密室

密室1 密室の利点

※本文中、ポー『モルグ街の殺人』のネタバレがあります。ご留意ください。


 ミステリの始祖、偉大なるイズラフェル、エドガー・アラン・ポーが『モルグ街の殺人』の中で描いた事件は密室での殺人事件だった。ポーは現実にフランスのアパルトマンで起きたローズ・デラクールという女性の殺人事件を元にしてこの作品を書いたという。世界初のミステリが密室殺人だったことは示唆的である。誰も侵入・脱出不可能なはずの密室での殺人事件は人々を魅了した。密室というテーマは常にミステリについて回るものとなった。カー『三つの棺』作中で探偵役のギデオン・フェル博士が行った、あまりにも有名な講義は密室に関するそれであった。博士の密室講義は乱歩に深い感銘を与え、それが「類別トリック集成」を書くきっかけとなったのも有名な話だが、それはさしあたり置いておこう。

 ポーは『モルグ街の殺人』において密室のみならず、いくつか後世に残るミステリの特色を打ち出した。そのひとつが魅力的な名探偵オーギュスト・デュパンとその友人であり記述者の「私」というコンビである。ホームズとワトソンという組み合わせは著名で、ミステリにおける語り手兼探偵助手を「ワトソン役」などと揶揄するが、『モルグ街の殺人』の頃から既にこの関係性は完成していたのである。

 『モルグ街の殺人』において描かれた事件はアパルトマン、すなわち現在のアパートにおける密室殺人である。唯一の扉は内側から施錠されていた。窓は釘で打ち付けられており、煙突は人一人が通り抜けることのできないくらい狭いものであった。被害者は部屋に住む母と娘で、一人は煙突に強い力で押し込まれ、もうひとりは首を剃刀で切り落とされたうえで上階から下に突き落とされていた。犯人はいったい何者で、どこから出入りしたのか。実は釘を打ち付けられていた窓のひとつは釘が中で折れていて開くようになっていたのである。そして意外なる犯人はオランウータンであり、その窓から出入りしたのであった。後にクリスティ『アクロイド殺し』にて究極の進化を遂げる「意外な犯人」という特色も、ポーは世界初のミステリで既に実現していたのである。

 さて、『モルグ街の殺人』が後世のミステリに様々な示唆を残していたことは概観した。そこで密室に話を戻すが、なぜ密室というテーマはここまで我々を引き付けるのだろうか。それは実に簡単な話で、シンプルだからと思われる。

 ごく単純に、出ることも入ることも不可能な部屋で被害者が死亡しているという事実は謎である。とにかくその事件において何が謎なのか、密室はそれが至極分かりやすく描かれている。この分かりやすさこそが密室の魅力である。犯人はどうやって密室の中にいた被害者を殺害したのか。時にはそもそも、なぜ密室に被害者の死体が突如出現したのかという謎も起こりうる(高木彬光の提唱する逆密室である)。

 また、どうして犯人が密室殺人を作り上げたのかという点も単純である。様々理由は想定しうるだろうが、第一に密室下での殺人は不可能であり、したがって如何に犯人が怪しかろうとも逮捕にこぎつけるのは困難を極める。自身が逮捕されないために作り上げるという簡単な理由を、密室は犯人に与えるのである。

 この単純さこそ、探偵小説有史以来、密室が好んで利用される理由である。この単純さという点は読者はもちろん作者にも資するものであり、まずミステリを書いてみたいと思う方々は、密室を作り上げてみることをお勧めする。

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