倫理2 反社会的行為であるという前提
さて本格的に、なぜミステリにおける「人殺し」が許容されているのかという話に移るとしよう。前稿において理由を二つ述べた。ひとつはミステリにおいて「人殺し」の反社会性が前提として共有されているということ。もうひとつはミステリの構造上の問題である。本稿では前者を取り扱う。
まず外枠から話が始まるのだが、人間はフィクションの影響を受けずにはいられない。というより「現実とフィクションの区別」なるものが一部の層からやまかしく言われているが、実際にはこの二つには明確な区別は存在せず、したがって現実から影響を受けるのと同程度にフィクションからも影響を受けざるを得ないと言うべきだ。
我々は『テニスの王子様』や『スラムダンク』が流行した当時、テニスやバスケの競技人口が一時的にせよ増加したことを知っているはずである。アニメや漫画で地方が舞台となれば『聖地巡礼』と称した観光にいそいそと出掛ける人も多いだろう。かようにフィクションは現実の人間の行動に影響を与えている。その点は誰にも否定できない。
一方で、フィクションの影響が本来的に善悪正邪の区別のないものでもあると言っておかなければならない。これはあくまで例だが、『キン肉マン』を読んでプロレスに興味を持ち興行を見に行ったとしよう。これは別に悪いことをしていないし、むしろ経済を回しプロレス界を盛り上げているので善の影響であると言える。しかし『キン肉マン』に影響を受けて作中の技を実際に行い、相手に怪我を負わせたとしたらこれは悪の影響と言わざるを得ない。影響を与えたのは同じ一つの作品だが、その影響を受けた現実の人間がいかなる行為に移るかで、善悪は決定される。フィクションの影響そのものではなく、その影響を受けた人間の行動によって善悪が変化されるというわけである。
ではフィクションは自身が与える影響に無頓着でいいのかというと、当然それは違う。銃から放たれた弾丸が相手を傷つけた時、悪いのは引き金を引いた人間だが、では銃の安全性の問題をまったく無視していいのかというとそうではない。それと同じことだ。銃に安全装置を組み込んだり、特定の人間が持てないようにするのと同じような対策をフィクションも講じることになる。上記の例でいえば、『キン肉マン』の漫画の隅に「実際に技を人に仕掛けるのは危険です」と注意書きするとか、技の暴力性について問題とする話を入れるなどが対策にあたる。
ここでようやく本題に戻れるわけだが、反社会性を前提として共有しているということが活きてくる。すなわち、「実際に技を仕掛けるのは危険です」という注意喚起を作中ではなしに、社会上で行っているというのが「人殺し」の反社会性の共有という意味である。人間はフィクションから影響を受けるが、当然人間自身の判断があるためその影響は無制限ではない。影響の発露としての行動が危険であると周知徹底されれば、行動に移る人間は減るだろう。「人殺し」が反社会的行為であるという前提を共有することで、実際に「人殺し」へ移行する人間は減るというわけだ。
ちなみに上記の例で言うところの「技の暴力性について問題とする話を入れる」というのが次稿で話題とするミステリの構造に関わるため覚えてもらえるとありがたい。
「人殺しの文学」と言われる割には、この「人殺しは反社会的行為である」という前提の共有によってミステリを読んだ人間が実際に人殺しに移ることは少ない。その一方で、素人考えの推理を開陳する人間が後を絶たないのも事実である。これは厳密にミステリの影響だけが原因とも言い難いが、しかしミステリの影響を完全に無視できるものではない。
「人殺し」の反社会性は共有されている割に、探偵行為が割とデリカシーのない行為であるという前提は共有されていない。ひとつは探偵を主役として描くためにデリカシーのなさを描きづらいというのもあるし、描いたとしても探偵のかっこよさの中に消えていってしまうという難点もある。デリカシーのなさは探偵のかっこよさを強調するポイントのひとつになる場合もある。加えて仮に読者がミステリの影響を受けて素人考えの推理を開陳したとしても、今まではSNSもなかったので大して拡散せず問題とならなかったというのもある。
ところが現代では誰もが自由に意見を述べられる。ゆえに素人考えもグローバルに発信されてしまう。ただ的外れなだけであればいいが、そこに差別的言説がひっつくことも往々にしてある。
素人考えの推理を差別的言説とともに垂れ流す連中は極右の影響を主として受けている(あるいはまさに極右)場合が多いので、ミステリ側からすればそこに僅かしかないにも関わらず自分たちの影響を読み取られるのは我慢ならないだろう。だが、現代においてはやはり探偵行為におけるある種のデリカシーのなさや問題点を、きっちり「それは問題である」と表明した方がいい気がする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます