動機3 信仰による殺人――小栗虫太郎「完全犯罪」の場合
※本文中、小栗虫太郎「完全犯罪」についてのネタバレがあります。ご留意ください。
人が他者を殺害する上での動機について、前稿では適当に可能性を並べ立てるに終始した。分類というものは演繹法的に行われなけばならないと私は考えているので、その並べ立てた分類について具体例をいちいち書き記すということはしない(動機が重視されるミステリは特に本格物では少ないとはいえ、一応ネタバレにもなりかねないから避けたいという思いもある)。
しかし一項目だけ、これだけは具体例をもって説明した方がいいだろうという項目について補足する。それがA『被害者は殺人者の本来の目標であった』という大項目のひとつ『五、信仰』である。
前稿では「自身の信じる宗教や思想に基づく殺人。これも『二、利益』に通じるものがあるが別枠とする。信仰に生きることが俗物的利益につながることはむしろ少ないだろうという配慮もある。自身の信じるものへの使命感などが動機となっていると言えよう。」と説明したが、やはり具体例がなければ理解は難しいかもしれない。そもそも、この日本という、全般的に信仰心が薄いと強固に(それこそ狂信的に)信じられている国において、信仰心が殺害に結びつくという感覚が理解しがたいとしても不思議ではない(過去を振り返ればいっそ不謹慎ではあるが)。
そこで取り上げるのが小栗虫太郎「完全犯罪」である。最初にネタバレがあると記したが、あくまでネタバレは犯人の動機についてであり、密室殺人については特に触れないのでご安心を。
さて、「完全犯罪」の舞台は中国奥地。そこにヒュー・ローレルという博士の残した異人館があり、これが凄惨な殺人の現場となる。何故か屋敷から一歩も出てはならないという言いつけを父であるローレル博士から告げられている娘のエリザベスが住んでおり、そこへワシリー・ザロフの率いる苗族共産軍が訪れる。彼ら軍は一種の慰安婦として女たちを伴っていたが、その中に、後に密室となったエリザベスの寝室で殺害されるヘッダがいたのである。
さてあらすじはほどほどにして、肝心の動機へ移ろう。犯人は動機について「或は、十年後の社会では、犯罪でなくなるかもしれません。と云うのは、一つの神聖な理想が法の埒を超えて実現されたからで、それは、
人種改良学と書くと聞きなれないだろうが、これは優生学のことである。きわめて辞書的な説明を加えるなら『人類の遺伝的素質を向上させ、劣悪な遺伝子を駆逐する』ことを目的とした学問で、その提唱は1883年、イギリスのゴールトンによるという。「完全犯罪」の初出は雑誌『新青年』に1933(昭和8)年、実に五十年前の提唱であるから日本にもとっくに流入していた考え方であろう。閑話になるが、小栗自身の思想がいかほどかは分からないが、『黒死館殺人事件』においても優生学的な見地からと思われる描写、発言は認められる。小栗自身、優生学の知見をある程度有していたことは間違いないだろう。
犯人の言によれば「永遠に救う事の出来ない種は絶滅させねばならぬ」という「信仰」である。そのために犯人はヘッダに対し、まずは外科手術による去勢を勧めたのであった。それが叶わぬとなったために殺害を実行したのである。
犯人にとってヘッダは絶滅させなければならない人種のひとりであり、そのために殺害したのである。決してヘッダの死が犯人に金銭や身分的地位を与えるわけでもなく、ヘッダが不俱戴天の仇だったわけでもない。ただ、優生学に基づく思想が正しいと信じて殺害は行われたのであった。その『正しい』という感覚は、「十年後の社会では、犯罪でなくなるかもしれません。」という犯人の言からにじみ出るそれである。
前半においてある種皮肉をもって私が「信仰心が殺害に結びつくという感覚が理解しがたいとしても不思議ではない」と書いた理由はこの段になって明らかになったと思われる。この文章を執筆しているのは2017年2月であるが、いまだに忘れることのできない、相模原のある障碍者福祉施設で19名が殺害されるという例を見ない殺害事件が発生したのは2016年7月である。殺害動機の根底に優性思想が(そこまで明確な形でなかったとしても)あったことは犯人の「障碍者はいなくなればいい」という旨の発言、障碍者ではない職員は拘束するなどして加える危害を最小限にしたことなどからおそらく間違いないだろう。
事件ひとつをとっても恐ろしいが、さらにおぞましいのはネット上においてこの事件は一定の支持を受けていたということである。つまり我々は物語の外にある現実においてさえ、優性思想が殺害の十分な動機になりうることを知っているのである。『現実は小説よりも奇なり』ということだろうか。少なくとも、現実で起こることは十分小説でも起こりうるものだ。この現実の事件ひとつを挙げれば、本来なら、信仰が殺人の動機足り得ることは説明できるのである。
なお、補足しておくが本稿は「完全犯罪」を批判する意図はない。優生学は現代においてはばかばかしいカルトであるが、当時における評価は、当時の科学の進歩具合と合わせて考えなけらばならない。第一、殺人自体が不正義である以上、その動機は何であれ、何の議論もなく肯定的には受け取られないだろう(そもそも優生学が特定の人種の殺害を不正義としていないという懸念はあるが)。
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