘束する引力を秘めていた。特徴的な赤い瞳は、強い意思を宿していた。
何より目のやりどころに困ったことに、女は全裸だった。タオルを肩に引っ掛けている辺り髪の毛を上でまとめようとしていたのだろう。
「…………ぐ……う」
まずい。叫ばれたら女性を手篭めにしようとしたと勘違いされかねない。英雄から一転強姦魔呼ばわりで
最低でも十の対処法を灰色の頭脳に巡らせたことだろうか。女が意外なことににこりと微笑んだことで危惧は杞憂に変わった。
「あらら……? すいませんね。殿方が入っているとは思いもしませんでした」
女は落ち着き払っていた。長すぎる髪の毛の末端を掴んで局所を覆うと、片手で胸を包んで視界から逃れたのだ。ラックが俯いて視線を外していると、ひたひたと小奇麗なつま先が歩みを進める光景が瞳に映りこんだ。
「お邪魔でした?」
「や、邪魔をしたのはこちらの方だ。素敵な出会いに乾杯でもしたいが急いでるんでね」
ラックは大急ぎで視野に女が入らないようにずらすと、背中を向けて大急ぎで去ろうとする。
「また会えますでしょうか」
「一期一会だろうな。じゃあ俺は行くぞ」
時間が無いのも事実だった。去り際にラックは足を止めると、かすかに口元を緩め背後に言葉を投げた。
「できればじっくり拝みたかったぜ。あばよ」
すぐにその場を後にしたものだから、女が返答を返したことには気が付かなかった。
「えぇ……遠くない未来に永久にね………ずうっと………いつまでも……」
足早に去っていくラックへ、女が口元を引き上げた。唇が三日月でさえ恐怖するようなおぞましい角度を描き出していた。
ちろり。蛇のように長い舌が宙を舐めた。
「あ、ラック。準備は整ってますよ!」
「おいおいずいぶん荷物が増えてないか。物々交換はするなとあれほど言ったんだけどな」
ラックはシャマシュが停まっている格納庫へと足を運んでいた。扉を潜ってみると、腕いっぱいの食料やら造花やらを抱えて満面の笑みを浮かべて駆け回っているニュークがいた。予想は付いたがからかい半分に言ってみたのだ。
ニュークは荷物を抱えたままえへんと胸を張る。仕草といい変声期前の声といい無邪気な子供を思わせた。
「プレゼント貰っちゃいましたっ」
「モテる男は辛いねぇ……俺なんておば様方やら奥様方人気は高いんだが若い子からはさっぱりだ」
ラックは年寄りのような感想を述べた。思い出すのは故郷でのことだ。粗暴な振る舞いをしていた時期を知っている若い女性陣から敵意の言葉を投げかけられることはしょっちゅうだったのだが、身に纏う危険な雰囲気に魅了される“妙齢の”女性は少なくなかった。生憎若い子の方が好みだったラックには不幸なモテ方だったのだが。
ひょいとスライダーのスラスタを弄っていたらしいリリィが機体の陰から顔を覗かせた。ツナギ一枚。タオルを頭に巻いていた。頬には黒いオイルが付着していた。
「準備はだいたいオーケィ。燃料もたらふく貰ったから次の目的地到着前に犬そりに乗り換える心配もいらないよ。残りはスラスタの点検くらい」
リリィはどうだと言わんばかりに右手に握ったスパナをくるくると指でもてあそんで見せ、
「あっ、ととととっ!?」
取り落としそうになり奇妙な舞を踊った挙句あらぬ方角にスパナを投擲した。
「馬鹿野郎。慣れないことするからだろ」
ラックは上着を脱ぐとリリィの顔面に押し付けがてら頭をくしゃくしゃに撫でた。さながら飼い犬を慣らすような手つきだった。転がっていったスパナを拾うと袖を捲くり肩を回す。
リリィはくりくりとした青い瞳を上着の隅から覗かせていた。
「あせくさい」
「丁度よかった。洗濯してくれ。スラスタの試験運転なら一瞬で水気が消し飛ぶぜ? 耐ブラストな物干し竿があれば楽々だ。ものの数秒あれば乾かせる」
「無いに決まってるじゃん」
「いいから後は王に任せろ。こう、やんごとなき血筋で整備を終わらせてみせる」
王族ジョークにリリィが吹き出した。上着を抱えて回れ右をする。洗濯なのか昼寝なのかはさておき。
「んじゃキングオブメカニックに任せて私は休憩とるね」
「おう。次の交易地までは遠いぞ」
「洗濯はしないでいいかなっと」
「しろ」
「ぐぇー」
リリィが上着を胸元で抱えたまま格納庫の外に出て行った。
ラックは早速作業を始めるべくシャマシュの操縦席に飛び乗った。席に着くと自己診断プログラムを立ち上げる。各所を点検。パネルを操作していると、いつの間にかニュークがキャノピーに凭れ掛かってきていた。
「交易地ですか?」
「ウム。スタジアムまでは俺も知ってる道なんだがここから先はまったくわからん。爺様曰く果てしなく続く平原があるとだけは聞いてるんだが……あの姉さんに情報貰っておいて正解だったな。最近この廃都に交易地が出来たらしい」
ラックはニュークに見えるように地図を広げた。白紙に方角と目標物と地名が記されているだけの地図というのもおこがましいものだった。指で現在地スタジアムを指し、北の方角の古都ターキオを指す。中間地点にある交易地の文字を指でなぞった。
「ひとまずここを目指してからターキオに行けばいいだろう。帰りの燃料補給は交易地で、無理ならまたスタジアムでやろう。物々交換が通用せんなら傭兵でもなんでもやってやるさ」
「その意気です。悪い連中ぶっ飛ばすなら手伝いますよ」
ニュークがうんうんと頷いた。
「しかし“傭兵”さんがこんな可愛らしい女の子だったなんてねぇ」
血の様に赤いドレスを纏った蠱惑的な女が言った。ルージュの乗った厚みのある唇が笑みを湛えていた。ラックにあの姉さん呼ばわりされたスタジアムの主クラウディアだった。
対するは灰色の防寒着にガスマスクに腰にマチェットをぶら下げた小柄な女だった。溢れんばかりのブロンドを後頭部で結い上げていた。赤い瞳は深い闇をたたえてクラウディアをじっと観察していた。顕微鏡に映る細菌を検証するかのように。
「対価がエバーグリーンの王子様に嘘の情報を伝えるだけでいいなんて変わってるわねぇ。あなたがやった功績ならばもっと大きい地位を望むことだってできるのに」
「あなたは何もわかっていない」
女が言った。赤色の瞳を瞬かせることさえなく。
「最善の策をとっただけのこと……そうでしょう、私のヴィーナス」
女がくつくつと笑った。
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