動機

動機1 なぜトリックは弄されるのか

 トリックそのものについて語る前に、まずはなぜトリックは使用されるのかという問題について考えなければならない。ミステリの一読者であれば「そういうジャンルだから」という適当な理解で十分物語を楽しめるだろう。しかし作品を作る側となると事態は変わってくる。犯人が被害者の殺害に際しトリックを弄することには理由がなければならない。しかもその理由とは「思いついたトリックを使いたかったから」などという粗雑なものであってはならない(もっとも、これから語る話題はあくまで基本であり、この基本から外れる方が物語全体のバランスを保てるという例はいくらでもありうる)。

 犯人がトリックを弄するのには理由がなければならない。それも合理的な理由でなければならない。なぜなら、そうでなければ物語の合理性が担保されず、したがってフェアプレイは不可能だからである。

 フェアプレイ、すなわち本格ミステリにおいては探偵が推理を語り事件を解決する前までの物語中に、すべての手掛かりが開示されていることが好ましいとされている。適切な手順で推理を行えば、探偵が真実に行き着くのと同時に読者も真実へ行き着く。これは意外な結末で読者を驚かせようとするために、必然的にミステリというジャンルがたどり着いたルールだろう。不可思議な殺人事件の真相が、今まで一度たりとも登場していない真犯人の登場で解決したり、取りこぼしていた手がかりがラストに示されて解決したりしては興覚めである。読者が意外な結末で驚かされるのは、すべての手掛かりが揃っているのにも関わらずその発想に至らなかったからである。真実を知り、物語を読み返して手掛かりのつながりを再確認するのもミステリの楽しみである。

 フェアプレイのためには合理性がいる。もっと突き詰めて言えば「犯人は合理的な動きで犯行に及んだ」ということが読者と作者の間で了解されなければならない。「犯人がAという事態に遭遇したとき、Bという行動に移る」ということがお互いに理解されなければ推理は行えない。そして杜撰な犯人の動機は、この共通理解を妨げることになる。合理性の担保とはつまりそういうことである。「理由もなくトリックを弄して殺害した」という不自然が納得されてしまう物語世界では、読者はいかなる天変地異も起こりうると感じ推理に支障をきたす。

 これは動機や、トリックを弄する理由ばかりの話ではない。以前、週刊少年ジャンプにて『学糾法廷』なる推理漫画が連載されていた。その中で、プールに起きた不可思議な事件を扱ったものがあったが、そのプールというのが飛び込み台もないのに不自然に深いものだった(確か水深10メートルはあったと思う)。このように不自然極まりない施設も極力避けるべきである。まだ私有の邸宅ならばいくらか理解されるだろうが、当該プールは小学校の施設であった。合理的に言って、事故の危険性が高いため小学校にこんな深いプールは作らない。そんな合理性が物語と読者の間で共有されていないことをこの施設は示し、したがって推理に支障をきたすこととなってしまう。


 まとめると、トリックの使用に理由が必要なのは再三言及したとおり合理性を担保するためである。合理性が担保されていないということは、物語と読者の存在する現実とでルールが異なるということであり、その状況下では読者の推理は不可能なものになってしまう。物語と現実の摩擦は極力避けるべきである。

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